第八十二魔 言ってもらっていいですか?
ハア、戻ってきちゃったかこの戦場に。
一年前のあの日以来、同人活動をずっと休止してた私が、また有明のこの地に舞い戻ってくるとはね。
やっぱ一度腐った人間は、二度と元には戻れないんだろうな。
でも今回ばかりはしょうがないよ。
今私達の間で大流行してる、『スイーツ大戦』ていうアニメの、パイシート中将×パンナコッタ少将のカップリング(通称『パイパン』)の、初のプチオンリーイベントが開かれるんだもの!
天才型だけどワンマンなパイシート中将と、そんな中将を陰から支えるパンナコッタ少将のカプが、私の超超超ツボにハマって、このイベントだけは何としても参戦せねばなるまいと、約一年ぶりに筆を執ったって訳。
「でもなあ……」
パンフレットに載っている、『腐海の魔女』というサークル名を見て、私は再び暗澹たる気持ちになっていた。
私がナットウゴハンと初めて会ったのは、今からちょうど二年程前。
高校時代からずっと同人活動はしてきた私だけど、晴れて大学生になった私は、登場ハマっていた、『君のせいで熱チュウSHOW』というアニメの人気カプである、郷田×毛利(通称『郷毛』)で、初のR18本を出すことにした。
実は密かにずっとR18絵の練習はしていたし、島中作家とはいえ、私は郷毛界ではそこそこ名は知れていたので、それなりに売れる自信はあった。
そして郷毛のプチオンリーイベントがある今日、私は期待と不安がないまぜになった心持ちで、有明のこの地に降り立ったのである。
ここまで来たら、もう後には引けない。
ドキドキしながら自分のスペースに行くと、既に私の描いた同人誌は印刷所から届いていた。
恐る恐る同人誌を開いて全てのページをチェックしたけど、特に印刷ズレとかはないみたい。
ハアー、よかった。
何気にこの瞬間が一番緊張する。
別に印刷所を信用してない訳じゃないけど、絶対に印刷ミスがないという保証はないし、半狂乱になりながらも寝る間も惜しんで描き上げた本が、最後の最後に印刷ミスで台無しにでもなったら死んでも死にきれないもん。
ま、私は普段の行いが良いからね。
こういう時は、神様は私を見捨てないよ。
「あ、エゴサさん、おはよ。流石来るの早いね」
「マルゲリータさん、おはようございます」
私がほぼ設営を終えた頃に、左隣の席のマルゲリータさんが到着した。
マルゲリータさんはその名の通り、マルゲリータピザが好きそうな体格をしていて、いつもノーメイクで髪の毛もボサボサの、確実に40歳は超えてそうなオバサンだ。
イベントで会った時に少し話すくらいの間柄だから、本名はもちろん、詳しいプロフィールはほとんど何も知らないけど、多分独身なんだろうな。
しかも年齢に比例して同人歴も相当長いみたいだけど、未だに島中作家で、むしろ本の売り上げは私より低いくらいだ。
何だかちょっと惨めだよね。
でも私は絶対、あなたみたいにはならないわよ。
数年以内に壁サーになってみせるから、見てなさい。
そういえば、私の右隣の人もまだ来てないけど、右隣って誰だっけ?
パンフレットでサークルカットを確認すると、そこには『腐海の魔女』というサークル名と共に、明らかに下手クソな郷毛の絵が描いてあった。
はて?腐海の魔女?
聞いたことがないサークル名ね。
大方今日が同人デビューする新人てとこかな。
だとしたら絵が下手なのも頷ける。
ま、いずれにしても私の敵じゃないわね。
と、そんなことを考えていると、ハアハア息を切らせながら、私の右の席に一人の女の人が駆け込んできた。
この人が腐海の魔女の人かな?
何気なくその人の顔を覗き見ると、私は雷に打たれたような衝撃を全身に受けた。
その人が、この世のものとは思えない程、あまりにも美しかったからだ。
私も容姿にはそこそこ自信がある方だけど、この人は別格だ。
ある日宇宙人に声を掛けられて、地球人で一番美しい人を紹介してくださいと言われたら、この人を紹介してしまうかもしれない程、この人の美貌は桁が違う。
おまけに胸もスーパーヘビー級ときている。
何であんたみたいな人が同人活動を!?
いや、同人活動に貴賎はないから、別に誰がやってもいいんだけど……。
とはいえ、明らかに場の雰囲気から浮いている感は否めない。
歳は私と同じくらいかな?
あんた程の美貌があれば、大学の飲みサーとかに入れば、いくらでもイイ男を捕まえられるでしょうに。
それだけ同人誌が好きってことなのか。
そう思うと、何故だか少しだけ誇らしい気持ちになっている私がいた。
美人さんは、私と同じように、自分の同人誌をくまなくチェックしていたけど、特に問題はなかったみたいで、ホッと胸を撫で下ろして、設営を始めた…………のはいいんだけど、やっぱり初心者みたいで、見ているこっちがイライラする程もたついている。
それでも何とか形にはなって、後は開場を待つばかりという段になった時に、それは起きた。
「あ、あのー、エゴサ先生……ですよね?」
「え?」
美人さんが、突然私に話し掛けてきたのだ。
何!?この人私のこと知ってるの!?
……まあ、私もそれなりに郷毛界では有名人だし、知られててもおかしくはないか。
「え、ええ、そうですけど」
「わああ、本物だあ!実は私、前からずっとエゴサ先生のファンだったんです!私は今日が同人デビューなんですけど、エゴサ先生の隣のスペースになれて、本当に光栄です!……あの、よ、よかったら、握手していただけませんか!!」
「あ……握手くらいでしたら……」
初対面なのにメッチャグイグイ来るなこの人!?
さてはオタクにありがちな、人との距離感を測るのが下手なタイプね!?
ま、まあ、こんな美人にファンだって言ってもらえるのは、悪い気はしないけど。
それにしても、やっぱり今日がデビューだったのね。
どうりでいろいろとなってないと思ったわ。
「あ!自己紹介が遅れました!私は腐海の魔女っていうサークルの、ナットウゴハンと申します!今、大学一年生です!」
「へー、じゃあ私とタメですね」
ナットウゴハンさんか。
ん?待てよ。
ナットウゴハン……どこかで見たことがある名前な気がするけど……。
「え!?エゴサ先生って私と同い年だったんですか!?凄い!それなのに、あんなに絵が上手いなんて!私、先生のアカウントフォローしてるんですけど、ワンドロで描いた絵もとっても上手くて、いつも見蕩れてるんです!」
「あ……それはどうも」
そうか、私のフォロワーさんだったのか。
そういえば、同人活動とは関係ない、日常の呟きにも毎回『いいね!』してくる人がいて、その人が確かナットウゴハンて名前だった気がする。
「そ、それでですね先生」
「ちょ、ちょっといいですか!その、『先生』ってのはやめてもらえないですかね?タメなんだし、気恥ずかしいっていうか……」
「あ!そうですよね!私ったらつい!……じゃ、じゃあ、エゴサ……さん」
「はい、何でしょうか」
何でそんな彼氏を初めて名前で呼ぶみたいに、頬を赤らめながら言ってくるの?
「厚かましいのは重々承知なんですが、もしよかったらでいいんで、エゴサさんの本を一部取り置きしておいていただけませんでしょうか?後で買わせていただきたいので」
「ああ、そんなことですか。もちろんいいですよ」
一冊でも多く売れた方が、私も嬉しいしね。
「ほ、本当ですか!ありがとうございます!今日は人生最高の日です!!」
私の本を取り置きしたくらいで人生最高の日になっちゃったら、あなたの今までの人生どんだけ悲惨だったの!?
まさかその容姿で、今まで彼氏がいなかったなんてことはないでしょうに。
……なんだかここまで言われると、ちょっとだけ情が移っちゃうな。
「……ねえ、ナットウゴハンさん」
「え?は、はい、何でしょうか」
「ナットウゴハンさんの本は、おいくらなんですか?」
「私の本ですか?500円ですけど……」
「そう。じゃあよかったら今、私の本とあなたの本を交換しませんか?私の本も500円ですから」
「え!?い、いいいいいいいんですか!?私なんかの本を!?」
「もちろんですよ。まあ、本当は開場前にこういうことをするのは、あまり良くないんでしょうけど。二人だけの秘密ってことで」
「二人だけの秘密……」
ナットウゴハンさんは、彼氏に頭をポンポンされたみたいな顔で、口元をだらしなく緩めている。
さっきから何なのこの子!?
まさか、百合っ気があるとか言わないでよね!?
私はノーマルなんだからね!
「じゃあ、はい、これが私の本です」
私はナットウゴハンさんに、私の本を一冊手渡した。
私のR18デビュー本の記念すべき一冊目が、こんな変わり者の美人の手に渡るとはね。
ホント事実は小説よりも奇なりとは、よく言ったもんだわ。
「わあ!素敵な表紙!あ、あの、こ、これが、わ、わわわわわ私の本です!末永くよろしくお願いいたします!」
「末永く!?」
何これプロポーズ!?
だから私はノーマルだって!
でもいざナットウゴハンさんの本を受け取ってみると、私はちょっとだけ後悔した。
やはり絶望的に絵が下手過ぎる。
郷毛の二人が抱き合っているのが表紙なんだけど、二人共腕が3ヶ所くらい骨折して有り得ない角度に曲がっているし、目の焦点も合っていない。
それに抱き合っていると言うよりは、融合していると言った方が適切なくらい身体のラインがグチャグチャで、美術館の入口に飾ってあるような、モダンオブジェみたいになっている。
しかも題名が、『監禁ダイアリー』って!
監禁ものなの!?
同人デビューでいきなり攻め過ぎじゃない!?
正直知り合いじゃなかったら、絶対自分じゃ買わなかっただろうな……。
「あ、あのー、エゴサさん」
「?はい」
「もしよかったら、それ、今読んでいただけないでしょうか?」
「え!?今ですか!?」
もうすぐ開場なんですけど!?
「すいません!自分では頑張って描いてみたつもりなんですけど、やっぱり今になって凄く不安になってきて……。是非、エゴサさんのご意見も伺いたいんです!」
「いや、と言われましても……」
仮に私が今何を言っても、今から本の内容を直せる訳じゃないのに……。
それに表紙を見る限り、悪いところは一ヶ所や二ヶ所どころではなさそうだ。
初対面の人に、それだけ延々とダメ出しをし続けるだけの度胸も根気も私にはない。
でも、冬の夜空の様に澄み渡った眼で見つめられていると、嫌とも言い辛いなあ……。
「……わかりました、拝見します」
「!よ、よろしくお願いします!」
私は心の中だけでため息をつき、ざっとだけど頭から終わりまで監禁ダイアリーに目を通した。
案の定、それはそれは酷い出来だった。
まずコマ割りがほとんど全ページ一緒だし、キャラの描き分けもまったくできていない。
バストアップで会話してるだけのページも多いし、ちょっとでも動きがあるコマになると、途端に手足が骨折する。
ストーリーも郷田さんが毛利ちゃんをずっと監禁してるだけだし、エッチシーンも完全にやおい穴で結合している。
もしかしてこの子、こんな容姿で男性経験ないの!?(私もだけど……)
「ど、どうでしょうか……?」
読み終わった私に、ナットウゴハンさんが不安そうな顔で聞いてきた。
「あー、うん。そうですね……」
何て言おう……。
正直な感想を言ったら、絶対この子傷付くよね?
かといって、お世辞を言うのも、私のプライドが許さないし。
いったいどうしたら……。
と、その時だった。
開場を知らせる放送と共に、一般客がぞろぞろと雪崩れ込んでくるのが見えた。
た、助かった!
「すいませんナットウゴハンさん!続きはまた後で!」
「あ、そうですね!こちらこそすいません!お互い沢山売れるといいですね!」
「ハハハ……。そうですね」
私にできるのは、精一杯の苦笑いでそう返すことだけだった。
初めてのR18本ということもあり、全然売れなかったらどうしようという不安もなくはなかったけど、蓋を開けてみたらその心配は杞憂だったようで、私の本は少しずつだけど、順調に売れ続けた。
そして開場から二時間も経つ頃には、150部刷った本は全て完売したのだった。
この時私は、確かな手応えを感じた。
私はR18の世界でもやっていける。
むしろこのままいけば、壁サーだって夢じゃない!
心の中は完全にヒャッハー状態だったけど、そんな高揚感も右隣のナットウゴハンさんが目に入った途端霧散した。
ナットウゴハンさんの本は、私が把握している限り、たった3冊しか売れていなかった……。
いや、あのクオリティであれば、3冊でも健闘した方だろう。
でも、当のナットウゴハンさんはそうは思えていないらしく、こんなはずじゃなかったとでも言いたげな顔で、死んだ魚のような眼をしている。
き、気まずい……。
これは、また感想を聞かれる前に、さっさと退散するべきかな?
でも、運悪くというか、運良くというか、ちょうどそのタイミングで、仲の良い同人仲間の子が私のところに遊びにきてくれたので、そこから延々と何時間も腐リートークに花を咲かせてしまったのだった。
気が付けば、周りのサークル参加者の方はほとんど帰っていて、左隣のマルゲリータさんの姿も消えていた。
「あ、もうこんな時間か。じゃあ、私もそろそろ帰るわ。またねー」
同人仲間の子は、自分のスペースに帰っていった。
「うん、またね」
私は軽く手を振って、彼女を見送った。
後には私とナットウゴハンさんだけが取り残された。
私は腐リートークに花を咲かせながらも、右隣のスペースを時折チラチラうかがい見ていたけど、ナットウゴハンさんの本は、あれから一冊も売れていなかった。
つまり、私がお情けで買った分を合わせても、合計4冊しか売れなかったことになる。
ナットウゴハンさんは今にも泣き出しそうな顔でずっと俯いたまま、握った拳をプルプルと震わせていた。
うわあ……。
これはキツい。
こっちまで胃が痛くなってきそうだ。
何と声を掛けていいかわからなかったので、私は無言で撤収の準備を始めて、そそくさと帰ろうとした。
が、その時。
「……何がいけなかったんでしょうか」
「!」
俯いたまま、ナットウゴハンさんがボソッと呟いた。
今のは独り言!?
……いや、そんな訳ないよね。
周りには私達以外誰もいないし、彼女は私に聞いたんだ。
でも、私にそんなこと聞かれても……。
「何がいけなかったんだと思われますか?」
ナットウゴハンさんは、今度はしっかりと私の方を見て言った。
その眼は変わらず今にも涙が零れそうだったけど、眼の奥には確かな意思が宿っているように見えた。
こ、この子、まだ心が折れてないっていうの!?
今まで何人か似たような境遇に陥った子は見てきたけど、ほとんどの子は心が折れて、二度と同人活動から足を洗ってしまうか、自分の同人活動は完全な自己満足だと割り切って、売り上げは無視するようになるかの、大体どちらかだったのに……。
この子は、そのどちらでもないような気がする。
この眼は私と同じく、壁サーを目指している眼だわ。
たった今、それが呆れる程険しい道だということを、身をもって実感した後だっていうのに。
……こんな眼で見つめられたら、私も眼を逸らせないじゃない。
「……あなたにとっては辛い指摘ばかりになると思いますけど、私の話を聞く気はありますか?」
「っ!ハ、ハイ!お願いします!私にアドバイスをください!」
ナットウゴハンさんは、土下座でもせんばかりの勢いで、私に頭を下げた。
「……わかりました。では言わせていただきますけど、先ず、圧倒的に画力が足りません」
「画力ですか……」
「デッサンも全体的に狂っていますし、各コマの構図も単調で、読んでいて正直退屈です」
「!……なるほど」
「あと、監禁というテーマ自体は悪くないと思うんですけど、郷田さんが毛利ちゃんを監禁しようと思った理由が最後まで不明瞭ですし、毛利ちゃんが郷田さんのことを好きになる過程にも、全然説得力がありません」
「……そうですか」
「あとはやっぱりエッチシーンですね。R18はエッチシーンが肝だと思うんですけど、線がカクカクしているので、人間味が欠けているというか……。すいません、この辺は私もまだ勉強中なので、偉大な先輩方の作品を、沢山読んで勉強するしかないと思います」
「フムフム」
その後も私は20分近く、アレコレとダメ出しを続けたが、ナットウゴハンさんは、私のダメ出しの一言一句を、全て丁寧にメモに取っていた。
「――と、まあ、漫画に関することはこのくらいですかね」
「あ、ありがとうございました!とっても参考になりました!」
「……最後に、これは漫画とは直接関係ないことですが」
「ハ、ハイ!何でしょうか上官殿!?」
……私はあなたの上官ではないけど。
「本を売る際は、具体的な内容がわかるあらすじをスペースに置いておいた方がいいと思いますよ。お客さんにとって、その本がどういう内容なのかというのは、本を買う上での大事な判断要素の一つですから」
「ああ、確かにそうですね。何から何まで、本当にありがとうございました中将殿!」
僅か数秒で、上官から中将にまでスピード出世してしまった。
このままでは5分後くらいには、元帥にまで出世しかねないから、この辺で退散しよう。
「……まあ、お互いこれからも頑張りましょうね。すいませんけど、私は用事があるのでお先に失礼します」
本当は何も、用事なんてないけど。
「はい!ではまたいつか、この場所で!」
「……そうですね。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした、元帥殿!」
……一歩遅かったか。
あれだけいろいろ言っておいて何だけど、私はナットウゴハンさんが有明に戻ってくる確率は低いと思っていた。
流石にデビュー初日で4冊しか売れなかったショックは小さくはないだろうし、画力もそう簡単には上がるとは思えなかったから。
でもその僅か2ヶ月後、前回とは別の会社が開催した郷毛のプチオンリーイベントで、私は再度ナットウゴハンさんと有明で再会したのだった。
今度は流石に隣同士のスペースではなかったけど。
私の設営が終わったのを見計らったように、ナットウゴハンさんは私のスペースを訪れ、前回私がいろいろとアドバイスしたことに対するお礼をつらつらと述べた後、せめてもの気持ちだと言って今回描いた新作の同人誌を私にプレゼントしてくれた。
まったく嬉しくはないけどね……。
タダで貰うのは気が引けたので、今回も私の同人誌を代わりに彼女にあげた。
彼女は飛び跳ねる程喜んで、自分のスペースに帰っていった。
やれやれと息を吐きながら、ナットウゴハンさんの新作の表紙を見た私は、思わず絶句した。
あろうことか、題名は『監禁ダイアリー第二章』だったのだ。
まさかの続き物!?
一章が4冊しか売れてないのに!?
これじゃ二章から読んだ人は、内容についていけないじゃない!
……まあ、R18はエッチシーンさえ良ければ、それだけで売れることもあるし、後は画力次第なところもあるけどね。
ただ、表紙を見る限りでは、画力は前回のものよりは格段に上達していた。
少なくとも、骨折は一ヶ所もしていない(まだまだ素人に毛が生えたレベルは脱せてないけど)。
今回は開場まで時間があったので、中身もじっくり読んでみたけど、キャラの描き分けもある程度はできるようになっているし、ストーリーも大分わかりやすくなっていた。
何よりエッチシーンがまあまあにエロい。
私が言った通り、先輩方の絵を見て、沢山勉強したのかもしれない。
……ふーん、なかなかやるじゃない。
これなら、10冊くらいは売れるかもしれないな。
けれど、イベントの終わり頃にナットウゴハンさんがまた私のところに来た際には、
「元帥殿のお陰で、今回は23冊も売れました!」
と、嬉々として報告してきた。
私のあだ名が元帥殿で定着してしまったことと、予想に反して23冊も売れていたことで、私は二重にショックを受けた。
対する私は、今回は思い切って200部刷ったのだけど、最終的には20冊程売れ残ってしまった。
この時私は、言いようのない嫌な予感を背中で感じていた。
その予感が的中したのは、それから更に3ヶ月後のイベント日のことだった。
例によって開場前に私のところにやってきたナットウゴハンさんが差し出した新作は、見違える程画力が向上していた。
題名は予想通り、『監禁ダイアリー第三章』だったが、もう私は中身を見るのが怖くなっていた。
それでも震える手を抑えながらページをめくってみると、そこにはれっきとした『漫画』が存在していた。
今までのナットウゴハンさんの本は、ただの『絵』だったけれど、これは紛うことなき『漫画』だ。
そこには生きたキャラクターと、息を吞むストーリー、そして身体の芯が熱くなる程のエロスが、見事に融合していた。
最後まで読み終わった瞬間、私の中の何かに、ピシッという音と共にヒビが入るのを感じた。
イベントの終わり頃にナットウゴハンさんは、思い切って100部刷った本が一瞬で売り切れた旨を報告してきた。
今回も200部刷った私の本は、150冊程しか売れなかった。
おかしい!
明らかに何かがおかしい!
その日私は、家に帰るといの一番にナットウゴハンさんのSNSのアカウントをチェックした。
今まで一度もアカウントをチェックしたことはなかったけど、そのアカウントを見て私は口の中に苦いものが広がるのを感じた。
そこにはほぼ毎日と言ってもいい程、数々の郷毛のイラストがアップされていたのだ。
まさかと思いシブの方のアカウントも覗いてみると、そこにも最低一週間に一度は、郷毛のR18漫画がアップされていた。
何だこの量は!?
大学生だと言っていたから、大学に通いながらこれだけの量の漫画を描き続けてきたとでもいうの!?
古いものから順に読んでいくと、少しずつだけど、着実に画力と構成力が上達しているのがわかる。
恐らくこの裏では、アップされていない練習用のイラストも腐る程あるのだろうから、いったいどれだけの心血を、ペンと紙に注いできたのか、私には想像も付かない……。
私の中で再度、ピシピシッとヒビが広がる感覚がした。
それからイベントを経るたびに、ナットウゴハンさんのスペースに並ぶ待機列は長さを増し、最後尾札を持つ人が、私のスペースの目の前まで来たこともあった。
そして私とナットウゴハンさんが初めて会った日からちょうど一年後のイベント当日、腐海の魔女は壁サーとして会場の隅に配置されていた。
私の本は、この日50冊程しか売れなかった。
私の中の何かが、バキッという音と共に、真っ二つに折れた。
あれから一年。
まさかまた有明に私が戻ってくるとは夢にも思わなかったけど、一年もすれば人の心なんていくらでも変わるものなんだね。
でも、腐海の魔女というサークル名を見るたびに、口の中に苦いものが広がる感覚は未だに拭えていない。
しかも、よりによって島中の私の席の真正面が、壁サーの腐海の魔女の席だなんて……。
神様は私の味方じゃなかったの?
まあ、向こうはとっくに私のことなんて忘れてるだろうし、無視しとけばいいか。
私は一年前と同様に、先ずは印刷所から届いた同人誌のチェックを始めようとした。
その時だった。
「あ!元帥殿!お久しぶりであります!!」
「!!」
腐海の魔女の、不快な声が、私の耳をつんざいた。
顔を上げると私の目の前に、ナットウゴハンの見目麗しい顔が鎮座していた。
むしろ、一年前よりも更に女に磨きがかかっている気さえする。
この一年であんたに何があったっていうの?
……ああ、わかった。
大方男でもできたんでしょ?
そりゃ、あんた程の美貌があれば、男なんて引く手あまたでしょうからね。
でも、ナットウゴハンは私のことを覚えてたのか……。
だ、だからって、私のあんたに対する恨みがなくなる訳じゃないけどね!
「……お久しぶりです。凄いですね、今日がパイパンの初イベントなのに、いきなり壁配置なんて」
「いえいえ!これも全て、あの日元帥殿にご指導いただいたお陰であります!」
「いえ、私は大したことは……」
相変わらずいちいち鼻につく女だ。
「あれ?沙魔美氏、こちらの方はお知り合い?」
「!!!」
こ、この声は……。
そんなバカな……あの女がこの場所にいるはずがない!
私がナットウゴハン以上に、この世で一番嫌いなあの女が!!
「ああ!紹介するわね菓乃子氏!こちらは私の同人界の師匠とも呼べる方の、エゴサさんよ!」
か!!
菓乃子ですって!?
じゃあやっぱり……。
「へー、そんな凄い方なんだ。はじめまして、私は………………あ。…………梨孤田さん」
「………………久しぶり」
そこには、私が高校一年の時にイジメていた女、本谷菓乃子が立っていた。
「アラ!?お二人はお知り合いだったの!?」
「……うん。梨孤田さんとは、高校三年間、ずっと同じクラスだったんだ」
「マジかよ!元帥殿、菓乃子氏は私のチーフアシ兼売り子さんとして働いてくれてる、私の右腕なんです!」
「あ、そうなんですか……」
何という運命の悪戯だ。
私が世界で一番嫌いな女と、私が世界で二番目に嫌いな女が友達になっているなんて……。
これも類友ってやつなのかな。
「そっかー。じゃあ私がお正月に堕理雄の家で見た卒業アルバムに載ってたのは、やっぱり元帥殿だったのね(※五十話参照)」
だ!?!?
堕理雄の家ですって!?!?
まさか……まさか……まさかまさかまさかまさか……ナットウゴハンの彼氏って……。
私の初恋だった、普津沢君……?
……ううん、『だった』なんて過去形じゃない。
今でも私は、普津沢君のことを忘れられずにいる……。
それなのに……あろうことか普津沢君は、今、ナットウゴハンと付き合ってるっていうの……?
……今ハッキリとわかった。
私は本当は……神様に嫌われてたんだ……。
「ねえねえ、これって凄い偶然じゃない!?いえ、むしろこれは運命よ!!と、いう訳で元帥殿」
「え!?あ、はい…………何でしょうか」
「この話は後半に続くんで、『後半に続くゼーット!!』って言ってもらっていいですか?」
「まったく話が見えないんですけど!?」
こ、後半に続くゼーット!!
……もういっそ殺して。




