涙とキス
「……っくしゅん」
涙も気持ちも落ち着いてくると、急に寒さが身に染みてきた。
「ところで木村さん。どうやってここに来たんですか?」
「それは……。あ!電話。電話しなきゃ」
あたしは携帯を取り出し、ウララに電話をかけた。
「もしもし。ウララ?……そう。中野君、無事だったの!」
「本当に!良かった~。もう心配したんだから!ちょっと、中野君に代わりなさい!」
あたしは、中野君に携帯を渡した。
中野君はちょっと嫌そうな顔をしたけど、無理やり手渡した。
「……はい。すみませんでした。……はい。そうですか。……わかりました」
どうやら、ウララが一方的に話しているようだ。
中野君は相槌をうっては、謝っていた。
ウララの声を聞いて、あたしは急に恥ずかしくなった。
中野君を抱きしめていた手を離して、ゆっくりと背中から砂浜に倒れた。
ここで、最初に中野君を見つけたときのように。
「真っ暗だなぁ。空は」
見上げた空は、どこまでも黒かった。
ただ、小さな星だけが鋭利な光を放っていた。
「どうしたんですか?木村さん」
「うん?」
「ウララさんが先に帰るそうですよ。僕に、木村さんを家まで送るようにって頼まれましたよ。あと、みんなには上手く言っとくよって。ウララさんは嘘が上手ですからね。でも、どんなふうに誤魔化すつもりなんでしょう。楽しみですね。……木村さん?」
中野君は、何事もなかったかのように話している。
この人は、これでもう死のうなんて思わなくなるのだろうか?
また、目を離すと自殺しようとするんじゃないだろうか?
「中野君さぁ。死ぬつもりだったの?」
あたしは、ぼんやりと空を見上げたまま呟いた。
「兄が死んでから、僕は自由になるはずだった。でも、現実は違いました。両親は、兄より僕が死ねばいいと思っていたんですよ。僕に兄を重ねるばかりで、僕の事なんて見ていなかった……。もう、疲れたんですよ。」
「中野君が死んでも、お兄さんはかえらないのに?」
「……死ねば、悲しんでもらえるんじゃないかと……ズルイ考えでしたね」
中野君は、あたしの横に寝転んだ。
砂浜に二人。
寝転んで、夜空を見上げている。
中野君は、ずっと両親に愛されたかったのかもしれない。
誰かに愛されたくて、こんな事を繰り返しているのだろうか。
あたしよりも1つ年上なのに……我がままな人。
中野君は、中野君だけを愛してくれる人がいたら……。
立ち直ってくれるのだろうか?
「中野君。賭けをしませんか?」
あたしは、あの日の中野君のように賭けを持ちかけた。
中野君は、少しだけ眉をひそめた。
「何を賭けるんですか?木村さん」
挑戦的な目。
あたしも負けじと中野君を見返す。
「一緒にここで凍死しない?朝までここにいて……。二人とも生き残ったらあたしの勝ち。それ以外は中野君の勝ち。中野君は死にたいんでしょ?だったら中野君に損はない……」
それだけ言うと、あたしは目を閉じた。
目を閉じると、風よりも波の音が耳によく響いた。
体の末端が冷たく、冷え切っている。
目を閉じただけなのに、疲れは体に重く圧し掛かっている。
もう、起き上がれない。
あたしの体は疲労に支配されている。
時折、吹く風。
顔にかかる砂さえ気にならない。
このまま朝までいたら、あたしは死ぬのだろうか?
実感の無いまま……。
「……!?」
体が、急に揺れた。
ゆっくり目を開けると、中野君の白い首筋が見えた。
中野君はあたしの体を抱きかかえ、そのまま運んでいる。
「な、なんで?賭けは?中野君、死にたいんじゃ……」
「ちょっと黙ってて下さい」
中野君はあたしの顔も見ない。
ただ、あたしを運んでいく……。
「中野君!死にたかったんでしょ。だったら一緒に……」
「それ以上喋ったら、口を塞ぎますよ。その時は、容赦しませんよ。この前みたいに頬では済まされませんよ」
中野君は怪しい笑みを浮かべている。
口を塞ぐって、もしかして……。
妄想したあたしは、怖くて何も言えなかった。
途中、重くないか気になったけど……それも聞けなかった。
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「着きましたよ。車に乗ってください。」
気がつけば、もう駐車場。
中野君は、あたしをずっと抱きかかえていた。
重かったのかもしれない。
中野君の息があがっている。珍しく血色が良い。
「あ、良かったら。これ、飲んで?」
あたしは、バッグの中の缶ジュースを取り出した。
「これ間違って買っちゃって……。困ってたんだ。」
缶ジュースを中野君に渡すと、中野君は缶を見つめていた。
「ありがとう。木村さん、開けてくれないか?手が滑って、開けられないみたいなんだ。」
あたしは缶ジュースを受け取り、開けた。
缶はプシューっと勢いの良い音を立てた。
「きゃー!!」
瞬間。
白い泡が、真っ直ぐに上へと吹き上がった。
ちゃちな打ち上げ花火みたいに、勢い良く。
後から後から、白い泡が追いかけるように上へと吹き上げていった。
こんなの初めて見た。
いたずらで振った炭酸ジュース。
そんなものじゃなかった。
一瞬で、缶の中身がほとんど無くなっていた。
「ははっ」
びしょ濡れのあたしの左手。
中野君は、壊れたおもちゃみたいにカサカサとした笑い声を上げていた。
「ちょっと!中野君、振ったでしょ?」
「えぇ?少しは振ったけど……これ、僕が振っただけじゃないでしょ?こんなに吹き上げたの初めて見ましたよ」
そういえば……。
駅前で買ってから、散々バッグの中で振り回されていたかも?
あ、このバッグ投げたり落としたりしてるよ……。
でも……。
「中野君、笑ってるじゃん!」
「えっ?笑ってないよ……」
「笑ってた!」
「木村さんがそう言うなら、そうかもしれませんね」
中野君は、すっかり元に戻っていた。
でも、あたしは見た。
中野君は、ちゃんと笑ってた。
「そんな事より、早く乗ってください。風邪引きますよ」
「はーい」
あたしは、中野君の車の助手席に乗り込んだ。
やっと寒さから解放され、あたしはシートに深く座った。
「中野君。なんで、あたしと賭けをしてくれなかったの?」
「……まだ、聞きますか?」
この話は、聞いてはいけないのだろうか?
中野君は、前を向いたままこっちを見ない。
「もう、死ぬなんて思わないでくれる?」
「……木村さんには関係ない事でしょう?木村さんは僕に何を言わせたいのですか?」
「だって……中野君……」
怒らせてしまったのか、中野君の口調がキツイ。
でも、この話を曖昧にするわけにもいかない。
「あたしは中野君が死ぬとか……嫌だ。そんな事、考えないで欲しい。普通の意地悪な中野君でいて欲しいよ……。あたし、中野君が死んでたらどうしようって怖かったもん。無事だってわかった時、本当にうれしかったんだ」
暗闇の中に浮かぶ、人形のような白い顔。
こんな寂しい事、もうして欲しくない。
その為なら、あたし……。
「だったら、木村さん。ずっと僕の傍にいてくれますか?ずっと、僕の事だけを想ってくれますか?柴田君より、佐伯君より……誰より僕の事だけを……」
中野君は運転席でうつむいていた。
ずっと……自分の事だけを想ってくれる人を探していたんだ。
この言葉は、中野君の心の叫びのように聞こえた。
「……いいよ」
「木村さん。何を言ってるんですか。あなたは佐伯君の事を……」
「リョウ?ふられちゃったんだよね。友達でいようって。それに……柴田はやっぱ幼なじみだしさぁ。……中野君こそ。あたしの事、散々タイプじゃないって言ってたくせに」
「僕は……。あなたが僕に気が付いたときから、ずっと気になっていました。嫌いな人にあんなに何度も関わりませんよ、普通。」
そういえば……。
マナがタイプだと言いながら、やたらとあたしに関わってきてたよね。
あたしは海辺でしたように、中野君を抱きしめた。
リョウのような……日向の匂いはしなかった。
「いいんですか、木村さん?あなたは僕に、騙されているかもしれないんですよ?僕は……あなたの優しさにつけ込んでいる」
「もう、いいよ。中野君。だって、あたしこうやってるの嫌じゃないもん。」
あたしは、抱きしめたまま中野君の顔を見た。
その時、初めて男の人の涙を見た。
真っ直ぐ、キレイに。
一筋の涙がこぼれていた。
目を閉じるべきなのだろうか?
迷っているうちに、中野君の顔が降りてきた。
キスする男の人の顔も、初めて見てしまった。
あたしはこの人を、大切にしないといけない。
キスしながら、そんな事を想っていた。




