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夕暮れの逃亡者4

『一緒に死にませんか?』


確かに中野君は、そう言った。どういうつもりなんだろう?冗談にしては度が過ぎる。中野君の手は、あたしの首に添えられたまま答えを待っている。


どうしよう…。


緊迫した状況。誰もいない海。中野君に取り付かれたあたし…。眼鏡をかけたままの中野君。可愛らしい顔はどこへやら、中野君は立派に大人の男の人に見えた。


結構、カッコいいじゃん。


不謹慎にも、そう思った。そう思ったら、なんだか頭が冴えてきた。唾液を飲み込み、張り付いた喉を潤す。落ち着け、あたし!


「…3年前に聞きたかった、その言葉。」

「それは、どういう意味で?」


一瞬、中野君の瞳が揺れた。


「3年前だったら、多分OKしてた。」

「…そうですか。」


するりと中野君の手が離れ、首が解放された。


「木村さんは、どういう人が好きですか?」

「何?今度は?」

「前に、僕に聞いたでしょう。」


そうだっけ?いや、聞いたかも?わかんない…。


「柴田君とはワケ有りな感じですし、やっぱり定番の佐伯君ですか?」

「なんで、その2人なの!ていうか定番って何なの?」

「ケンカするほど仲が良いって。」

「ちーがーうー!!」


あたしは大げさなリアクションで、明るく振舞った。中野君はやっぱり複雑そうで、ちょっと怖い。


「木村さん。僕の事が怖いですか?」


陽がだんだんと落ちてきた。オレンジ色の空。鉛色の海。中野君は太陽に背を向けて、こっちを見ている。


「怖いよ。」

「そうですか。」


驚く様子もなく冷静な中野君。


「でもね、悪い意味じゃないと思う。」

「なんですか?それ。」


腕を組み、考えるポーズ。あたしは考える時、必ず腕組みをする。おっさんみたいだと、マナによく注意されるけど…。


「上手く言えないんだけど…。アレよ…。」


何かに例えて話したいけど、良い例えが思いつかない。


「うんとね…。そうだ!初めての経験よ。初めてやる時は、怖いじゃん。やった事ないからどうなるのかわかんなくって。けど、何回も経験してる人は全然平気でしょ?怖いどころか余裕みたいな?そうよ、未経験だから怖いのよ。あたし、女子校だし。中野君みたいなタイプ初めてだし。中野君大人だし。」


急に良い例えを思いついたあたしは、得意げに話した。


「木村さん。下ネタですか?初めてとか、ヤるとか…。」

「はぁ??」

「真面目そうに見えて、案外って事ですか?」


ええ!!そんなふうに聞こえたの??でも、そう言われちゃうと…。そう聞こえない事もないかなぁ…。ってちょっと!


「な、なにを言ってるんですかぁ!!彼氏もいないのに!!」


思わず、立ち上がった。あたしの発言を下ネタ呼ばわりされるし!案外って何のことよ!そっちこそ。せ、セクハラじゃないの!!もー!悔しい!!


「木村さんは、おもしろい人ですね。」


嘘だ。いつもと同じ無表情じゃん。ていうか、あたしの褒め言葉はおもしろい以外に無いの??


中野君も立ち上がり、あたしの横に並んだ。波の音が静かに響き、オレンジ色だった空がもう暗い。


「木村さん。賭けをしませんか?」

「賭け?」


中野君はあたしの正面にまわり込み、肩に手を置いた。


「卒業までに、僕を笑わせる事ができたら木村さんの勝ち。」

「…。」

「できなかったら、木村さんの負け。」

「それって…。」


言いかけた口を、中野君の人差し指が塞いだ。静かにのポーズ。


「僕には勝ち負けはありませんよ。どっちが勝ちなのか、僕にはわかりませんからね。」


レンズ越しに見つめられる目から、目が離せない。どうして、この人はこんな悲しいもの言いをするのだろう…。


「心配しないで下さい。勝っても負けても、木村さんに不利益はありませんよ。得する事も、損する事もない。」


あたしには、損得のない賭け。中野君にとっては、どっちが勝ちかわからない。そんな賭けがあるだろうか…。


「良いですね。これは僕の中の賭けです。木村さんがやるかどうかは自由です。ただ、やらない場合はあなたの負けです。」


結局、強制って事??感情のわからない男。それを笑わせる事ができるかって…。もしかして、それは中野君の最後の賭けなんじゃ…。


「やるわよ、あたし。あたしの褒め言葉は面白いなんだから、笑わせるくらいやってやるわよ!そのかわり、中野君が笑ったら…。」


レンズ越しの目を、強く見つめる。


「もう、死ぬなんて言わせないんだから!」

「…では、賭けは成立ですね。」

「おう!」


こぶしを握り締めたまま、気合をいれる。


「木村さん。」


ふいに呼ばれて前を見ると、中野君がいない。


「!!」


頬に冷たい感触。


灯りのない海はもう真っ暗で…。中野君があたしのすぐ横にいたのに気付かなかった…。


「今の何??」

「何って知らないんですか?」


疑問を疑問で返すって!もしかして、言わせるつもりですか??


「リハビリですよ。木村さん。」

「何が?」

「もしかしたら木村さんにキスしたら、うれしくて笑ってしまうかなぁと思ったんですが。頬では意味がないのか、木村さんに魅力を感じないのか…残念です。」


握ったままのこぶしを、違う意味でまた握り締める。中野のやつめぇ!許さん!


「なーかーのーくーん!」


中野君はあいかわらずの無表情で、人差し指をあたしの口元に当てた。


「木村さんのファーストキスで試してみましょうか?」


なんで、初めてって知ってるのぉ!!


「中野のバカヤロー!!」


どっちから歩いてきたのか、わからないまま走り出す。悔しさと恥ずかしさで、もう堪らない!!


「こっちですよ。木村さん。」


中野君はそう言ってあたしの手を握った。


「家出するから、怖い目に合うんですよ。今日は特別に家まで送ってあげますよ。」


あたしはいつから家出少女になったんだー!


今日は、変な一日だった。家出したり、駆け落ちしたり。でも、なにより心にひっかかるのは…。


『木村さん、賭けをしませんか。』


中野君の言葉。あたしに取り付いた、幽霊の中野君。きっとこれは中野君なりのSOS。

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