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第31話 「第二波到来ー③」

 ヘブンズルーム1号車は、夕方の光が薄く差し込む時間帯でも、一定のリズムを保って稼働していた。

 あいかがモニターを押さえ、お美々が器材を回す。体位固定、ライン確認、数値の読み上げ。

 いつもと同じ手順。変える理由はない。


 対象は例の自衛官五名。全員が空港支援に入っていた者で、年齢も条件も揃っている。

 初期値はいずれも軽症域。処置に入ると数値は一度きれいに下がり、反応は良好だった。


 排液は淡々と進む。

 トレイに溜まる量は毎回ほぼ同等。匂いも差はない。

 お美々は手袋を替えながら、無意識に回数を数えていた。

 廃棄タンクの残量が警告域に近づくたび、交換。正しい医療は、物資を正しく消費する。


「……はい、終了」


 五人目が台を降りる頃、あいかはログを閉じた。

「今日はここまで。無理しないで、変化があったらすぐ言ってね」


 全員が素直に頷く。苦痛の表情はない。むしろ軽い高揚が残っているように見えた。


 片づけに入る前、最年少の隊員が足を止めた。

 二十歳。佐久間 恒一。

 照れたように頭をかき、声を落とす。


「……最近、調子いいっす。前より、疲れにくいっていうか」


 お美々はカートを押しながら、何気なく返す。

「処置の反応、いいもんね。数字も安定してる」


「っすよね」

 佐久間は少し笑って、周囲を見回した。

「任務後でも、意外と動けるんで……助かってます」


 その言い方が、どこか他人事だった。

 “変だ”とは言っていない。

 “ありがたい”とも言っていない。

 ただ、事実を並べているだけ。


「無理はしないで」

 お美々は業務の調子を保ったまま言う。

「回復が早いのと、消耗しないのは別だから」


「了解っす」


 一拍の間。

 佐久間は、少しだけ声を落とした。


「……お美々さん、仕事のとき、雰囲気違いますよね」


 お美々は足を止めずに首を傾げる。

「そう?」


「うっす。なんていうか……落ち着くっていうか」


 他意はない。そう言い切れる軽さだった。

 それでも、お美々の胸の奥に、かすかなくすぐったさが残る。


「それ、褒めてる?」


「たぶん」

 佐久間は笑った。


 冗談の温度。

 業務の延長線。

 境界は、まだはっきりしている。


 お美々はカートを定位置に戻しながら、もう一度だけ彼を見た。

 前向きで、軽い。

 疲れを感じさせない。


 ――遊び相手としてなら、気楽かもしれない。


 そう思った自分に、驚きはなかった。

 ただ、それ以上でも以下でもない、軽い興味だった。


 ヘブンズルーム1号車は、次の準備に入る。

 数値は整い、現場は静か。

 人の感情だけが、ほんの少し、前に出ただけだった。



 ◇



 夜の研究室は、昼よりも静かだった。

 芽瑠は端末を三枚並べ、ログの重ね合わせを進めている。

 処置前後の数値、回復曲線、再来間隔。いずれも単体では異常と言い切れない。

 だが、並べると、癖が見える。


 中央値が動いている。

 分散が縮んでいる。

 回復の立ち上がりが、日を追って早い。


 芽瑠はペンを走らせ、式の端に小さくメモを書いた。

 刺激応答。復帰時間。負荷耐性。

 ホメオスタシスの回り方が、素直すぎる。


 患者数は増えていない。

 重症化もしていない。

 むしろ“良くなっている”。


 それが、研究者として一番引っかかる。


「……きれいすぎる」


 独り言が、白い机に落ちた。

 通常、回復には揺らぎが出る。睡眠、心理、個体差。どれかがノイズになる。

 だが今回は、揺らぎが削られている。まるで同じテンポで再起動しているかのようだ。


 芽瑠はログの出どころを確認する。

 基地A。基地B。

 条件は違うのに、形が似ている。


 因果を置こうとして、手が止まる。

 まだ足りない。

 要素が一つ、見えていない。


 視線が、別のタイムラインへ移る。

 空港封鎖。

 その直後の須志の動き。


 病床の再配分。物資の前倒し。人員の仮押さえ。

 医療の判断ではない。継続の判断だ。


 芽瑠は、須志の名をノートに書いて、すぐ線を引いた。

 結びつけるには、早い。

 だが、無関係とも言い切れない。


「……偶然、だよね」


 口に出して、確かめる。

 須志は事務局。医療には触らない。

 それでも、“続く前提”で動く人間だ。


 芽瑠はログを保存し、仮説フォルダに移した。

 断定はしない。ただ、傾向として残す。


 回復が早い。

 戻りも早い。

 そして、人はそれを異常と思っていない。


 研究者の勘が、静かに鳴る。

 これは拡大じゃない。

 定着の兆しだ。


 芽瑠は照明を落とし、研究室を出た。

 答えはまだ遠い。

 だが、問いだけは、もう消えない。



 ◇



 一度目は、ほんの雑談の延長だった。

 処置後の片づけを終え、基地の照明が落ち始める頃。

 お美々は、あの最年少の隊員を呼び止めた。深い意味はない。

 数字の確認でも、注意喚起でもない。


「回数が多いって言ってたよね。自分でも処理してるの?」


 軽い調子。仕事の外側。

 彼は少し照れて、けれど即答した。


「うっす。だいたい……五回っす」


 冗談めかした言い方だった。自慢でも、悩みでもない。ただ事実を置く声。

 お美々は、その“平然さ”に興味を持った。若さだけで片づけるには、軽すぎる。


 二度目は、偶然を装った。

 時間が合っただけ。話題は他愛もない。だが、彼は変わらず前向きで、疲れを見せない。

 夜が短くても、声は冴えている。

 お美々は、笑いながら距離を詰めた。境界は、静かに溶けた。


 三度目で、はっきり分かった。

 若いから、ではない。

 体力があるから、でもない。


 彼は、回復が早すぎる。

 動いても、眠らなくても、崩れない。

 そして、その状態が“当たり前”になっている。


 ここ最近では、終わったのか、まだ途中なのか、彼も私もわからないまま続けることがある。

 それが、いちばん怖かった。区切りが消えて、身体の感覚だけが先に残る。


 不快なのか、快なのか、自分でも判別できない。

 ただ、私には――快が残ったのかもしれない。

 

 気づいたのは、自分のほうだった。

 短い睡眠でも苦にならない。立ち仕事が続いても、集中が落ちない。

 軽い。前向きだ。嫌な疲労が残らない。


「……あれ?」


 お美々は、鏡の前で立ち止まった。

 彼と過ごした時間のあとだけ、同じ感覚が残る。微弱だが、確実に。


 関係を持った、という事実よりも、

 その後の状態が似ていることが、胸に残った。


 もし――。

 もし、この五人と関わることで、同じ“前向きさ”が伝わるのだとしたら。


 お美々は、笑顔を作って現場に戻る。

 軽い気持ちで踏み出した一歩が、いつの間にか、確かめるべき線を越えていた。


 報告すべきだ。

 でも、言い出せない。

 自分が、軽い気持ちで、患者と境界を曖昧にしたことを。


 お美々は、あいかと唯の顔を思い浮かべた。

 相談するなら、今だ。

 その決意だけが、静かに固まった。

【おまけ♪】~とある男女~

 

 とあるカジュアルホテル。

 白い寝具に包まれた二人は、動く気配もなく、ただ同じ熱を共有していた。

 女性が、少し気だるげに天井を見る。


「ねぇ……最近、私たち……ヤばくない?」


 男は、興味なさそうに目を細める。

「ん? 何が……」


「回数とか……その、時間とか」


 彼女は腕を伸ばし、部屋に備え付けの、シンプルで品のある置時計を見る。

 チェックインから、もう五時間。

 ただ一緒にいただけなのに、だ。


 男はおもむろに立ち上がり、いつもの調子で言う。

「ほら……いいぞ」


 その一言を、彼女は待っていた。

 微笑んで、彼を見る。

 彼女は心中で呟いた「5時間ではもう足りないのかも…」っと

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