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第19話 「制御不能」

夜勤の後半。

 ナースステーションに、低く濁った警告音が流れた。


《成人男性一名、内圧上昇速度異常 推定ステージ3後期 到着まで5分》


 いつもと同じ警告文のはずなのに、画面の色が違って見えた。

 上昇速度異常――その一文が、胸の奥に冷たい指を滑らせる。


「……嫌な予感がするわね」

 ゆぃゆぃ先輩の声は、珍しく抑えられていた。

 お美々も息をのむ。


 搬送ストレッチャーが滑り込み、ドアが開く。

 三十代半ばの男性。顔色は灰白、歯を噛みしめ、全身に汗。

 下腹部は常識を越えた盛り上がり。皮膚は張り詰め、赤黒い血管が網目状に浮いている。

 その姿は、まるで体の中で何かが“逃げ道を探して暴れている”みたいだった。


「内圧……4.0リットル換算!? 上限突破してます!」

 お美々の声が震える。


「固定。深呼吸して。行くよ」

 ゆぃゆぃ先輩が指示し、私はジェルを最大濃度で準備した。


 だが――

 器具が触れた瞬間、弾かれたように跳ね返った。


「膨張が……強すぎて、挿入角が維持できません……!」


「抑える! 今よ、あいかちゃん!」

 お美々が体幹を抑え、私は両手で器具を支えた。

 しかし、内部から押し返す力は獣じみていた。

 破裂寸前の弾丸を素手で支えているような、そんな錯覚。


《破裂予兆検出》


 モニターが赤く明滅し、アラームが走る。

 患者の胸が激しく上下し、涙の混じる息が漏れた。


 ――怖いよね。恥ずかしいよね。

 でも、生きたいと思っている。

 私はその震えを、手袋越しに確かに感じた。


(大丈夫、大丈夫だから。任せてね)


 心の中でそっと唱え、私は迷いを捨てた。


「角度変更。ジェル二倍。固定、強化します……っ!」


 手首を柔らかく、でも芯は折らない。

 ジェルが皮膚と器具の摩擦を奪い、深部へ道をつくる。

 その瞬間、内側の圧力が逃げ先を得て――


 ――ドンッ。


 圧縮されていた液体が、逃げ場を得た獣みたいに飛び出した。


 ゲージ数値は急降下。

 2.5、1.8、1.1……そして0.9。


 患者の肩がほどけ、胸がゆっくり沈む。

 呼吸音が、かすかに震えながら戻ってきた。


「……助かったね」

 お美々が、泣き笑いの声で言った。


 私は力が抜けて、壁に手をついた。

 汗が目に染みる。

 でも、生きている音がある。それだけで――胸の奥がじんわり熱い。


(よかった……ちゃんと、助けられた)


 震える自分の指先を見つめながら、私は小さく息を吐いた。

 患者さんは泣いている。羞恥と安心が混じる涙。

 それを見て、胸が痛くて、でも誇らしくて――

 この仕事を選んだ日の気持ちが蘇った。


* * *


 夜明け。処置室は静かだった。

 器具の鋼が、蛍光灯に淡く光る。

 昨夜の異常症例――4.0突破。

 医学資料ですら想定外の数値。


「……あんなの、今までなかったです」

 お美々がぽつりと言う。


「筋反応が明らかに変だった。外界刺激に対して“防御反射”」

 ゆぃゆぃ先輩の目は、冷静なのに燃えていた。

 怒りでも恐怖でもなく――諦めない人の光。


(先輩も怖かったよね。でも戦ってくれた)


 その強さに、私は少しだけ胸が熱くなる。

 お美々は唇を噛みしめ、拳を握っていた。

 悔しさと、震える決意。

 ――みんな、優しい。優しすぎるくらい。


 そこへ、研究医・古賀が現れる。


「変異型です。精管収縮タンパクが二倍以上の持続力。器具排斥はそのせいでしょう」


「ジェル治療は?」

「効きます。ただし濃度を上げねば破裂リスク大」


 静かな爆弾みたいな言葉。

 今のままでは救命が追いつかない――その現実。


 私は胸の奥で、そっと拳を握った。


(なら、私たちが追いつく。絶対に)


* * *


 夜。

 再び鳴るアラーム音。

 変異型、到着まで三分。


 走る。手袋をつける。器具を選ぶ。

 恐怖よりも早く、体が動く。

 だって――あの人も今、恐怖の中で運ばれているのだ。


 救急口から飛び込むストレッチャー。

 若い男性。涙でぐしゃぐしゃの顔。

 下腹部の膨張が、皮膚を痛々しく押し上げていた。


「もう大丈夫。苦しくないようにしますからね」


 私は優しく声をかけ、濃度ジェルを手で温める。

 ぬくもりを乗せる――それがこの世界の“麻酔”。


 固定、回転、流路確保。

 反発が強すぎて手が痺れる。

 でも、離さない。


「大丈夫、大丈夫……はい、息をゆっくり……」


 圧の波が器具越しに響き、そして――解放。


 ゲージが滑り落ち、患者の顔がゆるむ。

 撫でるような安堵の呼吸。

 その瞬間、私の胸も、すっとほどけた。


* * *


「この型が広がれば……現場は持たないわ」

 ゆぃゆぃ先輩が呟く。


 私は息を吸い、はっきり言葉にした。


「持たせましょう。私たちが。

 どれだけ進化しても――救います。ぜったいに」


 自分の声なのに、少し震えていた。

 でも、あたたかい震えだった。


(だって、命が繋がった瞬間を知ってる。

 この手が届くって、知ってる)


 そのために、今日も手を洗い、手袋をはめる。

 恥ずかしさを守り、命を守るために。


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