第27話 月が見てる その一
白音はシャワーを浴びてゆったりとしていた。
若葉学園でのお誕生会を終えたその帰り道、一恵が転移ゲートで黎鳳学院の寮まで送り届けてくれていた。
そのおかげで、白音は余裕を持って門限前に帰り着くことができた。
この寮には、ひと部屋ごとにシャワー設備がある。
初めて見た時は、さすがは名門校の寮だと白音も驚いたものだ。
白音はミルクを多めに作ったカフェラテを飲みながら、昼間のことを少し想い出していた
「今日は楽しかったな……」
白音のひとつ年下の怜奈が、随分と頑張ってくれていた。
彼女は多分、若葉学園にあまりいられなくなった自分の代わりに長女になろうとしてるんだろうなと感じる。
そうやって若葉学園ではバトンが次の世代に渡されていく。
ずっと繰り返されてきたことだ。
タオルをターバンのように巻いて、上機嫌で今日プレゼントされた品々を眺めていると、スマホにメッセージが入った。
ばっと飛びつくように確認すると、やはりリンクスからだった。
[日付が変わる前に誕生日プレゼントを渡したいので、今から出てこられないか?]
そんな内容だった。
矢も楯もたまらなくなって、白音は着替え始めた。
現在の時刻は午後九時を少し回っている。
本来の門限は八時で、白音だけバイトをしている加減で十時まで許されている。
それにしても帰る頃には到底間に合わないだろう。
三階建ての寮の一階に白音の部屋はある。
しかしたとえ五十階建てのタワマンだとて、今の白音を阻むことはできなかっただろう。
魔法少女に変身して、忍び返しの付いた2メートル以上ある塀をあっさりと跳び越える。
警備装置などに引っかかることもない。
そして白音は再び変身を解くと、夜の街を歩き始めた。
はやる気持ちを抑えて、汗をかかないようにゆっくりと急ぐ。
こんな夜中に変ではないかと心の隅で思わないこともないのだが、むしろおろし立ての白のワンピースが似合ってなくて変ではないかということの方が遙かに重要であった。
胸元の大きなリボンがふわっとしていてかわいらしいのだが、そのくせオフショルダーで肩が大胆に露出しているので、今まで着る勇気がなかったものである。
こういう服に合わせる下着も持ち合わせていなかったのだが、今日佳奈たちがくれたセットアップの下着が丁度良く、肩紐が取り外せるようになっていた。
これはもう着ろっていうことよね、と白音は勝手に思った。
寮から少し離れたところまでリンクスが車で迎えに来てくれていた。
少し待たせてしまったらしい。以前ボンネットを踏んづけて戦ったシルバーのオープンカーである。
今日は既にルーフトップが格納されてオープンになっている。
車のドア部分にもたれかかって手を上げ、「やあ」と言ってくれたリンクスに、白音は小走りで駆け寄った。
今日は助手席にアルミ製のアタッシュケースは見当たらない。
白音がリンクスの隣に遠慮がちに収まると、彼は車を都内にある自宅へと走らせた。
屋根がなく開放的なオープンカーは、自然の風を感じながら走るのが気持ちいい。
しかし今夜、高層ビルを見上げて走る夜の都会も不思議な趣があった。
白音はつい上を見上げていたのだが、リンクスが低く笑うのを聞いて自分が口を開けていることに気づいた。
時折、こちらを覗き見している満月がとても綺麗だった。
リンクスの住まいは、一恵のそれに負けず劣らずの高級マンションだった。
窓からは都内が一望に見渡せて、かなり高く上った月もよく見えている。
テーブルには軽めの食事が用意されていて、リンクスは白音を座らせるとグラスをふたつ用意した。
「君はまだ飲める歳じゃないからね。アルコールは入ってないよ」
手にしたグラスには、ふたりとも同じジュースが入っているようだった。
受け取った白音は両手でグラスを持ってコクコクと飲み干してしまった。
喉がからからになっている。
上手く声を出せる自信が無い。
リンクスは目を細めて笑うと、おかわりを注いでくれる。
「誕生日おめでとう」
言いながらリンクスが、小さな包みをテーブルの上にスッと差し出した。
「ありがとうございます」
小さなケースに桜色の光沢を持つバングルが収められていた。
「桜瑪瑙と言って、瑪瑙の一種なんだけど、桜の花びらが入っているように見えるだろう。白音君に似合うのはやはり桜だと思ったのでね」
桜瑪瑙がリング状に削り出されていて手首に嵌めることができる。
手を通してみると、サイズはぴったりだった。
「ああ、その……、サイズはそら君が詳しく知っていたので、教えてもらったんだ」
じーっと腕の桜瑪瑙を見つめて、白音がしばらく動かなくなってしまった。
「勝手に聞いて悪かったかな? それとも気に入らなかったかな?」
「あっ、すみません。とんでもないです。嬉しくて言葉が出なくて…………。ありがとうございます。妹たちが、桜の花の小箱をくれたんです。そこにしまっておいたらぴったりです。大切に、しますね」
「しまっておくのかい?」
「いえ、いえ。もちろん身につけますよ。フフ」
腕を上げて、バングルをいろんな角度から眺めてみた。
薄紅色の瑪瑙の中に、本当に桜の花が入っているみたいに見える。
「わたし、魔法少女になって大切なものがいっぱいできました」
そんな風に言ってくれる白音のことを、リンクスは本当に愛おしいと感じてしまった。
そんなこと、あってはならないと思っていたのに。
部屋の南側に面して広めのバルコニーがある。
リンクスは外に出て、少し頭を冷やす。
月が綺麗だよと白音も誘った。
少しだけ秋をはらみ始めた風が心地良かった。
白音はブレスレットを嵌めた左手を月影にかざしてみた。
その模様が艶やかに浮かび上がって、夜桜のように見える。
白音がまるで夢の中のような夜の情景に気を取られている隙に、リンクスは後ろからその肩を抱いた。
「んはっ!?」
今まで何人くらいの女性がここに来たのかなぁと、余計なことを考えていたから驚いて変な声が出てしまった。
嫌がっているように思われたのではないかとリンクスの顔を仰ぎ見ようとしたが、そんなことは関係ないというように強く抱き止められる。
そして白音のほっそりとした首筋に、リンクスの唇が触れる。
鼓動が跳ね上がった。
白音の顔が紅潮し、体が痺れたように動けなくなる。
肩に回された手に自分の手を重ねようとしたが、腕が上がらなかった。
(あれ、ホントに動けない…………)
「痛っ……! 何…………?」
首筋に刺すような痛みを感じた。力が抜けていく。
(魔力を吸われてる?!)
その体勢のまま慌てて変身するが遅きに失していた。
もはや身動きができず抗うことができない。
「やはり君は、優秀な戦士なんだね……」
変身はできたものの、そのままどんどん魔力を吸われていく。
「や……、あっ…………うくっ、うぅ」
やがて白音は立っていられなくなり、力なくぐったりとしてリンクスにしな垂れかかる。
リンクスは抵抗する力を失った白音を抱き上げると、無言で寝室まで運んだ。
白音は完全に脱力してされるがままになっている。
魔力がほとんど底をついてギリギリ変身が保てているだけの状態だった。
毒なのか魔法なのか、何かされたのは確かなようだが目的が分からない。
(このままじゃ……、変身も解けちゃう…………)
リンクスは白音をベッドの上に丁寧に寝かせると、愛おしそうに、それでも愛おしそうに白音の乱れた髪を直す。
「俺は、君たちが異世界と呼ぶ世界から来たんだ。そしてその世界の人族、つまり君たちのような人間から魔族と呼ばれている種族なんだ」
そう言うと、リンクスの姿が変容する。
魔法少女の変身とはまた違う、偽装を解くような変身だった。
顔かたちはほとんど変わらなかったが、背中には漆黒の翼、頭には乳白色の二本の角があった。
細くしなやかな尻尾まで生えているその姿は、まさに『悪魔』と形容するのに相応しい姿だった。
白音は「ああ」と僅かに動く唇から声を漏らした。
得心したような声だった。
「驚かないんだね」
リンクスは立ち上がり、サイドテーブルの上に置かれていたジュエルケースのようなものを手に取った。
「以前の、異世界での俺は情けない奴でね。人族との戦争の渦中にあったのだが、皆に守られてばかりいた。そして、俺の妹は俺を守るために……死んだんだ…………」
ケースを開けると、中には仄かに白く輝く宝石が入っていた。
魔力を感じる。
白音は、それが星石だと感じた。
「これはその妹の魂なんだ。魔核と呼ばれている。こちらの世界で星石と呼ばれているものと同じだよ。星石は適合して体内に取り込まれると、魂と溶け合って、魔力を生成する器官になるんだ。魔族は人族と違って生まれながらに持っているものだから、魂そのものなのさ」
リンクスは白銀のような魔核を手に取ると、その温もりがまだ遺っていないかと探すように両手で包み込む。
「妹は俺たちとは違って後添いである継母の娘でね、血は繋がってなかった。それでも後継者争いの火種にならないように、妹と名乗ることは禁じられていた。とても強くてね、近衛隊の隊長をしていた。最期は俺を守って落ち延びて、俺を生かすために戦って死んだ…………」
白音の瞳から大粒の涙が溢れた。
動けないままにぽろぽろと流れて落ちる。
その澄んだ美しさにリンクスは動揺を見せたが、縋るように魔核を見つめる。
「魔核さえ無事ならば、魂さえあれば、死者を蘇らせる方法はあるんだ。過去にそれを成した例がある。適合する体さえあれば、彼女を連れ戻すことができる…………」
魔核が白音を呼んでいる気がした。
そういえば莉美も言っていた。
星石が呼ぶのだと。
白銀の輝きが白音の鼓動とシンクロするように脈打つ。
「やはり君の体は、デイジーと完全に適合するようだ…………」
リンクスは嬉しいのか悲しいのか、よく分からない顔をしている。
「継母はこちらの世界から召喚された人間でね。魔族を滅ぼすための戦士として『召喚英雄』と呼ばれる存在だったんだ。けれど魔族と恋に落ち、デイジーを授かった。その後夫が人族との戦いで亡くなり、人族の敵として娘と共に追われることになった。それを魔族の王である俺の父が庇護したんだ。だからデイジーは魔族と、こちらの世界の人間の血を引いている。魔族の魂である魔核と、適合者である人間の体があれば、デイジーは復活できる。それが共に最後まで落ち延びてくれた魔道士の導き出した答えだった」
多分リンクスは迷っているのだ。
孤立無援のこの世界でたったひとつの願いを抱いて、ずっと長い時間戦ってきたのだ。
その願いが今、手の届きそうなところにあるこの瞬間、迷っている。
「この魔核を移植すれば君はデイジーとなり、君の魂は消え失せるだろう。謝罪はしない。呪ってくれていい。俺にはデイジーがすべてなんだ」
リンクスが白音の魔法少女のコスチュームをはだけさせて、胸元をあらわにする。
そしてその滑らかな肌の上に、白く輝く魔核を押し当てようとする。
(そうか、リンクスさんが見つめていたのは私じゃなかったんだ。義妹さんだったのね)
白音は瞳を閉じた。
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みんなに誕生日を祝ってもらって嬉しかった白音でしたが……。




