第3話 魔法少女VS巨大イカ その一
モデルのHitoeこと神一恵のおかげで、金髪の小さな少女に怪我はなかった。
佳奈はほっと胸をなで下ろす。
異世界から来たと思われる金属鎧の一団の処置は『魔法少女ギルド』に任せておけばいいだろう。
佳奈は警戒を解いて、莉美や一恵、そらにも少し休むように言おうと考えた。
しかしその時、異世界の壁がもう一度破れる気配がした。
異世界の壁が綻ぶ気配は、魔法少女ならば魔力の流れで察知することができる。
佳奈たちの背後でその気配がしたので慌てて振り向くと、今度は人型ではなくなんだかぬらぬらとした軟体生物のようなものが出現するのが見えた。
「また? 多くない?」
佳奈がそう言うのも無理はなかった。
異世界事案は、そんなに滅多に見られるものではない。
現代社会では奇跡だのオカルトだのと言われて噂の域を出ていない、希少な現象なのである。
佳奈自身も、目の前で異世界から何かがやってくるその瞬間を見るのは初めてだった。
『破れる』と表現はされているものの、実際には何かが破れたり壊れたりすることはない。
じわっと染み出すようにしてこちらの世界に結像し、徐々に確実な輪郭を形成し、やがて完全にこちらへと存在を移す。そういう感じだった。
引っ張られたり吸い込まれたりしてこちらの世界へやって来るわけではなさそうで、これはもし巻き込まれたら力では抵抗のしようがないな、と佳奈は思った。
「うわぁ……」
莉美がすごく嫌そうな声を出しながら、スマホで化け物の写真を撮っている。
スライムの時は何も言わなかったのに、これは心底持ち悪そうだった。
陸上生活に適応したイカかタコ、そういった印象だった。
それも、もたげた頭のような部分だけで2メートルくらいありそうな巨大さだ。
全身がぬらぬらとした粘液で覆われており、たくさん生えている触手を蠢かして移動している。
触手が倒れていた男に触れると、そのまま巻き取って近寄せ始めた。
食べようとしているようにしか見えない。
「いや、莉美、さすがにもう写真撮ってる余裕無いから。変身するよっ!」
「あいさ!!」
魔法少女に変身すると、軟体生物の興味がふたりに向いた。
異世界の生物は魔力を感知できるものが多いので、捕食本能で動くものは、魔力が高い=良質な食事と捉えて行動するらしい。
その隙に莉美が魔力を収束させたビームを放ち、男を捕らえていた触手の根元に直撃させる。
しかし体表を覆った粘液にビームを弱体化させる効果でもあるのか切断には至らず、触手の動きが鈍っただけだった。
一恵が危険を顧みず、触手の締め付けが甘くなった隙に捕らえられた男を引っ張り出してくれる。
「うう……」
粘着質の液体に覆われた触手の感触がぬめぬめして、いちいち気持ちが悪い。
一恵が端整な造作の鼻にしわを寄せている。
佳奈の戦闘スタイルは、両拳に魔力を纏って強化したパンチで戦うものだ。
莉美は本来戦うための魔法は持っていないのだが、体内魔素の量がずば抜けて高いため、単純に魔力をビーム状に収束させて撃つだけで結構な威力を発揮できる。
つまりこのふたり組の戦闘方法は高い魔力による『力押し』である。
ふたりがその高い魔力でこのイカだかタコだかを押し止めている間に、そらは小さな体で懸命に大柄な男たちの体を引きずって遠くへ退避させようとしている。
一恵は先程とはまた違った魔法を使い、そらたちの周囲に防壁のようなものを展開してくれる。
しかし出力がなかなか心許ないようで、触手が振り回されて防壁にぶつかると一撃で粉砕されてしまうようだった。
やはり巨大イカの体表を覆う粘液は、魔力による攻撃を減殺しているらしい。
『力押し』以外のすべを持たない佳奈や莉美にとっては、かなり相性の悪い相手だと言えるだろう。
加えてそらや一恵、金属鎧の男たちを庇いながら戦わなければならないので、ふたりはなかなか攻略の糸口を見いだすことができずにいた。
そうやって攻めあぐねている間にも、長く威力のある触手が何本も振り回されている。
ひとつミスをすれば死人が出そうだった。
真っ正面からすべての触手を捌き続けていた佳奈に、多分そんな焦りから隙が生まれた。
「しまっ…………」
びったあぁぁんと大きな音が響いて、佳奈が強烈な触手の一撃を顔面に食らった。
そらたちのいる方へと派手に吹っ飛んでいく。
転がり込んできた佳奈の顔を、心配そうにそらが覗く。
しかし頭がくらくらしていて、佳奈にはそらの顔がぐんにゃりと歪んで見える。
あと、顔にべっとり付いた粘液も気持ち悪い。
後方に下がってしまった佳奈に代わって莉美が、恐ろしいほどの数のビームを連射して軟体生物の攻撃を食い止め始めた。
莉美は精密な射撃が苦手なため、動いている的にはなかなか当たらない。
そこで『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』の理屈で触手を弾いている感じだ。
実際、莉美はほとんど軟体生物の方を見ていない。
心配そうに佳奈の方を気にしていた。
隙間無く埋め尽くされたビームが、触手による攻撃を半自動的に阻んでいる。
「佳奈ちゃん、佳奈ちゃん、石、石っ!!」
その時莉美が、佳奈の懐の辺りを指さして叫んだ。
佳奈はいつも星石を持ち歩いている。
貴重な宝石であるはずなのだが、ギルドから結構な数を託されていた。
幼い頃に力に目覚め、長く魔法少女を続けている佳奈を信用して預けられたものだ。要するに新たな星石の適合者を見つけて欲しい、と期待されているのだろう。
佳奈がごそごそと魔法少女のコスチュームを探って星石を取り出す。
それは、淡く清澄な青の輝きを放っていた。
佳奈と莉美がちらりと視線を交わすと、ふたりは同時に叫んだ。
「魔法少女に変身だ!」
「魔法少女に変身してっ!」
そらは一瞬戸惑いを見せたが、佳奈から星石を受け取って「メタモルフォーゼ」と囁く。
やはり力の使い方はもうその瞬間から心の中にあって、そらの言葉にも淀みはなかった。
そらは佳奈たちとはまた違った柔らかな印象の淡い青色の光に包まれ、やがて魔法少女に変身した。
空色のそのコスチュームは、慎ましやかで、それでいて怜悧な印象もある。
佳奈は内心ほっとしていた。これで犠牲者を出さずにすみそうだ。
どうやら戦いの心得のあるらしいHitoeに気絶した男たちを守ってもらえれば、三人でなんとかできるだろう。
「Hitoeさんは下がっ…………え?」
神一恵がちょっと涙ぐんで三人の魔法少女を見ていた。
驚かれたり、感謝されたりしたことはあったが、変身を見て泣かれたのはさすがの佳奈も初めてだった。
「ひ、Hitoeさん?」
「ああ、いえ、ごめんね。……こっちは任せて」
変な先輩だけど頼って良さそうだと思った。
その時、佳奈が持っていたもうひとつ別の星石が輝き始めた。
それは佳奈の懐から勝手に飛び出し、誰も触れていないのに自ずから一恵の方へと飛んで向かった。
深く高貴な紫の色に輝いている。
「あら、わたしも変身させてくれるのね。紫は好きな色♪」
一恵は、飛び込んできたアメジストのような星石を両手で包み込むと、そのまま胸に押し当てた。
「変身♪」
一恵は深みのある紫色の魔法少女に変身した。
端整な顔立ちとよく似合って、気品を感じさせる。
「紫の人、先程の防御の魔法を赤い人にかけて」
「了解ね」
何の前置きもなしにいきなりそらが指示を出す。
それを受けて一恵は、長年の相棒のように反応して魔法を使った。
一恵の魔法も先程とは段違いに威力が跳ね上がっているらしく、出現した防壁は軟体生物の触手で殴打されてもびくともしない。
「おお、すごいな。さんきゅ」
防御を気にしなくて良くなった佳奈が渾身の連打を浴びせると、さすがに効いているようで軟体生物の巨体がぐらりと揺れた。
「今です。赤い人、あいつをひっくり返して」
「お、おお」
空色の魔法少女の順応が、めちゃくちゃ早い気がする。
各々の魔法や能力はさっき見て把握したのだろう。
名前も知らない者同士で見事に連携を組んでみせる。
佳奈が傾いた頭部に回し蹴りを叩き込むと、軟体生物はそのまま体勢を崩して倒れてしまった。
その裏側に、歯が全周に並んだ口のようなものが見える。
イカやタコと同じなら、そこに捕食のための口があるはずだとそらは考えたのだ。
「うげ……きも……、あれが弱点てことだな、ちびっ子?」
「……ちびっ子じゃ、ないの」
「あ、ああ、ごめ……」
怒られた。
「黄色い人、あの口を撃って!!」
「おっけー」
莉美が魔力のビームを放つ。
しかし軟体生物のひときわ長い触手二本が口の前を塞いでそれを防いでしまった。
「触腕!?」
そらが触腕と呼んだそれは、他の足よりも一層魔法に対する防御力が高いようだった。
威力の高そうな莉美のビームにも耐えられるらしい。
このままでは再び軟体生物が起き上がってしまうだろう。
「わたしに任せて。シグナルカラーの皆さん」
一恵が先程鎧の男たちを武装解除した時に使った、おそらくは切断に特化した魔法を放った。
目には見えないがブンといううなりを上げて魔法が飛んで行くと、触腕と呼ばれた触手が二本ともすっぱりとそげ落ちた。
その勢いで粘液が派手に跳ねて、佳奈のコスチュームをべっとりと濡らす。
「……うう。今だ、莉美。二回はやんないぞ?!」
「あいよう」
出番を待っていた莉美が人差し指の先からビームを放つ。
狙い過たずビームは口腔に侵入し、反対側まで貫通して穴を開けた。
口の中までは魔力減殺の力が及んでいなかったようだ。
体内の構造までイカやタコと同じなのかはよく分からないが、それで軟体生物は力を失い、ベチャリと地面に広がった。
どうやらもう動かなくなったようだ。
「最後までキモいなぁ、もう」
佳奈が気持ち悪そうに自分のコスチュームをつまんで見ている。
「んふふ」
莉美が粘液塗れの佳奈を、嬉しそうに見ている。
「なんだよ莉美?」
「佳奈ちゃん顔にね、さっきの触手の痕があざになってる。吸盤までくっきり」
「うわ! どこどこ?」
確かにおでこにくっきりと大きな吸盤の痕が付いている。
「しばらく学校行くの恥ずかしいねぇ」
莉美の瞳がとてもきらきらしている。
「はん。魔法少女の先輩が教えといてやるよ、この程度の傷ならな、一時間もしないうちに綺麗に消えてなくなるんだよ。だから問題なし!! まあちょっとぬるぬるしてるのはヤだけどな」
佳奈がおでこに吸盤の痕を付けたまま、腰に手を当てて胸を張っている。
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