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第三百七話

 緑は一本の枝を持っている。


 ……もちろん、都合がいい場合と悪い場合が混同する世界樹の化身には触れることができるものとできないものがあるのだが、本来なら、自分が生み出したもの以外に触れることはできない。

 とはいえ、秀星がそばにいると、それはもうどうでもいいことのような気がしてくるのは気のせいではあるまい。

 まさか、『再定義』などという、強引で理不尽な言葉を使われると、様々な『無理』が『可能』に変わってしまうのは世界樹の方が知っている。


 ので、そのあたりの話題は置いておこう。

 緑の化身の手には、一本の枝がある。

 材質としては、普通の枝だろう。

 だが、そこには白と黒のオーラが漂っている。

 白と黒の世界樹の力が宿っているのは間違いない。


『その枝には、あの島に転移するための魔法を埋め込んだ。ただ、黒と白が島を絶賛改造中だからな。彼女たちに合わせた転移を行うために魔力を埋め込んだからそんなオーラがあるが、まあそこは重要じゃないから気にしなくていい。その枝を君が持って願えば、転移が始まる。だから、君が今いる場所でやっておくべきことがあると思ったら、それをして、それから転移するといい』


 簡単に言えば、枝には転移魔法を埋め込んでおいたから、やるべきこと、やり残したことをやってから来い。ということである。

 緑はジーっと枝を見たあと、ひとまずその視線を世界樹の上の方に向ける。

 その後、保存箱の緑色の端末を取り出して、とあるパックを取り出した。


 きれいな赤色の液体が入っている。

 まあ秀星の血液なのだが。

 ちなみに普通に飲んでもそんじょそこらのジュースより美味いのだから意味不明である。

 血液に味を求めてどうするというのだ。


 閑話休題


 緑はそのパックをビリっと破いて、世界樹にかけていく。

 全部入れると、再び上を見た。

 そこでは、一つの果実が急速に出来上がっていく。


 貴重なもの。と言えるだろう。

 ただ前提があるとすれば、エルフたちに実らせたものを出すとき、これを作れば納得していた。というものの中で一番貴重。というランクだ。

 秀星のエリクサーブラッドの影響で、今では簡単に作れてしまう。


 しかも黒と白が言うには、これから向かう島には、すでにエリクサーブラッドが膨大なほど循環しているというではないか。

 今作っている果実など、『普通』としか思われなくなる日が来るだろう。

 もちろん、もっと上の果実を作ることもできるし、秀星は、『世界樹だからこそできること』と『世界樹であっても単体ではできないこと』がわかっている節がある。


 強者ではあるが、世界樹に関しては周囲から強制されていないゆえに、成果を求める必要がない。

 結果を出す必要がなく、周りを黙らせることができる知識を他にも持っている。

 さらに言えば、自分たちが見られたくないことも分かっている。

 ただし、まだ白と黒は練度が低いので『選定の果実』を作ることはできず、それを渡した緑に対して祝福はするが大変羨ましそうにみるという、先輩ゆえの優越感を感じたものだ。


 果実はもうすぐ出来上がる。

 そして、化身は枝を操作した。

 いや、世界樹が動いたから化身が動いたというのが正しいが、第三者から見ればほとんど変わらないのでいいとしよう。

 操作された枝は、果実に文字を刻み込む。

 本来、世界樹は文字を扱わない。言葉などいらない。

 心を感じ取れるので、扱う必要はなかった。

 何を言っているのかわからなくても、何を言いたいのかはわかるのだ。

 だが、メイドさんが丁寧に教えてくれたので、バッチリである。

 どうやらご主人様が使っている言葉はニホンゴというらしいが、メイドさんからはそれでも大丈夫だと言われた。ならそれで書こう。


『わたしはおひっこしします。かえってこないとおもいます。はるゔぇいんさん。ありがとうございました』


 もう今では姿を見せなくなったエルフの名を書いた。

 そして、果実を地面に落とす。

 枝に乗せて、大切に、慎重に運んだ。

 地面に下ろすと、緑は転移の枝を持つ。

 未練はもうない。

 未来が輝かしいもので溢れすぎて、もう、過去を見ることはできない。


『わたしも、すてきなゆめを……』


 願いは届く。

 届くことが最初から決まっているのだから、それは当然。

 世界樹を巨大な魔法陣が包み込み……躊躇いなく、一瞬で、瞬きの時間よりも短い時間で、消えていった。


 ★


「……新しい主人を選んだか。そしてそれが朝森秀星なら、何も問題はないな」


 貴族が纏うようなコートをきた金髪の男性がつぶやく。

 美丈夫。と言える体格だが、右手で杖を握っているところをみると魔法使いなのだろう。

 果実に書かれた自分の名前を見て、微笑んだ。


「主人に選ばれなくて悔しくないの?」

「影葉か」


 ハルヴェインが振り向くと、黒い髪をポニーテールにして、口元を隠すようにマフラーを巻いた少女が、まっすぐハルヴェインを見上げていた。

 百九十センチを超えるハルヴェインから見れば小さな少女だが、自分と彼女は同格(・・)なので、向こうもこっちを舐めてかからないだろう。そうなれば、油断すれば余計な情報を引っこ抜かれるだけだ。


「私では、世界樹の主人などという大層なものは重すぎる。世界樹から離れた日からかなりの時間が流れたが、今でも無理だと断言できる」

「そうなの?」

「そうだ」

「この世界で一番最初のエルフであるハルヴェインでも無理なの?」

「無理だ。できるとしたら、それこそ英司様くらいのものだ。だが、あの人は世界樹には興味がない」

「……わかった。じゃあまた」


 そう言うと、ハルヴェインの視界から影葉が消えた。


「私の感覚神経とスキルがあっても追いきれないか。私とは違った種類の化物だな」


 ハルヴェインはそうつぶやくと、世界樹が転移した先の島の方向を見る。


「ゆっくり過ごすといい。『良き主人』にめぐりあうことがどれほど素晴らしいか……まだまだ楽しいことはたくさんある」


 そういうと、ハルヴェインは杖を握り直して、魔法陣を出現させる。

 彼も転移して、この森から消えた。

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