第27話 せざるを得なかった借金は
結局ロレンツォは、アクセルに八十万を借りた。
元々コリーンの物だから返してもらえないかと交渉してみたが、駄目だったのだ。保護した時の調書に記載されているならともかく、今さらそんなことを言われても証拠がないと言われた。
アクセルに借りた金で腕輪を手に入れることはできたが、貯蓄というものが一切消えてしまうこととなった。
来年はコリーンの大学の入学金や学費が盛りだくさんだというのに、どこから捻出しようかと頭を悩ませる。
腕輪を渡すとコリーンはとても喜んでくれたので、後悔などこれっぽっちもない。しかし、生活が厳しくなるのは必至だ。
(イースト地区の家賃が八万、仕送りが三万。ユーファ、バート、コリーン貯金が二万ずつで計六万。それとは別にコリーンの大学費用に六万ずつ……では足らないな入学金を四月までに貯めるなら、月に八万は貯めないと駄目だ。アクセルにも借金を返さないと……一万ずつ返していたら七年以上掛かってしまう)
最低二万は返していきたいが、この時点で予算オーバーだ。
食費がまったく出てこない。
ロレンツォは息を吐いた。
現在の食費は、ノース地区の家に来る時にロレンツォが食材を買ってくることが多い。
家賃や湯代は全部コリーンが出しているのだから、これくらいは当然と言えよう。
いつ結婚するかわからないユーファたち三人の貯金を、これ以上減らすわけにはいかない。
(仕方ない、仕送りを一万にするか。そうすれば、何とか二万捻出できる。この金で食費と諸々の雑費を……はぁ。またしばらくは、北水チーズ店のチーズはお預けだな)
イースト地区の家を誰かに又貸ししたいと考えるも、ロレンツォは髪をぐしゃっと抱えた。
(準貴族の俺がそんなことをすれば、怪しまれるんだろうな。くそっ)
貴族というものは、大変面倒臭い。見栄や格式を気にする輩が多いのだ。もしノース地区のボロアパートに住んでいることが知られてしまえば、貴族の品位がどうと難癖をつける者が現れるに違いない。なので、イースト地区の家を手放すわけにもいかなかった。
(イースト地区の家賃がなければ、かなり楽になるんだが。確かにあの屋敷で八万という価格はかなり優遇されているが、ほとんど帰らないからな。もったいないだけだ……)
「どうしたの、ロレンツォ。心配事?」
またも嘆息すると、目の前で勉強していたコリーンが不安げに語りかけてくる。
来春からはコリーンが働けなくなる。
つまり、プラスでここの家賃が三万ジェイア、湯代が一万ジェイア、油代一万ジェイアに新聞代三千ジェイア、それにコリーンが払ってくれてる食費が一万ジェイア分必要となる。
(この食費は節約すれば削れるな。さらに学費が嵩むのか。貯金や仕送りをやめないと、春からはやっていけなくなるぞ)
しかし、これらの事実をコリーンに知らせてどうなるというのか。
「いや、なんでもないんだ。それより勉強の方はどうだ?」
「うん、順調。でも、受かるかどうか不安だよ」
「大丈夫だ。あのスティーグ殿だって受かってるんだから、コリーンなら楽勝だろう」
「ロレンツォ、それ、めちゃくちゃ失礼だよ……」
そう言いながらコリーンは笑っていた。
「あ、そういえば、アルヴィンさんから手紙が来てたんでしょ? なんて書いてたの?」
「ああ、アルヴィンの奴、結婚するらしい」
「へぇえ、結婚!?」
「あの野菜にしか興味のなかったアルヴィンに、先を越されるとは思わなかったな。来月の日曜日が結婚式だから、ちょっと行ってくるよ」
「うん、わかった。それにしても、最近周りが結婚ラッシュだね」
「そうだな。ウェルス殿、スティーグ殿、そしてアルヴィンか。まぁ戦争が終わった年っていうのは、結婚イヤーだからな」
「私たちは離婚イヤーだったけどね」
「っふ、そうだな」
周りと逆のことをしている自分たちが可笑しくて、ロレンツォは笑った。周りは結婚をすることで新しい人生を始めた。ロレンツォも離婚することで心機一転するかと思っていたが、今の生活は離婚前と大差ない。
「コリーンは離婚して、心境は変わったか?」
「え……? ……うん、そうだね。あんまり新生活って感じはしないけど」
「ホントだな」
まぁこれだけほぼ毎日泊まっていては、変わりないと同意義だろう。ロレンツォも今さらこの生活を変えられそうにはない。
(とりあえずアクセルに借金を返して、コリーンが大学を卒業するまで、結婚はお預けだな。まぁ特定の相手もいないからいいんだが。そうすれば金銭面で楽になるし、それから金を貯めて……はぁ。これじゃいつまでたっても自分の貯金ができないな)
「また溜め息ついてる」
コリーンに指摘されて、ロレンツォは力なく笑った。
騎士になったのはアーダルベルト団長に惹かれたからだが、安定した生活を送りたいというのもあった。
農家というのは、日照りが続いても雨が続いても収入が減るのだ。豊作だったとしても、自分のところだけではなく皆そうなのだから、売り切るためにひとつの単価を下げざるを得ない。忙しくなるだけで、結局利益は大して上がらないのだ。
ロレンツォの実家は馬をレンタルしているが、その維持費だって大変なものだし、ひとたび病気にかかれば全滅ということだってあり得る。決して安定しているとは言えない。
「ねぇ、なにか困ったことでもあるんじゃないの?」
「いや。教職というのは、いい選択だと思ってさ」
「なんでそれで溜め息つくの? 誤魔化さないでよ」
誤魔化したくはないが、腕輪を買い取るために借金をしたなどと言いたくない。コリーンは、奪われたものに金を払っているなどと、考えもしていないだろう。腕輪のために借金をしているなどと知られたら、コリーンはアクセルに合わせる顔がなくなってしまうに違いない。
それだけは避けたかった。
アクセルがレリアとどうなるかはわからないが、まだ未練があるであろうコリーンに、惨めな思いはさせたくない。
それに金に困っていることを打ち明ければ、コリーンは大学に行くのを辞退するか、延期してしまうかもしれない。
コリーンにはなにがなんでも隠すべきだという結論を、ロレンツォは出した。
「いいから気にせず勉強してくれ」
「もう……ロレンツォって、昔から勉強勉強ってばっかり」
「コリーンが目の前で勉強しているのを見ると、安心するんだ」
ロレンツォは、コリーンが目の前で懸命に勉強している姿を見るのが好きだ。この姿を見ていると、応援したくなる。そして彼女の未来を、守ってやりたくなる。父性愛、と言い換えて相違ない。
「そ、なんだ……」
ロレンツォの言葉を受けて、さらに勉強に熱が入っているコリーン。単純だなと苦笑する。
「……あのさ」
しかしコリーンは途中でそのペンを止めた。
「ロレンツォ、私を家族って言ってくれたよね」
「ああ」
「迷惑かけるとか思わなくていいって、家族だから遠慮するなって、言ったよね」
「ああ、言った」
「それ、ロレンツォにも当て嵌まるんだからね!」
「……え?」
コリーンの言っている意味がわからず、ロレンツォは眉を寄せた。
「お願い、ロレンツォ。なにか悩みがあるんだったら、言って。迷惑なんて思わない。遠慮なんてしてほしくない。家族でしょ?!」
「……」
コリーンの真摯な言葉に、ロレンツォは頷かざるを得なかった。それでもやはり、言うつもりはなかったが。
コリーンの夢は、自分の夢だ。昔コリーンがロレンツォの夢を応援してくれていたように。今度は応援する側なのだ。
ロレンツォはいつものように煙草を手に取り、火を点ける。
(楽しみだな、コリーンの教師姿)
コリーンの夢が叶うことを、ロレンツォは夢見て微笑んでいた。




