第18話 売春という行動は

　そんな一見変わらぬ毎日を過ごして一ヶ月。

　その日ロレンツォは日曜出勤で、さらには遅番であった。

　兵士時代にはよくあったことだが、騎士になると滅多にないので日曜の出勤は疲れる。定時に上がる騎士たちから引き継ぎを行い、ロレンツォは勤務に当たった。

　最近は婦女暴行事件が多発しているので、見回りに出る騎士や兵士が多い。しかし何かあった時のために本署で待機しておくことも、上に立つ者の大事な役割である。

「静かだな。本署見回り班以外は皆出ているのか。確かに暇だと巡回に出たくなる気持ちはわかるが」

　やはりロレンツォも、本署の外まで出てきた。時刻は午後八時を回ったところ。今日はコリーンも出勤だと言っていたが、もう家に帰っているころだろう。今日の夕飯は本署で食べるので、いらないと伝えてある。わざわざ伝えなくとも、遅番だと伝えた時点でわかっているとは思うが。

「あと一時間弱か。暇なのは疲れるが、世間が平和ということだ。喜ぶべきだな」

　一人そう呟き、本署の門から外を見る。すると、一人の女性がこちらを伺っていた。何かを言いたそうに、モジモジとしている。

　ロレンツォは当然のようにその女性に近寄った。騎士団本署というのは、一般人には近寄り難い場所である。特に異国民は入場制限がされているし、なにかあっても通報しようとしても、こうして躊躇う者が多いのだ。

「こんばんは、お美しいレディ。月夜の散歩も優雅ですが、分別のつかぬ狼も出る時間です。十分にお気をつけください。ところで、本署になにか御用ですか？」

　ロレンツォがそう言いながら笑顔を向けると、その女性はドギマギしながらも答えてくれた。

「いえ、あの、ロレンツォ様……実は、その、ウエスト地区で、女性が……」

「女性が、どうかしましたか？」

「いえ、あの、その……紙に、あることを書いて立っているんです」

「あること？」

「あの、その……しょ、処女を貰ってくださいって……これって、売春じゃないかと思いまして……」

「……ほう」

　女性が処女を貰ってくださいと書いた紙を持って立っている。実に面白そうな案件である。

　ロレンツォは内心喜びつつ、真面目な顔をしてその女性の風貌を聞いた。その、女性の年恰好。顔つき。髪型。髪の色。肌の色。身長。身なり。詳しい場所を聞いてから通報した女性を家に送り届けると、ロレンツォは売春をしている女性の元へと向かった。

　場所は、コリーンの働いているヴィダル弓具専門店というところから目と鼻の先であった。その場所で、確かに女性が紙を握りしめて立っている。

　紙をぎゅっと掴んだまま塞いでいる女性に近づくと、売春女は顔を上げた。その顔は、ロレンツォのよく知る女性。騎士隊長のスティーグと結婚すると常から豪語している、ケイティという女性であった。

「おや、ケイティ嬢でしたか」

「ロレンツォ様！　よかった、探してたのよ！」

「俺も探していました。売春をしている者がいるという通報がありましたので」

　そう言うとケイティはハッとし、明らかに顔を青ざめさせた。不思議なことに彼女からはミルク臭がする。

「ち、ちが……っ、私、お金を取るつもりはなくて、その……っ！！」

　ケイティは確かに処女だ。スティーグのために取ってある、という話を聞いたことがある。なのにそれを捨てる行為をするというのは、一体どうしたことだろうか。

「とりあえず、本署までご同行願いますよ。話はそこで聞きましょう」

　ロレンツォはケイティの手を取ると、騎士団本署の自分の執務室へと連れて行く。

　もう時刻は九時だ。就業の時間である。ロレンツォは自身の騎士コートを脱ぎ始めた。

「レディの前で失礼。俺も仕事が終われば早く帰りたい性分でして」

　ケイティはくるりと回れ右をし、困惑するように肩をすくめていた。

「あの、ロレンツォ様、聴取は……」

「街の者の手前、ああは言いましたがね。ここから先はプライベートなので、純粋な好奇心から聞きますよ。とりあえずはうちにおいで下ください。その服を着替えた方がよさそうです」

「服が何か？」

「なんだかミルク臭いですよ。それじゃあ男も寄り付かなかったでしょう。不幸中の幸いでしたな」

「……カールめ……」

「カール殿がいかがされましたかな？」

「カ、カールが、私に牛乳を噴きかけてきたのよ！」

「……牛乳を？」

　プハっとロレンツォは吹き出し、その後口元を押さえてクッククックと笑いを堪えた。なにがどうなればそういう状況になるというのか。

「それは面白い話が聞けそうだ。では、行きましょう」

　ロレンツォは最初、イースト地区にある家に向かおうとして思い留まる。

　途端に閃いてしまった。コリーンに、自分を諦めさせる方法を。少々意地悪ではあるが、それも仕方あるまい。

　ロレンツォはノース地区に向かって歩き始めた。

「こちらですよ」

　ロレンツォが鍵も使わずドアノブを回す。扉は拒絶することなく、いつも通りロレンツォを迎えた。

「どうぞ」

　ロレンツォに促され、ケイティも足を踏み入れている。中からいつものパタパタと小走りに駆け寄ってくる音がした。

「おかえり、ロレンツォ」

「ただいま、コリーン」

　コリーンは驚いたように目を広げている。それはそうだろう。この家に誰かを連れてきたことなど、未だかつてなかったのだから。

「お客様……？」

「そうだ。紅茶を淹れてくれ。一番いいやつだ」

　コリーンはコクリと頷いて奥へと引っ込んでいく。

　ロレンツォはケイティをエスコートし、ダイニングテーブルのある場所に腰を掛けさせた。

「で、どうして売春を？」

「違うのよ……」

　売春行為を働くなど、まったくもって困った女性である。肩を落としてシュンとしているケイティの姿がかわいらしい。

「スティーグ殿のために、ファーストキスも処女もとっているのではなかったのですか？」

「そうなんだけど、そんなことを言ってはいられなくなってしまって」

「どうしたのです？　俺でよければ力になりますよ」

「助かるわ」

　そこでコリーンが紅茶を出してくれた。お茶の出し方は完璧である。

「コリーン、お前の服でケイティ嬢に合うものを貸してやってくれ」

「うん、わかった」

　コリーンが自室に入って行くのをケイティはじっと見ていた。

「ロレンツォ様、あの子は……」

「俺の親戚のコリーンですよ。彼女のことはお気になさらず」

「親戚？　でもファレンテイン人じゃないでしょう？」

「なぜそう思われるんです？　コリーンは歴としたファレンテイン人ですが」

「彼女、よく図書館に来てたわ。最初の頃は、あまり言葉を話せている様子がなかったものだから」

　バレてるか？　とロレンツォはケイティを精察する。

　だがもしバレていたとしても、もう法的にもファレンテイン人だ。慌てることはない。

「彼女は病気で、まともな教育を受けられなかったこともありまして、言語が劣っていたのですよ。今はもう克服していますが」

　ロレンツォは笑顔すら見せながら言った。

「そうなの。ここで一緒に暮らしているの？」

「ええ、まぁ。親戚ですから」

　少し無理があっただろうか。親戚といえど年頃の男女が一緒に住まうなど、妙な勘繰りをされてしまっても仕方ない。ロレンツォはその妙になりつつあることを、消し去りたいだけなのだが。

「失礼します。こちらでよろしいですか？」

　コリーンが部屋から出て来て、着替えを見せる。それは、ウェルスの結婚式に着ていたワンピース。そう、ロレンツォがコリーンのために買ってやった、上等の物である。

（あれを貸すのか。まぁ、ケイティ嬢の着る物と比べれば妥当と言えなくはないが……）

　なぜかロレンツォは、心に棘が刺さるのを感じた。

「ありがとう、ごめんなさいね。必ず返すわ」

「…………いいえ、お気になさらず」

「コリーン、下がってくれ」

　コリーンは首肯し、再び部屋へと戻っていった。

「して、ケイティ嬢はなにゆえ、カール殿に牛乳を噴きかけられたのですか？」

「カールに、私を非処女にしてくれって頼んだら、噴かれたわ」

「っぷ！　ははははははっ！　非処女、ですか。それはいい。それで、カール殿に断られてあんな行為をしていたのですね」

「ええ、カールに言われたのよ。処女を貰ってくださいって紙を持っていれば捨てられるって。それが犯罪なんて、考えもしなかったわ。私の人生、もう終わっちゃったわね……」

「そこまでして、なぜ捨てようとしたのです？」

「スティーグが、私が処女じゃなければ抱いてたって言ってくれたからよ」

「なるほど。では、俺が貰って差し上げましょうか」

　そう言うとケイティは解せないと言ったように眉を寄せていた。

「いいの？　犯罪の片棒を担ぐような真似をしても……」

「片棒を担げば、貴女の罪は見逃さざるを得なくなりますな。ケイティ嬢にはその方が都合がいいのでは？」

「そりゃ、もちろん！」

　彼女の承諾を得て、ロレンツォはニッコリと微笑む。

「では、風呂に入ってきて頂けますか。できれば髪も洗った方がいい。ミルクの匂いより、俺は石鹸の香りの方が好きですから」

「そ、そうよね。わかったわ」

　ロレンツォはケイティを風呂に案内した。