第33話 天目山
天正10年(1582年)3月 近江・長浜城
その知らせは、長浜にも数日の遅れで届いた。
天正10年3月11日
甲斐の武田勝頼、天目山にて自害。
嫡子信勝もこれに従い、武田家は滅亡。
また、その場にいた勝頼の正妻や家臣、侍女ら50人以上が自刃したという。
報告を読み上げる小堀正次の声が、奥の間に静かに響いた。
読み終えても、すぐには誰も口を開かなかった。
武田家。
甲斐源氏の名門。
信玄の代には、織田・徳川・北条・上杉のいずれもが、正面からの対決を避けたほどの家。
磯野員昌が、低く唸る。
「……武田が、か」
羽田正親が、腕を組んだまま天井を仰いだ。
「信じがたい話ですな」
私は、膝の上で手を組みながら、報告書をもう一度目で追った。
新府城を捨て、家臣が次々と離反し。
織田・徳川の大軍に追われて、山中を逃れ。
天目山で最期を迎えた。
討死ではない、籠城でもない。
自害である。
「あれほどの……強い家が」
思わず、声が漏れた。
小堀が静かに頷く。
「“強すぎた”家でした」
磯野が眉をひそめる。
「どういうことだ」
小堀は続けた。
「徳川殿と我が援軍は、かつて三方ヶ原で大敗を喫しております」
羽田が小さく頷く。
「徳川殿が逃げ帰り、浜松城に籠もった戦ですな」
小堀は淡々と語る。
「大殿自身も、美濃・尾張の境で何度も兵を割かれました」
「遠江・三河は、長く武田の圧力下にありました」
磯野が鼻を鳴らす。
「信玄の西上作戦か」
「織田も徳川も、あの時は震え上がった」
私は、ゆっくりと頷いた。
武田信玄が生きていたころ。
織田はまだ天下人ではなかった。
徳川は、一国の主にすぎなかった。
武田は、西と南に刃を構え、東海道を塞ぎ、両者の喉元に刀を突きつけていた。
「しかし、それほど強かったあの国は……」
小堀が静かに言った。
「信玄公一代で作られた“戦のための国”だったように思います」
「騎馬軍団、戦功主義、譜代重視、軍律の徹底」
「こうした戦うための仕組みを磨き上げました」
羽田が口を挟む。
「ですが、それで信玄公は天下に迫った」
「京へも、あと一歩でした」
小堀は首を振る。
「信玄公は、戦だけの人ではありませんでした」
「戦のための制度を磨きながら、戦を止める時を知り、領国経営にも目を配り、外交にも長けていた」
「しかし、跡を継いだ勝頼殿は……」
「なるほど....」
そう言って磯野が、自らの考えをまとめるように、話を続けていく。
「勝頼殿は、後継ではなく陣代にすぎなかった」
「陣代としての自らの立場の強化と、家臣団をまとめるため、戦って勝つことが必要だった」
「残された戦さの仕組みを活用して、戦い続けた結果、信玄公以上に領土を獲得し最大の版図を築くことになった....というわけか」
小堀と羽田は、じっと磯野の話を聞いている。
「版図の拡大は、単に戦さの結果にすぎず、統治を目的としたわけではない」
「戦いのための戦いであり、国人どもも領民も、疲弊する一方であったに違いない」
私は報告書の一節を指で押さえた。
「新府城を捨てた、とあります」
小堀が頷く。
「新府城造営のためにも賦役と重税が領民に重くのし掛かったものと思われます」
「それに不満を募らせた木曾義昌が武田家から離反し我らに寝返ったとも」
「それが織田家の甲州征伐のきっかけになりました」
磯野が続ける
「この春、徳川殿が武田方の高天神城を攻め取ったとき、勝頼殿は後詰めをしなかった」
「武田方は、城主以下将兵が皆殺しになり、勝頼殿の威信が大いに失墜したという」
「で、今回のことだ。膨大な負担をかけて作った城を、いざ戦となると焼いて捨てた.....領民も国人も家臣団も皆の心が離れていった」
「そして、もろく膨れ上がった泡が、針の一突きで、一気に破裂して霧散した」
「はい、今、磯野殿が考察されたとおりかと」
小堀は淡々と続ける。
「勝頼殿は、自らに任された陣代という立場で、精一杯武田家を守ろうとされたのだと思います」
しばしの沈黙のあと、私は、これまでの会話で感じたことを口に出した。
「信濃の名族・諏訪家の養子に入った勝頼殿を信玄公の後継にすることはできなかった」
「そんなことをすれば甲斐武田は諏訪家に乗っ取られた形になる。家臣団の納得は到底得られず、武田は割れたでしょう」
「求心力の無い勝頼殿が、四方を敵に囲まれた武田をまとめていくためには、統治より戦さに走るしかなかった」
「しかし、もし、後継に指名された勝頼の子・信勝殿が成人するまで、ひたすら内治に専念していれば、崩壊は防げたのかもしれない」
小堀が口を挟む。
「陣代とはいわゆる後見人のこと」
「当主が成人するまで臥薪嘗胆、力を蓄えるときだと公言すれば家臣も納得した可能性はあります」
「それが甲斐・信濃で通用したかはわかりません。おそらく通用しなかったのでしょうが」
各々が武田家がとれたであろう道に思いを馳せ、沈黙が続いた。
このとき、私は豊臣のことを考えていた。
(あのまま秀頼が生まれず、秀次が後継として残っていれば、豊臣はあんなことにはならなったかもしれない)
(秀次を排除した後、幼少の秀頼が成人するまでの中継ぎすらいなかった。有力な親族がなかったからだ)
(地縁と血縁が絡み合う戦国の世で、誰を後継にするか、それをどのように支えるか、その選択を誤るといくら名門でも一瞬で崩壊する)
(武田がそのよい見本だ)
羽田がこちらを見る。
「竹若様は、何をお考えでしょう?」
「家を繋いでいくのはとても難しいことなのだと、つくづく思っていました」
私は、豊臣の未来のことを心の底に沈め、簡単に答えた。
小堀の目が細くなる。
「織田家はすでに信長公の嫡男信忠様が当主となり、さらにご嫡男もお生まれになっている」
「そういう意味では、織田家は安泰と言えますな」
羽田や磯野が頷く。
これまでの暗い雰囲気が、少し明るくなった気がした。
磯野が苦く笑って言う。
「結局、信玄公一人が大きくし、後継問題で転けてしまったか」
「確か、三好も同じようなゴタゴタで勢力を失った」
「戦国の世ではよくある話。当家で同じ轍を踏まぬよう祈るしかるまい」
私は小さく頷いた。
「……父上に、伝えたい」
「武田の滅びは、戦の話ではありません」
「国の保ち方の話です。誰が継ぐのか、それをどのような仕組みで支えるのか」
「場当たりで考えるのではなく、長い時間をかけて作っていくものだと思います」
小堀が、深く頭を下げて言った。
「竹若様のおっしゃるとおりです。跡継はお家の一大事」
「今の皆様の意見をまとめて、殿にお伝えしたく思います」
私は、もう一度、報告書を見た。
勝頼 37歳
勝頼夫人(北条氏康の娘)19歳
信勝 16歳
あまりにも若い。
(うまく国を継げず、内部から崩れて、死んでしまった)
私は、静かに目を閉じた。
武田の滅びを、無駄にしてはならない。
織田のことはいい、羽柴は同じ道を歩いてはならない。
私は、そう心に刻んだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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