第30話 鳥取城兵糧攻め
天正9年(1581年)10月上旬 近江・長浜城 竹若
秋風が夏の名残を含んだ湿り気を帯びながら、長浜城下を抜けていく頃だった。
城の評定所に、小さなざわめきが立った。
羽田正親が、数通の巻き紙を抱えて入ってきたのだ。
道中の埃を払うように袖を払いつつ、私の前に静かに座った。
「因幡からの報せです」
その声は低く、どこか重い。
私は筆を置き、姿勢を正した。
「……鳥取城、ですか」
「はい」
羽田は巻き紙を広げ、要点をかいつまんで読み上げた。
「羽柴軍は本年7月より鳥取城を完全に包囲。
正面攻撃は行わず、周囲の村々を制圧し、
米・塩・味噌などの搬入を徹底して遮断」
小堀正次が、巻き紙に目を落としながら、口を挟んだ。
「買い占めも行ったそうですな。
近隣の商人に倍の値を出し、城に入るはずの兵糧を根こそぎ奪ったと」
羽田が頷く。
「城下の百姓までも城内に追い込み、口を増やしたという話もございます」
私は、思わず指先を握り込んだ。
7月から始まった包囲。
今は10月になったばかり。
3か月。
兵糧攻めとしては、異様に長い。
「……城内は、どうなっていますか」
羽田は一瞬、視線を伏せた。
「餓死者が多く出ているとのことです」
静かな声だった。
だが、その静けさが、かえって重い。
小堀が低く息を吐いた。
「兵だけではないでしょうな」
「……はい。老人、女、子どもも含めてです」」
羽田は短く答えた。
私は、胸の奥がゆっくりと冷えていくのを感じた。
鳥取城は日本海側の要衝として因幡・伯耆・但馬を結ぶ交通・軍事の拠点であり、毛利方の要衝でもある。
久松山の頂に築かれた堅城で、難攻不落と言われている。
正面から攻めれば、数多くの兵を失う。
そのため、秀吉は、斬らずに殺す道を選んだ。
兵糧を断ち、時間で殺す。
それは、最も残酷な戦い方だった。
私は小さく息を吸い、言葉を選んだ。
「……勝つための戦い、ですね」
羽田は苦笑した。
「勝つためだけなら、これ以上の策はありますまい」
小堀が静かに補足する。
「兵を失わず、城を落とし、敵勢力を瓦解させる。軍事的には正解です」
私は頷いた。理屈は分かる。
秀吉の戦は、常に「勝つ確率」と「自軍の損耗」を計算したものだ。
だが―
「……終わった後は、どうなりますか?」
私の問いに、小堀が目を閉じて答えた。
「城は手に入ります」
「ですが、田畑を耕す領民が悉く死ねば……」
淡々とした声で続ける。
「田畑は放置され、村は空になります」
「来年の年貢は半分以下でしょう」
「3年は、元に戻りませぬ」
私は、心の中で史実をなぞっていた。
鳥取城は多くの餓死者を出し、やがて開城する。
守将・吉川経家は責任を取り、自刃する。
戦国時代最悪の籠城戦と言われる「鳥取城の渇え殺し(かつえごろし)」だ。
しばらく沈黙が落ちた後、小堀が静かに口を開いた。
「……もっとも、今回の鳥取は、ただの残虐な兵糧攻めとも言い切れませぬ」
羽田正親が視線を向ける。
「と言いますと?」
「元を辿れば、鳥取城は一度、織田方に降っています」
小堀は淡々と説明した。
「天正8年、城主・山名豊国は織田家に臣従しました」
「しかし、その後、家中の重臣らが毛利方への寝返りを企て、城主を追い出し、再び反旗を翻した」
羽田が低く唸る。
「主君を追い出しての再叛逆……」
「戦国では珍しくないとはいえ、こちらから見れば、最も忌むべき裏切りです」
私は、ゆっくりと頷いた。
そうなのだ。これは単なる城取りではない。
秩序への挑戦だ。
私は問いかけた。
「……つまり、羽柴軍は、城を取るだけでなく」
「裏切りそのものを、叩き潰す必要があった」
小堀は、目を私に向け、小さく首を縦に振ってから静かに答えた。
「その通りでしょう」
「一度許せば、次は但馬、美作、播磨……」
「誰もが“裏切っても生き延びられる”と思う」
羽田がその後を続ける。
「兵糧攻めは、戦の勝ち方であると同時に、見せしめですな」
その言葉に、私は小さく息を吸った。
小堀が補足する。
「城兵だけではありません」
「城内には周辺の領民2千余りも入っていたと聞きます」
「合わせて3千5百ほど」
私は、領民2千と聞いて一瞬眉をひそめたが、総勢3千5百は甚大な被害とは言えない。
「数としては……」
小堀が答える。
「若殿がおっしゃるとおり、大軍同士の合戦に比べれば、確かに多くはありません」
「1万、2万が斬り合う戦に比べれば、被害の規模は小さいです」
「実際、長篠の戦いでは数千から1万人の被害を出しております」
「ですが、飢え死にという形で刻まれた恐怖は、数よりも深く残ります」
私は、胸の奥で冷たいものが広がるのを感じた。
―なるほど。
戦の被害を“広さ”でなく、“深さ”で与える。
城一つを極限まで追い込み、“裏切ればこうなる“と天下に示す。
それが目的なら、短期的な残虐さと引き換えに、長期的な反乱と戦の回数を減らす。
政としては、非常に合理的に思える。
私は、ゆっくりと口を開いた。
「……一つの城を犠牲にして」
「十の城を黙らせる」
小堀が頷く。
「はい、叛逆の芽を、根ごと焼くことができます」
羽田が腕を組む。
「窮鼠が暴れれば、自軍の損耗も大きくなる」
「正面攻撃を避けたのは、兵を減らさぬためでもあるでしょう」
「兵は国の骨です。折れれば、政も折れる」
三人の間に、再び静寂が落ちた。
私は、膝の上で手を組んだ。
この戦は、ただの残酷さではない。
統治のための暴力だ。恐怖を道具にした政治なのかもしれない。
私は小さく言った。
「……秀吉様は」
「統治のために、人を殺したのですね」
羽田は答えなかった。
小堀も否定しなかった。
それが、戦国の現実だからだ。
私は目を伏せた。
合理性は理解できる。
政治としても、正しい。
だが、もし、私が同じ立場に置かれたら。
私は、秀吉のように、父・秀長のように冷徹になれるだろうか…。
磯野の顔が浮かぶ。
国人衆の顔が浮かぶ。
長浜の百姓の顔が浮かぶ。
沈黙を続ける私を見つめていた小堀が、諭すように口を開いた。
「竹若様、皆悩みながら、この戦の世を生きております」
「政は、悩み抜いても正解が出てくるとは限りません」
「しかし、悩み抜くことが何よりも大切と存じます」
「すぐに結論は出さなくとも構いません。じっくりとお悩みください」
しばらく、誰も口を開かなかった。
政務が終わった後、私は城下を歩いた。
稲穂は黄金色に垂れ、百姓たちが笑いながら刈り入れをしている。
子どもが追いかけっこをし、川では女たちが洗濯をしていた。
鳥取の城内では、人が餓死しているというのに。
同じ国の中で、世界はこれほど違う。
私は、足を止めた。
戦とは、異常だ。
しかし、異常が常態になるのが、戦国だ。
ならば、国を作る者は、戦に勝つだけでは足りない。
戦が終わった後に、何を残すか。どれだけ早く、日常を戻せるか。
それを考えなければならない。
私は空を見上げた。
秋の雲は高く、静かだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作は連載を続けながら、表現や構成を見直しつつ推敲を重ねています。
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