第25話 小さな支度
天平9年(1581年)6月 近江・長浜城 竹若
昼下がり、表門の方がわずかに騒がしくなった。
「伊勢屋の若旦那がお越しになりましたよ」
母の声に、私は筆を置いた。
半月ほど前、マルの餌と遊び道具を探しに城下に行った際に、知り合った商人だ。
父親が、美濃、近江、京、大和に店を持つという。
長浜の新店を任されたばかりの若者で、年は20代後半。
本多俊政に素性を調べさせたが、本人のいうことに間違いはなかった。
真面目に商いをやってる商家らしい。
表の間に通されると、彼は緊張した面持ちで深く頭を下げた。
「伊勢屋宗右衛門と申します。先日は犬の件で……」
そのとき、廊下の向こうから足音がして、マルが駆け込んできた。
宗右衛門を見るなり、尻尾を振って飛びつく。
武家の訪問でもなく、マルがいた方が打ち解けられると思い、トコトコ着いてくるのを静止しなかったのだ。
「お、おお……覚えておるのか」
宗右衛門は面食らいながらも膝をつき、頭を撫でた。
「利口な犬でございますな」
「そうです。自慢の友です」
「名は、マルとつけました」
そう答えると、宗右衛門は少しだけ表情を緩めた。
侍女が茶を運んできて、場が落ち着く。
「本日は、どのようなご用件で?」
母の問いに、宗右衛門は一瞬こちらを見てから答えた。
「若様より、マル…殿…いや、マル様の…」
と、マルにどのような敬称をつけるべきが迷っている。
私は可笑しくて小さく笑いながら、
「敬称は不要です。マルで結構です」
そう言うと、ホッとした表情を浮かべ、続きを話出した。
「マルの餌と遊び道具を定期的に届けてほしいとご依頼をいただいておりまして、本日は、新しい堅木と固く小さな鞠をお持ちしました」
「後は、諸国の様子も聞きたいともおっしゃておりましたので」
私は頷いた。
「ありがとうございます。早速マルに与えましょう」
侍女を呼び、宗右衛門が持ってきたマルのおもちゃを受け取らせ、ついでにマルも抱えさせて連れて行かせた。
場が再び落ちついたところで、私が切り出した。
「諸国の様子ですが、商いをしていると、人の噂やものの動きに敏感になるものでしょう」
「……左様でございます」
宗右衛門は少し間を置いて語り出した。
「美濃では、大軍を率いる方面軍の柴田様、明智様、羽柴様の話がよく聞かれます……」
「兵や米の動きは?」
「美作と但馬周辺、あとは尾張、伊勢方面で動きが活発になっているようです」
なるほど、今は天正9年6月、まさに山陰で大戦が始まろうとしている。
加えて、この秋に伊賀でも大規模な戦が起こる。
動きがあってもおかしくない。
「京では?」
「公家衆は相変わらずですが、近頃は明智殿の名をよく聞きます。
「倹約を命じ、兵の規律を厳しくされたとか」
「大和は?」
「国人衆は静かで、大きな動きはないようです」
淡々とした報告だったが、生の情報に触れることは重要だと改めて思った。
「ありがとうございます。若様の御役に立てるなら、商人冥利に尽きます」
そう言うと、宗右衛門は小さく息を吐いた。
私は居住まいを正し、宗右衛門に向かい直した。
「では、別の話をしましょう」
宗右衛門の眉が動く。
「布のことです」
「……木綿でございますか」
即座に返ってきた。
「三河や河内から入っております。近江ではまだ高級品ですが」
「用途は?」
「主に下着と足袋。貴族や武家の方が買われます」
私は頷いた。
「それを、もう一歩進めたい」
「進める、と申しますと?」
「戦に使います。鉄砲袋と弾薬袋を布で作る」
「皮より軽く、衝撃にも強い。油を染み込ませれば雨にも強い」
宗右衛門は息を飲んだ。
しばらく考え込み、やがて慎重に言った。
「縫い目を細かくせねば、火薬の粉が漏れます」
「油は荏胡麻油がよろしいでしょう。匂いも弱く、布を傷めません」
私は軽く頷き答えた。
「兵が持ち歩くものです。壊れては意味がない」
「あと、兵に支給する足袋を木綿に変えていきたい」
「将や鉄砲隊など代えが効きにくい兵の足を守る」
「底、足首まわりを厚くして、怪我から守れるよう工夫してほしい」
宗右衛門の声が少し強くなった。
「やれぬことはありません」
「兵の数だけ要ります。破れればまた要る」
「消えぬ商いでございます」
「作れますか?」
「縫子はおります。木綿も河内から手配できます」
私は少し身を乗り出した。
「では、試作をしてください。足袋、鉄砲袋、弾薬袋の3種。費用はこちらで持ちます」
この前の城下でのやりとりから、近い内に商人が来ると見越し、予め小堀と羽田とすり合わせておいた。
小堀は、
「試作の金くらいなら構いません。その後は実物を見た殿のご裁可次第」
と固いことを言っていた。
というか、あたり前の返答ではあるが。
宗右衛門は思わず姿勢を正した。
「若様、それは……」
「試しです」
「良ければ父に見せます」
宗右衛門の目の色が変わった。
商人の目だ。
「承りました。必ず」
私は頷いた。
「もう一つ、お願いがあります」
「あなたの店は、美濃、京、大和にもある。それぞれ、帳面とは別に、世の噂をまとめていただきたいのです」
宗右衛門は戸惑った顔をした。
「噂、でございますか」
「はい。米の値、兵の動き、城の修繕、評定の回数」
「確かでなくてよい。ただ、耳にした情報や感じた変化を書き留めてほしい」
宗右衛門はしばらく考え込んだ後、静かに言った。
「商人の耳は、客の数だけあります」
「丁稚も、船頭も、蔵番も……それを束ねるは困難かと」
「束ねるのはこちらです。あなたは、届けるだけでいい」
宗右衛門はゆっくりと理解したようだった。
「……情報でございますな」
「商いは情報が命と聞きます。政も同じです」
宗右衛門は深く頭を下げた。
「若様のご依頼、承知致しました」
「しかし、私は長浜の番頭に過ぎません。父と相談させていただいてよろしいでしょうか」
「もちろんです。あなたの立場なら当然のことだと思います」
「是非、前向きにご検討いただきたい」
私がそう答えると、宗右衛門は下げていた頭を畳につけた。
宗右衛門が帰ったあと、母は自室に戻り、俊政は少し離れところで背筋を伸ばして座している。
今日、事前に内容を聞かされていた彼は、黙って私のすることを見ていた。
我が家の子育ては放任主義が過ぎないだろうか…..
そんな取り留めのないことを考えながら、今日の出来事を思い出した。
耳を作るのは根気がいる。
今から始めねばならない。
マルが作ってくれた縁が活きるかどうかわからないが、また一つ、歯車が動いた気がした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作は連載を続けながら、表現や構成を見直しつつ推敲を重ねています。
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