第21話 秀吉の跡
第二章冒頭は、主人公が今後の方針を考える重要な回になるため、少し思考寄りの話が続きます。
次話から動き出しますので、お付き合いいただければ嬉しいです。
天正9年(1581年)4月 近江・長浜城 竹若
豊臣政権の最大の課題、秀吉の後継者。
秀吉には子が生まれない。
私はそれを「史実だから」と片づけたくはない。
ここでは史実は過去の話ではなく、目の前の現実である。
子がいなければ、家が続かない。
家が続かなければ、政権は続かない。
天下を取ることと、天下を保つことは違う。
秀吉は前者の天才だ。
だが後者――相続される国家の設計は、天才一人では成立しない。
私は縁側に座り直し、帳面を膝に置いていた。
足元で、小さな重みが動く。
「……マル」
名を呼ぶと、白茶の子犬が顔を上げ、短く尻尾を振った。
私の膝に前足をかけようとして、失敗し、ずり落ちる。
「急ぐな」
抱き上げて、そのまま片手でマルの背を撫でながら、思考を続けた。
私は、秀吉という人間が好きだ。
だが、怖い。
怖いからこそ、よく見てしまう。
笑顔の裏にある計算。
気前の良さの裏にある支配。
涙の速さと、怒りの速さ。
人を愛するが、人を道具にもする。
あの人は、飢えている。
金でも土地でもない。
人の心に飢えている。
だから抱き寄せ、褒め、撫で、そして離さない。
離れようとする者には、容赦なく牙をむく。
その飢えが、天下を取らせる。
その飢えが、天下を壊す。
秀長が政務を捌き、秀吉が戦を動かす。
その分業が成立しているうちは、羽柴は強い。
しかし、秀吉が「天下人」になった瞬間から、分業は崩れ始める。
権力が集まるほど他人を意識しなくなり、自分の判断・決定に酔う。
そして…..いずれ判断を誤る。
秀長がいる間はまだ抑制が効いた。
だが、いなくなった途端、それまで築き上げた石垣が急速に崩れていった。
そうならないよう、秀長が少しでも長生きするように努めてきた。
もちろん父を延命させたいという、家族としての思いもある。
しかし、いくら秀長が延命したとしても、肝心の問題は解決しない。
そう、後継ぎだ。
誰が跡にふさわしいか、私は膝の上で指を折る。
候補を並べ、確認のために一つずつ潰していく。
ひとつ、織田家の血が流れる者。
論外だ。正統性はあるが危うい。
織田の名は、羽柴を呑み込む。
織田信長の4男・羽柴秀勝様がその立場だが....
ふたつ、他家から迎える者。
史実では、宇喜多直家の嫡男、秀家が秀吉に気に入られ、猶子(ゆうし:後見人になる場合などの便宜的な養子)となり、秀吉の養女を娶って一門格として扱われた。
可能性はないこともない。
が、史実でも秀長、秀次のほうが官位も上であり、後継者にするなら血縁が収まりがいい。
秀吉もそのように考えていたはず。
みっつ、秀吉の子。
秀吉に子が生まれないのは事実ではない。
秀吉の晩年に茶々(淀君)が子を産む。秀頼だ。
しかし、これが政権崩壊の端緒となる。
今、生まれるのであれば問題はない。
だが、政権確立の過程で後継ぎを決めた後に、実子が生まれたことで政権の土台が吹き飛んでしまった。
これは是が非でも排除しなければならない選択肢だ。
女好きの秀吉は、若い時から見境なく女性に手をだした。天下人になってからは数多の側室を置き、子作りに励んだにも関わらず、産んだのは茶々だけ。
これはどう考えてもおかしい…と思う。
が、ここでその疑問に深入りしてもしかたがない。
よっつ、親族から迎える養子。
これが、現実的な解だ。
候補は3人
三好信吉(秀吉の姉の子、秀吉の甥、後の羽柴秀次)
金吾(ねねの兄の子、ねねの甥、後の小早川秀秋)
そして、私、秀長の子。
信吉はすでに三好に入っている。
羽柴に戻ることも十分ありえるが、強く押す理由もない。
金吾は1582年生まれ。まだ生まれてもない。
しかもねねの血筋であって秀吉の血筋ではない。
マルが、私の膝の上で丸くなった。
無防備に、喉を鳴らす。
私はその温もりを感じながら、静かに息を吐いた。
確かに、これまで想像したことはある。
だが、想像することと、行動に繋げることは全く別のものだ。
正直、私は秀長の子でいたい。
それは単なる感情ではない。
政権設計としても合理的だ。
秀長は調整役であり、官僚機構の中心であり、武断派と文治派の間に立てる稀有な存在だ。
私は、その血を引く。
血統としての意味だけではない。
家中の期待も、立場も、全てがそこに乗る。
だが、秀吉は養子を欲しがる。
欲しがるというより、必要としている。
天下は孤独だ。
天下を取れば取るほど、味方は減る。
最後に残るのは「家」だけだ。
その家が、己の存在証明になる。
秀吉は、家がないことを怖れている。
自分の血でなくてもいい。
自分の「子」を欲する。
その子に、私がなる。
マルが寝返りを打ち、腹を見せた。
「……お前は、何も考えなくていい」
喉を撫でると、安心したように目を閉じる。
では、どうする。
秀吉の顔を思い出す。
私を見ると、妙に嬉しそうに目を細める、あの表情。
――そこに、道がある。
操る必要はない。
媚びる必要もない。
そもそも、それが通じる相手ではない。
秀吉が「欲しい」と思う状況を作るだけだ。
見せるべきものは3つ。
一つは、能力。
賢すぎてはいけない。怖がられては終わる。
だから「賢い子」で十分だ。
問いに答える。
少しだけ助ける。
功は必ず譲る。
もう一つは、情。
泣くことでも、笑うことでもない。
こいつは可愛いと思わせる存在になること。
家族としての愛情を感じ、そこに「家」の匂いを思い出させるようになればいい。
私は、伯父・秀吉が好きだ。
これまでも家族として過ごしてきた。
演じる必要はない。
最後に、共感。
一番近い身内である妻・ねね、弟・秀長、母・なか。
この人たちも自分と同じ思いであり、私を養子にすることが家族の願いであると共感できること。
ねね様は問題なさそうだ。
父は…..
この時代の価値観なら家を継ぐために兄弟の子が主家の養子に入ることは珍しいことではない。
逆に、名誉なこととさえ考えられている。
なので、問題はない….と思う。
直接聞かなければわからないが。
長い思考を終え、膝の上で丸くなるマルに意識をやる。
そして、決めた。
本能寺は避けない。
その後秀吉は勝つ。
そして勝った後に、「家」を作る。
その中に、私が入る。
私は望んで天下を取りに行くのではない。
天下が壊れないために、そこに座る。
マルの頭を抱え、額を軽く押しつける。
「やるか」
そう、つぶやいた。
静かに、歯車が動きだす。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作は連載を続けながら、表現や構成を見直しつつ推敲を重ねています。
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