快楽殺人者、日本へ帰る。
翌日、早い便で日本へ帰る為のチケットが取れた。
私達はようやく機上の人となったわけだが。
オーナーが怒っている様子なので私達は口数も少なく、お互いによその方向を向いて席に座っていた。
まあ、しょうがないとは思う。
しつこいようだがまだ籍は入っていないので、空港で別れれば私達はハワイ旅行を楽しんだただのカップルで終わる。
さすがのさすがに、私の「趣味」を目の当たりにして、私との結婚生活を続けようとはこの人も思わないんじゃなかしら、と思うわけだ。
私と一緒にいると危険が多いし、オーナーや笹本さんが人肉を欲しいならばお金で解決出来るのだからその方が絶対に安全だ。
「チョコレート・ハウス」に帰れないのは残念だな、と思った。
チョコレート・ハウスは板チョコのような煉瓦で作った実物大のお菓子の家だ。
私の希望を叶えて作ってくれたやけに高価な家なのだけど、店の宣伝にも効果ありそうだし損はしないだろう。
という風な事を考えて、私は心の中できちんと気持ちにけりをつけた。
「ごめんなさいね。とんだ旅行だったわね」
と声をかけると、
「ああ」という短い返事が返ってきただけだった。
いやだ、涙がでそう。
「怒ってるわよね?」
「ああ、怒ってる」
「……」
しょうがないので、窓の外を見た。白くて灰色で青いような雲の上を飛んでいる。
飛行機のハネが見えた。
エンジンが逆噴射でもしないかしら、と思った。
ハネがぽっきり折れたら墜落するわね。
墜落する時には座席の上に足を上げておくのがいいらしいわ。墜落の衝撃で座席が外れて背後から押し寄せてくるから、足が切断されるらしいわ。
身体を丸めてあぐらをかく格好が一番いい、とサバイバルの本で読んだのだけれど。
一理あるわね。
なんて事を考えていたので、少しばかり悲しみが薄れていたのに、
「君は」とオーナーが言った。
「え? 何?」
振り返るとオーナーがこちらを見ていた。
「君は結婚式もしない、指輪もドレスも必要ない、と俺には拒否した」
「え? ええ。だってあの家だけで十分贅沢…」
「なのに、あの男の為にはウエディングドレスを着て、立派な婚約指輪をその指にはめるんだな」
「そ、それは、でも、あの男が勝手に」
「俺は君が生涯でたった一度ウエディングドレスを着る機会をあの男に与えてやったのを許してやるほど心が広い男じゃないな」
「…」
っていうか、怒ってる理由がそこなの。
「だって私も気を失ってたっていうか、気がついたらああいう姿だったわけで…」
「そうだ。君がふらふらとあの男を捜しに出かけて、逆に捕まって、気がついたらブードゥーの呪いとやらであの男のいいなりで、しかも裸にされてドレスを着せられて、その間に意識のない身体をいいようにされていたなんてな!」
「そこらへんは…その…何もなかったはず…としか…」
オーナーは私の右手を掴んで、チュッチュとキスをした。
「全く俺は、嫉妬で頭がどうにかなりそうだ」
「…」
「帰ったらウエディングドレスを買いに行こう」
「え? そんなのいらない…」
「俺は一生、あの男の選んだドレス姿の君を覚えてなくちゃならないってわけか?」
オーナーが横目で私を睨んだ。
「あー、はい。ではレンタルでお願いします」
私達は無事に日本へ帰り着き、新たな生活がスタートした。
新店は順調でお客さんも増えたし、オーナーは新しいチョコレートを日々開発している。
日本へ帰ったら帰ったでまた新たなもめ事や騒動がいくつか勃発して、そこに私もオーナーも笹本さんもいろいろあったのだけれど、それはまた後日報告する事にして。
日本へ戻って数ヶ月後。
その時、私は喫茶室の片付けをしていた。時間帯は午後の四時。
ちょうど入れ替わる時間帯だったので座っている客は誰もいなかった。
テーブルを拭いて砂糖やナフキンを補充していた時、アルバイトの由香ちゃんが言い出した。由香ちゃんは地元の大学に通う女子大生で、健康的な娘だ。
「あ、美里さん、昨日のテレビ見ました? 世界びっくりニュース!」
「いいえ、テレビはあまり見ないのよ。何か面白いニュースでもあったの?」
「ええ! もう、気持ち悪いって言うか!」
その時ちょうど、オーナーが新しく焼けたケーキが入ったボックスを持って厨房からやってきた。
「ハワイで猟奇殺人事件! なんですけど! 有名な大学の教授が男子学生と無理心中したんですって」
「教授?」
「そうなんです! しかも男性ですよ!」
「同性愛者だったのね」
「ええ、まあ、それならよくあるじゃないですか! アメリカじゃ男同士の結婚もありますしね!」
「そうね」
「でも、びっくりなのが、ここ、重要です。教授の方がサイズの合っていないウエディングドレスを着てたんですよ!」
「…怖いわね」
「ええ! そして男子学生は大事な所を教授のハイヒールで踏みつぶされて!」
由香ちゃんは何故かすごく痛そうな顔をした。
「教授は自分で自分の目をえぐって、両目玉がなかったそうです! しかも男子学生の方も何か抵抗して銃で教授を撃ち殺した?みたいな感じで両方とも死亡ですって!」
何がそんなに面白いのか、由香ちゃんは顔を真っ赤にしてしゃべり続けた。
「教授が男子学生に結婚を迫って、断られた腹いせに殺したみたいにテレビでは言ってました。教授の方が受けだったのかなぁ? ジョニー、あ、男子学生の方ですけどね、ジョニーの顔写真も出てたけど、攻めって感じじゃなかったなぁ」
由香ちゃんが何故この話題に食らいついたは分かる。彼女は腐女子という奴らしい。
休憩所でいつも青少年同士の恋愛漫画を読んでいる。
「白井さん、店先で物騒な話はそれぐらいにして」
とオーナーが言った。
「あ、はーい、私、上がりの時間です! お疲れ様でしたぁ! でも世の中にはいろんな趣味の人間がいますよねぇ。私なんか超普通でつまんないくらいです!」
腐女子の由香ちゃんはるんるんという感じで奥の方へ消えて行った。
「銃じゃなくて釘打ち機なんだけど」
と私が言うと、オーナーが、
「ジョニーじゃなくて、トミーだし」
と言って笑った。
あれは我ながらすばらしいアイデアだったんじゃないか、と今でも思っている。
あの殺し屋にドレスを着せるのは大変苦労した。
そしてトミーの手に釘打ち機を握らせてから何度も殺し屋の死体を撃っておいたのだ。
オーナーは傷だらけだったし私も疲れきっていたけど、痕跡を消したりいろいろ忙しかったのも今ではいい思い出…そうでもないか。
ボブの店にはまだラブラブツーショットを送りつけてはいない。
オーナーとボブの間で諍いがあったらしく、ボブの事を聞くと不機嫌になる。
まあ、二度とハワイには行かないという意見は一致してるのでいいかな。
アメリカ人は嫌いだわ。
本当にチョコレートと男と電気製品は日本製に限るというのが骨身に染みた新婚旅行だったな、と思った瞬間に、
「全くそうだろ?」
と、オーナーが言ったので私はびっくりしてオーナーを見た。
「私が何を考えてるか分かったの? とか、ありえないわ…ね」
「君の考えてる事くらい分かるさ」
「どうして?」
「愛してるから」
と言ってオーナーが笑った。
了




