やさしい拷問
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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「……ということで、本日から、放課後、お時間のある方は、
クラス旗の作成にご協力お願い致します」
クラス旗を手に入れた後、二日の休みに入り、そして週明け。
私は朝、教卓の前でクラス旗の説明をして、深く深く祈りを込め頭を下げた。
本来なら、もう少し後から開始してもいいのだが、
おおよそ手伝いの人員が望めない以上、早くするに越したことは無い。
それに連日、昼は委員会の仕事で塞がっているし、
放課後は体育祭が近づくにつれ委員会の招集がかかるらしい。
それに、クラス旗の完成は締め切りが存在する。
「え、体育祭始まる前でいいんじゃないの?」とも思ったが、
以前、体育祭がはじまるまで、と締め切りを設定した年、
本当にぎりぎりまで終わらないクラスが出て来て、大変なことになったらしい。
それ以来、クラス旗の締め切りは体育祭一週間前、と設定されているのだと、
フィーナ先輩が教えてくれた。
空気はまるでここだけ重力が何億倍ほどかかっているかのように重い。
もはや物体がその形を保てるのか怪しいレベルに重い。
顔を上げると、全員が気まずそうな顔をしている。
ふと、ロベルト・ワイズが視界に入る。
心なしか、いや、普通に顔色が悪い。まるで生気を掃除機で一週間吸い取られ続けた後に拷問され、
またさらに吸い取られたような顔をしている。
「おはよう……、お、ミスティア・アーレン、どうかしたのか?」
「いえ、さっき委員の連絡をしていて、
すみません、今どきます」
「おー、大丈夫だ、座れ座れ」
丁度教室に入室したジェシー先生に促され、着席すると、朝のホームルームが開始された。
授業を終え、昼食を済ませた私は、今現在、
図書室に向かっていた。今日の昼は委員会の招集がかかっていない。
図書室で恋愛系の小説を読み、シチュエーションの勉強をし、
レイド・ノクターとアリスのイベント作りに役立てる。
本来なら家で読んだ方がいいかもしれないが、恋愛小説をねだり両親の超解釈により、
レイド・ノクターとの婚約を望んでいる、なんて勘違いされたら死ぬしかない。
図書室でこそっと読むしか手段が無いのだ。
図書室は最早図書館というレベルで広い。その分死角が存在し、
落ち着いて引きこもることが出来るスペースがいくつかある為、
集中するにはもってこいの場所だ。
別棟の窓から遠方の学生食堂のテラス席が見えるが、
流石昼真っ只中、遠目からでも盛況というのが見えるほど賑わっている。
学食は基本朝から夜にかけ開いているらしいが、一度も使用したことは無い。
料理長の手前、というのもあるし、
いつだったか学食で、
アリスとレイド・ノクターが食事をとっているところにミスティアが登場し、
「どこまでも卑しい人」と罵倒していた。
ミスティアの目では「アリスが愛しのレイド様にべったりランチ」だが、
実際は食堂大混雑時の相席が止むを得ない状況下で、
一緒に食事を取っている二人である。
それにミスティアはレイド・ノクターが居なくても、
アリスの食事するところに現れては、
上から水をかけてみたり、ひっくり返してみたり、
泥をかけてみたりと、おおよそ食への教育が十分なされていない、
食に対しての倫理観が欠落した行為をしていたのだ。
何となく学食に行きうっかりアリスの食事現場に遭遇し、
物語の強制力が働いた、なんてことはあってはいけないし、
アリスとレイド・ノクターの相席の邪魔は絶対にしたくない。
「食べてるときの君の顔が好き」って感じで恋に落ちてさっさと弟狂い治してくださいと祈るばかりである。
それにランチイベントはエリクともある。
確か、エリクに助けてもらったお礼を言いに行った際、
かなり乱れた食生活を送るエリクを見かねたアリスがお弁当を作ってくるのだ。
それを学食で一緒に食べていると、エリクが一旦席を外す、
すかさずエリクの取り巻きがやってきて、「嫌だわぁ、なあに? その餌のような食事は」と罵倒、
そこですかさずエリクが戻ってきて、取り巻きを牽制するのだ。
あれ。
そういえば、アリスに詰め寄ったエリクの取り巻き、どうなったんだろうか。
アリスが嫌がらせされていないか調べ、されていないから大丈夫だ、と認識したものの、
取り巻きたちがどこの誰なのかも分からない。
今何しているのだろうか。
知る方法も見当たらず、息を吐くと、走るような音が後方から聞こえてくる。
振り返るとロベルト・ワイズがやや死んだような目つきで足早にこっちに向かってくる。
何か急いでいるのだろうか、このまま歩いてうっかりぶつかっても危ないと何となく見ていると、
どうもこちらに向かってくる。方向が同じか、私に何か用があるか。どちらかー……。
ロベルト・ワイズが、私を認識して停止した。
目を見開き驚いた顔をしている、そんなロベルト・ワイズの顔を見て、はっとした。
そうだ、確か一昨日頃、
「君が良ければ、話がしたい、一対一は嫌だろうから、人を一人連れてきてほしい。
日時は、こちらが合わせる」みたいな内容の手紙が送られてきた。
体育祭のどたばたが忙しくて、返信を後回しにし続けていた。今もなお。
丁度いいや、今予定の話をしてしまおう。
「すみません、手紙は届いています、返信は出来ていなくて……、えっと、
もし今お時間空いてるなら、今話しませんか?」
「……いいの、か?」
ロベルト・ワイズは、信じられないといった顔をする。
そんな変なことを言った覚えは無い。
「……どういう意味ですか?」
「君は、俺と、顔も合わせたくないだろうと思って……」
そう言われてピンと来た。
ロベルト・ワイズはずっと喧嘩腰な感じだった。
ゲームでは正常であったし、色々立て込んでいたから特に問題視していなかったけれど、
ロベルト・ワイズはその件について気にしているのだろう。
そうだ、彼は私がアリスを虐めていたとずっと勘違いしていたのだ。
投獄死罪の布石がいつの間にか出来ていたのだ。危なかった。
あれ、ということは、謝罪に来た……とか?
ロベルト・ワイズの性格上、その可能性が高い。
人目のつく場所で、というのは問題があるだろう。
「えっと、とりあえず空き教室で、話しますか?」
とりあえず空き教室へ行くことを促すと、ロベルト・ワイズは承諾した。
そのまま手頃な教室を見つけ、入室し振り返ると、ロベルト・ワイズの姿が無い。
いや、ある、ロベルト・ワイズは、跪いている。
「え」
「……今までの非道な行いは、全て俺の身勝手な感情による愚かな勘違いだった。
本当に、すまなかった」
ロベルト・ワイズは、頭を下げるように俯く。
いや、謝罪って、こんな感じではない。
これは生徒同士の諍いの謝罪ってレベルでは無い。
国の重役に不敬かました、とかそういうレベルだ。
確かに、ロベルト・ワイズは一方的に罵倒した。
人によってはトラウマレベルだと思うし、深く傷ついた可能性も大いにある。
が、現状私は無傷であり、中々複雑な心境だ。
「あの、ですね……」
「……順番が逆になったが、俺は、学校を辞める。
君の前に、もう二度と姿を現さない」
ロベルト・ワイズは、深刻そうに瞬き一つせず言い、退学届けを私に見せた。
いや待て、待て待て待て待て。
学校辞めるってなんだ。辞めるってなんだ。
私がどうでもいいやって放置してたからか?
何で? どうして? 意味が分からない?
「いや学校辞めるって、ちょっと待ってください、顔をあげてください」
ロベルト・ワイズの肩を掴み、無理にでも上げようとするが力が強い。
びくともしない。
「俺は、許されないことをした。
事情が分からず混乱する相手を、一方的に貶めた、
最低の、それこそ卑怯者の行いをした……勿論、
それだけではない……国を出る」
傷付いて、それこそ何か起きたならまだしも、私は現在気にしていない。
家は? 妹は?
というか人生は? ロベルト・ワイズの人生は?
「いや、いやいやいやいや、じ、人生どうするんですか!?」
「俺の人生など捨てる。そして国を出るだけで十分とは思っていない、
償い続ける、一生」
「いや、大丈夫ですって、もういいですから!」
「よくない、俺は非人道的で、惨いことをした、人でなしだ」
「いや、待ってください、学校ですよ? 家を継ぐ時とか、絶対問題になりますよね!?」
「心の傷は、一生消えないものだ、だから俺は、当主になる資格も無い」
いや話を聞いてくれ。
もうこれでロベルト・ワイズまでおかしなことになってしまったら本当に無理だ。
詰む。ただでさえレイド・ノクターは弟狂い、エリクは主従狂い、
これでロベルト・ワイズが退学出国なんて冗談じゃない。
何で? 何でこうなった? 神はいるのか?
慈悲など無いのか? 意味が分からない。ここまで何でおかしくなるの?
だって普通に関わってないし、イベントもおかしくしてないのに。
助けてくれ、いや何とかしなきゃいけない、私が!
「その退学届け、見せてください、本当に退学届けかどうか、
確認する義務があります」
そう言うと、ロベルト・ワイズは、退学届を証書授与のようにこちらに差し出す。
それを強引に奪い取り、一気に破り去る。
「あああああ!」
ロベルト・ワイズが驚愕の声を上げ、
しばし呆然とした後、破り去り散り散りになった退学届けをかき集めはじめた。
「あの」
声をかけても、必死に集めるばかりでこちらに耳を貸さない。
「ろ、ロベルト・ワイズ!」
その肩を思い切り掴み、揺さぶって、名前を呼ぶ。
ロベルト・ワイズがこちらを見た。
「あの、まあ発言的には……そうかもしれませんが、今回、私は特に何も感じていません。
それに私が、アリスさんに忘れてくれって頼んだことも原因です」
「しかし、だとしても、一方的に愚弄する俺は外道だ」
「その、何かあった可能性ということを否定しているわけではありません。
……だから、その、確認を、
今後はお互い確認を徹底するってことで、この話は、もう終わりにしませんか」
ロベルト・ワイズは納得したように見えない。
もう、本当やめてくれ。
もう後半年くらいには、学校出たいんだよ。頼む。本当に頼む。
人の命がかかってるんだよ。もうまさに死刑台の階段上ってるんだって。
下れなくなる前に下りたいんだって。
「でも、それでは君への過ちの償いには……」
「いや、でも、こう、今だって、過ちを犯そうとしていますよ、
私、望んでませんし、家族も困るし、その、あなたは人生を、捨てようとしている。
本当に望んでないんですよ、貴方が人生を捨てることを私は。
償いをしようとして償いが増えるなんて本末転倒じゃないですか?」
そう言うと、ロベルト・ワイズがはっとした顔をする。
「本当に、私はそれを、全く、一切、望んで、ないんですよ」
「……」
「私も、その放置するつもりだったというか、
嫌いなら嫌いでいいかな、どうでもいいというか、
とにかく放置して、アリスさんとレイド様に迷惑かけたので、
お互い様です」
「えっ……」
すると、ただでさえ悪かったロベルト・ワイズの顔色がより一層悪くなり、
目が潤んだかと思うと、大粒の涙がぼろ、と零れ落ちた。
今の発言に何か不備があったか……?
……いや、よほど思い詰めて、その線が切れたのだろう。
申し訳ないことをしてしまった。
「あの」
「いや、気にしないでくれっ」
ロベルト・ワイズは、この涙について触れられたくない、とでも言うように俯く。
あまり言及はしない方がよさそうだ。
「その、本当に、学校辞めるとか、国を出るとかは、本当やめてください。
望んでないので、約束してください、今ここで」
「……でも」
「約束してください」
「わ、わかった……」
「信じてますからね、絶対ですよ、
やっぱり勝手に辞めますっていうのだけは本当にやめてくださいよ」
「……」
強く、強く念を押すと、狼狽えながらもロベルト・ワイズは頷いた。
……やっぱり気が変わったと、放課後退学について話される可能性もあるな……。
「今日放課後、時間空いてます?」
「ああ、空いているが」
「あの、クラス旗、手伝ってくれませんか、人手が欲しくて」
旗制作の人員として、確保しつつ、自由時間、もとい動きを封殺しよう。
明日来たらいなかった、なんてなったら地獄でしかない。
そこから先どうしたらいいか分からない。
「……分かった、全部やる」
「半分でお願いします。では、これにて解散、ということで……」
解散を促すと、ロベルト・ワイズは立ち止まり、俯いたままだ。
「あの」
「ああ、俺はここに残る、大丈夫だ、行ってくれ」
ロベルト・ワイズは先ほどより落ち着いた顔色だ。
このまま、放置すべきか、いやでもクラスメイトの前で不意に涙を流した羞恥、というのもある。
不用意に滞在しても、彼の傷口を抉るどころか塩をすり込む可能性もある。
私は、その場にロベルト・ワイズを残したまま、空き教室から出て、扉をしめた。
さて、これからどうするか、昼休み終了まで微妙に時間がある。
トイレでも行くか。
どうすべきか適当に階段を下り、一階の廊下を歩いていると、窓の外、
すぐ近くでアリーさんがぼんやり花を眺めていた。
「こんにちは」
窓を開いて挨拶をすると、アリーさんは驚いたように肩を撥ねさせた。
「ああ!ミスティアさん! こんにちは」
アリーさんはジョウロを持っている。
用務員の仕事をしながら、庭仕事もしているのだろうか。
「水やりですか?」
「はい、ここ、本当なら花なんて植えない場所なんですけど、
気づいたらここで咲いていて、刈り取ってしまうのも、なんだか出来なくて」
「そうだったんですか、お疲れ様です」
どうやら、ここだけらしい。
確かにアリーさんの持っているジョウロは業務用より小ぶりだ。
「最近、雨がありませんでしたから、
来月の、雨の時期に入るまでの間だけですけどね」
アリーさんの唇が柔らかく弧を描く。
なんだか、少し嬉しそうだ。
「雨、お好きなんですか?」
「はい、恵の雨、なんて言うでしょう?
雨も、雨の音も、すべて好きなんです」
アリーさんは、梅雨が好きなのか。
何だろう、アリーさんは、梅雨より、夏のイメージを勝手に持っていた。
一度だけ見た瞳が、向日葵色をしていたからだろう。
不意に沈黙してしまい、「どうしました?」とアリーさんが首をかしげる。
「なんだか、アリーさんは、向日葵というか、夏の印象があったもので……
ごめんなさい、勝手な印象で」
そう言うと、アリーさんはぽかんと停止している。
前髪に隠れ目は見えないが、おそらく見開いているかもしれない。いや、多分そうだ。
「……いえ、あまりそう言ったことは言われないので、嬉しいです、とても」
アリーさんが、少し困ったように言葉を詰まらせる。
完全に私の不用意な発言のせいで気を遣わせてしまっている。
どうすべきか考えているとアリーさんが「あっ」と声をあげた。
「ミスティアさん、体育祭の実行委員になられたそうで、お疲れ様ですっ」
「あ、ありがとうございます」
「途中で実行委員の方が抜けたと聞きましたけど大丈夫ですか?」
アリーさんの声色は、心配そうだ。
まさかアリーさんの耳にまで委員変更が入っているとは、
確かに、委員がいなくなったり、変更になったりが学年問わず立て続けに起きれば、
大事にもなるだろう。
偶然と信じたいが、危うくなれば教会でお祓いしてもらおう。
「大丈夫です、今のところ何ともなってませんよ」
「何かあれば、いつでもおっしゃってください」
アリーさん、本当に優しい。
こうして話をしてくれるし、会えば嬉しそうにしてくれる。
この間はアドバイスを貰って、フィーナ先輩と友達になれた。
感謝してもしきれない。それに、会話をしていると落ち着く。
「ありがとうございます、本当にいつもいつも助けてもらって」
「いえ、僕が好きでしている事なので」
日頃の感謝を伝えると、アリーさんは柔らかく微笑んだ。
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