毒針
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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授業が終わり、後ろの棚に置いてある教材を取りに行こうと振り返ると、
視界にミスティア・アーレンが入った。奴は教科書を自分の机にのせると、
足早に教室から立ち去っていく。
……あの、悪女とはあれ以降会話をしていない。
そもそも奴とは席が離れているし、奴は今の様に授業が終わればすぐ立ち去り、
始業の鐘と共に戻ってくる為教室にあまりいない。
いたとしても勉強をしているか本を読んでいるか。
まるで人との関わりを自ら断っているような、鼻につく気取った態度をしている。
彼女が会話をするのは、担任であるシーク先生か、婚約者様のレイド・ノクターか、
ハイム先輩だけ。思えば同性である女子生徒と会話をしたところなんて見たことが無い。
男好き。
アーレン家という高位の貴族の娘の癖に、その自覚が足りてないんじゃないか?
心の中で罵ると、何故か苦しくなる。
そんな自分にもただただ腹が立つ。
忌々しげに教材を取り出し、自分の席につくと、後ろの席の人間の会話が聞こえて来た。
後ろの奴は、大抵休み時間数人でかたまり、無駄話をしている。
普段は気にもならないのに、不快な名前が登場したせいで、耳に入ってきた。
「俺、この間ミスティア・アーレンさんに、話しかけてみたんだけどさー」
「おー、随分勇者だな」
「別棟で帰れなくなったんだよ、それで駄目元で聞いてみたんだけど」
くそ、何で奴が居ないのに、奴の存在を認識しなくちゃならないんだ。
気にしないよう、教科書を開き、問題を解くことに集中する。
「そしたら普通に、むしろかなり親切に教えてくれたんだよな」
「本当に? 夢とか、影武者とかじゃなくて?」
「本当だって、ずっと俯いてるし、教室にあんまりいないから、
こっちとは住む世界が違うって思われてるんだろうな、
とか思ってたんだけど、案外普通に話してくれた」
「大丈夫なのかよ、後で馴れ馴れしく話しかけたからって、
消されそうじゃない? 刺客とか使って」
点数稼ぎに余念が無いな、人との関わりを断つふりをして、
善行を行う。何を考えているんだか。
「うーん、そんな感じじゃない気がする。
多分、元々ああいう感じなんだと思うよ、気取ってるとかじゃなくて。
この間荷物運んでた時、手伝ってくれたんだけど、
終始重鎮……歴戦の騎士団長みたいな、淡々とした感じだったし」
まるで、俺に向かって言ったかのように女子生徒が話をはじめ、
心臓が脈打った。
「何だよ? 騎士団長って」
「わりと感情の起伏が一定みたいな、表情に出ない感じ?」
「ええ? そうか? 割と動揺とかしてるぜ?」
すると、当番で黒板を拭いていた男子生徒が、
何の気なしに会話に混ざり始めた。
「え!?」
後ろの奴らが、驚いたように声をあげる。
「動揺するの? いつ? 何で!?」
「自分の屋敷が燃えても平然としてそうなのに!?」
「いや、結構顔にも態度にも出るよ彼女は。
この間……だったかな?
昼休み、図書室によるついでに購買にパン買いに行ったら、
たまたま別棟で会ってさ、ぶつかりかけたんだけど、
丁度その時、校庭のほうで物が落ちた音がしてさあ。
その音とぶつかった音誤解したらしく、かなり取り乱してたんだよね」
昼休み、何で奴は別棟になんて居るんだ?
いや、購買か。でも奴は、昼食の包みを持って教室から出るはずだ。
別棟で食事をしているのか……?
「何て言うんだろ、
ほ、ほ、ほ、骨ですよね!? 骨折れてましたよね!? 今の音……!?
う、う、動かないでください!?
って感じで、どうしようって思ってる感じがもろに出てて、
俺保健室連れてかれるとこだったんだよ」
一人の生徒が、奴の様子を真似る。
何となく、奴の顔が浮かんで腹が立った。
「嘘つくなよ、お前」
「俺、告発するわ」
「それはさすがに信じられないかな……」
狼狽えたところは、見たことがある。
俺が、奴と初めて会話をした時だ。
最低だと、言ったあの時。
レイド・ノクターに対しての、態度。
「本当だって、すごい動揺しててさ。
事情説明したら段々普通に戻っていったけど」
「その話が本当なら、結構親しみやすい人なのかもね
親切っぽいし、今の話聞いて興味出て来た」
「今度話しかけてみようかなあ」
後ろの人間たちは、あの悪女に話しかけてみようと盛り上がる。
きっと全部計算に違いない。
わざと距離を置いて、話しかけてくるのを待っているんだ。
話がしたいと、相手の方から言ってくるのを。
嫌いだ。あんな浅ましい令嬢を、他には知らない。
拳を握りしめると鐘が鳴った。
何一つ勉強できなかった。
そんな出来事があってから、四日ほど経った頃、
一学年の行事で、山に登ることになった。
親睦を深める為だと言うが、山に登って親睦を深めるという関連性が全く分からない。
山登りの手前教科書を持ち勉強しながら登るということも出来ず、黙々と登っていると、
レイド・ノクターが声をかけて来た。
「やあ、まだ、全然頂上見えてこないね、調子はどう?」
「別に何も無い」
笑みを浮かべ馴れ馴れしく話かけてくるレイド・ノクターを、振り切る様に登る速度を上げる。
しかしレイド・ノクターは軽々とついてきた。
「待ってよ、実は僕、君に聞きたいことがあるんだ」
「何だ」
レイド・ノクターが俺に聞きたいこと?
思い当たることが何一つ無い。
もしかしたら、奴の嫌いなところを聞きつつ、
謝る様に仕向けてくるのかもしれない。
「うん……君はどうしてミスティアに執着するのかなって」
「は……?」
「だって、君、彼女のことをずっと見ているでしょう?」
予想外の質問に、思考が停止する。
俺が、奴に執着?
俺が、奴を見てる?
「っ! そんなことは無い! ただ目障りなだけだ!」
そんなことないのに、自分の心を見透かされたような不快感がして、
それを打ち消すべく強く否定すると、レイド・ノクターから表情が消えた。
「目障りなら、視界に入れなければいいんじゃないかな?」
「それはっ……」
「誰だって、合う人間と、合わない人間がいる、
嫌いだと思うことは、悪いことじゃない、
嫌いな人間とは、関わらなければいいだけだ、
わざわざ、最低だと罵る必要も、見る必要も無い」
「それ、は……っ」
さっきとは、まったく表情が違う、侮蔑の目だ。
淡々とした声色だが、怒りが込められている。
関わるなと言われても、関わってなんかいない。
奴と話したのは、あの一件以来一度も無い。見てもいない。
そう言えば良いのに、言葉が出てこない。
言葉に詰まっていると、レイド・ノクターが、笑った。
「ごめん、意地が悪い言い方をしてしまったね、
僕は、君が、彼女を嫌いだと言いながら、
心の底では反対の感情を抱いているのかと思ったんだ、前の僕みたいに」
前の僕?
前のレイド・ノクター?
どういうことだ?
「でも、僕の思い違いだったみたいだ、ごめんね」
レイド・ノクターはそう言って、突然立ち止まる。
視線を前に向けると、分かれ道があった。
分かれ道にはそれぞれ看板が立てられ、
上級、初級と書かれている。
「ああ、ここで分かれ道だね、見たところ、途中でまた合流するみたいだけど」
丁度いい、ここで分かれてしまえばいい。
「僕は初級の道にしようかなあ、君は?」
「俺はこっちだ」
レイド・ノクターの問いかけに答え、上級の道に一歩踏み出す。
途中で合流するまでに、距離が開いていればいい。
さっさと行く。レイド・ノクターと話をしていると腹立たしい。
ミスティア・アーレンの顔も浮かんでくる。
「上級の道は行かない方がいいんじゃないかなあ、
そこは獣道に近い、うっかり足を踏み外したら、
きっとすぐに谷底に落ちてしまうよ? ……ワイズ君は」
背中に投げかけられた、嘲笑を含んだ声。
頭に血が上る。
相手にしている暇はないのだと、
レイド・ノクターを振り切るように上級に進んだ。
奴の言う事なんか聞いてられるか。
そう思って一歩踏み出すと、唐突に片足の地面が消えた様に感じ慌てて踏みとどまる。
その瞬間、片方の足に激痛が走った。
「いっ……!」
「大丈夫かい? 先生を呼ぼうか?」
あまりの痛みにしゃがみこむと、レイド・ノクターが後ろから駆け寄ってくる。
心の底から心配をしている様な声色だが、
気味の悪さを感じる。
半ばレイド・ノクターを見上げる形になるが、逆光で良く見えない。
「何でも無い!!」
「辛いようなら、手伝おうか?」
「平気だ、放っておけ」
吐き捨てるように言い放つと、
レイド・ノクターは「分かったよ」と先に進んでいった。
半ばレイド・ノクターを追うように登るが距離が開く。
道が処理されていない分、重心が揺れ、足に響く。
痛みを堪えながら登り続けて、一時間ほど経った頃、
不意に後ろに気配を感じ、さり気なく見やるとミスティア・アーレンが居た。
「何だ!」
威嚇するように問うと奴はもろともせず俺に座るよう命令した挙句、
言う通りにすると俺の衣服をまくり上げた。
何なんだと問いかけても、奴はそれに答えず、俺に同じ質問をし続ける。
このままでは埒が明かないと仕方なく答えれば、少し考え込み、他のクラスの人間に連絡を手配している。
俺を、助けようとしているのか?
そんなはずはない。俺は奴を罵った。
きっとこれは点数稼ぎ。こうすれば、俺を懐柔出来ると考えているだけだ。
あえて自分より家の格が低い人間を助けることで、
聖女の様な印象を与えようとしているだけなんだ!
奴は鞄からタオルと水筒を取り出すと冷やしたタオルを作り、俺の足にあてた。
激しい痛みが、少し和らぎはじめ、気づく。
……水筒から水を出したら、ミスティア・アーレンの飲み物が無くなるんじゃないのか?
「おい!」
「これ、まだ飲んでないので綺麗な水なので」
まるで話もしたくない、というような、
白けたような拒絶の目を俺に向ける。
違う、俺は、お前の水分が減ったら、お前が困ると思って……。
そう考えて、はっとする。何で俺は奴が困ることを気にしているんだ。
違う、違う、俺は、仮にも、点数稼ぎといえど処置をしてもらっている立場だからだ。
そんなのじゃない。そんなのって何だ? いや違う、違う、違う!
「すいません、先生が来るまでの間は私で妥協し諦めてください」
「は、はあ? 何だ、さっきから、お前は!
同情のつもりか!? 別に点数稼ぎにはならないぞ!
俺は全部知っているんだからな!!」
言い放つと、奴は考え込む。
奴の顔を見ていると、無性に腹が立つ。
俺は奴が嫌いだ、初めは、確かに尊敬していた。
好意もあった、でもそれは、奴の醜い心根を知らなかったからだ。
裏で人を呼び出して、虐めるような心根が。
朝、アリス・ハーツパールは必死そうに山に登り、
奴を探していた。何かしたに違いない。
何かあったのか尋ねても、答えなかった。
答えられないようなことをしたのだ。
俺は嫌いだ、もう好きじゃない。
「あの、何か勘違いが、あると思うのですが……」
「とっ……とうとう本性を現したな!」
ミスティア・アーレンが言った言葉は、
俺の心を見通したものでは無いはずだ。
いや、奴は計算高い人間だ。
ということは、俺がはじめ、奴をどう思っていたのか、分かっているのか!?
「俺は! お前みたいなやつが大嫌いなんだよ!」
大声で怒鳴りつけると、吐きそうになった。
頭も、心臓も、全身の全てが痛くて、苦しい。
するとミスティア・アーレンは俯いて、考え込み、こちらを見た。
「えーと、まあ、あの、私が関わるのは、
先生が来るまでの間だけで、これから先、
私は貴方に近づくことはありませんし、
関わらないので、それまでは、ごめんなさい耐えてください」
淡々と紡がれる、奴の言葉に、
心臓が抉り出されたような感覚に陥る。
奴は最悪の悪女で、計算高くて、卑怯な人間だ。
なのに目から涙が零れそうになって俯くと、ぼたぼたと滴が落ち、慌てて拭う。
奴に見られてはいないだろうかと、横目で見ると、
奴は勢いよく顔をあげた。
「先生」
「無事か?!」
シーク先生の声がして。慌てて目元を拭う。
ミスティア・アーレンの連絡が伝わったらしい。
俺は、頂上の医者に診てもらうことになった。
シーク先生に背負ってもらい、頂上に到着し、
医者の小屋に向かい。処置をしてもらう。
シーク先生にお礼を言うと、
「俺じゃなく、ミスティア・アーレンに言ってくれ」と笑って小屋を出て行った。
小屋の中で昼食を取りながら、奴にお礼を言う算段をたてる。
治療の為、と奴がどんなに最低最悪の下劣な悪女だとしても、
どんなに計算した行為だとしても、
奴に応急処置をしてもらったのは事実だ。
ミスティア・アーレンは、どんなに罵っても、
俺の処置をやめようとも、責めることもしなかった。
そんな人間に、一方的に責め立てるのは、貴族としてどうなのだろう。
ふと冷静になり、漠然と、不安になりはじめる。
自分は今まさに、
取り返しのつかないことをし続けているんじゃないかと感じる。
そんなはずはない。気のせいだ。これこそが奴の作戦だと思いを振り切る様に小屋を出ると、
丁度ミスティア・アーレンがおぼつかない足取りで、
山の先へ向かうのが見えた。
山の伝説に、大いに加担したような眺望を望む場所だ。
ご丁寧に看板まで建てられている。
しかし、どうもその様子がおかしい。
その横顔は、遠くから見てもどうも虚ろで、ここにいないような、
そのまま進めば落下防止の柵に気付かず落ちそうな雰囲気がある。
身体が自然と奴に向かう。駆け出しても、足に痛みは感じない。
近付いていくと、どんどん奴の表情が鮮明になる。
恐怖にも似た、怯え、顔色の悪さ。
そのまま手を伸ばし奴の腕を掴むと、力いっぱい後ろに引き戻した。
奴は俺の顔を見て目を見開くと、怪我の心配を始めた。
何を考えているんだ、ミスティア・アーレンは。
「死にたいのか! 前をよく見ろ!」
感情のまま怒鳴りつけると、何のことだか分からない、
というような目で、奴は俺と柵の方を交互に見る。
奴の視線の先にある落下防止柵に視線を移すと、
今ミスティア・アーレンと俺が立っている場所とは、
かなり距離が開いていた。
見間違いをしたのだ。
普段なら、絶対に起きないはずの、失敗。
単純な、ミス。
「えっと、ありがとうございます」
ミスティア・アーレンは戸惑いながらも俺に礼を言う。
馬鹿にしているのか!? 分からない。
何で俺は必死に駆けたんだ?
頭がぐちゃぐちゃに混ぜられたように混乱する。
「あ、けがな……」
「うるさい! 知らない!」
奴と会話を続けていたら、何を言うか分からない。
変なことを言って、弱みを握られたら大変だ。
変な事ってなんだ!? 分からない。
勢いよく踵を返し、奴とは反対の方向へ歩き出す。
歩みを進めるたび、どんどん足が痛みだす。
さっきまでは一切感じなかったのに、ぶり返したのか、
分からなかったのか。
もう、全てが分からない、全部奴のせいだと、
俺は足の痛みを抱えたまま、小屋に引き返した。
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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