幸福な日常の定義
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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昼食後の自由時間が終わり、下山する為の点呼も終了。後は下るだけ、しかし家に着くまでが遠足であるように、下りは登りにはなかった「行きの疲労」というものがある。油断は出来ない。それに行きはよいよい帰りは恐い、なんて言葉があるように、アリスとレイド・ノクターを警戒せねば。
そう思っていた私の思いとは裏腹に、帰りはスムーズに下山出来た。
行きはバラバラ、帰りはクラスまとまっての下山、ジェシー先生を先頭にして、クラス最後尾を学級長が務め、その後ろを隣のクラスの担任が続き、そのクラスが生徒たち続き……全体の最後尾に引率の教師人がカバー。
という流れであることを聞いた私は、「下山に不安がある」とジェシー先生の隣、先頭を陣取れないかと模索していたところ、なんと出発前にジェシー先生に呼び止められ、色々と会話をし、物凄く自然な流れで先生の隣を得ることが出来たのである。
絶大な安心感。
それに下山時先頭の位置にいるということは、集団の中で最も地上に近い位置に居る事。後ろを振り返ってもアリスは見えず、私が低い位置にいるのにおそらく後方、高い位置にいるアリスを突き落とすことは不可能で、立派にアリバイが証明できる。何よりジェシー先生という絶対的な証言者が居る。安心しかない状況だ。山を下ることにのみ集中すればいいという安心感の元、私は下山することが出来た。
ジェシー先生に対しては、はじめこそ「初回から敬語を外せととんでもない暴論を言って来る人」という認識だったけど、今思えば当時の私は十歳、一方的に敬語を使われるのは気味が悪いだけだったのかもしれない。
ジェシー先生に感謝と尊敬を向け、半ば心の中で拝みながら何事もなく下山を完了させ、帰りの馬車も「ちょっと不安が……」と先生と同じ馬車で山から学校へ、そのまま雑踏に溶け込むように一人ですんなりにすんなりを重ね帰宅した。そう、無事に、何も問題なく行事を終えることが出来たのであった。
そんな校外学習から一夜明け、穏やかな日常ならぬ平常授業が戻ってきた。瞼が重いのは、今が四限目だからだろうか、それとも前日の疲労が残っているからだろうか。それとも、地学の授業だからだろうか。それとも、それとも。
現在レイド・ノクターが淡々と教科書の内容を読み上げている。もはやレイド・ノクターの読み上げが子守歌に感じるレベルの睡魔に襲われている。
授業が終わればお昼休み、昼食は別棟で食べ、それが終われば数学の授業が二限分続く。このままだと昼食満腹効果も相まって完全に眠ってしまうな、とぼんやりしていると、読み上げがレイド・ノクターからアリスに変わった。
すると前の生徒がこそこそと会話を始める。
「そういえば、お父様に聞いたのだけれど、ハーツパール家なんて聞いたことが無いとおっしゃっていたの」
「あら、では辺境の方なのかしら」
「もしかしたら隣国から留学に来たのかもしれませんわ」
「ああ、髪色はこの国では見ない色ですしね」
確かに、アリスはヒロインということで、髪の色も珍しい設定ということになっている。というか、桃色の髪をした人間は、おそらくこの世界でアリスしかいないはずだ。
「亡命したとか?」
「それか、案外平民だったりして、没落したとかで」
そう聞いて、曖昧だった意識が一気に冴え、耳鳴りのようにミスティアの罵倒映像が一気に頭の中に流れ込む。
……そうだ、思い出した。アリスが平民であることは、未だ周知されていない。現段階、アリスは平民であることを自分から話していないし、周りもアリスが平民であることについての会話をしていないからだ。
知っているのは、独自に平民が入学したと聞きつけ、アリスの素性を調べ上げた、クラウスのみ。
それは、ゲームでも同じである。
校外学習の次の日である今日。ランチタイムを前にして、アリスの素性を一夜で調べ上げたミスティアは、アリスが平民であることを教室で暴露し、めちゃめちゃに罵倒するのだ。
怖すぎる、一気に目が冴えた。今は四限目、これが終わったら恋愛でも何でもないミスティアの悪性イベントじゃないか。教室になんて居れたものじゃない。
こんな時は即時退避に限る。
意識ははっきりしたが全く落ち着かない、授業が全く頭に入ってこない。肝が冷えるどころか凍り付いている。まだかまだかと時計を睨み続けていると、昼休憩の鐘が鳴った。
地学教師が教室から退出するのを見計らい、ランチボックスの包み片手に弾丸の様に飛び出す。
まだ昼休憩になってすぐだ、あまり人気は無い。そのまま滑り込むように渡り廊下を過ぎ、別棟に避難し、空いている教室が無いか物色していく。
物色していくにつれ、煩かった心臓の鼓動が静かになってきた。ここまで来れば安心である。でも怖い。今までイベントは前もって、どんなに近くとも前日には思い出していたけど、二十分前なんてパターンは初めて、恐怖しかない。
空き教室の扉を開こうとすると、ガチャン、と音がするだけで開かない。鍵がかけられている。では隣の教室を……と開こうとすると、隣の扉も固く閉ざされていた。
あれ……?
大抵、別棟の教室半分は開錠されており、自由に出入りできる。防犯の観点から疑問が出されそうなものだが、貴族が入学する学校ということで、学校の校門、校舎入り口などには守衛さんが「多すぎでは?」と思うほど配置され、しっかり外の守りは固められている。だからか中は若干ザル……、だったのだが。
開かない。さっきから、ひとつひとつ空いてない教室を確認しているが、どれも開いていない。完全に施錠されている。一番初め、昼食を別棟で取ろうとしたとき通りがかりの先生に、飲食不可能な教室を尋ねどこでも可能という答えを貰っている為、「女子生徒が勝手に何か食べてたから使用禁止」ということは無いはずだ。使用後は入念に確認した為、「誰かが汚したから使用禁止」も無いはず。
何で開かない……?
教室が空いてないからバールを探してこじ開けてしまおうだとか、窓を割って鍵を開けよう!というのは、人の命に関わる緊急時か、ゲームの中でしか許されない行為。ここは二階、大人しく上るか下るかして、階を移動するのが妥当だ。三階は渡り廊下から教室へ簡単に移動できる階層。危険地帯。一階安定である。
「ミスティアさん?」
「アリーさん」
振り返るとアリーさんが、廊下の端から用具箱を持って駆け寄ってきた。
「どうしました? こんなところで?」
まさか、避難してきました、とも言えない。言葉に詰まっていると、アリーさんは俯く、どうやら私の手元に視線を向けているようだ。
「あれ、それ、お昼……ですよね? ……もしかして」
明るかったアリーさんの声色が、徐々に触れてはいけないものに触れてしまったかのような声色に変わる。
「違います、誤解です、散策もかねて色々なところでお昼を食べていて、今日はたまたま全て閉まってて……」
「ああなるほど! そうでしたか……今日は確か教室があまり使われない日なので、放課後まではどこも開いてないと思います」
「そうですか……、じゃあ、今日は教室で食べます、すみません、教えてくださってありがとうございます」
まずい、校庭に出るかして、今日は外で食べよう。アリーさんに教えてもらって良かった。
「……良ければ! よ、用務員室で一緒に食べませんか?」
「え?」
「紅茶、出せますし……嫌じゃないなら、ですけど……」
「いいんですか? お時間とか」
「いえ!! 大丈夫です! むしろ、ミスティアさんが嫌じゃなければ僕は大歓迎というか……! あああ、変な意味じゃないですよ!! その、いつも僕一人で……!!」
アリーさんの声色に不安が滲む。いや、ダイレクトに不安が伝わっている。冤罪で訴えたりなんかしないのに。何だろう、どことなく親近感が沸く。
「では、お言葉に甘えて……よろしくお願いします」
「はい! とっても嬉しいです!!」
アリーさんが嬉々として笑う。笑っている、と認識できたのは、一瞬だけ前髪の隙間から、その瞳が覗いたからだ。その色は、美しい向日葵色だった。
「何だか、不思議な気持ちです、こうして、お話が出来るなんて」
アリーさんがしみじみと呟き、紅茶を飲む。アリーさんから用務員室で食べようとありがたい申し出を受けた私は、互いの日常の話など、たくさん話をしながら一緒に昼食をとった。その後「良ければ食後の紅茶もどうぞ!」というアリーさんのお言葉に甘え、私は今現在用務員室にて、アリーさんが淹れてくれた食後の紅茶を飲んでいる。
「不思議……ですか?」
「ええ、とても」
あまり生徒と関わらないと言っていたし、基本一人でいるらしいから、用務員室に人がいることに対して感動しているのかもしれない。紅茶を一口飲む。美味しくて、懐かしいような、暖かい気持ちになる。ああ、平和だ。
「何だか、すごく落ち着きます、アリーさんの紅茶」
「へへ、そうですか? 嬉しいです、ミスティアさんは、僕のー……」
アリーさんがそう言いかけた直後、用務員室の扉がノックされた音が響く。誰が来たかは分からないが、この場に居ては私は邪魔だ。立ち退かねば。
「大丈夫ですよ、そのままで」
すると、アリーさんは私を見て、穏やかに笑う。笑うと言っても、瞳は前髪に隠れているけれど。
「多分、大丈夫ですよ、……どうぞ」
アリーさんの声で、扉が開く。するとどことなく見覚えのある柚葉色の髪 藤黄の瞳の少女が立っていた。
「……? 貴女は……」
少女は目を見開いて、口をぱくぱくさせている。何だろう、髪の色に見覚えがある、気がする。記憶を掘り起こしていると、少女がはっとした顔をして礼をした。
「わたくし、フィーナ・ネインと申します」
「ミスティア・アーレンと申します」
礼を返しながら思い出す。ネイン……、そうだ火傷の子だ、入学してすぐの時別棟に居た子だ。
確か彼女の兄と遭遇した日の夜、ネイン家からアーレン家宛に手紙が届いて、父に返信してもらった。
その後ネイン家の伯爵が屋敷にお礼に来たらしいが、とてつもなく忙しい人で都合が合わず、私は会っていない。残念がっていたのと、深く感謝していた、と父が言っていた。
そうだそうだ、それで料理長の耳に調理員がお金で雇われ生徒が襲われたことを聞いて、「あああああああああああ!! もう絶対、絶対絶対絶対絶対行かないでください! もういっそ死刑にしたらいいのに!! 調理員全員!!」と暴れたのだ。よく覚えている。
そして先週あたり、フィーナ・ネインさん名義で私宛に、「一度お会いしてお礼を」といった内容の手紙が届き、「回復してくれれば嬉しいので大丈夫です」と断ったのだ。
丁度手紙を受け取った時が料理長とお茶をしている時で、料理長はその事件を思い出し、カップをすべり落としかけたのだ。幸い中身は空、隣に居たメロが即座にキャッチした為、大事には至っていない。あの時のメロの動きはすごかった。忍者みたいだった。
「本日は、アリーさんにお礼をと思いまして、まさかミスティアさんにもお会いできるとは。……この度は、助けて頂き、本当にありがとうございました」
そう言って、彼女は頭を下げた。
「いえ、人が倒れてたら、当然のことですし、お気になさらないでください」
「そ、そうです! 僕も、ミスティアさんのお手伝いを少ししただけなので」
アリーさんが、謙遜するが、あの時アリーさんが不在だったら間違いなく処置は遅れていた。それにアリーさんは冷静に彼女を落ち着かせていたし。そう考えていると、彼女は重々しく口を開いた。
「……あの時、治療がもっと遅かったならば、私の身体には、酷い火傷の痕が残っていたというのが、医者の見立て。それも運が良かったらの話で、本来なら別の病を併発して死んでいたそうです。……今、わたくしには火傷の痕があります、けれどそれは、ドレスを着ても化粧で隠せるほど。徐々に薄くなり、数年経てば消えるそうです」
彼女は、声を詰まらせ、瞳を潤ませる。
「……今こうして、私がここで、生きて、感謝を申し上げることが出来るのも、ミスティアさん、アリーさんのおかげなのです、この度は、本当に、本当にありがとうございました……!」
そうして、彼女はまた深々と頭を下げた。
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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