ミスティア・アーレンだからできること
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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「レイド様と一緒に行きたい行きたい行きたい行きたいいいいいいいいいーーーーー!」
這いつくばり唸る私を囲い、ノクター夫妻、レイド・ノクター、我が両親は呆然と立ち尽くしている。そんなことは一切気にせず、私は全力で暴れる。
「イキタッイヨォオオオオオオオオオアアアアアアアアア!!」
お腹の底から高い声を張り上げていく。沈黙とは、また異なる状況下の中、ノクター夫人が殺害される当日の昼、私はただただノクター家の屋敷で、暴れていた。
つまるところ両親のところへ向かい私のしたことは「わがまま」だ。ミスティア・アーレンの切り札、それは「父と母にお願いして強引に事を進める」この一択である。
ある時は証拠隠滅、またある時は主人公の友人を退学に陥れる為に、「パパママにおねがーい」をしてきたミスティア。主人公もといレイド推しプレイヤーは、このミスティアの必殺技により苦しめられた。いわゆる伝家の宝刀。今使わないでいつ使うべきかと、私は昨日寝室へ向かう両親を追いかけ、「レイド様のおうちに遊びに行きたい!」と我儘を言い続けた。
始めは私のアグレッシブな態度に、熱があるのではと屋敷の中で待機している侍医を呼ばれかけた。しかし粘り強く説得を続け、両親は私の体調を気遣い、そしてそこそこノクター家の事情を考え反対の姿勢を貫いていたが、流石というべきか、両親は娘に対して大層甘い。最後には馬車を出すことを許してくれた。
約束すら取り付けず、家に突撃するなんて非常識この上ない蛮行である。しかし私は夫人の命を守る為、私は夫人の命日になる予定である今日、こうしてノクター家に突撃し、劇場に同行ひいては殺害現場になる馬車に同乗する為、ノクター家、つまるところ他人の家で現在じたばたと癇癪を起しているのだった。
「一緒にいぃーくぅーのおおおおおおおおおお」
採れたての新鮮な魚のようにびたんびたんと両手両足を伸ばし、憤りを現すべく一心不乱にそれを地面に叩き付けることを繰り返す。
高級な絨毯と言えどその下は冷たい大理石だし、普通に全身が痛い。叩くたびにダメージが全身を駆け巡っていく。そして客観的に自分の行動を考えると精神的にも死にたくなるが、人命を考えれば構っていられない。見栄も恥も知ったことではない。
しかしながら「今まで我儘なんて言わなかったミスティアが我儘を…」と両親は感動していることがまた地獄をより一層深いものにする。ノクター夫人は苦笑しているし、レイド・ノクターと伯爵に関しては、まるで化け物を見るかのような目で見ている。正常な反応だ。良く知らない相手が自分の家で大声を出して暴れる。普通なら通報確定だ。
空間的には公開処刑場という表現が正しく、この場は完全なる地獄でしかない。しかし人命がかかっているのだ。むしろ人命がかかってなければしない、人命がかかっているからしている。これは夫人の死亡する未来を変えるための計画の一環だ。
そう、これは計画……殺害現場になるであろう馬車に同乗し、扉の席に陣取り、甥が来ても開けない。そこで甥を挑発し、私を殺しかかったところを劇場の守衛や護衛に確保してもらう、という背水の陣どころか腰まで水に遣っている状態の大博打計画。
本来は劇場に向かうことを阻止するのが一番好ましい。しかし流石のミスティア・アーレンの我儘と言えど不可能だし、納得させる尤もらしい理由が無い。
それに以前考えた通り、劇場行きを阻止しても甥が殺しに来なくなるとは限らない。行動が把握できる今取り押さえるしかない。かといってこの計画には問題や欠点も山積みだ。
そもそも殺人を未遂させなければ警察隊……。前世的に言えばこの国の警察組織が捕まえることは出来ない。
相手を上手く怒らせ刃物を取り出してもらわなければならない。犯人逮捕の決定打という最も肝心な点が運任せ。そもそも私が馬車に同乗出来なければ計画どころじゃない。積んだ問題が天まで届く勢い。しかしながらこの計画が最善手……という訳ではなくとも、現状唯一の実行可能な手段であり、綻びに綻びを重ねた修羅の博打計画なのだ。
よって、馬車への同乗を許してもらうために現在癇癪を起している。本当は親子水入らずの「劇場に何か見に行くイベント」に水を差すのは申し訳ないが、許してほしい。命がかかっている。早く馬車に乗せるのを許可してほしい。どうせ今日が過ぎればこちらから突撃することも無い。今日だけでいい、早く許可しろという祈りを込めて壁を連打し始める。
「やだああああ一緒に行くのおおおああおあおあ!!」
加えて断末魔を二十秒おきに繰り返すこともやめない。祈りの押し切りビブラート。自分でしていても頭痛がする。眩暈すら覚える。早く解放してくれ。
「こんなに行きたいって言っているのだから、連れて行ってあげましょうよ家族になるのだし、ね」
鶴の一声ならぬノクター夫人の一声が聞こえる。夫人は困ったように笑っている。こんな人間普通に家族にしたくないだろうに聖母か何かだろうか。一方ノクター伯爵とレイド・ノクターは同じように、しつこい油汚れを見るような目で、私を見ている。流石親子。この大暴れ不審者がノクター家に関わることは今日で最後です、ごめんなさいと私は心の中で謝った。
そこからは案外すんなり事が運んだ。「息子の婚約者がヤバい奴だった」という事実が効いたのだろう。私は仕事だから行かないという伯爵を、追加の大癇癪おねだりわがままビブラートでねじ伏せ、馬車には全員で乗りたいとさらに全身ドラムで我儘を重ねた。ノクター伯爵が不満を口にすることを察知した私が伯爵が口を開いた瞬間すぐ腰を落し、公開処刑ショーを再開しようとすると伯爵の心は完全に折れたようで以降私を死んだ目で見ている。
もう伯爵からは感情らしい感情は消え去り、諦めと疲労、虚無の境地に達している。そしてレイド・ノクターも疲れているようだ。彼は子供らしい子供ではないし、一人っ子。幼子に触れる機会などもなく、子供の癇癪自体に慣れていないのだろう。心から同情する。
馬車に乗り込むと、私がどかなければ誰も出ることはできないようにと扉側に陣取った。父が私をさり気なくどかそうとした手を睨み短く唸って威嚇をした直後、目を見開いた満面の笑みで息を大きく吸い込もうとするとその手をすぐに引いた。今の私は手の付けられない獣も同然である。
さり気なく隠し持っていた縄を取り出し、内側の手すりに通し、座席下の金具に結ぶ。これで私の腕力関係なしに、縄により扉を固定することが可能だ。この縄は昨夜、メロに用意してもらった。耐久テストもしてある。簡単には千切れない。心配なので内側に取り付けられている手すりも念の為握りしめておく。
そうして、奇妙な緊張感が流れる空気間の元、馬車は劇場に向かい走り出したのであった。
車窓から薄暗い夜の景色が流れていくのを横目に、じっと息を潜めひたすらに劇場への到着を待つ。馬車の中はこれから劇場に向かうというのに妙に緊迫した空気が漂っている。当然だ、車内にはいつ騒ぎ出すか分かったものではない爆弾が乗り込んでいる。しかし、何も私以外の人間だけが不安なわけではない。私だって不安だ。この馬車が、劇場に辿りついた時、人を殺そうと決意し、あまつさえ実行する人間が現れる。今まで生きていて、「こいつはっ倒したろか」と思う人間はいた。妹を一方的に糾弾し、筆箱を破壊した人間だ。しかし殺すと決意し、あまつさえ殺害計画を練ってまで殺したいと思った人間はいない。前世時代、トラックの運転手だって、私をひき殺そうとして突っ込んできた訳ではない。あれは事故だ。
しかし、これから先対峙するのは、人を殺せる人間。だからこそ、不安だ。そんな人間を挑発しなければならないし、私が失敗すれば私だけならいいとして馬車の中の人間の命が危険に晒される。両親も、レイド・ノクターも、伯爵も、夫人もだ。
先ほどまで和やかに、私にも気を遣って会話をしようとしていた両親も沈黙を始めた。ひたすら車窓に顔を向け景色を眺め劇場に近づいているかを判別していると、車窓は木々から徐々に街並みへと変わっていき、ぽつぽつと店の灯りが車窓から差し込むようになってきた。もうすぐだ。もうすぐ。心臓が軋むように鼓動して、呼吸が浅くなっていくのが自分でもよく分かる。馬車を開く手すりを握りしめる力を強めていくと、劇場の広告が見え、徐々に馬車は減速していく。
「もうすぐ到着するみたいだな」
ぽつりと、安堵するかのようにノクター伯爵は呟いた。やがて馬車はその動きを止める。するとそれを待っていたかのように人影が馬車の扉の前に現れた。影は劇場の灯りを遮り、こちらに影を差し込むように立つと、馬車の扉をノックする。
「こんばんは、僕です。ジングです。姉さん開けてよ」
妻の甥です、とノクター伯爵が両親に説明する。穏やかな声なのに、どこか切迫したものを感じる。この人が夫人を殺そうとしている。扉の手すりを握りしめる手が固くなり、汗がにじむ。縄もあるしこちらから開けない限り大丈夫なはずなのに、心臓の音が煩い。
「ミスティアさん開けてちょうだい、紹介するわ」
私を諭すように語り掛けるノクター夫人の言葉を無視する。口を固く閉ざしじっと扉を見つめていると、異変を察した父や母が私に語り掛けてきた。
「どうしたのミスティア?」
「ほら、早く開けなさい」
窓ごしに、甥と目が合う。その柔和な瞳はレイド・ノクターやノクター夫人と同じ色だ。形だけが違う。それなのにぞっとするものを感じた。形容しがたい目つきだ。鋭くもないのに胡乱で、一線を越えた瞳をしている。しかし負けてはいけない。怒らせなければいけない。怒らせて、捕まるよう誘導しなければ。ぎゅっと取っ手を握る力を入れ睨む。
しかし、何か挑発しなければならないのに、言葉が出ない。相手が刃物を持っていることを認識し、失敗を考えて、言葉自体は頭に浮かぶのに声に出せば手の力が緩んでしまいそうで怖い。
でも駄目だ。今日失敗したら、夫人はいつ殺されるかわからない。このままではいけない。甥を睨み付けて、肺に呼吸を入れて、お腹に力を入れる。
「夫人は、伯爵のことが好き」
はっきりと、事実であるように甥に宣告する。すると、それまで笑みを浮かべこちらを伺っていた甥から表情が一瞬にして消えた。効いている。確かな手ごたえを感じることと反比例するように、手すりを握りしめる実感はどんどん薄れて、代わりに酷いぬめりを感じた。足がすくみそうになるのを押さえ、甥をにらみつける。
「だからあなたなんて必要ない。あなたは夫人に愛されない。夫人は伯爵のことを愛している、だから、あなたは、いらない」
「君、さっきから一体何なんだ」
甥が反応する前に、ノクター伯爵がこちらに身を乗り出してきた。伸ばされた手を防ぐように肩に力を籠める。その時だった。
「うるさい、うるさい、うるさい! 俺と彼女は結ばれる運命なんだ!」
甥の表情が、一転して荒々しいものに変わり、ナイフを取り出した。その声に先ほどまでの穏やかさは無く、煮えたぎる憎悪と渇望が詰まっている。甥はドンドンと狂ったように扉を叩きつけはじめた。ナイフで切り付けているのか、耳を貫くような不快な音が響く。内側の手すりは縄で縛り抑えているのにも関わらず、扉が破られそうな衝撃に、全身の力を入れて踏ん張る。
「ほら、出ておいで、痛くしないように、一瞬で殺してあげるから! 二人で幸せになろうね!」
そう言っている間にも強く扉を叩き続ける。力負けするんじゃないか。早く来てくれ、劇場の守衛でも護衛でも警察隊でも何でもいいから。全体重をかけているのに、扉と一緒に身体ごと吹っ飛ばされそうに感じる。最悪刺し違えてもいいから、誰か。そう願うと同時に、手すりを握る手にがっしりとした固い手が重ねられた、この手は。
「おとうさっ……」
父とノクター伯爵が扉を抑えるのに加勢してくれている。そう気づくと同時に母は私を物凄い勢いで抱き込んだ。私を庇うようにきつくきつく抱きしめてくる。
「お前が、ノクター家が、お前が全部悪いんだ! お前さえいなければ!」
母の肩越しに、甥が怒鳴りつける姿が見える。甥の目がノクター伯爵を捉えた瞬間勢いが倍になった。振動が激しすぎて、訳が分からない。
「お前がっ! 彼女を閉じ込めたせいで全部おかしくなったんだ! お前……がぁっ」
ふいに振動が止み、母が私を抱える力が緩んだ。甥は守衛や護衛に後ろから羽交い締めにされ、馬車から引き離されている。やった、これで。
「取り押さえろっ」
「こいつっ」
「ナイフ取れナイフを!」
「離せ、返せ! 彼女を返せよ! 俺は! 彼女を解放するんだ! どけよ! 俺は、彼女を幸せにっ! しなくちゃならないんだよお!」
後から来た警察隊たちが甥を五人がかりで取り押さえている。間に合った、終わった、大丈夫。これで……ほっと安堵し、母の腕からそっと身を離そうとした、その瞬間だった。
「愛してるよ、俺は君を愛してる!」
目を見開き、全身のすべての力を込めて馬車に向かって、甥が叫ぶ。それを、その目を、はっきりと見た。もう完全に取り押さえられ、連行されるというのに、目の前で刃物を持っているような感覚に襲われていると、目の前に勢いよく黒い影が通り過ぎた。
「お前が! お前が! 今まで!」
ノクター伯爵が勢いよく扉を開け放ち馬車から飛び出す。メロが破れないと言っていた縄は引きちぎられている。縄は血に染まり、まるで無理やり引きちぎられたかのようだ。
急いでノクター伯爵を目で追うと、甥めがけて突進し、周囲なんてお構いなしに甥をぶん殴った。そのまま一発、二発と何度も右の拳で甥を殴り続け、護衛が慌ててノクター伯爵を守りつつ押さえ始めるとその手を振り払い、また甥に対して拳を振り上げた。
「お前が! お前がっ! 今までずっとずっとずっとずっと! 俺の妻に! 薄汚い手紙を送りつけていたのか! 今まで! ずっと! ずっと! そんなに死にたいなら! 今ここで殺してやる! どけ! そいつを殺すんだ邪魔をするなっ! 離せ! お前も殺されたいのか!」
甥じゃない。まごうことなきノクター伯爵が言った言葉だ。声色も怒りと憎しみがこもり、別人なんじゃないかと思うほどの豹変だ。夫人のほうを向くと夫人も呆然としている。その表情は甥への恐怖というより自分の夫に対してのものだ。
「うるさいうるさいうるさい! お前が金に物を言わせて、彼女を買ったんだろうが! 卑怯な手を使って! 元は使用人の分際で!」
追加で駆けつけた警察隊や劇場の守衛が混乱している。甥は五人がかりでしっかり押さえつけられ地面に伏し、虫の息に近い中で呻くように叫んでいるが、顔はぼろぼろで弱々しい。しかしノクター伯爵は八人、九人と人が増えてもなお勢いが止まらず、多勢で引き離しているのに、どんどん甥と距離を詰めようとして甥に罵声を浴びせながら暴れ警察隊を振り払い暴れ狂っていた。
どこから出ているんだあの力は。どんどんノクター伯爵を取り押さえる警察隊が増え、ノクター伯爵は見えなくなっているのに、伯爵は方針を転換したのか己を押さえようとする塊ごと甥に近づいていく。
「うるさいのはお前のほうだ! 俺の妻をさんざん辱めるような手紙を送りつけて! もう二度と話せないように、彼女のことを見られないようにしてやる! くそ! どけ! 邪魔をするな! 俺があいつを今ここで殺す!」
冷静沈着で、まるで機械的だったノクター伯爵は、歯をむき出しにして、甥に向かって怒鳴りつける。その姿は、まさに獣だ。私も、私の両親も、ノクター夫人も、レイド・ノクターも、その様子を、ただただ呆然と眺めていた。
甥が警察隊により連行されて行くのを黙って見つめる。そして隣を見ると手から夥しい量の血を流すノクター伯爵を夫人が手当てしているのが視界に入った。伯爵はまだ気が収まらないらしく、興奮が冷めないかのごとく肩で息をして甥の去った方向を鋭い眼光で睨み付けている。
「怖かったね、もう大丈夫よ」
「そうだミスティア、父様と母様がついているぞ」
一方、私の両親は悟りを開いた如く落ち着き払っている。多分、目の前の人が取り乱し過ぎると、逆に冷静になってしまうというあの理論だろう。
父はぽんぽんと私の頭を撫で、母も私の頭をご利益のある地蔵のように撫でつけている。いやこれ落ち着いてない、全然落ち着いてない。娘の頭を撫でることで、精神を安定させている。
「あの、アーレン伯爵、夫人、少しよろしいでしょうか?」
警察隊の二人組がこちらに向かってくる、事情聴取だろう。さりげなく両親から離れつつもう一度ノクター夫人に目を向ける。伯爵をしきりになだめる様子は元気とは言い難いが生きていることに変わりはない。
生きているし、犯人はもういないことを実感した。夫人は生きているし、皆生きているし、甥は捕まった。そう実感していくとともに足から力が抜け、地面にへたり込みそうになる。すると寸前のところで何かに支えられた。
「大丈夫?」
レイド・ノクターが私を支え、心配そうにこちらの顔を覗き込んでいる。先ほど自分の父を見ていたような呆然としている様子はなく、いたって冷静そのものだ。回復が早い。そして私を油汚れでは無く、人間として見ている。
「大丈夫です。すみません」
頭が回らずそっけない態度をとってしまった。母親が殺されかけた子供に対する態度じゃないと思うけれど、かといってどう接するべきなのか分からない。元気づけようとしても、私の言葉で元気が出る訳が無い。なんて声をかけるのが最善なんだろう。そもそも、最善の言葉があるのかすら分からない。言葉をかけないほうが正しいのではないだろうか。支えてもらったお礼を伝え、レイド・ノクターから離れ周りの声に耳を澄ます。ノクター伯爵のほうも事件の聴取をされているらしく、今日この場にいる経緯を伝えていた。
「犯人は、何日も前から計画していた様でして、その、奥様の殺害計画を」
「ではあの時、扉を開いていたら」
「おそらく無事では済まされなかったでしょうね……今日はもう遅いですし、後日屋敷にお話を伺いに向かってもよろしいでしょうか? その……奥様にも、お伺いしたいことが、いくつか」
「ああ……、妻が話せるようになれば……私の方は明日でもいい。協力は惜しまない」
「ありがとうございます。それでは失礼します」
ノクター伯爵は大分落ち着いてきたのか、警察隊の言葉に淡々と言葉を返す。先ほどまで怒り狂い甥を太鼓のように殴りつけていた姿はもうない。その姿を見つめていると、伯爵はぐるりとこちらを振り向き、完全に目が合った。
「……えっと、失礼します」
「待ってくれ。話がある」
誤魔化そうとすると、伯爵は油汚れではなく不思議そうな目を私に向けた。まずい、次の言葉は想像がつく。「殺しにくることを知っていた?」とか「なぜ扉を開けなかったのか?」だ。なんて答えればいいのか。「いやぁ貴方たちの世界の事は何でも分かってるんですよぉ」なんて答えられるわけがない。
「君は、どうしてー……
「一度戻りましょう、夫人の加減も良くないでしょうし、子供たちもこの場にはいない方がいい」
いつの間にか後ろに立っていた父の言葉が、ノクター伯爵の言葉をさえぎった。た、助かった。父は素早く馬車を呼びつけ、帰宅の準備の手筈を整えていく。そうして私は、いや私たちは馬車に乗り、誰も減ることなく屋敷へと帰っていったのだった。
劇場から止まることなく走っていた馬車がとうとう屋敷に到着し、その動きを止める。辻馬車の御者が扉を開くのを見計らい父は母とともに降りた。そして父が追加のチップを支払い、馬車がアーレン家の屋敷から去っていくのを見届けてから両親に向き直る。月明かりに照らされた二人は、私を見て不思議そうに首を傾げた。私はそのまま頭を下げる。
「今日は、ごめんなさい」
父と、母。二人にはずいぶんと恥をかかせ、危険な目に遭わせた。十歳の少女の我儘の範疇から完全に外れている行いは、到底許されるものでは無い。流石の両親も、今回の我儘は咎めるはずだ。じっと二人の次の言葉を待っていると、二人は私の肩に揃えるように手をのせた。
「謝らなくていいんだよ、理由があったんだろう? でもこれから先、何か怖いことが起こりそうになったらすぐに言うんだよ」
「え」
「ミスティアを、私たちは絶対に疑わないわ、あなたは私たちの宝物。何があっても、誰よりもあなたのことを信じるわ」
顔を上げると、二人が微笑んでいる様子が見えた。絶対に、気になるはずなのに。聞き出したいはずなのに。私がどうしてこんな凶行に至ったのかの理由を、一切聞くそぶりがない。そのうえで、信じると言ってくれている。
二人はそうして、大切そうに私を抱きしめた。咎めるどころか、慰めてくれている。あれだけ迷惑をかけた、私を。
「でも、私、迷惑をかけて……」
「当たり前でしょう、家族なんだから」
「迷惑だなんて、子供が親に気にすることじゃないんだよ。いつだってミスティアの好きなようにしていなさい」
お父さん、お母さん。体温がすごく暖かい。その温度を感じるたびに申し訳なくて、それでいてあまりに優しくて、安心した。
「ありがとう、お父さん、お母さん」
両親の、家族の温度だ。大丈夫だと思える、魔法の熱。前世の両親も大切だ。それは変わらない。でも今世の両親は、この二人だ。大切な、大切な私の家族だ。
……だから、絶対、守らなくてはいけない。その為に、私は未来を変える。
二人を抱きしめ返して、私はそう強く誓ったのだった。
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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