逢魔が時 少し手前
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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用務員室のソファに座り、ぼーっと周囲を眺める。
入学して一週間が経った放課後。
本来ならばエリクと主人公の遭遇イベントが起きるはずであるものの、
既に二人は出会っている。
私には何もない日だ。
そんな風に浮かれていた私は、念の為、
教室から渡り廊下を経由し別棟に移動、別棟の階段から一階に降り、
そこからまた渡り廊下を経由し本校舎、下駄箱へ、
と大幅に迂回したルートで学校から出ることにした。
しかし別棟の階段を下り、渡り廊下に向かおうとすると、
廊下の先、遥か遠くにうっすら桃色と赤墨色……会話をするアリスとエリクを発見した。
このまま進んではいけないと迂回しているところ、ばったりアリーさんと遭遇し、
是非ともハンカチの返却とお礼がしたいと用務員室に誘われ、今に至る。
レイド・ノクターが弟思い出し萌えをしたあの日は、
朝の喧騒が嘘の様に、すんなり過ぎ去った。
過ぎ去りすぎて拍子抜けしたほどだ。
そして二日の休みを挟み、入学式から一週間が経った登校である今日も、
何も起こることなく放課後を迎えた。
すんなりと終わろうとしている。すんなり生活だ。
破滅的享楽主義サポートキャラクター、
クラウス・セントリックの接近は無いし、
ロベルト・ワイズに何か言われることも無い。
そもそもクラウスはクラスが違うし、
ロベルト・ワイズと席は離れている。
五日目のあの日がほぼ奇跡的な遭遇、といっただけで、接点は何もない。
そしてエリクやレイド・ノクターと個別の遭遇することはあっても、
両者が一堂に介することは無かったし、
アリスとの遭遇は無い。
何もない日、安全で最高の日々。
それどころか、今週は確かイベントが何もない日だ。
学校の予定としては家庭訪問があるが、
生徒では無く親と教師の面談のようなもの、
私には関係ない、むしろ安易に関わってはいけない領域だ。
アリーさんは私をソファに座るよう促すと、奥の部屋へ入っていった。
初めて来た時は気付かなかったが、恐らく宿直室だろう。
部屋を改めて見渡してみると、修繕や舗装の道具。
学校はかなりの規模だが、一人で行っているのだろうか?
この魔境の様な建物を?
前世時代の学校の用務員さんでも、二人はいた気がする。
貴族学校、相当黒い職場では……?
学校の運営状況について考えていると、奥からアリーさんが出て来た。
「おおお、お待たせして申し訳ないですう、
僕の鞄、出し辛いところにあってえ」
そう言いながらアリーさんは私にハンカチを差し出す。
「すみません、ありがとうございました!」
受け取ったハンカチからは、ふわり、と陽だまりと花の香りがした。
あれ、この花なんて名前だっけ。
「実は、ハンカチ洗って、綺麗にしたはいいんですけど……
お渡しする機会が無くて……、ずっと機会を伺っていたんです!」
ああ、確かに授業で会うわけでもない。
そう考えると、自ら取りに行った方が良かったのだろうか。
でも、洗濯できていなかった場合、ハンカチ取り立てに急かしている可能性も……。
「あ、あ、あっ! 物陰から、とかじゃないですよ!?、
ぼ、ぼぼぼ僕の仕事上、あんまり生徒さんと会う機会って無いから
いつお会いできるだろうと、考えていただけで!」
私が考え込むのを、何か疑っていると勘違いしたのだろう。
アリーさんは慌て始めた。冷や汗までかいている。
「いや、そんな疑ってませんよ、
ただ、私からお伺いすれば良かったかなと思って」
「あ、ああ、なるほど、そうですか……良かったあ……」
訴えられると思ったのだろうか。
……確かに、「ずっと機会を伺っていたんです」は、
中々に誤解を招く表現かもしれない。
「ああ、良ければ、放課後、いつでもお茶のみに来てください!
いつでもご用意しますので!
僕、いつも一人で、声出さない日とかあるくらいだし……」
へへ、とアリーさんは笑う。
声出さないって、やっぱりこの敷地、アリーさん一人で管理しているのか。
労働環境、黒すぎる。真っ黒だ。
この学校、結構やばいのでは。そう考えるとまたアリーさんが慌て始めた。
「だだだ、だめ……ですよね?!
ごめんなさい、調子にのりました、ごめんなさい!」
「い、いえ、違います! 黙ってたのは、
この敷地、一人で管理するの大変だなと思って」
また誤解させてしまったと慌てて否定すると、
アリーさんはほっとした表情をする。
ほっとした、と言っても口元だけだが、
彼から発された不安や緊迫とした雰囲気は消えた。
「ああ……、僕は大丈夫ですよ、
大規模なことは業者にお願いしますし、僕は細かなところしかやらないですから」
「なるほど……」
何か危なそうなところを見たら業者に連絡、という形か。
でもこの校舎、別棟、校舎の外となると、
普通に歩くだけでも大変じゃないか?
大体面積どれくらいだろう……と計算する。
するとまた、私の沈黙が誤解させてしまい、
急いで誤解を解く事を繰り返し。
そのまま他愛もない話をして、穏やかに、
ほのぼのとした気持ちで用務員室を後にした。
窓の外を見ると夕焼けが赤々と廊下を照らしていた。
また、長居しすぎてしまった。
時計を確認すると、放課後から二時間が経過している。
待っている馬使いのソルさんに謝らなければ。
廊下を照らす赤は、
黄みがかった赤というより、
あまりにもはっきりとした赤で、少し、禍々しい。
そういえば、こんな夕暮れ時の用務員室帰り、
レイド・ノクターと遭遇したはずだ。
……いや、流石にそんな偶然起こるものじゃない。
人為的なものならまだしも、
この広い校舎、魔境の様な校舎、ラスボスダンジョンの様な校舎で、
うっかり出会っちゃう偶然なんてある訳ない。
そうだよ、主人公補正がある訳でも無いのにある訳ない。
大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせ、念の為、壁伝いに歩みを進める。
別棟は、人気が無く、廊下は赤く染まっている。
空気に不穏さしか感じない。
心なしか、人に見られている気がするし、
冷たい風が吹き抜けている気もする。
いや、気のせいだ気のせいと歩く。
心なしか早めに。
下駄箱に辿りつき、靴箱の扉を開く。
位置的な問題なのか、夕日がさして私の靴が、
赤く染まっているように見えてどきりとした。
いや、驚きすぎだ。
今日は何でも無い日。夕日の赤が判断力をおかしくさせているのだ。
そう思って靴を取り出そうとすると、ふいに私の手元に影が差し黒に染まる。
誰か、私の後ろに立っている。
果たして、私の後ろにいるのは、存命の人物だろうか。
基本的に、こういう時、振り返ってはいけない。
振り返ると、大抵ゲームオーバーだ。
そのまま気にしないように靴に手をかけると、
そっと私の手に重ねるように手が添えられた。
「みーつけた」
声の主に安堵する。生きてる。存命の人物だ。
いや駄目だわ、攻略対象だわ。エリクだ。
「ふふ、驚いちゃった?」
振り返るとエリクが楽しそうにしている。
あ、エリクが居ると言うことはアリスも、もしや……、
と思ったが誰もいない。下駄箱には私達だけだ。
他に物音もない。
「おひとりですか?」
「そうだよ、ご主人見つけて、追いかけてきちゃった、校門まで一緒に帰ろ?」
尋ねるとエリクはにこにこと笑っている。
「ご主人、こんな遅い時間までどこで何してたの?」
「ちょっと用務員室へ借り物の返却が。ハイム先輩は?」
「僕はお掃除の準備があってねえ」
掃除の準備でこの時間までかかるなんて大変だな。
一年生はまず学校生活に慣れること!
として一年生の掃除は夏からになっているらしいけど。
その分を二年生が負担しているのかもしれない。
「お掃除、お疲れ様です」
「へへ、ありがと。
でもゴミの場所は全部聞いて分かったし、
後は無くすだけだから大丈夫」
私は上履きを脱ぎ下駄箱にいれ、靴を取り出し、扉を閉める。
「そうですか……よし、お待たせしました」
靴を履き替えると、エリクがああ、そうだ、と鞄から用紙のようなものを取り出す。
「そういえば、来週、校外学習だってね」
エリクはそれを私に見せてくる。
確認すると一年生の予定表だ。
ああ、確か自立意識を高め親交を深める為に山登りをするとかの説明があった。
詳しい説明は明日するからと、配られた校外学習の説明の冊子、
いわゆるしおりを読み込むことが今日の宿題だった。
校舎から出て、校門に向かう。
……あれ?
「ハイム先輩が何故、一年生の予定表を?」
「んー? 先生の印刷手伝ってたら、貰えたんだー」
ああ、確かにコピー機をピピピな感じには出来無いし、人手は必要だ。
あの、人と話すことを苦手としていたエリクが、先生の手伝いをしている……。
エリクの成長に、胸が熱い。
「そうですか……お手伝いを……!」
しみじみと歩いていると、ふとエリクが立ち止まる。
何だろうと振り返ると、丁度夕日で逆光になっていて表情が認識できない。
「ハイム先輩?」
何だろう、表情は見えないけれど、様子がおかしい。
駆け寄ろうとすると、制止するようにエリクが「ご主人」と私を呼ぶ。
「はい」
「何か酷い目に遭ったらすぐに言うって、僕に約束してくれないかな」
「酷い目?」
酷い目とは、一体。
新入学の、激励とか? 呼び出し?
「うん、ご主人が辛かったり、しんどかったり、
こいつ嫌だなって邪魔だなって、思ったやつがいたら絶対に、
僕にお話するって、約束して?」
「話……」
もしかして、アリスが囲まれたことが、エリクの耳に入ったのか。
アリスが言った……?
流石に無いか。
アリスは自分の受けた被害を人に話さないタイプだ。
それに、被害状況を聞いたのなら、
エリクはもっと具体的に聞いてくるだろう。
「ねえ、約束、して。
そうしたら、話してくれたら、
僕が全部、全部無くしてあげるから」
「ありがとうございます。
ハイム先輩も、何かあったら言ってくださいね」
あ、反射的に言ってしまった。
いや、心から思っているけども。
エリクが何かあって相談するなら、
私ではなくアリスに対してが最適解だ。
うーん、でも私が「あったら言って」と言っても、
そのうち「こんなこと話すつもり無かったんだけどな」
的な自然な、ロマンチックな感じでアリスに悩みを打ち明けるはず。
レイド・ノクターの弟狂いも、五日間で改善の兆候が見られるし、
接触する機会さえ増えれば、
きっとエリクも私を「ご主人」ではなく、「友人」として見るはず。
「じゃあ、約束の、ゆびきり、しよ?」
いつの間にか目の前に来ていたエリクが、私の小指を自分の小指に絡める。
「ゆーびきり、げーんまん、はりせんぼんのーますーっと」
きゅんらぶ世界にも、ゆびきりがあるのか。
感心していると、エリクがにっこりと笑った。
「約束、破らないでね? ご主人」
「……? はい」
一瞬エリクが、全然違う人のように感じてしまった。
夕日のせいかとまた歩みを進め、校門の前でエリクと別れる。
アーレンの馬車の方へ歩みを進めながら、エリクの言っていた言葉を思い返す。
……来週の、校外学習。
行き先が気になり、鞄から用紙を取り出す。
確か、説明があった時、登る山の名前があったはずだ。
日時、集合時間、場所……
順に探して、目当ての項目が目に入る。
生徒は、この国の遺産である女神の住まう伝説の残る山、通称ビーナスレイに登り、
国の地理風土を知ると共に、生徒同士の協調性を高め、親交を深めることを目的とし……。
ビーナスレイ。さらに注意事項を読み込んでいく。
なお、ビーナスレイの山中には、いくつもの谷が点在しており、
落下には十分注意を……。
「びーなす、れい」
ミスティアは、アリスへの憎悪により、谷から落としたり、崖から落とす。
その、谷があるの山の名前は、ビーナスレイ。
つまり、ミスティアが、アリスを、谷へ落とすイベント。
それが、来週の、校外学習だ。
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