最低の悪女
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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俺、ロベルト・ワイズは憧れていたのだ。あの悪女に、確かに憧れていた。
ワイズ家の長子に生まれた俺にとって、ワイズ家を継ぎ、立派な当主として生きることは、俺の生まれた使命であり、意味である。
立派な当主になるため、勉学に励む日々。そんな俺にとって、学校はただの足枷でしかない。勉強を誰かと共にするなんて、非効率だ。自分一人、もしくは一対一、家庭教師の元で勉強した方がよほどいい。
しかし、貴族として貴族学校に通わなければならないのもまた事実だ。
俺は、この学校で、ワイズ家当主として何かを得なければならない。でなければ、学校に通う意味が無い。そう考え入学した俺は、式を終え、ホールから自分の教室へ向かう途中、ある女子生徒を見かけた。
反対方向へ向かう生徒を制し、教室への方向を教える女子生徒。教えて、そのまま会話を続けることなく自然に去っていく。それを、表情を殺した様な顔で、四度ほど繰り返す彼女。その横顔を、随分親切な人間がいるものだと、ただ、眺めていた。
そしてその女子生徒が、アーレン家の令嬢、ミスティア・アーレンだと、教室での自己紹介で知った。
アーレン家は、ほぼトップクラスの伯爵家だ。ノクター家、ハイム家と名を連ねる、侯爵家よりの伯爵家。
本来であれば、その気位は高いはずなのに、彼女は全くと言っていいほどそれを誇示することなく普通にしている。景色と同化しそうなほどだ。自己紹介も気取っておらず、むしろ速やかに済まそうとしていた。
変な令嬢。そう思った。
普通なら、もっと堂々とすべきだ。誇りを持ち、胸を張るべきだ。というのに、彼女は俯いていたり、じっと何かを見つめるばかりで、人との会話に入ろうという素振りを見せない。
屋敷に帰ると、俺の大切な妹であるロシェが出迎えてくれた。ロシェは、俺のたいして面白くも無い学校での話を、楽しそうに聞いてくれた。
ロシェにアーレンの令嬢について話すと、「とってもお優しい方なのね、素敵だわ」と言う。「俯いていたり、貴族の気高さは無いんだぞ」と伝えると、「嫌だわお兄様、嫉妬は見苦しいですわ、お兄様の話している方の振る舞いは謙虚で素敵よ」とけらけらと笑う。
夕食の席で、父と母からクラスについて聞かれた。ノクターの子息やアーレンの令嬢と同じだと答えると、アーレンの令嬢は婚約者を正式に立てていないから、うちにもチャンスがあるかもしれない、と浮き立っていた。
くだらない。
次の日、朝勉強してから少し遅めに学校に向かうと、ミスティア・アーレンは、レイド・ノクターと二年らしき先輩と何やら会話をしていた。そこにアリス・ハーツパールが加わると、どこか不機嫌そうにして、俯く。
不思議に思っていると、先生が教室に入ってきて、ミスティア・アーレンは顔を上げた。顔を上げた彼女の表情に、先ほどの様な不機嫌さは無かった。
そしてテストを終えた俺は、一度別棟の様子を確認してみようと、階段を下りていた。丁度、二階から一階へ降りた矢先、悲鳴が響く。驚いて廊下に出ると、何か台車の様な音がけたたましく鳴り響き、こちらにどんどん近づいてきた。
台車を押し、駆けるミスティア・アーレンだった。台車には、ぐったりとした女子生徒がのせられ。用務員がついている。彼女は俺を認識すると、すぐに保険医を呼んでほしいと、半ば叫ぶように頼んで来た。火傷の生徒がいると。
俺は走って保健室へ向かい保健医を呼んだ。先生と共に、指定された場所にかけつけると、ミスティア・アーレンは火傷の対応にあたっていた。
彼女は、医療の心得があるらしい。しっかりと服の上から流水をかけていた。
その後の行動も迅速で、馬車は自分の家のものを使えと申し出て、率先して動いていた。
一方、その間、俺はただ立ち尽くすばかりで、何もできなかった。
立派なワイズ家の当主として、勉学に励む一方で、医者の夢を諦めきれず、学んでいたはずなのに。何一つできなかった。全く動けなかった。
ただミスティア・アーレンが動くさまを、ただじっと見つめていた。
次の日、廊下にテストが張り出されていた。俺の順位は三番。一位はレイド・ノクター、二位はミスティア・アーレンだった。
負けた、という敗北感と共に、心にぽっかり穴が空いた。
ミスティア・アーレン。アーレン家の、令嬢。他者に対する親切心を持ち、聡明さと、医術の心得と、そしていざという時、迅速に動ける判断力。俺に無いものを、全て持っている、令嬢。
昼に別棟で食事をする彼女を見かけた。ランチボックスからサンドイッチを取り口に運ぶ彼女は、心なしか嬉しそうに、笑っているように見えて、緊張のような、胸に何かが刺さったような、奇妙な感覚がした。何となく苦しくなり、不意に隣の教室に入ろうとすると、シーク先生が食事をとっていて逃げるように別棟を後にした。
家に帰り、順位を報告すると、両親はいい顔をしなかった。当然だ。一位ではなく、三位なのだから。でも、今まで両親について叱咤された後に感じる、悔しさは無かった。
ミスティア・アーレン。あれこそ、本来の貴族のあるべき姿なのかもしれない。あの姿こそが、正しい当主の姿なのかもしれない。俺は、気位ばかり高く持ち、その実、何も持ち合わせていなかったのかもしれない。
……俺もいつか、ああなれるだろうか。彼女は当主ではない、彼女にも俺はなれない。けれど、彼女の様な当主になりたいと、そう思った。
彼女の、いや、あの悪女の本性を見るまでは。
放課後、別棟の図書館に向かおうと歩いていると、女子用の手洗いから、アリス・ハーツパールを呼ぶ大きな声がした。
ただならぬ気配を感じ、耳を澄ませていると、大きな音がし、おそらく先輩であろう女子生徒数人が、決まりが悪そうに飛び出して、逃げるように去っていく。
その様子を眺めていると、ミスティア・アーレンが不機嫌そうに、女子生徒が飛び出して来た場所から出て来たのだ。全てを睨むようにして。
声をかけようか迷い、躊躇っていると、声をかけても届かないほど、俺と彼女の距離は開いていた。
どうすべきか迷っていると、今度は女子生徒、アリス・ハーツパールが女子用手洗いから、顔を真っ赤にして出て来た。
今度こそはと、彼女にどうしたのか尋ねると、彼女は「言えません」と声を詰まらせ走り去った。心なしか、瞳が潤んでいたように感じる。
俺には、その表情、その光景、その状況に既視感ががあった。招かれた茶会で、妹が令嬢たちに囲まれていたのを見つけた。
そこに向かうと、妹を囲んでいた令嬢は、嫌な顔をして逃げていく。妹の顔を覗き込めば、妹は顔を真っ赤にして、目に涙を溜めていた。そんな光景。妹にどうして助けを呼ばなかったのか聞いたら、「怖くて話せなかった」「相手は優しいと評判の令嬢だったから、自分が言っても信じて貰えないと思った」と話す。
まさか、あの、ミスティア・アーレンが虐めを?
そんなことは無いはずだ。彼女は、人に道を教え、人を手当てし、馬車を手配していた。親切で、優しい心を持っているはずだ。そんなことは無い、そう思っても疑念は消えない。
でも、彼女が、人に道を教えた時も、手当てをしていた時も、全て周囲に人がいた状況だ。そして、今いるのは別棟。人気は少ない。
……もしも、もしも、点数稼ぎの為に、良い令嬢を演じて、裏で、アリス・ハーツパールを、虐めているのだとしたら。
いや、虐める理由なんて無いじゃないかと考え直して、ふと、二日目の事を思い出す。あの時、ミスティア・アーレンはレイド・ノクターと先輩とで話をしていた時、アリス・ハーツパールが加わって不機嫌そうにしていた。
もし、ミスティア・アーレンが、あの二人のどちらかを想っていたとしたら。
そう考えて、頭が痛んだ。そして俺はその晩、眠れなかった。
次の日の朝、奇跡的に、彼女を見かけた。周囲には誰もいない。彼女と二人、またとない機会。
あの時、何があったか、尋ねよう。そう考える一方で、俺はどこか、否定の言葉を期待していた。
あの時、君は何をしたんだ、そう言おうとして、実際彼女に言い放った言葉は、真逆の言葉だった。
「君は最低な人間だ」
俺の言葉を聞いて、ミスティア・アーレンは、訝しむような顔で俺を見ると、もう一度言ってみろ、と言わんばかりに、俺に挨拶をした。
馬鹿にしているのかと、もう一度言ってやると、今度は返事をしない。煮え切らない、どこか一歩引いたような、自分には一切関係ないような斜に構えた態度に苛立った。
何を話しても、彼女に届いている気がしない。あの時どうしてアリス・ハーツパールを虐めたのか聞きたいのに、どうしても聞けない。それどころか、あたり散らすような言葉ばかり吐いてしまう。
「はあ? 何を言っているんだ! 話を変えるな! そこまで、そこまで君が卑怯者だとは思わなかった!」
憎しみを込めてそう言い放つと、彼女は目を見開いた。
間違いなく、言い過ぎてしまった。
何て言おうと考えていると、俺から彼女を庇うように、レイド・ノクターが立っていた。
レイド・ノクターは、俺を睨みつけ、明確な敵意を向けていた。
その目に苛立ちを覚え、「君には関係ない」と、言い放つ。こんなのは、言い訳だ、論点のすり替えだ。そう考えるのも束の間、レイド・ノクターはそこを一気に突いてきた。
「ワイズ家の当主になるものとして恥ずかしくないのかと、君に言っているんだよ」
そう、レイド・ノクターが落ち着いて言い放った言葉が、あまりに悔しくて、声が出ない。
言葉に詰まった俺を、レイド・ノクターは冷えた目で見つめ、追い打ちをかけるように宣言した。ミスティア・アーレンは自分の婚約者だから、自分にも関係があると。
そんなことは聞いていない、でまかせだと反論しようとすれば、婚約は、ミスティア・アーレンの意向で内密にしていたのだと、レイド・ノクターは俺に言い聞かせるようにいった。すべての、答えが出た気がした。ミスティア・アーレンがアリス・ハーツパールを見て不機嫌になっていたのは、レイド・ノクターに近づいていたからだった。
レイド・ノクターは「何か他に返したい言葉は?」と呆れるような目で、俺を見た。ミスティア・アーレンは、困ったような、戸惑っているような目で、俺を見た。
「……もういい、君たちに割く時間は無い」
そう言って、立ち去るのが精いっぱいだった。走る。あの女から、一刻も早く離れる為に。
悪女だったのだ、あの女は、とんだ悪女だったじゃないか! ミスティア・アーレンはとんでもない悪女だった!
親切なふりをしながら、裏で、人を使ってクラスメイトを虐める。自分の都合が悪くなったら、婚約者を利用する、ずる賢い悪女だった!
きっと、アリス・ハーツパールだって、自分の婚約者に近付いたことが許せなくて虐めたに違いない!
親切な奴だと思っていたのに! 頭のいい奴だと思っていたのに! すごい奴だと、思っていたのに! 裏切られた! 騙された! あの女は最低な人間だ!
でも、……でも、どんな相手であろうと、それが、どんなに最低な人間だろうと、一方的に侮辱するのは、卑怯じゃないのか?
いや、相手は悪女だ、敬う必要は無い! なのに、あの悪女の、戸惑ったような表情が頭から離れない。
頭を振って、思考を散らす。
走って、走って、走って、あの悪女から遠ざかる。
走りながら、考えて、答えを探そうとしても、結局答えが見つかることは無かった。
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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