暗い希望は愛を縛る
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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彼女が手に入るならば、恨まれても構わない。傍にいることが出来るのであれば。離れていかないのであれば。笑顔が見れなくても、もういい。一生ミスティアが、僕を好きにならなくても、笑いかけてくれなくても。
誰を好きでも、手に入らないより、ずっといい。
そう決めていた、はずなのに。
入学式に誘ったところでミスティアは断る。そう思った僕は、入学式当日の朝、彼女の屋敷に出向き、自らの、ノクターの馬車を帰した。
僕が自分の馬車を帰し、ミスティアに遅刻をちらつかせれば、彼女は僕と一緒に登校せざるをえなくなる。僕は彼女の選択肢を奪うことに対し、前ほど罪悪感は抱かなくなっていた。僕の計算通りミスティアと一緒に登校することになり、同じ馬車に乗る。
しかし、そこで、想定外の出来事が起きた。学校に到着しようとすると、彼女は僕の腕を掴み、話をしようと引き留めた。
その前に、計算をはじめたり、顔を青くしたり、声をあげたり、「主人公だ」と呟いたり、気になることもあったけれど、それら全てが全く気にならないほどに、僕には衝撃的だった。
他人からしたら、意味も無いような、ありふれた話、ミスティアが感謝と謝罪、挨拶以外で僕に話しかけることは、五年単位で遡ってもほとんどない、奇跡に等しい時間。それに、スピーチのことを話すと、僕に何を話そうか考え込み、「でも、頑張ってくださいもお疲れ様も適切じゃないし……」と口をこぼした。
彼女は大抵、人に返答する時、話のはじめに「えっと」「あの」「まあ」「いや……」と言い淀み、何かしらを考えながら話すのに、それが無かった。きっと、あまりの緊張で、思っていることがそのまま出たのだろうと思う。
けれど、僕が油断してしまったせいでしばらくするとミスティアは、校舎に向かい走って逃げた。
僕は馬車から飛び出していった彼女を追いかけ校舎に向かうと、彼女は校舎に入ってすぐのところで息を切らせ停止していた。
逃げられないように鞄を奪い取った。「鞄を持ってあげる」という善意を、彼女は無下に出来ない。僕を拒絶するなら、完全に拒絶すればいいのに、いつも彼女は中途半端だ。だから僕につけこまれ続けているのに、彼女はいつだってそれに気付かない。ミスティアは不安げな顔で僕を見ていた。いつも通り。いつも通りの、ミスティア。
しかしぴたりと停止し「あ」と声をあげたかと思えば、勢いよくまた校舎から飛び出した。
そういえば、彼女が駆けているところも、初めて見た。彼女を追うと、また彼女は停止していて、視線の先を追うと、あの忌々しいエリク・ハイムが、校門近くで女子生徒を抱きしめていた。
彼女はそれを見て、しばらく呆然とし、突然僕の腕を引いて歩き、入学式が開かれる体育館に向かった。
ミスティアと出会って五年。ずっと逃げられ怯えられ警戒され続けて来た僕の腕を、彼女が二度もとった。おそらく、この五年の中で、彼女から僕に触れてきたのは今日が初めて。それが立て続けに起きた。
エリク・ハイムが、女子生徒を抱きしめているのを見たからなのか分からないが、これはいい兆候かもしれないと思った。あれだけ物事が悪い方向へ動いていたが、今、間違いなくいい方向に動き始めている。それは、「僕の」だけれど。
邪魔なエリク・ハイムを排除して、弱ったミスティアを囲える機会が、とうとう巡ってきたのだ。
学校に入学することに関して、エリク・ハイムとミスティアの接触の回数が確実に増えることや、奴と似た様な存在が現れることで、僕にとってマイナスだと考えていた。
しかし、ミスティアが二度も僕の腕をとった。
その感動に近い衝動によってか、入学式に何があったか、あまりよく覚えていない。新入生の挨拶は、特にミスも無く終わった、何の感慨も無い。舞台袖にはける時、袖には長い髪を束ねた人物が立っていた。その人物を横切る際、隙間から赤が見え、不覚にもミスティアに似た赤い瞳だと思ってしまった。何でもミスティアに結び付けて考える自分が、本当に単純で、馬鹿だと感じた。ミスティアが僕に対して、そんな風に執着することなんて一生来ないのに。
そして、入学式閉会後、自分の在籍する教室へ向かうと、座席表が張り出されていた。ミスティアとは離れているが、彼女は丁度扉の近くの席。出入りするついでに、という名目でいくらでも話しかけることが出来る。悪くはない席。
そして、何の巡り合わせか、僕の席の隣は、朝、あの忌々しいエリク・ハイムに抱き留められていた女子生徒だった。
笑顔を作り、声をかけると、アリス・ハーツパールと名乗った。
……この生徒と、エリク・ハイムがいい仲になってくれれば、邪魔な人間が一人減る。最悪いい仲にならずとも、ミスティアに誤解させればいいだけだ。ミスティアは、あれこれ考えすぎる性格。誤解させるのはきっと容易い。利用できるよう、顔と名前をしっかり覚え、いくつか会話をした。話をしている間に、ミスティアは教室に来ていた。黒板の座席表を確認し、自分の席に着席する。彼女を見ていた近くの生徒に会釈をして、俯いている。
思えば、こうして見ると、ミスティアはあまり表情が無いように見える。僕は彼女と接し、その些細な挙動で大体の彼女を把握しているし、彼女が自分の屋敷の使用人とやり取りする姿を見ているから、彼女に表情があり、喜怒哀楽もしっかりとあることを知っているけど。それらを一切知らない状態なら、彼女は淡々とし、無感情にも見える。今も、緊張し何かしら考えていると分かるけど、周りから見たら退屈でじっと机を眺めてるだけに見える。
厄介な人間が周囲に集まってくるのは、そういったところが、要因なのだろう。何もないと思っていた彼女の、ふとした一面を知り、さらに知りたいと望み、自分だけが知っていると優越感に浸る。
孤立させる訳では無いけれど、気を付けておかなければ。彼女は男だろうと女だろうと、関係なく厄介な人間を惹きつける。
彼女の周囲に、厄介な人間を近づけさせない。その布石の為にも、アリス・ハーツパールは重要な人物だ。僕はアリス・ハーツパールに取り入るべく、話かけた。
帰りは、馬車を置いてきたのだから当然帰りもミスティアと一緒だった。校舎を出たところでエリク・ハイムを発見し、今日は絶対邪魔をされたくなかった僕は、強引にミスティアの腕を引き、よく分からない銅像に注意を引きつけつつ、彼女を馬車へと連れ去った。
僕には、ずっと考えていた計画があった。我が弟、ザルドの無意識の協力を得て、ミスティアを確実に自分のものとする、計画が。
馬車を置いて、ミスティアと共に学校へ向かうよう仕向けたのも、エリク・ハイムに帰り道を絶対邪魔されたくなかったのも、ミスティアが、僕の屋敷に顔を出す状況を作り出すためだった。
全ては、ミスティアと、ザルドを会わせ、一緒に遊ばせる為に。
計画通り、僕を送り届ける為にノクターの屋敷に顔を出したミスティアは、ザルドと会い、一緒に遊びたいと駄々をこねられた結果、簡単に彼女は承諾した。彼女が昼食の準備がされているはずだと言うことで、遊ぶ場所が彼女の屋敷になってしまったことが唯一の想定外だったが、計画に支障をきたすほどでは無い。
そうして彼女の屋敷でザルドとのごっこ遊びが始まり、一時間が過ぎた。ミスティアが違う遊びを提案すると、ザルドは僕の期待通りに結婚式ごっこがしたいと言う。僕の表情は、誰も気に留めていないことが幸いだ。きっと僕は今、ぞっとさせるような表情で笑っていることだろう。あらかじめ用意していた紙を、小道具と称してミスティアとザルドの前に差し出す。
正真正銘の、本物の婚姻誓約書を。
全ては、この為だ……。ミスティアに、婚姻誓約書に記名させる為。
両親に内密に取り寄せたことで、だいぶ時間がかかってしまったが。そんなことはどうでもいい。大事なのは、手元にあるか無いかなのだ。それに提出だって、今じゃない。
そんな僕の思惑なんて露知らず、ミスティアは誓約書を見ても特に警戒せず、配役の心配をしている。
一刻も早く記入してもらいたい気持ちとは裏腹に、不審がられないよう先にザルドに記入させながら、ザルドとミスティアの誓約書の紙の始末について考えていると、すぐに僕とミスティアが記入する番になる。
僕はすぐに記入し、ミスティアに誓約書を渡す。気持ち手が震えてしまったけれど、ミスティアは気付かない。
ミスティアは渡された誓約書に、何の疑いも持たず記名した。僕の隣の空白が、ミスティアの名前で埋まっていく。この紙があれば、勝手に結婚させられてしまうのに。
こみあげてくる笑いを、必死にこらえる。可哀想に。ミスティア。もう君に、逃げ場なんてどこにも無い。
これを提出すれば、すぐに婚姻が出来る。ミスティアが誰を好きでも、僕の事が嫌いでも。可哀想なミスティア。君の一生は、君が愛していない男のものになってしまった。ごめんね。
それから僕は誓約書を大切に鞄にしまい、日暮れまでごっこ遊びに興じた。今まで苛立っていたミスティアがザルドに笑いかける行為も、何だかとても愉快なものの様にみえて笑える。日が暮れ、アーレンの屋敷を去る際、ザルドは「まだ遊ぶ」と玄関ホールでだだをこねた。それを「よしよし」とミスティアが撫でている。何か違和感を感じたけれど、すぐに気にならなくなった。
ああ、昨日も計画が不安で眠れなかったけれど、今日も眠れないかもしれないな。高鳴る胸を抑え、ザルドと共にノクターの屋敷に戻り、すぐに自室に入り鍵をかける。誓約書は、しっかりと隠して、来たる時まで保管しておかなければならない。箱に鍵を取りつけ、机の引き出しに入れて、引き出しにも鍵をかけよう。
そう決めながら机に鞄を置き、開いて愕然とする。
鞄のどこにも、そう、中身を全て返して探しても、記入していたはずの婚姻誓約書が、まるではじめから存在していなかったかのように、消えている。
呆然とする頭の片隅に、アーレンの屋敷を発つとき感じた違和感が過る。あの時、感じた違和感。あれは、あの場に、彼女の、ミスティアの専属侍女がいたことに対してだ。今まで、僕の見送りに、彼女の専属侍女が現れたことなんて無かった。
執事や、他の侍女がいたことはあっても、ミスティアの専属侍女だけは、見送りに訪れたことは無い。
それどころか、僕が、ミスティアと彼女の専属侍女が一緒にいるところに突然現れたことは何度かあったけれど、それ以外の場で彼女の専属侍女を見かけたことは無い。
まるで、僕が屋敷に訪れると、何か目的があって、身を隠すように、僕が現れると、鞄にあった、誓約書の様に消える。
以前、庭師の目は普通じゃないと感じたことがあった。でも、アーレンの屋敷の使用人の、ミスティアに向ける目は、全員普通では無い。勿論、それはあの専属侍女もそうだった。ミスティアを、慈しみ、崇拝するような、熱を籠った目を向けている。
そして、あの専属侍女が、僕を見る目。他の使用人とは違う、僕が婚約者であることへの嫉妬は無く。無感情ながら、いつだってこちらを殺さんとする憎悪がこちらに向けられていた。
「一番の敵は、ミスティアの一番傍にいたのか」
エリク・ハイムの排除もだけど、それについての始末も考えなければいけないな。
僕は誓約書の無くなった中身を、漠然と眺めていた。
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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