水面下に潜む狂い
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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入学三日目。今日は料理長の弁当作りがあるからと、登校はゆっくりめにした。汚れた制服はクリーニングに出し、何を着ていけばいいかと悩んだが、メロが予備の制服を用意してくれていた。あと五着は予備があるらしい。ありがたい。
学校に到着し、馬車を降りてから、アリス、攻略対象が近くにいないか確認しながら慎重に進み、校舎に入り下駄箱から上履きを取り出すために、学籍番号を確認すべく鞄に手を入れると、あるはずの生徒手帳が無い。
上履きには、名前が記されている。記憶を辿り、あたりをつけ、名前を確認すると、まさに私の名前が記された上履きが鎮座していた。
しかし生徒手帳、どこで落としたか全く分からない。先生に言って、届けられていないか、再発行できるか聞かなければ。とりあえず、教室に辿りつかねば。階段、大丈夫。廊下、大丈夫と歩みを進め、教室を遠目から確認すると、既に主人公もレイド・ノクターも着席していた。
うん、いけるいける。大丈夫。
「あの」
教室に入ろうとすると、呼び止められる。私か?でも、違ったらめちゃくちゃ恥ずかしいし、でももしかしたら私かもしれない。恐る恐る振り返ると、柚葉色の髪 藤黄の瞳の男子生徒がいた。
「君が、ミスティア・アーレンさんかな」
「はい」
え、誰?知らない。全く記憶が無い。
「僕の名前はヴィクター・ネイン、二年生、……君に話があって、ちょっといいかな?」
二年生ということは、先輩だ。しかし何の用かさっぱり分からない。知らない人について行ってはいけないと言うけれど、ここは校舎内。そして名乗ったということはやましいことは無いはず。かつあげ、強引な募金活動の懸念は残るものの、付いていくことにした。彼に促されるまま別棟に向かうと、廊下の途中で、彼は止まった。時間帯のせいか、元からこうなのか、私たち以外人っ子一人いない。先輩は足を止め、私に向き直ると、頭を下げた。
「昨日は、妹を助けてくれてありがとう」
妹……? 妹ということは女の子だよな……? 女の子……? 誰だ……?全く思い当たる人物がいない、無である。
「妹、ですか?」
「昨日、君が妹の火傷を手当てしてくれて、馬車を出してくれたと、医者や保健医から聞いてね」
「ああ、なるほど……」
昨日の火傷していた女の子のお兄さんか。確かに髪の色が同じな気がする。うん、多分、多分。火傷で赤くなっていたところばかり見ていたからあやふやだけど多分同じだ。
「妹さんの具合は、いかがですか」
「お陰様で、明後日には屋敷に帰れるよ」
ということは明後日まで入院か。感染症とかにはなってないっぽい……? きゅんらぶの医療発達具合が全く分からない。アリスは主人公補正か崖から落ちても、「え?バンジージャンプ楽しかったです」みたいに無傷で戻ってきたし、ミスティアから階段から突き落とされても無傷だった。
主人公補正以前に、遺伝子的な強さがすごいな……。
「本当に、ありがとう」
先輩は、また頭を下げる。心なしか、力が込められている。
「いえ」
大丈夫だと、伝えてもネイン先輩は顔を上げようとしない。
「あの、私は何もしてないので。というか、あの用務員さんが台車出してくれて、私は水道の蛇口ひねって水をかけただけといいますか、馬車は御者が走らせて、私が走ったわけじゃなく、走ったのは馬ですので、その、顔、あげてください」
慌てて顔を上げるよう促すと、顔を上げた先輩は、感情を押し殺すように口を開いた。
「妹は……、君が居なかったら、どうなっていたか分からなかったそうだ……」
「え?」
「昨日のあれは、事故じゃない。妹は狙われていた」
わざと? 鍋を女の子にかけた?
「家同士の諍いに巻き込まれたんだ、それで、相手の家が、調理員の一人を買収して、妹に鍋の中身をかけた。……本来なら、もっと、執拗に……広範囲を狙う予定が、君が駆けつけたことで狂ったんだ」
だから途中で姿が見えなくなったんだ。
調理員が、買収される。食堂が危ないと言っていた料理長の言葉は、杞憂じゃなかったのだ。
え、怖い。
ミスティアが悪性として頂点に君臨していて、てっきりきゅんらぶの悪意の総本山の様に思ってたけど、どうやらそれは、氷山の一角なのかもしれない。
そういえばジェシー先生が街中で嵌められたこともあった。 家同士の諍いって、アーレン家、相当大きいよね?ってことは、相当恨みだって買うだろう。
……両親、メロ、使用人の皆が、同じような目に遭ったらどうしよう。防犯カメラとか、あればいいのに。
一応、「こういう事もあるよ」って説明と、対策の説明をした方がいいのかもしれない。護身術……体術のプロをお父さんに連れて来てもらうのもいいだろう。
「君が、駆けつけていなければ、妹はもっとひどい目に遭っていた。何より火傷だって、こんなに軽く済んでないと言っていた……」
「そう、ですか」
「ああ、調理員は捕まったから、安心していいよ」
安心していいよと言いながら、ネイン先輩は安心していないように見える。なんて答えていいか分からない。とりあえず、黙って頷くとネイン先輩は口を開いた。
「それと、今日は突然ついてきてなんてお願いしてごめんね。事件の事は、学校から説明があるし、隠す気は無いけど、僕と一緒に居ると、色々言われるだろうから」
そう言って、先輩は力なく笑う。多分、殺していた感情は、犯人をどうにかしてやりたい気持ちだろう。妹が傷つけられたのだ。それなのに先輩は今学校に来ている。
もう話を切り上げた方がいいな。誰かと話して、事件の事を思い出しながら感情を殺すより、一人で好き勝手にしてるほうが、今は楽だろう。事件がどれだけ広まったかは分からないが、学校が絡んでいる以上先生から説明があるだろうし、その時めちゃくちゃ人に話を聞かれるだろうし。
「えっと、妹さんの状態が知れて良かったです。では、失礼致します」
「ううん、じゃあ」
一礼して、その場を立ち去る。
そうだ、用務員さんにお礼だ。何が、用務員さんが助けてくれました! だ。お礼を言わなきゃいけない私が用務員さんにお礼を言ってない。
でも、用務室って、どこだろう。
きゅんらぶに用務室のイベントなんてあったか。とりあえず、思い出せる範囲では全くない。ジェシー先生に場所を聞いて、昼休みは多分食事中だろうから、放課後向かうのがいいだろう。
用務室が無いなんてことは、無いよ……ね?
昼休み、エリクに用事を尋ね、放課後用務員室へ。今日のスケジュールは決まりだ。そう考え、廊下の端を曲がると誰かの視線を感じる。何だろうと思い振り返っても、誰もいない。気のせいかとまた視線を前に戻すと、エリクが立っていた。
危うくぶつかるところだった。考え事をしながら歩くのは良くなかった。
「ごめんエリク……じゃなかったハイム先輩、おはようございます」
エリクはどことなく虚ろな目で私を見ている。
「先輩?」
「……れ」
「え?」
「あの男、誰?」
話を聞いていたのだろうか。もしかしたら待っていてくれたのかもしれない。
「ヴィクター・ネインさんですよ」
「仲良いの?」
「良くない……は誤解があるな……今会ったばかりです」
「今会ったばかり?」
「ええ」
エリクに説明すべきか、しないべきか。隠す気は無いけどとは言っていたけれど、学校が話す前に私が話をしてもいいのだろうか。でも、もしかしたらエリクにも危険が迫るかもしれない。どうすべきか。
「何で会ったか、言えないの?」
「言えないと言うか、学校側の対応によるというか……」
そう言いかけてエリクの顔を見ると、なんだかものすごくしんどそうな顔をしている。もしかして、体調が悪いのだろうか。このまま行くと、早退の可能性もある。事件についてエリクの耳に入るのも遅くなるかもしれない。
話すか。
被害者がいることだから、他言無用で、と言えばエリクは分かってくれる。周囲を確認すると、幸い周囲に誰もいない。念の為、小声で話す。
「昨日、校内の生徒が、食堂の人にシチューをかけられることがあって、たまたま私がその場にいて、処置の手伝いをして、それであの人は……その関係者で、お礼を言われた……って流れです」
「……そうなんだ、じゃあ、ネイン嬢が」
「学校側が事件に対してどういう対応か分からないから話すか迷ってたんですけど……」
「ふうん……なら、何で話そうと思ったの?」
それまで頷いていたエリクが、突然じっと見つめてくる。え、何地雷踏んだ?何か変な事言っただろうか?
「何でって、エリクが体調悪そうだから、保健室に行っている時にその話をしたりして、エリクの耳に入るのが遅くなって危ない目に遭ったら嫌だし」
そう言うと、ふふ、とエリクが笑いはじめる。今、笑うところだろうか。エリクの笑いポイントが分からない。
「ご主人は、想像力が逞しいね」
「はい?」
笑いをこらえきれない、とくすくす笑う。エリクの笑いのツボが分からない。今笑うところだろうか?
「だから……じゃなくて、ですから、ハイム先輩も気をつけてください。あと、この話は被害者のこともあるし、学校側の対応が分からないし、他言無用でお願いします」
「大丈夫だよ、ご主人との会話は何があっても、誰かに話したりしないよ、絶対に」
エリクは笑いを堪えることにつかれたのか、心なしか表情が硬い。不思議に思っていると、エリクはじっと私を見つめた。
「……ねえ、ご主人。僕のこと、心配?」
「当たり前だよ。じゃなかった、当たり前ですよ」
心配に決まってる。顔色悪いし、事件あったし。それにしても今日は質問が多い日だ。しばらく会っていなかったからか。
「僕もご主人のこと心配だよ」
「ああ、私は何もないですよ、健康体です」
答えると丁度鐘が鳴り、階段のところでエリクと分かれた。
教室に戻ろうとすると、廊下の掲示板にテスト順位が張り出されていた。昨日採点して、順位が出たってことは、今日返却か。
一位にはレイド・ノクターの名前が記されている。公開処刑スタイル……と確認すると、どうやら張り出されているのは学年の上位十名だった。
何だ良かった。確かに全部のせるには人数が多い気がするし、流石に全員は無いよな、と考えながらぼーっと名前を見ていくと、自分の名前を発見した。しかもレイド・ノクターのすぐ下。学年二位である。
……メロとフォレスト、凄い……!
結果を見て、驚愕する。アーレン家では、家庭教師は現在雇っていない。家庭教師を雇っていた時期もあったけど、家庭教師の方から「辞めたい」と言われることが続き、今はメロやフォレストに教わっている。二人の先生は、分かりやすいし、分からないところがあっても聞きやすい。だから新しく家庭教師を雇うことなく、ずっと二人に任せていた。
すごい……、学年二位ってすごい……メロとフォレスト、完全に教えの天才では……?塾が開ける……!
投獄死罪がどうにもならなくなり、使用人を一斉に解雇する際には、メロとフォレストには教職の道も提示できるようにしよう。私は興奮しながらもそう考えながら、教室に戻り、自分の席に座る。そしてふと気づいた。
エリクに何の用事があったか聞くことを。
まぁ、今日エリクが何か言ってこなかったということは、緊急ではないだろう。
私は特に何も考えることなく、席につき、鞄からペンケースを取り出すと、一時間目の授業に備えた。
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