忍び寄る影はすぐそこまで来ている
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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「みすてあおねーさま!あそぼ!」
アーレン家の屋敷、つまり自宅にて、ザルドくんと遊ぶ。……レイド・ノクターの監視の元。
事の発端は、ほんの一時間前のこと。
レイド・ノクターとの帰り道、それは戦場と牧場の狭間であった。教室から下駄箱、校舎から門近くの馬車に辿りつくまでの間、主人公に出くわしちゃった、なんて洒落にならないと怯えた私は、前後左右をしっかり確認し、半ばスパイの如く周囲に注意を向けていた。
そんな私にレイド・ノクターは、気にすることなくすたすた歩いていたが、校舎から出て少し歩いたところで「ねぇミスティア、あれ」と言って突如私の腕と肩を引いた。その勢いと速度により、あわや脱臼寸前だったところが戦場要素である。そしてレイド・ノクターが示した先にあったものが牛の銅像だった、というのが牧場要素である。
何故校門近くに牛の銅像があるのかも、レイド・ノクターが何故突如無邪気になった理由も、全く分からない。ただただ怖かった。今まで彼は、特に牛に強い関心があるそぶりを見せたことは無い。銅像に惹かれるそぶりも無かった。それは瞬間最大風速的に彼の中で電撃が走るが如く、銅像と牛に興味が出たとしか思えない勢いで、怖かった。めちゃくちゃ怖かった。
真面目を突き詰めすぎるとふとした拍子に異常行動に出ると言うが、その類だろうか。怖い。
得体のしれない恐怖を感じながら、またスパイ活動をし、命からがら馬車に乗り、学校という魔境からレイド・ノクターと共に脱出したのである。
そしてそのままレイド・ノクターを屋敷まで送り届けたわけだが、そこで丁度お兄ちゃんを待っていたザルド君と遭遇し、「みずであおでーちゃんとあぞびだい!」と泣かれ、連れ帰ってきたのである。断じて人さらいでは無い。
そして弟狂いであるレイド・ノクターも、当然一緒に来るわけで。
現在、私、ザルドくん。監視役のレイド・ノクターと三人で、ごっこあそびに興じている。
監視員ことレイド・ノクターは終始笑顔だが、その笑顔が怖い。挙動が不審とか、目つきが気に入らないとかで逮捕されかねない。
さっきまでは、魚の学校ごっこで、私、レイド・ノクターは生徒、ザルドくんが教師役で学校ごっこをしていた。
そして現在はお店屋さんごっこだ。私が店員、二人が客だ。
「いらっしゃいませ」
「みすてあおねーさまください」
「ああーお姉ちゃんは売ってないかなー」
ザルドくんは、さっきからしきりに人身の売買を要求している。しかし、人身売買の概念を五歳の子どもに教えるなんて教育に悪すぎる、ここはしっかり対応しなければ。
「店員さんはねー、売ってないんだよ、商品じゃないからねー」
「じゃあなんでおみせにいるの」
すごい剛速球が来た。人身売買斡旋の次は無人営業を推す姿勢。経営者の才があることもすごいし、この年でそれが現れているのもすごい。
「お姉ちゃんはねー、お客さんからーお金を受け取って、おつりを返すためにいるんだよ」
「じゃあ、みんなおつりいらなかったら、おねーさまもいらない?」
やめてくれ、ごっこ遊びと言えど無職にしようとしないで。人件費削減をこの年で考えてる才能はすごいけども。
「おみせ、かえば、おねーさまもらえる?」
震えた。買収される。経営者だ。もう完全に経営者の目をしている。
「うーん、お店には、袋につめたりする人は必要だからねー、あはは」
「ふくろいらないから、おねーさまほしい、ください」
言いくるめられている気がする。流石レイド・ノクターの弟と言うべきか。頭がいい。
「ミスティアお姉様は、ザルドの年では買えないんだよ」
すっとレイド・ノクターが横から入ってくる。いややめてくれよ、人を成人指定商品みたいな扱いをするんじゃない。
「じゃあ、おとなになったら、かえる?」
「どうだろうね、でもザルドが買う時期には売り切れてるんじゃないかな」
怖い。ザルドくんが「欲しい」というのは無邪気さと経営者の才能を感じるけど、レイド・ノクターがそう言うと純粋な恐怖を感じる。内臓とか、臓器どうにかされそうな気しかしない。
「あの、ザルドくん、違うごっこ遊びにしない?」
これ以上店ごっこを続けると、最悪裏社会のハードボイルドストーリーが展開されてしまう。五歳児の情操教育としては良くない。本当に良くない。
「じゃあ、けっこんしきごっこしたい!」
結婚式ごっこは、ザルドくんとごっこ遊びをする時、数多あるごっこ遊びの中で、所望率約八割を超えるごっこ遊びだ。
はじめは、二人でする結婚式ごっことは……と戸惑ったものの、開始してみれば、新郎と神父は勿論の事神父と受付の友人、新郎に招待された客と新婦の母親、など中々変化球の配役は多岐に渡り、奥深いものがある。というか新郎、新婦、神父は今まで一度も登場したことが無い。
「おねーさまは、けっこんしきにきた、おはなやさん。ぼくとおにーさまは、はなむこさんの、おともだち!」
また斬新な配役だ。結婚式のお花を飾る人と、新郎の友人とか、もうめちゃくちゃに接点が思い当たらない。「あっそこの花触らないでくださいー」とか、注意している光景しか思い当たらない。
「じゃあ、いいものがあるから、ちょっと待ってて。」
レイド・ノクターは、爽やかな笑顔を浮かべ、さっと立ち上がる。そして自分の鞄からごそごそと何かを取り出そうとしている。
まさか、私はここで始末されるのではないだろうか。
鈍器と刃物のイメージが沸きあがる。いや、流石に殺されはしないはずだ。弟の手前、血濡れ事件はさすがに起きないはず。
すると一瞬にして視界が白くなった。
「え」
「ザルドと、結婚式の真似事をしていると聞いて、小道具を用意していたんだけど丁度いいと思って」
そう言って、レイド・ノクターが差し出したのは一枚の紙とペンだった。良かった。普通の紙だ。よく見ると婚姻誓約書、と書かれている。
この国では婚姻届けを役所に提出……ならぬ婚姻誓約書を双方直筆で署名し国に提出するシステムだ。その誓約書の本物……はさすがに無いか。模したものだろう。
流石レイド・ノクター。ごっこ遊びであろうと妥協を許さない。リアリティを追求するタイプか。あれ、でも花屋と新郎の友人で、使いどころが無いのでは……?
「じゃあ、配役変える……のかな?」
「いや、配役は変えない。その結婚式の花婿、花嫁の誓約書ってことで、ね、ザルドはどう?」
「うん、そうするー!」
ザルドくんは嬉々としている。微笑ましい兄弟愛だ。
「はじめは、ザルドとミスティアの名前にしようか」
「わーい!やったー!」
え、いいのか?この後、殺されないだろうか。
ザルドくんが、誓約書に記入する。子供ながら達筆だ。この後に書くのは気が引ける。大分気が引ける。
「おねーさまどーぞ!」
ザルドくんから誓約書を受け取り、名前を記入すると、記入した誓約書がひらりと引き抜かれた。
「よし、じゃあ一枚目は完成。次は僕とミスティアだ」
レイド・ノクターがまた鞄から誓約書を取り出す。一体何枚持っているんだろう。そしてレイド・ノクターはささっと名前に記入する。達筆だ。ザルドくんといいレイド・ノクターといい字が綺麗すぎる。この隣に文字を書くのは公開処刑に他ならない。人生で最も書き、これからも書くであろう名前でここまで不安な思いを感じるとは。レイド・ノクターから誓約書を受け取り、名前を記入する。うん、公開処刑だ。字の練習をしようと決意していると、レイド・ノクターが誓約書を鞄にしまう。鞄が役所、という設定なのだろうか。
「受理しました、早速はじめようか」
レイド・ノクターの呼びかけに、ザルドくんは、すんと澄ました顔をした。役に入り込んでいる。経営者の才能もあるし、役者の才能もある。
「こんにちは、きれいなおはなですね」
ザルドくんの優雅な所作からは五歳児ではなく、確かな新郎の友人感を感じる。
「ありがとうございます、今日の結婚式の為に用意したお花ですよ」
「ほんとうにうつくしい、まるであなたのようだ」
さらり、とザルドくんが、私の髪を撫でる。新郎の友人はプレイボーイの設定のようだ。驚きである。
「いえいえ、そんなことは無いですよ」
「ぼくは、あなたとけっこんして、おはなやさんを、ひらきたい!」
そう、必ず最終的に結婚する流れになる。どんな変化球の配役だとしても、子供の考える配役だ。結婚式にいる人は結婚しなきゃいけないと思っているのだろう。あれ、でもこのままだと花屋乗っ取られ……
「ええ、でも私は、貴方に相応しくないですわ」
「そんなことない、いっしょにここで、おはなやさんをひらこう」
結婚式場の土地が購入されてしまう。突飛すぎる。驚きである。というか、さっきからレイド・ノクターが全くごっこ遊びに参加してこない。どういうことだ。様子を伺うと、鞄にしまった誓約書をチェックしている。プロ意識が高い。友達役と役所の職員役、一人二役をしているのか。
そうして、私たちは、日が暮れるまでごっこ遊びに興じた。
そしてごっこ遊びから一夜明け。入学二日目。
私は早朝に学校の門をくぐっていた。主人公はよく遅刻をしていたし、うっかり鉢合わせなんてしたら目も当てられないからだ。やっぱり主人公とは、出会わないに限る。一度も話したことが無い。そんな関係がベストだろう。
始業開始までの間は、勉強する。
二日目である今日は、学力テストだと予定表に書いてあった。午前授業のはずだから、昼前に帰宅できる。問題用紙は持ち帰れるはずだから、解答を問題用紙にうつしておいて、屋敷に戻り次第メロと答え合わせだ。
きゅんらぶでは、半ばダイジェスト的に、
(そういえば、学力テスト受けたんだった)
とあったが、学力テストは成績に関わる。
投獄死罪デッドエンドを超えても、成績が悪くて落第なんて笑えないし、エリクとレイド・ノクターが更生したら即座に留学する夢もまだ諦めていない。申請書類は臨終してしまい現状八方ふさがりで絶望的状況だが、留学にあたって成績が良いに越したことは無い。
下駄箱で靴を脱ぎ、上履きに履き替える。そう言えば中世の世界観と言えど、学校の上履きの概念はあるんだよな。流石日本製のゲーム。
大学や専門学校は土足……といえど高校は上履きだった。学校に土足っていうの、結局一度もしてないのか。
そんなことを呑気に考え、ロッカー側の扉から教室に入ると、私の席に何者かが座っていた。不審者。という単語が頭をかすめるが、後ろ姿でも分かる。ちゃんとこの学校の制服を着ている。男子生徒が、私の席に座っている。一瞬教室を間違えたのかと一歩下がり札を確認するが、正しい。私の在籍するクラスだ。
となると、考えられる可能性は三つ。彼が教室を間違えている。彼が座席を間違えている。とにかくこの座席が好き。
どちらにせよ、声をかけなければ。
まずは、挨拶からの方がいいはず。どうしよう、目の前に行ったら威圧を与えるだろうか。それとも横から?
でも突然横からスライドしてくるのが許されるのはゲームだけだ。驚かせてしまう。いっそここのまま、入り口の近くのほうがいいか。
「おはようございます」
なるべく明るく声をかけると、私の席に座っている男子生徒がこちらを振り返る。
「あ、お、おはようございます」
戸惑っている様子だが、挨拶を返してくれたし、会釈までしてくれた。「俺に構うな」とか「俺の座った席が俺の席なんだよ!」タイプでは無さそうだ。良かった。
「あの、そこの席なんですけど、間違えてたり、しませんか?」
なるべく責めていると思われないように、慎重に話すと、男子生徒は停止し、目を瞬かせたかと思えば、ガタンッと大きく立ち上がり、周囲を見渡しはじめる。
「ここ、Fクラスですよね?」
縋るように、助けてと言わんばかりの表情だが、現実は残酷だ。彼は教室を間違えている。入学二日目。教室を間違える。
きっとショックだろうが、その残酷な真実を伝えなければならない。
「ここ、Aクラスです」
確かロッカーに「A1」など、クラス番号がふられていたはず、とその番号を指すと、「あああああ」と、男子生徒は呻き、項垂れた。波乱の幕開け。唯一の救いは、その目撃者が一人だけ、ということくらいしかない。
しかも「新学期あるある」ネタで片付けられない。幼稚園も小学校も中学校も無いきゅんらぶの世界。彼は、はじめて学校に通うのだ。入学二日目はじめてのクラス間違え。心が折れる。
私は彼の心の傷を抉ることの無いよう、丁重に声をかけ、丁重にFクラスまで男子生徒を見送り、丁重に着席したのであった。
それにしても、今日は何でもない日。昨日と一転。普通の日だ。
エリクとアリスは出会っているし、レイド・ノクターとアリスは会話をしていた。出会いイベントは完遂、経過観察をしながら、攻略対象とアリスが一緒にいる状況に出くわさない様に、気を付ければいい日。そしてテストを頑張る日。
何でもない日。なんて素晴らしいんだろう。私は自分以外誰もいない教室を見渡して、大きく伸びをした。
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