浮上する運命
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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「ここが客間だよ。といっても、この間来たところだけどね」
そう言って、レイド・ノクターは客間を前にして困ったように笑う。でも、私も困っている。
地獄の沈黙から二週間。何故か我が屋敷に届いたノクター家からの招待状により、何故か私はまたノクターの屋敷に招かれていた。
およそ一週間前ノクター家から送られ、てっきり「婚約お断りでしょ、間違いなく」と期待し開いた手紙には超要約して「また屋敷に来てくれませんか」という内容が記されていた。そして、手紙を受け取った我が父が「では近いうちに」と返事をし、双方の予定を鑑みた結果、現在に至る。展開が早い。ついていけない。
この、レイド・ノクターという攻略対象の存在が現れ始めてからの、婚約が実はほぼ決定や、屋敷への来訪など突然の連続と強引すぎる物事の動きは、「レイド・ノクターには婚約者がいる」という設定を崩さない為の、世界の理的なものが働いているんじゃないかと疑わざるをえない。
そして今日も屋敷に着き、お母さんとお父さんはノクター夫人と大人のお話をすると別室へ、工場で仕分けされる野菜の如く流れて行ってしまった。そのせいで今日もまた、レイド・ノクターと二人きりである。
ちなみにノクター伯爵はどうしても外せない用事があると出て行き、私両親対ノクター夫人という図式らしい。「ごめんなさいね、招いておいて」と夫人が謝っていたが、出来ることなら永遠に招かないでほしかったという気持ちも拭えず歪んだ罪悪感に襲われる。
……しかし、考えど考えど全く意図が分からない。あの沈黙の顔合わせをしたのにも関わらず、何故不審者令嬢ミスティア・アーレンを家に招くのだ。
「次は何処へ行こうか、ミスティア」
廊下を歩きながら、レイド・ノクターが嬉々として笑う。今回も一緒にお茶を飲むものだと思っていたが、「今日は屋敷の中を案内するよ」というレイド・ノクターの言葉により、現在屋敷を徘徊ならぬ案内してもらっている。案内してもらったところでこの屋敷に住む日なんて永遠に来ないし、知る必要は何処にもない。出ていく扉だけ知りたい。
そして前回の地獄の沈黙などまるで覚えていないかのような彼のこの笑顔も、この恐怖心を煽る要因の一つだ。心の広さ故だろうが怖いものは怖い。今はその心の広さが怖い。この優しさが、いずれ憎悪に変わる瞬間を知っているからさらに怖い。
「行きたいところが思いつかないかな?」
レイド・ノクターはこちらに笑いかける。はい。地獄と刑務所以外ならどこでもいいです、という言葉を飲み込み曖昧に笑い返した。彼と会うたびに、曖昧な笑みの技術が向上していく気がする。
というか彼は本当に前回の対面を忘れているのだろうか?
二週間と言えど、人はそんなに簡単に物事を忘れられる生き物ではないはずだ。二週間前の食事ならまだしも、婚約不審者との初対面、あの記憶が強く記憶に残らないはずがない。白?を基調とした王宮のような廊下を歩きながら、そっとレイド・ノクターの歩く背中を見つめる。
……もしや、婚約者との初対面だからこそ、あの地獄の沈黙を「恥」だと捉えたレイド・ノクターが、両親の手前正直に話せず、持ち前の善良性で仮にも婚約者を悪く言えず「ミスティアいい人でしたよ」なんて曖昧に誤魔化し、それを彼の両親が「いい人」と誤解したなんていう、誤解が誤解を生んだ状況なのでは?
彼の後ろを歩きながら考えていると、突然レイド・ノクターが停止する。危うくぶつかりそうになるが、距離が開いていて接触はしなかった。レイド・ノクターはこちらに振り返り、「ここの先が、父の部屋だよ」と言って、目の前を指で指し示す。豪壮な、いかにも屋敷の主の部屋ですよ、といった扉があった。いかにも王様の部屋の扉ですと言わんばかりの、扉。しかし気になるのはレイド・ノクターの表情だ。どことなく悔やむような、悲しむような、どちらともない表情で彼は扉を見つめている。
「まあ、父はあまり家に帰ってこないから、覚えなくていいけどね」
ぼそっとレイド・ノクターが呟く。その声は、今まさに彼の触れられたくない部分、要するに地雷を踏んだんじゃないかと不安がよぎるような声色だ。
でもレイド・ノクターとお父さんのイベントなんてあった覚えもないし、今朝喧嘩して気まずいとか、そういう可能性もあるはず。
「ああ、僕としたことが大広間を案内するのを忘れてた、こっちだよ」
レイド・ノクターははっとして私の手を取り、踵を返し来た道を戻っていく。声色も表情も、こちらを気遣うものに変わった。違和感を抱きながらもそのまま少し歩いていると、大広間に通された。
「ここが大広間だ。今度夕食会を開くから、ここで一緒に食事をしよう」
レイド・ノクターは私に見て回ってもいいと伝えるようこちらに顔を向け、手ぶりで奥へ入るよう促してくる。間違いなく最後の晩餐だ。死ぬやつだ。そう心の中で彼の言葉に震え上がりながら部屋の中をぐるりと見渡す。
すると視界に入るのは、白と金を基調とした調度品たち。
そして中央には、人間の火葬も可能そうな事件の匂いがする暖炉。白地にも関わらず煤が見当たらないのはきちんと掃除をしているからだろう。その上には肖像画が飾れそうなスペースがあり、そこも白く、まるで一枚のキャンバスのようだ。
だからだろうか、不思議とその空間が気になって仕方がない。部分的に色が違うならば実は死体を隠して塗装している、隠し扉があることが疑われるが、本当に何もない空間。真っ白な壁だ。でもそのスペース以外は、壁に花や装飾がかけられ、まるでその場所を開けているかのように、そこだけに何もない。
「僕たちは、ここで食事をしていたんだよ」
じっと空きスペースを眺めていると、レイド・ノクターが沈黙を気にしてか口を開いた。その言葉に「……していた?」と疑問を感じるままに返答をすると彼は「父は忙しいし、母は食事をとらないときがあるから、それに二人とも、大体自室で取るんだ」と、どこか寂しそうに返す。
「そうなんですか」
「別に、一緒に食べても食べなくても同じだけどね」
父を語る彼は責めているような寂しそうな、かといってそれだけじゃないような不思議な顔をする。レイド・ノクターとて十歳の少年だ。父親が中々家にいないことは寂しいのだろう。
それにしても、空きスペースが気になる。ついつい食い入るように見つめてしまう。どうにもこの部屋に違和感があるのはこのせいなのか。家族の肖像画でも飾ればいいのに、なんてお節介なことを思うのではなく、家に帰ったら空き巣被害に遭っていたけれど、何を盗まれたか分からないような、そんな違和感がする。
いや、空き巣に入られたことは無いけれど。
何だろう、致命的な見落としをしているような。しかしこの空間から何かが現れる気配も、実は何かが封印されているということは無いはずだ。そもそもそういうゲームじゃないし。
「あの人は自分にも他人にも厳しい。忙しいから、仕方ないことだよ」
相槌を打とうと思いながら、何となくレイド・ノクターの言葉に引っかかるものを感じる。彼の物言いや、雰囲気、声色ではなく、その言葉自体にだ。聞いたことがあるような、そんな気がする。
――運命だから、仕方無いことだよ。
そうだ、これだ。
「何かあった?」
じっと食い入るように壁を見つめる私を、レイド・ノクターが不審がる。そんな彼の表情を、その硝子を海に透かしたかのような蒼の瞳を見て納得した。ああ、そうだ、この言葉はゲームの中で、レイド・ノクターが彼の母の墓前で発した言葉じゃないか。「運命だから仕方がない」そう言って、悲しげに彼が言ったのだ。
そうか、なるほど、そこで聞いた言葉だったのか。
「すみません何でもないです」
愛想笑いをつくり誤魔化すと、レイド・ノクターは深く追求することも無かった。そして私から視線を外し、そろそろ移動しようと広間の扉に手をかけ私に促す。促されるまま彼の方へ向かいふと立ち止まった。
……レイド・ノクターの母の墓前?
墓前って、死ぬところじゃないか。そう考えて、ゲームのイベント映像がまるで目の前に投影されたかのように映し出される。主人公が、彼と一緒に彼の母のお墓参りをするイベントが。
ある時、レイド・ノクターは唐突に学校を休む。主人公が気になりノクターの屋敷へ向かうと、丁度レイド・ノクターはどこかへと出発する途中で、話の流れで一緒にどこかへ向かうことになる。そしてその場所は、墓地だった。彼は命日に母の墓参りへと向かい、主人公は同行することとなる。そして墓参りを終えた帰り道に、レイド・ノクターは淡々と語るのだ。母がどんな存在であったかと共に、その死の理由を。夫人は殺されたのだ、彼が十歳の時に。夫人に届かぬ恋心を抱き、その恋の炎を憎悪の炎に変えてしまった実の甥に。彼の母はゲーム開始にはもういなかった。もう亡くなった状態だった。
あの今まさに空いているあの空間に、レイド・ノクターの母、ノクター夫人の肖像画が飾られていて、そのイベントの前にもノクターの屋敷に来たことがあった主人公は、そこであの肖像画の女性がレイド・ノクターの母だと知る。だから違和感を感じていたのだ。あったはずの肖像画が無かったから。
そして、その絵が存在していないことに、不思議を感じた。
でも、夫人は今はいる。今日は生きている。
……今日は?
――母を殺すときに二人で幸せになろうと、彼は言ったんだよ。劇場の前でね。
温度の無い声で、そう、レイド・ノクターは墓前で話していた。母は、狂った甥に殺されたと。目の前の彼は十歳だ。ということは一年以内に彼の母は殺されることになる。確か、その季節は、ちょうど今頃。
彼の母のお墓参りに行く日は、彼の母の命日は、
「明日だ」
呟いたその瞬間、糸が切れたようにゆらりと私の意識は遠のいていった。
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