冬 ミスティア・アーレン 神隠しの怪
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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冬の寒さの随所に、春の訪れを感じさせる今日この頃。私はいつになく焦っていた。
事の起こりは、遡ること昨日の朝。朝食を取っていた時、何の気なしに父が知り合いの伯爵の令嬢が留学するのだと話したからだ。
公爵家の令嬢が、貿易を学びたい、世界を自分の目で見て、見聞を広めたいと我儘を言って留学に旅立ったらしい。うちのミスティアにもそんな日が来るのかと思うと涙が出て来たよ、ははははは。という何気ない家族団らんの会話。平凡かどうかは怪しいところだが、伯爵家の会話としては最も平和な部類。
私が留学するなんて一言も言っていないのに泣く父。そんな父を横目に、料理長が一生懸命作ってくれたであろうオムレツを黙々と食べながら、ふと気付いたのだ。
そうだ、留学すればいいのだと。
一向に無くならない、レイド・ノクターとの婚約話。それどころか、「卒業を機に式を挙げて」と滞りをみせることなく具体性を帯びてきている。
当初、私とレイド・ノクターの婚約は、婚約は決定であるものの、そこから挙式、婚姻を結ぶなどの具体的なものへ進んでいくまでにはぼんやりとした、ふわっとした雰囲気があった。それはそもそも私が一人娘で、私がかなり危うい状態で生まれ母子ともに危険であった中奇跡の両者生還を果たしたことで、もう子供は儲けず三人で仲良く生きていくということが決定していたこと、そんな私の婚約者が、ノクター家の一人息子であるレイド・ノクターに決定し、いわゆる片方の相続しなかった家督はどうするの問題が立ちふさがっていたからだ。レイド・ノクターがこちらに婿入りするか、それとも私があちらに嫁入りするか。それはおいおい情勢を見て考えていきましょうとふんわりとしていた矢先、ノクター夫人が懐妊し、男児を産んだ。
要するに、ノクター家に後継ぎが出来たのだ。さらにレイド・ノクターは「僕はミスティアと結婚する以上アーレン家も大事だ。だからきちんとアーレン家のことを考えていきたい」とある種の相続放棄宣言をし、婿入り宣言をここ最近したことで、レイド・ノクターの婿入りの具体化、そして結婚式の日取りなどが鮮明化したのである。
だからこそ、何としても今のうちに、これ以上具体的に話が進む前に解消をしなければならない。
これまで、私は具体的に両親に対して婚約解消について働きかけることはなかった。
十歳の時は、信じて貰えない、まともに取り合わないだろうと話をしなかった。十一歳の時は、ノクター夫人はザルド君を出産、精神を不安定にさせる訳には……と話をしなかった。十二歳の時は、育児には精神に負荷もかける。息子の婚約解消まで出てきたら負担に……と考え話をしなかった。
しかし今は十三歳。本来ならば中学一年生。小学校も卒業しているお年頃だ。両親に婚約の相談をしてまともに取り合ってくれる年齢に達した。それに、夫人の育児も徐々に落ち着いてきている。
夫人に伝えるのは後にして、まずはレイド・ノクターにその旨を話そう!
そう決意した私は、この夏にレイド・ノクターに「あの、本当に勝手なんですけど…」と前置きしてから、「婚約を一度解消してみませんか」と言おうとした。言おうとしたのだ。しかしそれは叶わなかった。途中で何者かに邪魔をされた訳ではない。突然レイド・ノクターが退出した訳でもない。
私が、「婚約を一度解消してみませんか」の「婚約」の「こ」を言った瞬間、「婚約は絶対解消しないけど、何が勝手の話なのかな?」とレイド・ノクターはにっこりと笑ったのだ。
さらに「同じことを何度も聞かれるのって楽しくないよね」と続けた。私の心は一瞬にして恐怖に支配され、折れかけた。だが、それでも何とか己の心を奮い立たせ、理由を尋ねようと口を開こうとしたら「僕の話、聞いていたよね?」と睨まれた。
私の心は折れた。折れて、欠けた。
それから半年が経過している今日、この留学の話はまさに天命だ。
私もその令嬢の様に、「ミスティア留学したーい」と我儘を言って要求を通せばいい。
エリクとは徐々に適切な、健全な友人関係としての距離を持とうとしているものの、一向にご主人呼びが取れない。残り一年で改善されればいいが、もしかしたらエリクと主人公を出会わせるために動く必要が出てくるかもしれない。入学して、エリクと主人公の出会いイベントがきちんと発生し、エリクが更生したのを確認して、そのまま外国にひとっ飛び。完璧なシナリオだ。
エリクが更生した後、主人公がレイド・ノクタールートに入ることだってあるだろう。しかしその時私は何の行動も取る必要はない。ミスティアはそもそも邪魔をするのが役割で、その邪魔が無ければより二人の恋愛はスムーズに進む。
ただ海外へ飛べばいい。飛んで勉強するのだけでいい。
そうしたら、季節が過ぎ、入学式から一年後、つまりシナリオが終わる頃に、きっと私の元には一通の手紙が届く。「主人公と結婚することになりました、婚約は破棄してください レイド・ノクター」それに「了承しました、どうぞお幸せに」と返信して、何かしらのお祝いの品と共に送ればいいだけ。
どう考えても完璧な流れだ。何の被害も損害もない。留学して婚約がうやむやになった感じと、その間にいい人出来ちゃったなら仕方ないよねという雰囲気の組み合わせによる自然な解消の流れ。突然周囲に「婚約破棄します」と宣言するよりずっと自然。
両家に被害も無い。ああ、なんて完璧な作戦なんだろう。あれこれ作戦を立てずに単純明快にいけばよかったのだ。策士策に溺れるとはこのことだった。危うく危ない橋で危ない人生の階段を危なく上るところだった。
そう考え、すっかり調子に乗った私は、朝食を終え、執事になるべく早く留学資料と書類を用意してもらうよう頼んだ。留学書類一式は午後に届いた。はやい。何より運命的だったのは、学校在学中の留学は入学前に申請することだった。危ない所だった。申請さえしておけば、入学後、いつでも留学を開始、またはキャンセルできるらしいことに安堵を覚えつつ、気合いを入れて書類に記入した。心の解放感と、未来への希望でペンが進みに進んだ。
留学書類は、取得制限がある。一人、三部しか貰えず、それ以降申請できない。その家の使用人が申請することも出来ないらしい。厳しい。一部は予備として引き出しにしまった。
そして残りの二部を全て記入し終えた頃にはすっかり日が暮れていた。
今夜はぐっすり寝られるぞと就寝し、夜が明け目覚めた今、なぜか机の上にあった留学の申請書類が部屋から一切消えていたのだ。
それから部屋の中で書類大捜索をし、朝食を食べ、捜索を再開。そして現在に至る。
「何でないの……何で? 何でだ?」
念のためにと廊下を探していると、深い絶望と焦燥感がせめぎあう。ロッククライミング中に、命綱を無くしてしまったかのような不安感。いやロッククライミングなんてしたこと無いし、そんなことを考えている場合じゃない。
捨てたわけでもない。机の上に置いていたはずだし、窓も開けてないし、一昨日あたりからずっと無風だ。どこを探しても見つからないし、パンフレットの姿すら見えない。書類だけが神隠しにあった。私を置いて。いやそんなこと考えてる場合じゃない。
間違えて捨てた……?
でも昨日は何も捨ててないような…と思考を巡らせていると、いつの間にか後ろに立っていたメロが「何かお探しですか」と尋ねてくる。
「うーん、留学の資料が無くて……」
「……そうなのですか……私も共にお探ししたいのですが、これからどうしてもしなければならないことがありまして、お力になれず申し訳ございません」
「大丈夫だよメロ、私のことは気にせず!」
「すみません。ミスティア様。所用が済み次第すぐにお手伝いいたしますので……」
去っていくメロを見送る。
大丈夫とは言ったものの非常にまずい。焦っている。滝のように汗が流れている。心臓の鼓動がドキドキというよりドゴドゴに近い。
何がまずいといえば、留学申請書類は取得制限がある。無くしたら終わりだ。もう留学できない。
それが無くなるということは私の国外逃亡、もとい国外留学の夢が途絶えてしまうということだ。
とりあえず部屋から飛び出し、玄関周りを大捜索するが、何も見つからない。焼却炉も探してみるが、既に掃除されてきれいさっぱりだ。
どうしよう、三部貰ってフルに無くすとかありえない。
あれ? 三部……?
まてよ、記入したのは二部だけで、残りの一部は、未記入のは引き出しにしまってある。
そこには絶対に触ってないから絶対にある。これはいけると自室に走って向かい、勢いよく扉を開くと、何の運命のいたずらかレイド・ノクターがいた。
「やあ、ミスティア」
「え、こ、こんにちは」
優雅に笑うレイド・ノクターが、机に不自然に手を置いている。視線をそこに向けると転がった花瓶と、ずぶ濡れの留学書類があった。
「え」
「ごめんね、花を見てたら手が滑って、机や床は無事だったんだけど、丁度、これにかかってしまったんだ」
「りゅ、留学、私の、留学書類……」
留学書類は、文字が水に溶け、白紙と化していた。これでは確実に、元に戻すことは不可能だ。レイド・ノクターは私の言葉に驚き、そして申し訳なさそうに肩を落とした。
「へえ、留学の申請書類だったんだ、水でインクが流れてもう駄目かな……本当にごめんね」
意味が分からない。理解が追いつかない。何で部屋にレイド・ノクターがいるのか分からないし、引き出しに入っていたはずの留学書類が何で出て来たのかも分からない。
「……そういえば、留学の書類って取得制限があったね? 責任を持って僕が取り寄せるから、安心して」
レイド・ノクターは私に近づいてきて、安心させるように肩を叩く。申し出はありがたく感謝してもしきれないが、得体のしれないものを感じる。それは、何故だか彼が自身が安心しているように見えるからだ。ロッククライミング中に落下しかけて、安全装置が作動したかのような、危機をぎりぎりで逃れたような。
「本当にごめんね?」
そう微笑むレイド・ノクターの瞳が、なんだか笑っていないような気がして私は身震いするように頷いた。
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