人は気づかないうちにバッドエンドルートに入る
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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一つ一つ駒を進め、守りに徹する。ゲームを開始して早十分。形勢はレイド・ノクターがやや優勢であるが逆転が絶望的なほどではなく、私は完全に手加減をされていた。
「だいぶ慣れているみたいだね、よくやってるの?」
実はオンラインゲームでめちゃくちゃやってました、なんて言えず曖昧な笑みを返す。
そもそも、ゲームをしながらの会話は苦手だ。基本ソロプレイだったのもあるかもしれない。黙ってゲームをすることが普通であったから、全く言葉が出てこない。するとレイド・ノクターは「あ、そうだ!」と何かを思いついたようにこちらを見た。
「ねえ、負けた方がなんでも言うことを聞くっていうのはどうかな?」
何でそういう発想になる? よくやってたら賭けゲーまで始めるの? 生粋のギャンブラーか何か?
理解できない社交的強者の発想に混乱していると、ふと勝利の際の報酬について気づいた。
いや、何でもいうことを聞くということは、このゲームに勝てば、彼を思い通りに出来るということだ。勝って「今すぐこの婚約破棄でお願いします」と言ってしまえば、簡単にデッドエンド回避が出来る可能性は……ない。
言えるわけがない。「チェスゲームに勝ったので婚約破棄します」なんて伝えれば、両親たちには間違いなく冗談と受け取られ、今後破棄する時、確実に響く。
勝っても、得られるものなんてない。負けたとしてレイド・ノクターは私に何を願うのだろう。今は思いつかないから、おいおいという話になって、おいおい「婚約を解消してほしい」とか、お願いしてほしい。そうしたら二つ返事で頷くのに。俯くと彼のキングの位置が視界に入った。
「あ、チェックメイ……」
今ならビショップを置いて勝てる。反射的に近い手癖の動作でレイド・ノクターのキングを追い詰め、チェックメイトと言いかけ呆然とした。勝った、勝ってしまった、私が。レイド・ノクターを負かしてしまった。何がチェックメイトだ。私の人生がチェックメイトだ。どうしよう、彼の機嫌を損ねたら私は死ぬ。恐る恐る彼の挙動に注視していると彼は「わ、僕の負けだ。結構強いつもりだったんだけど、すごいね」と私を称え始めた。
どうやら、勝敗は気にしていない様子。ありがたい、心が寛大。流石品行方正で、誰にでも優しいレイド・ノクター。十歳から器が違う。「あはは」と「……はい」しかまともに会話できない不審者に負かされても、暴れださないし声も荒げない。
「さ、僕にお願いことはあるかな?」
ほっと安堵していると、レイド・ノクターはそのままの調子で願いについて切り出してきた。何の願いにするか。というかここは、願いを伝えるのではなく、願いを伝える体で自身の意思を表明する場ではないだろうか?
願いについて、何とか利用できないかと考える。そうだ、ここで言わずに、突然自分の意思を表明し、相手に理解をさせる。その交渉力が私にあるだろうか? いや無い。全くない。私に交渉力も発言権も心理操作術もスピーチ力も無い。あるなら「あはは」なんて言わない。
―??伝えるチャンスは間違いなく今しかない。
「……では、お好きな……運命を感じられる女性が現れましたら、その際は私に必ず教えて頂けないでしょうか」
「どういう意味かな?」
「協力したいのです。世はいずれ自由な恋愛の形が広がります。ですから私は、その際婚約解消が出来るよう必ず尽力したいのです」
本当に。全力で協力する。この誠意がどうかレイド・ノクターに届いてほしい。私の望みは、家族と使用人の生活の安定だけだ。心を込めて頭を下げる。
「君は婚約に前向きではないの?」
レイド・ノクターが戸惑い気味に声をかけてきた。確かにこの時点でまだレイド・ノクターは主人公と出会っていない、だからこの時点で「婚約破棄に協力するよ」なんて言っても、「何言ってんだこいつ」にしかならない。
婚約者による協力および全面降伏宣言ではなく、突如「あはは」を発する、不審な人間の延長線上の言葉にしかならないのだ。でも、押し切るしかない。
「こ、婚姻は、愛する者同士でするものですから、ね。一生を添い遂げるのですから」
こう言えば、少なくとも不審者ではなく、恋愛至上主義的令嬢の言葉として受け止めてもらえるだろう。それにレイド・ノクターが同じようなことを言っていた。だから大丈夫だと自分に言い聞かせるようチェスセットに手をかけ、片付け始める。
「愛するもの、か」
レイド・ノクターに視線を合わすことなく、そして間が持つように手を一生懸命動かしていると一瞬彼の声が冷えたような気がした。気づかないふりをして視線を下に固定し片付けを続けていると、不意に彼は「ね、僕のことが嫌い?」と私に平坦な、なんてことのない話を聞くような調子で爆弾を投げてきた。
「え」
どうしてまた、よりによって地獄の質問を何故投げかけてくるのだろう。趣味、音楽の好み、食の好み、装飾品や絵画のあまたある話題の中で、何故瞬間最大威力音速の剛速球を投げてくるんだ。意味が分からない。
でも、多分、これは十歳の素直な疑問。他意はないはずだ。
「……いえ、私が言いたいのは、私ではレイド様に分不相応ということです。この先あなたに運命の女性が現れたとき、私との婚約は必ず障害になるでしょう?私は自分の存在が、将来的に誰かの恋路の……幸せの邪魔になることが嫌なのです」
「運命、ねぇ」
レイド・ノクターの懐疑を全力で滲ませる返答に不安になる。
疑わしいとは思いますが、あなたは、今から五年後運命の恋に落ちるんですよ。そしてその恋が私を殺す。そう言ってしまいたいけれど言えない。
かといって、いい言葉が思い当たらず、言葉に詰まる。通夜の様な静まり返った室内に、大時計が秒針を刻む音だけが響き渡る。
全国秒針の音色に耳を澄ませましょうコンテストがあるならば、間違いなく今の私たちは優勝できる。
そうして、地獄のような沈黙は続いた。それが断ち切られたのは双方の両親がそろそろ時間だと部屋に訪れた夕方で、私たちはずっと互いの内情を探るかのように押し黙っていた。
「疲れた……」
ノクターの屋敷から屋敷に帰ると、私は湯あみを済ませ夕食をとることなくベッドに向かった。ぼんやりと寝ころび天井を見つめながら今日について考える。
今日、私はノクター家で、地獄の沈黙を作り出した。そして帰りの馬車で、そのことを大層悔やんだ。しかし、帰宅して時間が経ち、私の胸にあるのは奇妙な安心感だ。今日、私は不審がられて地獄の沈黙を作り出したことをしくじったと考えていたけれど、屋敷に帰りレイド・ノクターという脅威から離れじっくり考えていくとそこまで悪くなかったんじゃないかと思うようになってきた。なぜならばレイド・ノクターに対して、「ミスティア・アーレンは完全なる不審者である」という印象を作り出したからだ。
不審者と付き合いたいという人間は、少ない。
これから何か行動しなくても、このままいけば婚約の話は流れるはずだ。ミスティアは婚約の取りまとめで沈黙という状況は作り出さなかったはず。そして、婚約を無理くり取り付けるようなことはあっても、解消にかかるようなことはしていなかった、絶対不審者感も出さない。
今の私の行動は、ミスティアから確実に逸れている。今日の私の振る舞いは、最適解ではないまでも、ゲームオーバーを目指した行動ではないはずだ。
ミスティアはミスティアでも、中身は凡人。運命って案外簡単な分岐で大きく変わるものなのかもしれない。
「今日はぐっすり眠れそう……」
目を閉じて、羊を数える。羊が二千五百匹を超えた頃、羊たちは共食いをはじめ、徐々に意識は薄れていった。
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