秋 Rによる希望、あるいは現状維持
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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「あの、どうですか、味とか」
アーレンの屋敷でミスティアと夕食を囲み、彼女の作ったシチューを食べていると、彼女は不安げな顔で僕に問いかけてくる。
「美味しいよ」
彼女が僕に夕食を振る舞うようになっておおよそ半年。二週間に一度という当初の約束を、一週間と少しまで縮めた。彼女の屋敷に訪れる際は昼間から屋敷に向かい会う時間も増やしている。
けれど、心の距離が縮まっているとは到底思えない。
一度、夏に彼女は「あの、弟さんも……お母様も元気そうで……、そろそろこの食事会も終わらせたほうがいいのではないでしょうか……」と言った。「また僕は、一人で味の無い夕食を食べるのか」とわざとらしく呟けば彼女は瞬時に信じ、この時間は継続されている。でも、騙しておきながらこんなことを思うのはよくないけど、彼女はとても騙されやすいと思う。
物事への注意力や警戒心は強い方だと思うし、何かしら行動を起こす際に、考え葛藤していることはその様子を見れば分かる。しかし彼女は何かしらの拍子にそれらを無にする瞬間がある。その点に関して不安はあるものの、僕はそこにつけこむのはやめない。
そうして彼女の善意や同情を利用して、会う回数や、一緒にいる時間を増やしても、彼女との心の距離は一向に縮まらない、彼女との信頼関係は未だ築けずにいる。
しかし、進展はある。会うたびに、彼女が僕という存在に慣れてきている様に感じる。
今までは、僕の顔を見ただけで、冷や汗をかき目を泳がせ俯いていた。しかし最近では、俯かなくなった。
常に下を向いていた彼女の視界は、今や僕の首元くらいにまで上がり、あと少しで目が合いそうだ。
あとは、普通に会話してくれればいいと思う。
「そ、ういえば」
唐突にミスティアが、スプーンを置いて、僕の目を見ようとする。
人の目を見て話すのは礼儀だけれど、でも僕は怖いのか。彼女は僕に何かを話すとき、僕の首元を見ている。
「こ、こ、この間、ピアノのコンクール、優勝したとか……」
「ああ、そうだね」
確かに、一週間ほど前にピアノコンクールで僕は優勝した。彼女との手紙を通して、彼女は音楽を嫌いではないが、かと言って興味がありそうにも感じない。だからミスティアには伝えていなかった。
きっと僕の両親が彼女に伝えていったのだろう。ミスティアは意を決するようにこちらを見た。
「お、お疲れ様です練習とか、色々」
「え」
予想と違う、彼女の言葉。
おつかれさま? おめでとうではなく?
疑問を感じた僕を見て、ミスティアはしまった、というような顔をした。
「あー、あ! 優勝おめでとうございます」
目を泳がせ俯きはじめたミスティアを観察する。一番初めに出た言葉は優勝に関するものではなく。僕を労うものだ。
今まで、僕の周りの人間は皆優勝することを、僕が一番であることを当然ととらえて、僕を労う言葉なんてかけてこなかった。確かにミスティアとはまだ会って一年しか経っていない。だから僕が優勝することを、一番でいることを、当然ではないと思っていても、不思議ではない。
「ありがとう。優勝、って言っても、あんまり実感は沸かないんだけどね」
前は、その実感を確かに僕は得ていた。優勝した喜びを確かに感じていた。けど今は、欲しいものを手にした、という感覚よりも、与えられている日課のようなものを消化する感覚に近い。
「……だから、何て言うか、僕より周りの方が喜んでいる感じで、ごめんね。君の反応に驚いてしまったよ」
そう言ってすぐに後悔をした。正直に話しすぎてしまった。どう考えても今の話題は答えづらいものだ。彼女の顔がどんどん悪くなっている。なにか、別の話題に変えないと、そう思って口を開く前に、彼女が恐る恐る口を開いた。
「……コンクールに向けて、練習とかするわけじゃないですか……。努力しようと、いや何かしようと思うだけで、もうそれだけでも十分すごいと、思いますよ」
「え……?」
「それが何であれ、結果がどうであれ、何かに努力した、しようとした姿勢は全て誇っていいと思います。ああ、コンクールに出ようと思うのも……すごいことだと思いますし」
ミスティアは、考えながら一生懸命僕の目を見る。もしかして、ミスティアが僕を褒めようとしている?
「あっ、一番をとるってことも、すごい大変で、難しいことで……すごいと思います。私は。今まで生きてて一番になれたことって、無いので。私から見れば本当にすごいと思っていて……。……えーっと、以上です、な、何も知らないくせに何言ってるんだって感じですね、ごめんなさい」
練習することが、すごい。出ようと思うのも、すごい。今まで当然のように思っていた行為を、ミスティアはすごいと思うのか。
彼女がそう思うなら、今まで当たり前に取ってきた優勝も、賞も意味のある様に思えてくる。
そんな彼女は僕が相変わらず反応が無いことに焦り、冷や汗をかきはじめた。自分の言った一言で、僕の今までの行動へ意味を持たせた。重たかった心を、ふわりと軽くしてしまった。しかし自分が何をしたかなんて、ミスティアは全く考えていないのだろう。それどころか、失礼だったんじゃないかと謝る言葉を探しているのかどんどん目が泳ぎ始める。初めて出会ったとき無表情で、無機質だと思っていた彼女の表情は今はこんなにも豊かで、その機微が分かることが、こんなにもうれしい。
「君がそう言うのなら、これからはもっと頑張ろうかな」
ミスティアの顔が俯きはじめたところで返事をすると、彼女が顔をあげる。喜ぶというより、「助かった」という顔だ。
今僕は、彼女の心を重くすることしかできないけど、いつか僕の存在が彼女の心を軽くするものになって欲しい。
そう願いながらまたシチューを一口食べる。窓の外で僕たちを傍観するように、秋風が木々を揺らしていた。
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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