夏 執事の観察、あるいは推察結果
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
◇予約ページ◇https://tobooks.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=3106846
◆攻略対象異常公式アカウント◆https://twitter.com/ijou_sugiru?s=20/
アーレン家に勤めて六年、ミスティア御嬢様は十一歳になり、初めのころはやる気なんかなかった俺も、今や立派な執事として働いている。胸元につけた懐中時計の時刻は正確に、最近では片眼鏡なんかもつけてみた。別に視力に問題はないからはめ込まれているのはただの硝子だけど。
ということで、片眼鏡をつけいかにも執事らしい歩き方……家令であり執事長の真似をして廊下を歩いてみる。でも外は普通に茹だるような暑さで、すぐにうんざりと肩を落として廊下を歩く。アーレン家で迎える六度目の夏。今年も面倒な季節がやってきた。「使用人の増員雇用」の夏だ。
春には何かと当主様が忙しく、当主様を煩わせないよう使用人も機敏に動く。その時期に新人教育などしていられないと、毎年夏に新しい使用人を雇用する。
人が増える。それ自体はいいことだ。一人当たりの仕事量が減り、仕事が早く終わり、その分休める。給料はいつも通りで、身体はいつもより楽。いいことしかない。
しかし、アーレン家で勤めるにあたっては、むしろ悪いことしかない。一人当たりの仕事量が減り、仕事が早く終わることは御嬢様と関わる時間が減る。それどころか、御嬢様を慕うものが増える。もしかしたら御嬢様を狙う屑の可能性もある。むしろ最悪なことしかない。なんて面倒な季節だ。最悪だ。使用人は、今のままで十分だ。むしろもっと減らしたいというのが使用人の総意だ。
しかし当主様は、毎年使用人の数を増やそうとする。御嬢様の進言によって。というかあの人は基本御嬢様の言葉か自分の妻の言葉でしか動かない。昔はもっと活動的だったらしいけど……ともかく御嬢様はどうやら、俺たちが人手不足の中、死に物狂いで人員をやりくりして働いていると認識しているのだ。他の屋敷と比べて使用人が圧倒的に少ないと感じているらしい。確かにその通りだが、別に人がいないのではなく減らしてる結果だ。俺たちが自主的に。
しかし、御嬢様が心配をしてくれるのは嬉しい。御嬢様の思考の中に俺がいるのだと考えるとずっとそのままでいてほしいと思うし、御嬢様の望みは全て叶えたい。でも人員の増員だけは別だ。人が増えれば御嬢様と関わる機会は減り、御嬢様を慕う者が増える。だから、俺たちは減らしてやらなきゃいけない。
基本的に、害虫の雇用は、希望職の長、つまり執事長、掃除婦長、料理長などが、送付された履歴書の審査から面接、採用、新人指導までを担う。
処理の機会は書類審査、採用面接、雇用後の解雇と三回だ。そこで少しずつ振り落としていき、増員を抹消する。全員書類審査で落としても当主様が不審がる、面接で落としても不審がる。だから段階を踏む。
ああ、なんて面倒なんだろう。御嬢様に時間を使いたいのに、屋敷に訪ねて来た害虫処理に時間を割かなければならない。不快だ。ただでさえ去年から、御嬢様を危険に晒したクソ婚約者だの、自称友達御子息様が御嬢様につきまとっているんだ。余計害虫の相手なんてしていられない。
当主様から受け取った、害虫の素性や経歴が書かれた書類を持って溜息を吐く。これを各使用人の長にこれから届けに行かなければならないのだ。我が屋敷の、倫理観も道徳心も普通じゃない狂人たちに。憂鬱でしかない。
まずは料理長だ。御嬢様は昼食を終わった時間だろうから、忙しくはないはずだ。
……ああ面倒くさい。料理長は、使用人長連中の中で最も情緒が面倒臭いのだ。
厨房に入ると、料理長は御嬢様の夕食のメニューになるであろう肉を叩いていた。打撃するみたいな音が響いてうるさい。
「料理長、これ、今年の雇用の書類です」
「ああ! 今年もそんな時期か! ははは!ありがとう! その鍋の近くに置いておいてくれないか!」
料理長の指さす方向には、煮立たせた鍋が置かれている。そんなものの近くに置いたら燃える。それ狙ってんのか。にこやかにこちらに顔を向ける料理長は、一見雇用について歓迎しているように見えるが、こいつは、過去に居た料理人、菓子職人、パン職人を、「御嬢様が食べるものを、俺以外が作っている。それをただ眺めることに耐えられない」と嫉妬に狂い解雇した過去があると聞いた。本人から。
それからずっと、アーレン家の食事はこいつが全てやっているらしい。菓子もパンも、何もかも。初めて聞いた時は冗談かと思った。でも御嬢様が居る時の料理長の挙動と、毎年この時期のこいつの様子を見れば、納得する。
こうしている間にも、料理長が肉を叩く速度が早まり、どんどん力も込められていく。ああ、きっとあの肉は「御嬢様に食べさせるわけにはいかない」とまかないになるんだろう。
料理長はそんな風に肉を叩きながらも、にこやかに、口元は無理やり笑みを作っている。しかしその目は間違いなく嫉妬と憎悪が込められている。きっと、想像したのだ。自分以外の人間が、ここで御嬢様への料理を作る姿を。今年も、厨房は増員されないんだろうな。つーか情緒不安定すぎだろ。逆に怖いわ。
八つ当たりされる前に、はやく出よう。
厨房を出る寸前、料理長が叫びだした。振り返らず、今日のまかないは肉団子で、下手したら明日もそうなるだろうと考えながらその場を後にした。
次は、庭師の元だ。こっちは料理長ほど情緒が狂っているわけではないが、危険人物に変わりはない。
奴は、元は五人体制だった庭師が抜け、補充された五番目だった。そして新人として奴が入って三か月後、他四人の庭師が一斉に辞めたと執事長から聞いた。
辞めた庭師の退職理由は「良い就職先が見つかった」「親の病気」など様々で全員異なる理由で、不審点は見つからなかったが、同時期に四人。未だに何をしたのか分からないが、奴の仕業に違いない。
それに、庭師が来てから毎年、新人庭師志望の害虫のほうから採用や書類審査、面接の取り消しを求めてくるのだ。裏で絶対何かやってる。
だから庭師は現在一人だ。しかし奴は庭師の長を名乗るわけでもなく、庭師としてこの庭を取り仕切っている。この屋敷で庭師として在り続けるのは、永遠に自分だけだと宣誓するように。
庭に入ると、脚立に乗って枝を剪定する庭師が居た。
「雇用書類を届けに来ました」
「その作業道具の上にお願いします。飛ばないように石を置いてくださいますか?」
庭師は手を止め、書類の置き場を指定し、また剪定を再開する。言われた通り脚立のそばにあった作業道具の上にのせ、飛ばないように石を置いて、俺はさっさと庭を去った。
奴とは、関わらないに限る。情緒は普通で、一切取り乱した様子も、気に留めた様子も見せなかったが、さっきだって履歴書と聞いたとたん、規則的だった枝を切り落とす音が、明確に力が込められたものに変わっていた。何されるか分かったものじゃない。
身震いして振り返る。アーレン家の庭は広い。普通なら五人体制でも困難な広さだ。この広さの庭を一人で整えさらに独自の研究を行っているのは、最早人のなせる業では無い。研究も「御嬢様の為に季節が異なる花を咲かせたい」なんて言っているが、実際はどうだか分からない。
毒物だと認識されない花、嗅いだだけで人を死に至らしめる花、人の精神に作用する花、くらいは研究していそうだ。美しく咲く花壇の下だって、死体の一人二人いてもおかしくないだろう。俺は半ば逃げるように屋敷へと帰っていった。
「はぁ、やっと終わった」
丁度広間を掃除していた掃除婦長に書類を渡し、それから順番に使用人の長の元を尋ねて回るともう段々と窓の外の景色が赤みを帯びはじめ、すっかり日が暮れようとしていた。
この屋敷で働く人間は総じて癖が強い気がする。それにそれらの長を務める人間は、それらを上回る癖の強さだ。渡すだけでも相当疲れる。どうせ疲れるなら御嬢様の為に働きたい。
でも、それももう終わりだ。最後は我らが執事長の元へと、廊下を歩いていると、不意に曲がり角から御嬢様の専属侍女が現れた。
俺の前を歩く歩き方は規則的で、人間のものには見えない。俺がアーレン家に勤めるほんの少し前に、孤児院から引き取られてきたらしい専属侍女は、精巧に作られた人形と表現される方が腑に落ちる。こちらからは後ろ姿しか見えないが、その表情は見なくても分かる。感情を削ぎ落とした様な、それでいて元からそういう顔で固められ完成している表情をしているに違いない。奴はいつだってそうだ。感情を出さない。機械人形だ。
しかしその人形も、御嬢様の前では人間に変わる。笑い、怒り、悲しむなど人間らしい、というより人間になるのだ。
そして、そのただはめ込まれただけの義眼の様な瞳も、御嬢様の前では執着と独占で揺らめく。
流石専属と言うべきか奴は上手くやっていると思う。自分が万能になり、全てを担うことで、最初から席を用意させない。
今や御嬢様専属侍女は、家庭教師、ピアノの教師、ダンスレッスンまで、御嬢様に関するもの全てを任されている。彼女が役割として得ようとしないのは、御嬢様の傍を離れなければならないものだけ。
そんな彼女は、使用人には敵意は見せないものの、御嬢様の婚約者が屋敷に現れると、必ず気配を消し、殺意のこもった目でじっくりと何らかの機会を伺っているのだ。
奴が婚約者を殺さないのは、御嬢様が婚約者のことをどう思っているのか分からないからに違いない。かくいう俺も分からない。御嬢様は婚約者から手紙が届くと顔色が極端に悪くなるし、手紙の返事を送る時も顔色が悪い。二週に一度屋敷には行っているようだが、行くときも帰って来た時も顔色が悪いし、婚約者が来る前も帰った後も顔色が悪くなっている。
好意は持っていないだろうが、だとしたら何故手紙を交わしたり屋敷に向かうのか。
答えは未だ見つからないが、なんとなく、家のことを気にしているんだろうとは思う。
御嬢様は家族を大切に思っている。使用人である俺たちのことも。
相手の家を無下にすることでアーレン家の立場や評判を悪くするかを気にしているのかもしれない。うーん、やっぱり邪魔だな、婚約者様は。
当主様は御嬢様に最もいい相手として相手の家の息子を選び、相続については今後の状況を見てという話だったが、相手の息子には弟ができた。おそらく婚約者様がこっちに婿入りする形になるのだろう。御嬢様が望む相手ならば許せるが、変なことをしたら殺す。殺す場合この屋敷に来るほうが都合がいい。
でも、俺がしなくても同じこと使用人全員考えていそうだな。
俺が手を下すまでもないと納得しつつ、執事長の執務室をノックをすると返事が聞こえた。部屋に入ると、執事長は机に向かい何やら書類に記入している。
「失礼します、執事志願者の書類です」
「ああ、それはそれは」
その目はとても静かで、今までの使用人の長とは一線を画している。そこには嫉妬も独占も憎悪も無い。
そんな執事長は解任こそしないものの、新人を雇用させない。世間体や主人の目を気にして、雇用するそぶりを見せるが面接で落とし続けている。書類で全部落とすのではなく、脱落は半数にとどめ、面接で全て振り落とすあたり、手慣れていると感心する。俺が雇用されたのは、本当に人が足りない時で、半ば仕方なくだったのだろう。
「今、不採用の文書を書き終えたところなんですよ」
「どうぞ」
書類を渡すと、執事長は名前を確認し、それを不採用通知書面に写していく。
「……毎年、蛆のように湧いて出て……、十一年前の疫病のように皆死に絶えてしまえばいいものを」
半ば独り言のように呟いたそれは、間違いなく常軌を逸した者の言動だ。十一年前に起きた疫病の流行は水を媒介するもので、周辺には公爵家の家々が連なっており貴族も平民にも多数の死者をもたらしたものだ。しかし執事長は当然のような顔をしている。
部屋を出て、こちらの様子が悟られないよう即座に扉を閉める。
ああ、この屋敷の使用人で、まともな奴なんて一人もいない。俺がしっかりして、ちゃんと御嬢様をお守りしないと。
いっそ夜、御嬢様の部屋の前の警備でもするか……?
それもいいなと頷いていると、廊下の端の開いた窓から俺の考えを肯定するように、ぬるい夏の風が吹き抜けていった。
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
◇予約ページ◇https://tobooks.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=3106846
◆攻略対象異常公式アカウント◆https://twitter.com/ijou_sugiru?s=20/




