一線を越える瞳
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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ミスティアと、ハイム家の子息とお茶会をしたあの日から二週間後。
僕は父に、ミスティアと婚約を解消したい意向を伝えた。彼女に、想い人がいること。その相手が、ノクターと同列の家で、相手も彼女との結婚を望んでいるだろうことも。
一度は進めてほしいと言った婚約だ。反対も承知の上だった。しかし父は、僕の身勝手な意思を、汲もうとしてくれた。
「……お前には、長年の間寂しい思いをさせてきた。ノクターを継ぐものとして、必要以上に厳しく接しすぎていた。でもこれからは、お前の好きなようにさせたいと思っている。お前が望むなら、婚約を解消出来るよう、尽力する」
そう言った父は、遠い昔に見た、穏やかな目をしていた。昔、もう二度と見ることは叶わないと諦めた目。母に向ける目も、昔とは全然違う。
以前の父は、母を明確に拒絶していた。しかし今、身重の身体で何かあっては困ると、母を無理やり別荘に住まわせ始めた。助産師や医師を常駐させ、どこよりも安全な場所を作り上げ、そこで母を守ると、心配と愛情の目で僕に話をした。
父の変化も、ミスティアがいなければ無かったものだと思うとまた胸が痛んだ。そんな僕を見透かすように、父は僕に言った。
「だが、もう一度アーレン家に行って、よく見て、聞いて、もう一度考えろ、それが条件だ。どんな判断をしても、私は止めない。きっと、母さんもそうだろう」
父は、まだ心のどこかで迷いのある僕を見抜いていたのだろう。
一度会って、決心が鈍る様ならやめておけ、でも鈍らないようなら解消してやると、父はそう言いたいのだろうと僕は理解した。
ミスティアに手紙を送り、屋敷へ行くことを許してもらった当日、ミスティアは僕を待ってくれていた。首に巻かれたマフラーの色はミスティアの髪色にも瞳の色にもよく映えていて、双方の美しさを際立たせていて、僕は美しいと思うと同時に、今日は寒かったのかと認識した。
案内は茶番のつもりだった。このよくわからない想いを断ち切るための。
しかし、ままならないことにミスティアはマフラーを差し出してきた。
ミスティアは自分が差し出したマフラーが使い古しではないことを熱弁し、僕に寒そうだから使ってくれと言う。
彼女は、優しい。目の前に、自分が困っていると思った人がいたら、放っておけない気質なのだろうと思った。
僕は彼女の好意に甘え、彼女のマフラーを巻いた。そして庭園を案内してもらった。
そこで見た庭師の瞳を、僕は忘れることはないだろうと思う。年齢は、だいぶ若い。ミスティアと同じ黒髪の、柔和な顔立ち。しかしその灰色にも似た目は射抜くようにミスティアを捉えていて、一目でミスティアに執着を持っていることがわかる瞳だった。
その瞳に追われることは、アーレンの屋敷に入っても続いた。厳密にいえば、その瞳は庭師のものではない。屋敷の人間全員が、ミスティアを異常な目で見ていることに気付いた。今までどうして気づかなかったんだろうと思いながら彼女の部屋を巡り、そして最後にと調理場に案内された。そこで僕は、ミスティアに料理を作ってもらった。はじめはミスティアが料理ができると聞いて、すごいと思ったけれど、途中からエリク・ハイムへ対抗するような気持ちが出てきて、彼女に料理を作ってもらうよう、圧をかけてしまった。
ミスティアの交友関係は、決して広くはない。だからもしかしたら彼女の手料理を食べるのは、アーレン家以外では僕が初めてかもしれない。仮定の話だけれど、そう考えると気分が良かった。
そうして用意された料理は、本当に美味しかった。
彼女の料理を食べた後、我儘を言って作ってもらったのだから、洗うくらいはさせてほしいと志願したが、彼女はしばらく考え込むと、僕に皿拭きを頼んだ。僕の服をじっと見つめていたから、服が汚れることを危惧してくれたのだろうとすぐに分かった。
そして洗い物をしているうちに、ふと母と父のやり取りを思い出した。父は母の作る料理が好きで、僕も母の作るミートパイやキッシュが好きだった。しかし母はミートパイやキッシュなど作業工程の多い料理をあまりしなくなった。理由は、父が母に構うからだ。だから母はある程度放置しても大丈夫なように煮込み料理を作り、底のほうのやや焦げ付いた鍋は、父が熱心に洗っている。そんな光景を見ることが好きで、でも最近は両親がそうしているのを見られないな、となんとなく思い、彼女にシェフ以外に料理を作ってもらうことが久しぶりなんてことを話してしまった。
そして僕は、気づいた。自分の事を、しっかりと話すのは、彼女が初めてだということに。
自分でも、馬鹿だと思った。問い詰めて怯えさせて怖がらせて、強要することしかできない。そんな彼女に、自分を知ってもらいたいとも思っていることに対して、醜いと感じた。彼女以外の人間なら、もっと、もっと上手くやれるのに。もっと上手く隠せるのに、優しくできるのに。彼女と会って、僕は、後悔ばかりしているとひたすらに思った。
しかし、彼女は言ったのだ。僕をまっすぐ見つめて、「自分で良ければ料理を作りに行く」と。
「でも、そう言ってくれるってことは、嫌いでもないんだね」
アーレン家の調理場で、水場から離れられない彼女を横目に、手をすすいでさっとその場から離れていく。
怯える相手に、食事を作りに行く人間がいるだろうか。そう考えて、彼女がそこまで優しいだけだと思い直した。目の前に、困っている、悲しそうな人間がいたら放っておけないだけ。
真っすぐな優しさが、甘さが、どれだけ残酷で愚かなことか、きっと彼女は知らない。それでもそんな彼女が、ただ愛おしいと、欲しいと思う。
僕には、彼女しかありえない。彼女しかいない。もう諦めない。きちんと僕に、そして彼女に向き合う。
「二、三週間に一度か、じゃあ二週間に一度と考えて、カレンダーは……」
僕はカレンダーを見るふりをして、静かにそう決めたのだった。
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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