サンドイッチ記念日
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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「厨房はこちらです」
自室を出て、ワンクッション置く為に書庫を案内し、立ち入り可能区域を大方回り終え、向かった先は厨房だ。しっかり事前に許可を得ている為、仕事の邪魔にならないよう細心の注意を払わなければ……と思ったのだが。
「料理長がいない……」
厨房はもぬけの空だ。がらんとしている。時計を確認すると丁度おやつタイムだ。料理長であるライアスさんはこの時間いつも厨房にいる。なのに今はいない。
「おかしいな……」
壁に貼られているライアスさんの予定表を見ても、街に出かけている様子はなく今日のこの時間は厨房にいることになっている。用具も全て片付けられ、普段あるはずの仕込みが無い。
「と、とりあえずここが厨房です」
気を取り直してレイド・ノクターの方を見ると、レイド・ノクターは一点を見つめている。その視線の先は、私の調理道具セットが置かれている棚だった。
棚には「御嬢様専用棚」と記され中に、子供の身体に適したエプロン、フライパン、包丁などが収納されている。それらは私が八歳の頃、深夜耐えがたい空腹に襲われとある事件を起こした末に、両親に買い揃えてもらった調理セットだ。バレンタインデーや、厨房が忙しくなく、かつ私が気が向いた時料理するセットとも言う。
ちなみにその近くには、その気が向いたとき作ったものを実食する簡単な椅子と机もある。椅子は子供用だが、机は普段料理長がレシピをメモる作業台として使っている為中々の大きさだ。
「もしかして、ミスティアは料理が出来るの?」
「まぁ妹によ………、い、芋をに、に、煮たり、焼いたり程度なら出来ますよ」
「へぇ、ミスティアは、料理が出来るんだ」
含みのある様な言い方で、レイド・ノクターが頷く。何だろう、「貴族なのに料理をするなんて珍しい」とかなら口に出して言っているはずだ。それならば何故? 考えられる可能性を一つ一つ洗い出して、はっとする。
「……もしかしてお腹空いてます?」
「空いてるって言ったら作ってくれるの?」
「え」
質問を質問で返されるとは。そして何だろう、この流れは。不穏な気配がする。むしろ不穏な気配しかしない。
「お腹空いてるなら、お、お菓子とかクッキーがありますよ」
「今僕は、ミスティアの料理の話をしているんだよ」
おかしい、この流れ。私が作るみたいな流れになっている。
「あの……多分想像してる料理とは違うと思います」
「想像もできないな、食べたことがないからね」
私の言葉に、レイド・ノクターがにっこりと笑う。出している圧力と、笑顔があまりに一致していない。
「もしかしてハイム家の彼にはよく作ってたりする?」
「いや、一度もないですけど……」
「ふぅん……」
間が苦しい。無言が苦痛すぎる。
「た……食べます?」
「ありがとう、嬉しいよ」
作りたくない。出来る事なら作りたくない。ミスティアが。レイド・ノクターに手料理を食べさせる。そんなイベントなんて無い。いや、語られないだけであったのか? 分からない。分からないことをしたくない。しかしエリクの名前が出た以上、事態の悪化をさせないため作らなければいけない。意を決して、冷蔵庫を漁る。
「何しているの?」
「私が使ってもいいものを、仕分けしてもらっているんです」
トレーを出すと。そこにはパンやハム、チーズにベーコンなどがあった。
このトレーは、料理長がその日特に使わなかったりあまったりしたものを入れられる。そして私がそれを料理するシステムが構築されているのだ。そしてトレーの中身の消費期限が迫ってきたら、料理長がまた何かに利用する。
「……甘いのと、しょっぱいのはどちらがいいですか、それと嫌いなものとか、食べたら身体に不調をきたす食材ってありますか?」
「嫌いなものも何もないから、全部お任せするよ」
「では、そこに座っててください」
そう言って、実食椅子を指しレイド・ノクターに着席を促す。
彼に背を向け、水道で手を洗いエプロンをつけ調理に取り掛かる。気まずい、背を向けたものの、背中にびしびしと視線を感じる。もし視線が矢であるならば、確実に私は合戦終盤の重症負傷兵だろう。ふとボウルに目をとめる。そうだ。金属は鏡の様にうつすから、後ろを振り返らずともレイド・ノクターの現在の顔の向きを確認できる。
もしかしたら、こちらを見ていないかもしれない。気のせいかもしれない。
でも、念の為とさりげなくボウルを選んでいます風に背後を確認し、即座に後悔した。レイド・ノクターはこちらに顔を向け手を振っている。こちらを見ている。さらにボウルで確認しようとしたこともばれている。
振り返って一礼し、料理に取り掛かる。もうそれしかできない。とりあえず、卵とハムとチーズ、食パンがある。賞味期限もどれも万全だ。
時間の問題も考えると、サンドイッチが無難だ。パン、冷蔵庫に入ってたし、殺菌の意味合いも込めて焼こう。
いつも通りの手順でサンドイッチを作り、それをフライパンで焼く。完成したら盛り付け、実食机にランチョンマットを敷き、フォークやナイフ、スプーンを並べ、出来たサンドイッチ、というより焼きサンドイッチを盛った皿を置いた。
「えーっと、どうぞ」
「ありがとう」
レイド・ノクターはお礼を言って、じっとサンドイッチを見つめたかと思えば、私の方を向いた。
「君の分は?」
「いや、私は全くお腹空いてないのでお気になさらず」
「いいの?」
「本当に、大丈夫ですので」
「そうか……、いただきます」
レイド・ノクターが、意を決したようにサンドイッチをフォークとナイフを使い優雅に一口食べた。簡単な所作なのにこうも美しく見えるのは、容姿からくるものなのか、その風格からくるものなのか。
しかし、一口食べて何かしら言うかと思ったけれど、レイド・ノクターは沈黙した。ただただサンドイッチを見つめている。口に合わないのを必死に隠しているというよりも、心がここに無いような、しかし心なしか表情が明るいような、よく分からない顔だ。
「塩、足します? それとも濃かったですか?」
「いや、とても美味しいよ」
そして、そのままレイド・ノクターはサンドイッチを平らげた。
「ごちそうさま、ありがとう、とても美味しかったよ」
「どうも」
このままレイド・ノクターに着席したままでいてもらい、食べ終わった食器は、使った調理器具と一緒に洗ってしまおう。そう思って食器を下げようとして伸ばした手が、彼によって止められる。
「食べさせてもらったんだし、僕が洗うよ」
一宿一飯の恩義、いや一飯の恩義というやつか。礼儀正しさの化身レイド・ノクター流石である。しかし彼用のエプロンがある訳でもないし……、汚れてもいい服装ではないはずだ。でも彼はこちらの「大丈夫です」を受け入れるタイプでもない……。
ああ、そうだ、皿拭き係なら服も汚れない。
「じゃあ、お皿拭きをお願いしてもいいですか?」
「わかった」
そう言うと、私の提案をレイド・ノクターは快諾した。
二人で皿や食器を流し台に運び、並び立つ。私が皿やフォーク、そしてバッドなど調理器具を洗い、隣に立つ清潔な布巾を持ったレイド・ノクターにパスをする。中々いい流れだ。
フライパンを洗いながら、話さなくてもいいし、楽だな、と思っていると、そんな思いを裏切るようにレイド・ノクターが口を開いた。
「今日は本当にありがとう」
その声色があまりに今までとかけ離れているというか、何の圧もキラキラも無く、一瞬壁にでも話しかけているのかと様子を伺ったが顔はこちらに向いていた。
「どう、も?」
私に言っているのか、言っていないのかいまいち分からない。とりあえず返答しておくかと無難な「どうも」を選択すると、レイド・ノクターが柔らかに笑う。そうか、私に言っていたのか。
「……シェフ以外の人間に料理を作ってもらうのは久しぶりだったから、とても嬉しかった」
また、違和感を感じる。何だかレイド・ノクターは感激しているような、死に別れていくような言い方をしている。いやシェフ以外の料理食べないって、貴族わりと皆そういうものでは。彼の身に何が起こっている?
「昔は、母がよくミートパイやキッシュを作ってくれたんだけど……」
お母さんの手料理が恋しくなったということか……?
いやでも彼のお母さん、ノクター夫人は生きている。心身ともに健康なはずだ。事件以降、家族との時間が取れていない……? 事件の後処理は済んだと、伯爵からの手紙にはあったはず。
「今は違うんですか?」
「まぁ、母は身重だしね。でも、子供がいると分かるまでは作っていたよ。煮込み料理とか」
彼の悲壮な顔つきにはっとする。そうだった、彼の母は今身重の身体なのだ。おそらく伯爵は、出産を控えている夫人にかかりきりだろう。
私は前世の時、妹とそこまで年が離れていないから、物心が付いた時には妹が隣にいる状態だった。でも彼は十歳。既に物心もついているし、年のわりにしっかりしているが、それでも子供。妊婦がお腹の子に気をかけるのは当然で、周囲が身重の夫人を気に掛けるのも当然だ。レイド・ノクターも、それは分かっているだろう。しかし、寂しいことに変わりはない。
……手紙を送ってきたり、屋敷に突撃してきたのは、婚約者としての務めや婚約者としての矜持からだと思っていたが、それは寂しさや孤独からきているのかもしれない。
事件以降親しい友人と疎遠になっていて、まともに話しかけたり出来るのが、私だけだったとしたら、私は今まで、彼にとんでもない仕打ちをしていたのでは無いだろうか。
いや、親しい友人がいるのかすら分からない。私は彼を何も知らない。自分のバッドエンドのことばかり気になって、私は彼をちゃんと見ようとしていなかった。
いや今も、一家や使用人がかかっている以上バッドエンドは気になるしこれからも気にする。
だけど、
「えーっと、あの、私で、良ければ、作りに行きますよ、食べたいなら」
「……いいの?」
彼の孤独は私に原因がある。彼にはもともと、弟も妹も出来ないはずだった。しかし私が彼の母が死ぬはずだった現場に立ち会ったことでそのシナリオは変更された。
ノクター夫人を救ったことに対しなんの後悔もない。今から時間が巻き戻ったとしても私は同じ行動を取ると断言できる。
だからと言って、このままでいていいとは限らない。行動には責任が伴う。彼の孤独を生み出した責任を取らなければ。
しかし、家族や使用人は大切だ。
「に、二週間とか、三週間に一回くらいなら」
妊娠から出産するまで十か月と聞く、彼が「弟か妹が産まれます」報告から、計算していくと、あと一か月くらいで出産のはずだ。さらに生まれる前も大変だろうけど、生まれた後も大変だろう。人ひとり、お腹から出てくるわけで。
……大体出産後半年くらい経てば、彼の家族は落ち着く兆しを見せるだろうか……。
そのうちに三週間に一回ペースなら最多でも回数は十回未満。そして本編が始まる十五歳まで丸々三年はある。私がノクター家の屋敷に数回行ったところで、「弟か妹の誕生」というビックイベントに一瞬にしてかき消されるはず。
そしてさらにこれからは「弟か妹と喧嘩」「弟か妹と一緒に遊ぶ」という、どきどきでわくわくのイベントが続々と発生するのだ。大丈夫。衛生面やアレルギーに気を付け、中毒でも起こさない限り彼の記憶に残ることは無い。ああ、でも夫人は出産で負担があるはず。屋敷に来てもらうほうがいいのか……?
考えていると、レイド・ノクターは不思議そうに、それでいて憑き物が落ちたかのようにこちらを見た。
「てっきり、君は僕の事が嫌いなんだとばかり思ってたよ」
突然の爆弾発言に洗っていたフライパンが滑り落ちそうになる。皿じゃないから割れこそしないが、普通に危ない、落とさなくて良かった。レイド・ノクターの顔を見ると、先ほどまでの悲壮な表情とは打って変わってけろっとしている。先ほどまでの憂いた表情はどこにも見当たらず、雰囲気や圧力までもがいつも通りに戻っている。
「は、はい?」
「でも、そう言ってくれるってことは、嫌いでもないんだね」
うんうん、と一人で納得し、頷くレイド・ノクターだが、こっちは意味が分からない。置いていかないで欲しい。
「二、三週間に一度か、じゃあ二週間に一度と考えて、カレンダーは……」
そう言って布巾を置くと、すたすたとレイド・ノクターはカレンダーに向かって歩き出す。もしかしなくても、とんでもないことを言った気がしてならない。追いかけたいものの私の手は泡だらけで、手元には洗浄中のフライパン。うかつに動けない。
一方のレイド・ノクターは厨房のカレンダーを確認し、「この日は、大丈夫」「この日は?、だめかな」とぶつぶつ言っている。
本当に、どうしよう。私は頭の中が真っ白になりながら、茫然と立ち尽くしていた。
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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