覆らなかった判決
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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まっすぐ、ゲームのミスティアの表情を意識して、顔が腫れている男の兄に尋ねる。
「本当に、昨日の昼から夕方の間に弟さんが怪我をされていたんですよね?」
「ああ、間違いない!」
まずは、相手の話をよく聞くことだ。先生が私とその時間一緒に居たことは確実だし、兄弟が嘘をついているなら綻びが見つかるだろうし、誤解なら記憶違いに気付いてくれるかもしれない。
次は兄弟両方に尋ねる。
「その時間、お店には誰も来なかったんですか? 止める方は? 介抱してくれた方は?」
「いなかったよ! 弟は俺が配達に出かけて、一人でいたところを狙われたんだっ!」
お店の位置がどこにあるのかも分からないが、目撃者は被害者の弟しかいない、ということは確定か……? 念押しして、反応を見てみよう。
「では、弟さん以外に目撃者は居ない、ということでいいでしょうか?」
「う、う、うるさい!」
「すみません、答えられないとなると、弟さん以外の目撃者がいないと判断せざるを得ないのですけれど、それでもよろしいですか?」
目撃者が一人しかいないんですかとでも言う様に揺さぶる。揺さぶりが聞いたのか、顔の腫れている弟の方が動揺を見せ始めた。
このまま、勢いに任せるしかない。背水の陣だ。というか、それしか方法が無い。兄の方は反論できなくなると、「うるさい」と押し通してくる可能性が高い。ならば弟に揺さぶりをかけ続ければいけるかもしれない。
しかし、何も材料が無い、ふと先生の方を見ると、先生はこうしている間にも男たちの腕を振り払おうとしている。殴られたり、怪我をしていたりはなさそうだ。良かった。
そうして、先生の両手が目に入った。うん。打撲も切り傷も無い、綺麗な手だ。
…ん、綺麗な手? 人の顔が腫れるくらい殴れば、綺麗な手ではいられない。少なからず皮がむけたりするはずだ。これは、もしかして、物的証拠、になるんじゃ。
「殴られたのは拳で殴られたのですか? それとも何か武器のようなものですか?」
「な、何発も、拳で! 殴られたんだっ!」
「すみません。ありがとうございます」
次に先生の方へ行き、先生を取り押さえている男たちにお願いをする。
「すみません、腕だけ離していただけないでしょうか?」
「ああ……?」
「腕だけでいいんです、手が見たくて、すみません」
一礼すると、男たちは渋々、といった様子で押さえつけていた先生の腕を解放する。お礼を言って先生の手を至近距離で確認すると、手の内側に乗馬でできた豆の跡があるだけで綺麗な手をしていた。
「あの先生、腕を挙げてもらえますか?」
先生は言うとおりに手を挙げる。
「見てください、先生の拳を、人の顔を何発も殴ったら、拳の皮はある程度むけるものです。しかしこの手は綺麗なまま、むけた後もない。治った、というのも考えられますが、それだっていくらかの時間がかかるでしょう? どんなに短くとも、昨日今日で治るものではありません」
「それはっやっぱり棒で」
「記憶違いですか?」
ミスティアが主人公に対し質問を投げかける時の表情を作る。これは学祭のパーティーを一週間前に控えた頃、主人公に「あら、ドレスなんて持っているのかしら?」と問いかけた時の顔だ。
兄弟は両方ともその表情にひるむ。もう一気に畳みかけるしかない。今一番怖いのは「ガキは黙ってろ」だ。実際私は十歳。そう言われるとぐうの音も出ない。
「先ほど、私は先生と一緒に居た、と申しましたよね、私は証言台に立つことも厭いませんし、私を屋敷に運んでくれた御者もそうでしょう。先生は私が帰る時、必ず門までお見送りをしてくださいます。その時に御者も先生の姿を見ているはず。ですから実際に証言台に立つのは十歳の子供ではありませんよ。裁判に立ったとき、偽証として、罪に問われる覚悟を問われますが、私も、御者も、なんの曇りも迷いもなく証言します」
ミスティア、私の理論が正しい、私が法だ、と言わんばかりの演説風独自理論を展開していた。その時の言い方、間の取り方、論法を出来る限り真似る。声帯も表情筋も全て同じのはず。頼む。折れて。最後の揺さぶりだ。
「あなたはどうですか? 偽証として罪に問われても、こちらが侮辱を受けたと、アーレン家、シーク家の連名で逆に訴えることも可能です。証言できますか? 本当に、誤解とか、見間違いの可能性は、無いのでしょうか……?」
兄弟にそう言い放つと、先生を押さえていた男たちは「アーレン家だと?」「殺される」「話が違う」 と口々に兄弟を責め始めた。その様子に周囲も兄弟に対し疑問の瞳を向け始める。
「くそ、ガキは黙って……」
兄の方が言いかけるも、何かに気付いて停止した。
何か、集団が近づく音がして、警察隊が男たちの輪の隙間からどんどん突入してきた。そして彼らは先生を取り押さえていた男たちをどんどん取り押さえていき、顔の腫れた男とその兄に手錠をかけ始める。
解放された先生は何が何だか分からない、といった顔で私を守るように肩を掴んだ。
「あの、先生お怪我は?」
「ないが……何だこれは。とりあえず隅に寄るぞ、お前が危ない」
二人で大通りの隅に寄っていく。中心ではわらわらと警察隊が男たちを取り押さえている。するとその中をかき分けて先生のお父さん、シーク伯爵が現れた。
「いやぁ間に合って良かった、ああミスティアちゃんも一緒だったのか、ごめんね怖い思いをさせて」
伯爵は私の頭を撫でるとすまなそうな顔をする。謝られているが何が何だか分からない。
「アルゴー家が仕組んだことだよ、全部」
伯爵が先生に言うと、先生はああ、と納得したような顔をしている。私には何が何だか分からない。
「あの、先生、どういうことですか?」
「……二年くらい前から俺の家と仲が悪い家があんだよ、そいつらが、シークを貶めるために一芝居うったってことだ」
「仲が悪いんじゃない、アルゴーの家の不当貿易摘発の協力をしただけのあっちの逆恨みだ」
先生の説明に、伯爵が怒りを込めて付け足した。
「つまり、冤罪騒動を街で起こして、街の人の目の前で断罪して、シーク家の評判を落とそうと、仕組んだってことですか?」
「流石ミスティアちゃん聡明だねぇ! そうなんだよー何日も前から計画してたらしくて、こっちも何かしそうなのは分かってて、警察隊と連絡を取り合ってたんだけど、まさかジェイを狙うとは思ってなくてねぇ!」
……ん? ならば、元々先生に起きていた出来事で、ミスティアの影響では、ない?
ゲームで彼が冤罪の話をしなかったのは、聞かれたくなかったのではなく、取るに足らない、そもそも覚えていないくらいの、出来事で。
警察隊が、そもそもそのアルゴー家をマークしていたのだから、先生が冤罪で捕まることも無く、警察隊が突入したタイミングからしても、今日の様な逮捕劇は繰り広げられたわけで、街で悪評が立つこともない。
イレギュラーが関わったことによる私の影響は、無かった?
つまり、私が行動を起こす必要は、無かった。なんだ。そうか。何もする必要は無かった。この事件は、ミスティアと会ったことによるイレギュラーで起きたものでは無い。先生の口から語られなかったのは、今の様に真実が明かされ何事も無かったからだ。ミスティアと関わったところで、私さえ何もしなければイレギュラーは起きないのかもしれない。
良かった。私には真実を見極める力も犯人を捕まえる力も無い。先生の無実が証明されて本当に良かった。
「はぁ、良かったぁ……」
安心感と、人に対して高圧的に、攻撃的に接する慣れなさから来た疲労で、全身の力が抜けへたり込みかける。
が、間一髪先生が支えてくれた。
「すみません」
「気にしなくていい……それより、ありがとう。庇ってくれて」
「それこそ気にしないでください。それよりこちらこそ鞍、選んでくださってありがとうございました」
「よし、ミスティアちゃん、突然だけれど今日は夕食にご招待してもいいかい?」
「え」
先生と言葉を交わしていると、伯爵が割って入った。そして私の目線に合わせるようにしゃがみ込む。
「危険な目に遭わせただろう? おうちには連絡するから、ね?」
どうしよう、と先生の方を見ると先生は力強く頷く。
「えっと、よろしくお願いします」
「やったぁ!ミスティアちゃんとお食事だね! なぁジェイ!」
「うるせえ」
伯爵に、じゃあ、馬車があるから乗ってと、停まっているシーク家の馬車に促される。
そのまま馬車に向かおうとすると、先生が私に鞍の入っていた包みを差し出した。包みには傷一つない。先生が取り押さえられながらも守ってくれていたのだ。
「ありがとうございます!……あ、あの、先生はお怪我無いですか? 鞍を守って先生が、怪我とか」
「特にない、それにもう二度目だぞ、その質問」
「そういえばそうですね……でも良かった……」
「ほら、乗れ」
包みを受け取り馬車に乗り込むと、先生も乗り込む。伯爵は別の馬車で帰るそうだ。扉が閉められ馬車が走り出した。
ほっと息を吐いて、心から先生の無事に安堵する。
イレギュラーの私が攻略対象に関わっても別に異常事態は起きない。私さえ気を付けていれば。相手のトラウマや、精神の根幹に関わるようなイベントの邪魔さえしなければ、大丈夫なんだ。
不意に窓の外に目を向けると、そこに嵐も、黒い雲も無く、ただ赤々とした夕日が沈もうとしていた。
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