令嬢はペガサスの渦に巻き込まれる
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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「離れてくれないかな、場合によっては警察隊に突き出すけど」
私に抱き着いたエリクを見て、レイド・ノクターはにこやかな表情を一瞬にして消去し、エリクを引きはがしにかかった。その顔はまさに感情が全て消え去ったと形容するに相応しい顔だ。
レイド・ノクターはいつも健やかで、健全な正義の心を持っていると分かってはいるものの、間違いなくエリクが去り次第、私は殺されるのだと感じる。
しかし見えていないのか、気にしていないのか。エリクは私の頬に吸い付いてからレイド・ノクターの正面に立ち一礼した。
「僕はエリク・ハイム。彼女の友達。よろしくね」
普段のエリクなら「恋人の」など虚偽誇張表現を多用するが、見知らぬ第三者が相手ということで何の問題も無い自己紹介だ。本当に良かった。ご主人などと紹介しない。
「僕はレイド・ノクター。彼女の婚約者だよ」
一度、エリクを値踏みするような瞳で見つめた後、レイド・ノクターも自己紹介をした。もうこれで、双方ご紹介が終わったところで解散にしたい。レイド・ノクターとエリクが、本編前に会ってしまったのはこの際変えられない。その後何か起こすわけにはいかない。互いの認識を、険悪でも仲良しでもない知人程度に納めておけば、そこまで本編や個々の精神的成長に関係が無いはずだ。いや、そう信じたい。
「君がミスティアの友達か。扉を開いて早々彼女に抱き着いたから、不審者だと思ってしまったよ」
「気にしないでいいよ」
「でも、頬にキスをするのは良くないと思うよ。そういった挨拶をする国があることを僕は知っているけど、この国ではそうではないからね」
レイド・ノクターは一度私を見てからエリクを見て注意をする。エリクはその言葉に頷いた。
「そうなんだ。じゃあ今度から君しかいないところか、誰も見えないところでしなきゃいけないね」
「いえ、頬に噛り付くのはどこでも禁止です」
エリクの言葉に首を横に振る。それにしても何か違和感を感じる。エリクの様子……というより声色がいつもと違う。
まぁいい。このままエリクと街にでも行くと言って、解散に持ち込もう。ミスティアの屋敷で会ったという事実も、五年も経てばきっと忘却の彼方。入学して本編が始まり学校で出会っても、「会ったことある気がするけど、とりあえず初めまして」になるはずだ。
「じゃあ、今日はとりあえず解散に……」
「あ、そうだ! せっかくだし今日は三人でお茶会をしようよ」
エリクが良いことを思いついたかのように明るい提案をし、私の声はかき消されていった。
部屋に籠り他人を拒絶していたエリクが、人とお茶会を提案するようになるまでに社交性を得ている。友人として嬉しいが、タイミングがタイミングなだけに手放しで喜べない。
「いいのかな、僕が入っても。約束してたんでしょう? ……二人で」
「うん、でも、二人でならいつでも遊べるから大丈夫だよ!……駄目かな?」
そう言ってエリクがこちらを見る。やめてくれ、選択権を私に与えないでくれ。お願いエリク。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。ミスティアは、僕がお茶会に加わるの駄目じゃないよ……ね?」
レイド・ノクターは怒っている。口元はあくまで柔らかく笑みが作られているが、その目には怒りの炎が燃えているようにすら見える。ここで断ったら、もう本編シナリオを待たずして次の日に告訴状が出るかもしれない。
断りたい。断りたくて仕方がない。しかし恨みを買い後のバッドエンドの布石になるのも怖いし、イベントを壊すこともしたくないし、彼等の健全な精神的成長を破壊することも嫌だ。ぐるぐると頭の中を可能性やバッドエンドが渦の様に回り、私は、目の前の脅威こと、レイド・ノクターの怒りの圧の前に屈したのであった。
「大変だね、親同士が決めただけの婚約なんて」
「そんな事ないよ、僕たちの希望も聞いてもらっているから」
テーブルを囲み、優雅に紅茶を飲みながら言葉を交わす、レイド・ノクターとエリク。そしてその間に座り、紅茶の波紋を見つめる私。
本来であるならば、麗かに時が流れるはずのお茶会。しかし、エリクの提案で始まった茶会は、今にも闇の隷属である魔物や、それこそ魔王こそが召喚でもされそうな、殺伐とした空気がそこら一体に渦巻いていた。
要するに地獄である。
簡易的な地獄。
飲んでいるのはいつも親しんでいるはずの紅茶のはずなのに、味も香りも全く感じることが出来ない。それどころか血に染まり鉄の匂いすら錯覚させられる。今までここまで帰りたい、解散したいと思うお茶会があっただろうか。
それに話題も話題だ。はじめのうちはクッキーや紅茶の話題であったのに、いつの間にかエリクと私がこの夏どんな風に過ごしていたか、そして私とレイド・ノクターの婚約話にすり替わってしまった。
「そういえば、さっき、ミスティアといつでも遊べると言っていたけど、本当?」
「うん、どうして?」
思い出したかの様なレイド・ノクターの質問に、エリクが目を見開く。まずい、これはまずい気がする。
「いやぁ、ミスティア、僕との誘いは毎回断るから、てっきり忙しいのかと思ってたんだ」
「えー、タイミングが悪いのかもね、僕の屋敷にはよく来てくれるし。さっき話をしたみたいに、夏の間はほぼ毎日遊んだかな」
否定したいが私は夏の間エリクの屋敷にラジオ体操の如く通い遊んでいた、その間のレイド・ノクターの誘いは全て断っていた、全て事実だ。
だけどエリク、頼む、濁してほしかった。夏の間からのくだりは出来ればカットして欲しかった。
「僕のおうちにお泊りしたこともあるんだよ」
「へぇ……」
レイド・ノクターがあからさまに敵意を向けた目を私に向ける。やましいことは何も無い。何かあるはずがない。しかし恐怖のあまりに反射的に反対に視線を向けると、エリクが意味ありげに微笑む。どうしたものか、今私が発言する番なのか? 分からない。するとレイド・ノクターが口を開いた。
「いいなぁ、やっぱり婚約者となると、親は節度ある付き合いを求めてきて許してくれなくて。本当はもっと自由に行き来したいんだけどね」
レイド・ノクターが張り合う様に「婚約者」という文言を強調する。エリクがこちらに不安げな視線を向ける。反対は最早見れない。
険悪な雰囲気。完全な修羅場そのものだが、しかしこの二人のこの態度は、何も私を争って、という訳ではない。
エリクのこの不穏な態度は、間違いなく、部屋に籠っていた時期を抜け、初めて出来た友人が取られてしまうかもしれない不安からだ。ずっと友達だよと約束したけれど、いざ友人の婚約者という相手を前にして、何かしらの不安を覚えたんだろう。友人より婚約者の方が大切なんじゃないか、とかどっちが上か。とか。自分と友達じゃなくなっちゃう、遊べなくなる、とか。そんな心配なんてする必要が無い。
エリクは大事な友達だし、そもそもレイド・ノクターと私の関係は、「屋敷で暴れられた被害者と屋敷で暴れた不審加害者」だ。これに尽きる。
それに仮にレイド・ノクターがまっとうな友人や婚約者であったとしても、エリクと友人であることに変わりはない。
一方レイド・ノクターは、自分の婚約者に近付く男がいることに対する憤りだろう。一見、恋愛関係にある者同士の嫉妬の様な字面だが、本質は大いに異なる。
レイド・ノクターは、誠実な人間だ。それ故に不誠実を憎む。私に対し将来的不貞を働く可能性があると感じている。いや今まさにエリクと過ごしていることを不貞と考えている可能性もある。
勿論のこと不貞ではない。彼が疑っているような感情を私はエリクに持っていないし、それはエリクも持っていない。ご主人呼びなどの不穏要素はあれど一般的な友人関係である。
要するに、エリクが張り合っている理由は「友人を取られそう」レイド・ノクターが張り合っている理由は「不誠実さへの怒り」
エリクはレイド・ノクターを、「婚約者として友人を奪おうとしている人」と認識し、レイド・ノクターはエリクを、「婚約者に近付く無粋な友人」として認識してしまっている。お互いがお互いを誤解している。
しかし誤解を解こうにも、この場でエリクに「レイド・ノクターはただの婚約者で友人以上、以下の存在でも何でもないから気にしないで」と言えばレイド・ノクターの矜持を著しく傷つける。
レイド・ノクターに「エリクとは友人で、不貞なんてあり得ないし、本当に友達なんです!」と言えばエリクを不安にさせる。
見事な八方ふさがりだ。この場で出来るのは、場をどうにか荒立てないよう全力を注ぎ、後に双方の誤解を解く事のみ。つまり今は、誤解を解けないのだ。
「会えない分、手紙を交わしているからね、僕たちは」
「へぇ、僕たちは屋敷に通いあってるけど」
「あのクッキーとか、あるんですけども……」
ばちばちと火花を散らす二人に、いかがでしょうか……と焼き菓子をすすめ、さり気なく話題を変える。
すると「今は少し、彼と話があるから、先にどうぞ」とレイド・ノクターが、「うん、まだ気になることもあるから、先食べてて」とエリクが私に笑いかける。
奇跡の意見の一致だ。
私は、どうか、このまま悲劇が起こりませんようにと祈りつつ、クッキーを手に取り齧った。
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