手遅れ的逃亡練習
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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リズム良く規則的に進む馬。その馬に乗り、手綱を握る私の手に、筋肉質で武骨な手が上から力強く重なり、握りしめられている。
乗馬練習に来た私は、何故か先生と二人乗りをしていた。
あれから敬語問答が終結すると、早速乗馬講習に移行した。これから頑張るぞ、絶対馬に乗れるようになるぞ、と力む私を先生はひょいと担ぐと馬に跨り言ったのだ。「まずは馬に乗る感覚に慣れてもらう」と。そうして今に至っている。
馬に突然荷物のように乗せられた当初は、はじめに説明してくれたらいいのにとも思った。しかしこれは先生の性格だ。端的に物事を言い、事前の説明をあまりしない。確かゲームでも「説明……忘れていた」みたいなシーンがあった気がする。
そして馬に乗って屋敷から出て、現在シーク家付近の森を進んでいる。けれど進んでいるといっても、私の背中は先生の身体で、左右は先生の腕で固定されている。安定感がすごい。今私が振り落とされず優雅に馬に乗れているのは、他ならぬ先生の支えあってこそ。思考を放棄してしまえば、体温がある荷物。それが私だ。
でもまさか初日から馬で進むとは思わなかった。馬に乗るなんてまだまだ早い、まずは馬小屋の掃除から始めろ、の掃除パターン。まずは馬と心を通わせろ、話はそれからだ、の交流パターン。とりあえず乗ってみろ、ほらな、乗れないだろう、の落馬パターン。三種類を想定していた。乗馬の感覚に慣れろ、というのは想定外だった。
周囲を見渡すと、家からシーク家に向かう車窓から見た時はうっそうと茂る森、樹海の様だった森の景色は、絵本や童話に出てきそうな様子で、小鳥たちやいろんな動物の鳴き声が聞こえ、小人が今にも飛び出してきそうなものに変貌していた。
……ピクニックとかしても楽しそうだな。
屋敷の皆で、と考えてはっとする。そうだ。逃亡だ。体験気分でのんびり乗っている暇など無い。しっかり手綱をとり、馬に乗る感覚に慣れ、先生の技を盗まなければ。
気をとりなおして手綱をぎゅっと握りしめると、先生が不意に呟く。
「……お前は、こっちが驚くくらい俺を怖がらないよな」
まぁ確かに、彼にレイド・ノクターの様な恐怖は無い。そもそも死罪とか関係ないし。
……いや、唐突に何だ、しかも初対面でなんでそんなことを言われるんだ。何となく心の中で返事をしてそのまま流しそうになったけれど、先生の発言の意図が汲み取れない。先生はあたかも私が何らかの発言をして、それに返答しているかのように話しているが、私は一言も言葉を発していない。
……実はぼそぼそ口からピクニックの妄想が出てたとか? 一つ一つ思い返していっても、何も思い当たらない。それに、ピクニック妄想が口から出ていたとしても、会話が噛み合わない。
怖がらないって何を……? と考え思い出した。この台詞は、確かゲームで先生が主人公に言っていた言葉だ。
正しくは「お前、俺が怖くないのか?」だが、少し違うのは対主人公ではないからだろう。何故本編も始まってない、主人公じゃない相手にこんな発言が飛び出してくる? エリクの様に、何かしらイベントを妨害したからという可能性が一番高いが、彼の根幹に関わるようなイベントなんてそもそも無かったはずだ。それに今日初めて出会った相手。一日しか経っていない。挨拶と敬語拒否を拒否した後、受け入れただけだ。
うん。何もしていない。ということは、彼の発言は「ただの他愛もない会話」だ。
しかし他愛もない会話といっても、ここで私が肯定しようものなら、後のイベントに響きかねない。「初めて俺を怖がらなかった相手」は主人公であるはずだ。ミスティアじゃない。
かといって逆を突き「え、超怖いです」と返すわけにもいかない。ならばいっそ、選ばないほうがいい。
とりあえず曖昧な笑みを返し聞き取れなかった風を醸し出そうと振り返った。が、それと同時に、身体が大きく揺れる。
重心が崩れ、先生の鼻と私の鼻が正面衝突するほどに顔が近づくと、ぎゅっと先生が私の身体を支えた。馬が足元の障害物を避けたらしい。
「すみません、落ちるところでした、ありがとうございます」
「お前が無事ならいい、ほら、前しっかり見ろ」
そう言われて、しっかり前を見据える。先生に身体を支えてもらっていなければ確実に落馬していただろう。それもただの落馬じゃなく、助走をつけ勢いを付けた様な落馬だ。それに、もう少し振り返るタイミングが違えば先生と顔面の衝突事故を起こすところだった。多分主人公だったらここは唇と唇が触れて、ドキドキのイベントになっただろうが、私はヒロインではない。流血沙汰になってしまうし、先生の顔に傷をつけてしまうところだった。
「馬に乗っている時は、前を向いたまま聞いてろ」
「はい」
「先に伝えていれば良かったな、悪かった」
「いや、先生は謝らないでくださー……」
言いかけて、振り返ろうとしていることに気づき、慌ててしっかり前を向く。
「良い心がけだが、さっきから敬語、戻ってるぞ」
「え、あ、じゃあ、謝らないで……?」
「相変わらず慣れないな」
慣れない。目上の人間に対してため口で話すなんて前世時代もしたことが無い。このまま続けていても、一生不可能な気がする。
「いや、この話の仕方が通常なもので……外す方が難しいという……もの……だよ」
「親にもか?」
「親はさすがに普通に話しま、話すけど、親以外は基本こうで、こうか、な」
「使用人にもそんな話し方なのか?」
「はい……ああでもメロは、ええと、専属の侍女にメロって女の子がいる、けど、彼女には敬語じゃなくても大丈夫で。小さいころから一緒に居て、慣れ、ですかね」
メロは年上だけど、彼女とは普通に話せる。それは目上の人間だと思っていない訳ではなく、私にとって彼女は家族同然だからだ。というよりむしろ家族だ。年齢的にはメロの方が年上だけど、姉の様であり、妹の様な存在、そして天使。それがメロ。
「じゃあ、いつか慣れるだろ」
いや、無理です。心の中で思う。メロとは六年の付き合い。家族だ。片や五年後に生徒と教師として会う存在。無理だ。
それに多分、先生自身敬語好きじゃないっていうのも無くなっているはずだ。ゲームだとそのあたりの言及は無かった。
「慣れますかね……」
あ、まずい、また敬語に、と思うが先生の反応が無い。様子が気になるが後ろを振り向くわけにもいかずどうしたものかと考えていると、先生が片手で、ぎゅっと強い力で私を支え、もう片方の手で手綱をぐいっと引く。
「帰るぞ」
「え」
「しっかり掴まってろ」
今までの速さとは比べ物にならないくらいの、かなりの速度で馬が走り出した。
「あ、あの?」
「そのうち嵐になる、手遅れになる前に帰るぞ」
「あらし……?」
「秋の空は変わりやすい、この時期は、少しでも油断すると手遅れになる」
見上げると。確かに、さっきまで澄み渡る青一色だった空が、どんよりとした灰色の雲に覆われ始めていた。小鳥や動物達の声も聞こえない。いつの間にか森の中は静まり返っていた。
秋の空は変わりやすい。少しでも油断すると手遅れになる。
森の中を切り裂くように駆ける馬から振り落とされないよう、手綱をしっかり握りながら。先生の言葉をよく覚えておこうと、胸にしっかり留めた。
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