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狂想 狂騒 狂走

●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売

◇予約ページ◇https://tobooks.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=3106846

◆攻略対象異常公式アカウント◆https://twitter.com/ijou_sugiru?s=20/

 暑さが和らぎ始め涼やかな風が吹く今日この頃、私は屋敷の広間でエリクと机に向かって算数の勉強をしていた。黙々と互いが行った問題の答え合わせをしていくと、ふとエリクが思い出したかのように言う。


「ご主人とずっと一緒に居られるには、どうすればいいか考えたんだけど、結婚ってどうかな」


 頭痛がする。熱があるのかもしれない。


 エリクが私をご主人と呼び始め、一か月。季節は秋。しかしエリクは真夏に取り残されたように正気に戻る気配が無い。木々が徐々に紅く染まり始めているというのに、彼が主従ごっこに飽きる気配は一切ない。


 今に至るまで、何も対処をしなかったわけではないのだ。家庭教師イベントの再現をして別の家庭教師と恋愛関係になれば、「ご主人呼びってよくないな」と思ってくれるはずと考えた私は、彼に家庭教師をつけることを進めた。しかし彼は断固拒否、それどころか「そんなに言うならご主人が教えてよ」と、彼は私に言い放ち挙句の果てに「ご主人が教えてくれないなら教育なんていらない。ご主人としか勉強したくない。僕ご主人のせいで馬鹿になっちゃう」と脅迫までしてきた。その結果私は二週間前から彼に勉強を教えている。


 教育とは万人に受ける権利がある、誰もそれを阻害してはならない。そんな法の下の平等、世界の理に、平凡な精神をもつ私が反することなんて出来ない。よって今回で第三回目の教師だ。修羅の道である。


 場所はエリクの屋敷だったり、私の屋敷。エリクは私の屋敷に突撃を仕掛けるようになった。元々アウトドア派だったのだろう。屋敷に訪れるエリクは嬉々としていて、私も彼が辛くなさそうな、ある意味社会に関わった生活をしている姿を見ることは好ましく、嬉しいと感じる。


 そんな風に彼は日々変化している……のだが、ご主人呼びだけは一向に抜けない。改善しない。それどころか隙あらば頬に吸い付いてくる悪癖まで現れ始めた。


 一歳下の人間を「ご主人」と呼び、頬に吸い付く彼の行動は、一般的な目で見てただただ異様である。


 エリクは家庭教師恋文イベントを起こさなかったことで、おかしくなってしまったのだろう。ご主人呼びも、頬に吸い付くのも全ては本編前にミスティアと出会ってしまった、家庭教師イベントが起きなかったことによるバグだ。彼にはバグが生じている。


 だからミスティアに対して結婚なんてどうかな、なんて言ってしまうのだ。


 家庭教師に向けられていた依存心が私に向いているのだから、私が傷つければと思ったものの、笑顔を見せ外に出ることが出来るようになり、徐々に明るくなってきたエリクを傷つけることに大きな抵抗がある。


 それに、もし傷つけたとしても、本当に正しい状態に戻らない可能性だってあるのだ。絶対に幸せになれる確約があるならまだしも、分からない以上無理だ。


 詰んでいる。しかし、道が無い訳じゃない。


 このバグを取り除ける存在がこの世にたった一人だけ存在している。


 主人公、その人だ。


 この世界の理。絶対的ヒロインである彼女と恋愛をすればきっとこのバグは解消される。学校に入学した時に、彼女と無理やりにでも出会わせ、恋に落として更生させる。


 しかし、エリクは主人公と関わることが幸せへの道かもしれないが、私は主人公と関われば地獄の道。ほぼ命がけである。


 絶対に関わりたくないというのが本音だが、人ひとりの人生がかかっている、初恋イベントを潰した罪は重いし、大切な友人の幸せの為だ。


 ふと主人公が存在しているのか不安になるが、きっといる、大丈夫。だって彼女はこの世界のヒロイン。絶対いる。


「私には、親が決めた婚約者がいるからね」


 だからこそ、突然の結婚の提案をしたエリクに、冷静に言葉を返す。本当に辛く痛ましい事実だが、婚約が今だ破棄出来ていないことが機能した。しかし私の返答に、エリクは顔色一つ変えない。


「知ってる知ってる。だから僕は始めは側室っていうの? そういうのでもいいよ。それで、正妻っていうの、追い出して、僕が正妻になる! でも僕は旦那さんだから、なんて言えばいいんだろう?」


「いやいや」


 エリクは爽やかに笑うが、全然笑えない。レイド・ノクターと結婚前提の話を進められるのもきついものがある。そして側室とは間違いなくエリクが設ける側だ、何でそんな逆大奥みたいなことを言い始める。これもあれか、初恋イベントを壊してしまったからか。しかしふと疑問に思った。私はいつ婚約者がいることをエリクに伝えたのだろうか。


「ねえエリク、私婚約者がいるなんて言ったっけ……?」


「それよりさぁ、ご主人ずっと一緒にいてくれるって言ったよね、ね? ご主人?」


「と、友達としてね?」


 エリクはこちらをじっと見つめる。それは友達としてだ。プロポーズ的な意味合いでは断じてない。しかしエリクは首を傾げた。


「うーん、でもさぁ、この先ご主人とずっと一緒にいるには、結婚が一番だよね」


「いや、やってみなきゃ分からないよ!何事もやってみなきゃ分からないって! 友達として、生きていきましょう。私には婚約者がいるし、エリクにはもっといい人がいるよ」


 励ますように手を取ると、彼はその手を握り返す。良かった、分かってくれて。


「じゃあご主人僕と結婚してよ」


「は?」


「婚約は婚約でしょ? その前に結婚すればいいんだよ。そうしたらずっと一緒にいられるし」


「ええ」


「好きなの? 相手」


「いや、まだ三回くらいしか会ってないし」


 彼、死に直結する地雷だから。なんて言えるはずもなく俯く。何だかエリクにどんどん言いくるめられている気がする。このままこの話を続けるのってもしかして相当危ないんじゃないだろうか。


「結婚したくないんでしょ? その婚約者とは」


「まぁ、そうだけども」


「じゃあご主人も幸せ、俺も幸せ、何も悪いことないよね?」


 確かにエリクと結婚すれば、一家使用人離散投獄死罪エンドは回避できるが、エリクは幸せになれない。エリクは主人公と出会い恋をすることで幸せを知る。私といて何を知ることが出来るというのだ。ただでさえ彼の人生を狂わせてしまっているのだ、これ以上狂わせていいはずが無い。


 嬉々として笑うエリクを前に、視線を彷徨わせる。するとちょうど窓の外から、御者のソルさんがじっとこちらを見ていた。その姿を見て、ふと私は思いついた。


 そうだ、馬に乗ろうと。



 エリクを何としてでも、この世界のヒロインである主人公と出会わせなければならない。


 それには莫大なリスクが伴う。レイド・ノクターが地雷爆弾なら、主人公は爆撃ボタン。触れたら最後待つのは死。レイド・ノクターは取扱注意、主人公は接触厳禁である。


 ミスティアの投獄を進めるのはレイド・ノクター、つまりミスティア裁判において検事はレイド・ノクター、被害者は主人公、被告人は私、ミスティア・アーレン。ちなみに弁護士はいない。


 つまり被告人である私が被害者である主人公に何もしなければ、事件も裁判は起きないわけだ。触れないに越したことは無い。


 しかしエリクを主人公に出会わせなければ、エリクの幸福はない。


 だから、私は考えた。そうだ。馬に乗れるようになろうと。


 今までの私は、一家使用人離散投獄死罪バッドエンドを回避する手段について模索していたが、いざそうなってしまった場合のことは考えていなかった。


 いや考えることを避けていた。辛すぎて。


 両親が投獄される、さらに可愛いメロや、屋敷で今もなお一生懸命働く人たちとかが何の罪も無く無職になる。人間の人間らしい文化的な営みを奪ってしまった時の想像なんてしたくない。


 しかし、そうも言ってられないのだ。逃げるのではなく、一度現実をしっかり見据えて、将来起こり得る惨劇の対処法を模索しなければいけない。


 ミスティアは学校に放火をして、その場で現行犯逮捕される。放火なんてするつもり全くないが、何らかの手はずで逮捕状が回る可能性が無いなんて言いきれない。


 徹底的に抗戦し裁判で争うことも視野に入れ、法の勉強はしているものの、所詮は凡人。ノクター家が雇うであろう有能な弁護士に勝てる見込みがある訳ない。これで私が前世やり手の弁護士で、どんな裁判も無罪にして見せる様な人間であったなら勝てるだろうが、現実はそう甘くない。やり込められるし、やっても無い罪を自白させられるに決まっている。弁護士でもないのに法廷でどうにかなる訳がない。


 となると現実的な手段は逃亡一択。そこで、馬だ。


 馬で逃げるしかない。


 投獄イベントが起きる数か月前に、隣国へ逃亡するのが最善手だが、両親をどうやって説得するかはノープラン。逃亡は直前にしかできない。使用人の再就職先を用意してから「ミスティアのわがまま」で全員クビにする。メロもだ。


 そして両親と私で馬に乗って逃げるのだ。完璧な逃亡計画である。父は母を乗せ、私は荷物を乗せて逃げれば馬二頭あれば十分で経済的だ。


 だから私はエリクとの勉強を終えたその日にすぐ馬術の訓練を受けたいことを、我が屋敷の誇る御者のソルさんに申し込んだ。しかし「……やだ」と断られてしまった。しかも「……俺、いらない……?」とものすごく悲しそうに言われてもう二度と頼めない。それに忙しいらしい。仕方ない。


 次に「馬に乗りたい!」と父に頼んだ。しかし父は馬に乗れない人だった。腰が良くないらしい。だから私が二人を馬車で運ぶことが必須化され、私が馬術を覚えることは完全に義務と化した。そしてあれこれどうにか出来ないか策を練っていたけれど、それから三日後、父は、「自分は教えられないけど教えられる人を教えるよ」と、ある屋敷を紹介してくれたのだ。




 そして、澄み渡る青空の下、今目の前にしているのは、シーク家の屋敷だ。石造りの精悍で落ち着いた屋敷は、希望によって輝いて見える。


 私はこれから一月、毎週三回シーク家の屋敷に通い、馬術の訓練を行う。


 ちなみに下調べはした。事前調べをせずエリクと出会ってしまったせいで私はエリクの初恋イベントを妨害し一人の人生を狂わせかけている。もうそんな痛ましい事件を起こしてはならない。


 そして家令のスティーブさん経由で調べてもらった結果、シーク家に現在同い年の子供はおらず、私より八つ年上の一人息子がいるだけらしい。名前はジェイ・シーク。勿論偽名ではない。


 名前を聞いても何も思い出さない。つまりは非攻略対象ということだ。それどころかゲームとは無関係の人。抜群の安心感に包まれる。レイド・ノクターを前にして、未曽有の重圧が全身にかかっていたあの頃が懐かしいくらいだ。


 そしてこの地域の貴族は、きゅんらぶの舞台である学校とは別の学校に通う。つまりは学区外だ。なんたる素晴らしい響き。輝きの音色。学区外。部屋に飾りたい言葉だ。


 長い道中も希望に溢れ、世界には光が差して見えていた。実際には森を横断し、景色は鬱蒼と茂る森の緑のみ。屋敷に近付き道が開かれるまで光なんて見えないが、確かにそこには光がある。あるのだ。


 早速シーク家の夫婦に挨拶を済ませ、用意してもらった部屋で乗馬用の服装に着替える。そして執事の案内のもと馬小屋に向かうと青年が立っていた。


「お前が馬に乗りたい令嬢か」


「はい、ミスティア・アーレンと申します、よろしくお願いしま……」


 下げようとした頭が止まる。もしかして見間違いかもしれないと見直し、目に入ったのは、流れる枯色の髪。橙の瞳。射抜くようなその眼差しを見て直感した。


 私は、彼を知っていると。


 どうして、何故。心に浮かぶ感情全てが現状に追い付かない。あれだけ下調べをしたのだ。名前を聞いても何も思い出さなかったじゃないか。学区だって異なる地域に来た。


 彼を見ていると、彼の素性を思い出した。そうだ、彼だけ例外なのだ。


 だって彼は。きゅんらぶの攻略対象の中で唯一の教師だ。ゲームでの名前表記は通名、そもそも生徒でない彼には学区なんて何の意味も成さない。


 彼、ジェイ・シーク恐らくは、いや絶対に後のジェシー先生は、きゅんらぶの攻略対象で、唯一の学校の生徒では無いキャラクター。学校の先生だ。


 ウインドウの名前表示も、メイン攻略対象であるレイド・ノクターなどは、そのままフルネーム表記だが、彼だけはジェシー先生としか表記されない。かといってフルネームを隠しているなど特殊な設定がある訳ではなく、「あの人はジェイ・シーク先生っていうんだよ」というクラスメイトの言葉でさっと紹介される。


 主人公、レイド・ノクター、ミスティア、の痴情のもつれ三人組の混入、もとい在籍したクラスの担任の教師として登場する彼は、基本的に口数が少なく、多くを語ろうとしない。しかしそれは、過去に何かあったわけではなく、本当に「そういう性格」なのである。黙っているのが好き、話すのが嫌いという訳ではない。本当に「そういう性格」だ。ヤクザ教師、オラオラ先生などと呼ばれるのはその少ない言葉が乱暴、身体つきが比較的鍛えられたものであること、鋭い眼光からその印象が強まるのだろう。


 自分から主人公へ何らかのアクションをとり始めるキャラクターと違い、彼は主人公に何もしない。サブシナリオに近い立ち位置や、性格を考慮する以前に、彼は教員、主人公は生徒。先生から何かしら仕掛けることの方が異常であり、教員としての資質を疑う。


 きゅんらぶの学校でも、現代の一般的な規律に準拠しており、生徒と先生の恋愛は当然のように固く禁じられているというのもあるが。何よりゲーム開始時主人公は十五歳。つまり十八歳未満。何かあればこの国の法に触れる。


 だからこそ、過去に色々あったり、家族関係に問題を抱える他の攻略対象と違い、彼との恋愛は恋に落ちる、落とす過程よりも、二人で落ちた後に波乱が待ち受ける。


 学校で二人の噂が広まり、先生の話が持ち上がる、一方主人公は嫌がらせを受け始め……。数多のすれ違い、諍い、疎通を繰り返し、二人は力を合わせそれを乗り越えハッピーエンド。めでたしめでたしだ。


 一方、私は全くめでたしじゃない。祝いではなく呪い、「まじない」ではなく「のろい」だ。何なんだここは。きゅんらぶ人口過密区域か何かなのか。


 姿を見て絶句し慌てて「よろしくお願いします」と頭を下げた。するとジェシー先生は静かに首を横に振る。


「敬語じゃなくていい」


「え?」


「畏まるなと言ってる」


 いや無理がある、初対面で、しかも年上を相手に敬語を外すなんて絶対無理だ。私は十歳、相手は十八歳だ。しかも相手は攻略対象。五年後の担任。敬語を外せる訳がない。


「いや、でも」


「俺に気を使いすぎて馬から落ちても困る」


 どんな暴論だ。敬語外す方が気を使う。ゲームでは「敬語を外せ」なんて言ってなかったはずだ。教師になる前は敬語使われるの嫌だったとか? それとなく敬語外しを拒否しようとしても、未来の先生は「馬から落ちても困る」と引こうとしない。そんな目上の人間に無礼なふるまいをするくらいなら私は馬から落ちるほうがいい。


 しかしこのままだと、どんどん乗馬講習の時間が失われていく。乗馬を教わらないと、デッドエンドから逃げることが出来ない。こうなると一家の命と、私の目上に対する敬意、どっちをとるかになる。当然一家の命である。しかし今後の布石になるのも嫌だし、やはり気後れする。


 いや、考えを変えよう。敬語を無くしても、心の中で敬語をつければいい。


 エリクは十一歳という精神が未熟な、さらに不安定な時に関わってしまったから、イレギュラーな私の存在の影響を強く受けてしまっただけだ。


 しかし彼は十八歳。十八歳の精神的にも肉体的にも健やかな人間が、はたして十歳から影響を受けるだろうか。


 私が生まれ、首も座っていなかったとき、彼はランドセルを背負い、放課後冒険のつもりで駆け回って居たら隣町に行っていましたくらいの年齢の差がある。ここで私が敬語を外したところで彼に与える影響なんてあるはずが無い。そもそも敬語じゃなくなったところで何の影響があるというのだ。大丈夫。いける。


「分かっ…た……す」


「……俺の名はジェイだ、よろしく」


「よ、よろしく」


 お願いしますと心の中で付け足して、固く誓った。絶対馬に乗れるようになるぞと。

●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売

◇予約ページ◇https://tobooks.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=3106846

◆攻略対象異常公式アカウント◆https://twitter.com/ijou_sugiru?s=20/

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― 新着の感想 ―
[一言] なんかミスティアと誰かが話してる描写を見るだけで嫉妬の感情が湧いてくるようになってしまいました。なんて恐ろしい文章なのでしょう。あと、大変面白いです。
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