棺が開く時
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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エリーに出会ってから一か月が経った。もう季節は完全に夏だ。早い。
そして私はこの一か月ハイム家に通い続けている。雨の日も風の日も通い続けている。ほぼ毎日。
エリーは職人気質らしく、街づくりはもうすでに城も街も家も屋台も完成し、約十畳はあるエリーの部屋半分を埋め尽くしている規模にまで拡張されていった。しかし彼女的には「まだ完成まで半分くらいある」らしい。
一度作ったところを手直しして一日を過ごすこともある。将来有望な職人のこだわり。研究者にも向いているかもしれない。
ということで、連日通うにの対し、当然ハイム夫人は娘の様子に尋ねてくる。エリーからは街づくりに関する話のみ夫人に話をしてもいいと許可が出ているため、架空の街の建設状況の話をしているけれど、話を聞く夫人は本当に嬉しそうだ。そして夫人は必ず私にこうして訪ねてくることは苦しくないかと不安そうに聞いてくる。
正直アウトドア派でもないのに、毎日毎日人の家に訪問する行為は楽ではない。しかし苦しいわけでもない。むしろエリーと過ごす時間は有意義で、とても楽しい。はじめは腕をぎりぎりされるから、放っておけないという思いだったが、彼女と話す他愛のない話もかけがえのないものになってきた。
逆に、籠っているサイドからしたら、出会ってまだ日の浅い人間が部屋に入ってくるということは、不登校の学生に対し担任が、登校を求め訪ねてくるレベルで気が重いはずなのだが、エリーにその気配が見られない。
一度「こんなに来てもいいの?」と訪ねたら、「来たくないの?」と腕を掴まれぎりぎりされたので、多分排除対象にはされていない。
これは、友情が芽生えているのでは。友達になれるのでは。むしろ友達では? と浮かれた考えすら持ってしまう。
「ミスティア、お水出来そう?」
「無理だよ。今のままだとまだ日照り続くよ」
そして今日は朝から「水場が欲しい」というエリーの指揮の元、二人でせっせと水汲み場を作っている。画用紙に色を塗って井戸本体のレンガ造りの模様をつくり上げるエリー。私は画用紙に描かれた、「井戸から溢れる水」を鋏を駆使して水色の画用紙から切り取っていた。
この二つを組み合わせることにより、街に無数の「水があふれた井戸」が出来上がる。日照りに苛まれた街が勇者の水魔法により救済される設定だ。しかしながら勇者こそ街に日照りを起こした犯人であり、勇者は街から金品を騙し取ろうとしていたのだった、という中々問題がある裏設定もある。エリーはこの設定に笑ってくれていた。
しかし、そんなエリーの様子が、今日はあまりにもおかしい。
何だか、ずっと、無理に話をしようとしている様子だ。別に無言でも苦にならないし、エリーもそのタイプだと思っていたけれどどうやら違うらしく、今日は午前中からずっと進捗状況の確認やその他質問を、こちらの顔色を窺いながらしている。
「ミスティアはさ、好きな動物はなあに?」
一見普通の質問だが、この質問は今日ここに来て四度目の質問だ。朝からだから約一時間おき。別に私は一時間おきに好きな動物が変わる人間として、広く知られている訳ではない。普通に心配だし、不安だ。レイド・ノクターが同じ質問をしてきたなら、「今日殺されるのかな」という不安だが、彼女は普通の女の子。純粋に彼女の置かれた状況に対する不安を感じる。何で今日はまたこんなに様子がおかしいのだろう。何があったのか。
思い返せば小学校の頃、前の席のクラスメイトが、飼っていた犬が死んだと突然泣き出したことがあった。彼は授業が中盤にさしかかった頃突如泣き始めたが、授業に入る少し前の休み時間、突然口数が増え様子がおかしくなっていた。それに似ている。
「何か嫌なことあった?」
「無いよ」
そう言いながらも彼女は黒い布を深くかぶった。明らかにおかしいが、話をしたくないなら無理に尋ねることはしない方がいい。
でも気になる。何か出来ることがあるなら協力したいけどそう思われること自体が、不安にさせてしまう原因になることもあるだろう。
時計を確認するとお昼をとりに行く時間になっていた。部屋の前に食事を運ぼうとする夫人に、申し訳ないから自分で運びますと私は申し出ている。だから今日も、昼食を頂きにいかねば。
「そろそろお昼ご飯取りに行ってくるね」
「…エリーが行けなくてごめんね」
「気にしないでいいよ、井戸よろしく」
大丈夫だと言ってもエリーは申し訳なさそうにしている。律儀な人柄だ。
エリーに「いってきまーす」と声をかけつつ部屋から出て、調理場に向かおうとすると丁度夫人が昼食を台車にのせ持ってきているところだった。
「今日のお昼はサンドイッチよ」
「ありがとうございます、すみません私の分まで用意してもらって」
「気にしないで、毎日毎食でもあの子と一緒に食べてほしいくらいなのよ。きっと一人で食べるのは寂しいでしょうから」
毎日毎食はさすがにエリーも嫌がるのでは……? 昼食に目を向けるとサンドイッチは卵、ハム、レタスがぎっしりと挟まっている。付け合わせにポテトもあった。
「じゃあ、持っていきますね、ありがとうございます」
そう言って台車を押し始めると、夫人が台車に手をのせた。
「あの子をどうか、どうかよろしくね」
「? はい」
夫人に見送られ台車を押し、部屋へと戻っていく。そしていつも通り部屋の扉を開くといつも通りではない、何かを破くような音がした。
そして、その音の発生源。目の前の光景が信じられず唖然とする。
あれだけ街づくりにこだわりを持っていたエリーが、己の手で井戸を描いた画用紙を引き裂いている。
「え」
私に気づいたエリーは狼狽え驚いたのか、後ずさりし、その拍子に彼女が纏っていた黒布が落ちた。そうして翠の瞳からぼろぼろと大粒の涙を流す少女の姿が現れる。エリーが、泣いている。こだわりが強すぎて気に入らなかった? やり直したいのに言えなかった?
エリーは泣きたくないのにとでも言いたげに、黒に近い茶の髪を揺らして泣いている。何が起きている、泣かせてしまった。何をやってしまった? 何か言葉を、慰めを、何かしなければ、どうしよう。
「井戸……嫌だった?」
「ちがうぅ……」
「何が、何か失敗して」
「違う……!」
エリーが叫んだかと思うと、またさらにぼろぼろと涙を流す。
「だ、だってミスティアがいなくなっちゃう、まちが、完成した、ら、やだ、もっとお話ししたいのに。でも何を話していいか分からない、おそいの、話がでなくて、待たせちゃうのに、うまく話せないから、街が完成したら」
「エリー」
「友達でいてもらえない」
か細い、震えるような声。悔しそうに不安に揺れる瞳。その様子を見て、ようやく自分がエリーを放っておけない理由が分かった。
エリーは、私に似ているのだ。
上手く話せない、面白い話が出来ない。だから、人と話すのが苦しい。
前世の幼少期、私も人と関わることが苦手だった。口下手で、面白いことも言えず、家族以外との用件の無い雑談が苦痛だった。確か近所の男の子に、何か話をしたとき、「つまんなーい」と言われたことがきっかけだった。
以降私は、「あの発言は良くなかったのか」「場の空気を乱したのでは」と会話した後、あれやこれやと考えるようになり、会話自体に苦手意識を持った。
そんな苦手意識が払拭されたのは中学に上がって間もない頃、「別にテレビじゃないんだから、他人の話に面白さなんて誰も求めてないし、金貰ってるんじゃないんだから堂々としてなよ」と妹に指摘されてから、徐々に日常会話が苦にならなくなった。
エリーもおそらく、悲しい目にあったのだろう。酷い言葉を言われたのか、されたのかは分からない。そしてそれから、沈黙してはいけない、面白い話をしなきゃいけないと緊張し、「何か」言わなければと、何かを探すことに時間制限を設けパニックに陥ることを繰り返した。
そして後悔し、何度も何度も思い出して反省する。
反省して、もう二度と繰り返さないようにと決める。何度も相手のいない練習を繰り返して、繰り返して、彼女と日常会話と間の壁として積み上がっていく。いつしかそれは脅威に変わり、自分の身を守るため彼女は自室に籠り、外界との接触を断ったのだろう。
そうして一人でいることを望んでいる一方で、寂しくない訳ではない。話すことが怖い、一人でいることも辛い。だからきっと、彼女は苦しい。だから緑蘭の庭園で私と会った時に、強引に腕を掴んできたのだ。
助けを求めて。
「別に無理に話さなくていいよ」
黒布が解けたエリーにそっと近づき、固く握られ震える手に自分の手を重ねる。エリーは戸惑いがちにこちらの顔を見た。
「で、でも」
「大丈夫だよ、話なんて関係ない、ずっとそばにいる。黙ってても、何もしなくても、大丈夫だから。話がしたくなったら話せばいい、したくないならそのままでいい。ずっと友達。いなくなったりしない。約束する」
だから泣かないでと、祈るように手を握る。
「ほんとに?」
「本当」
「ぜったい?」
「絶対だよ」
笑いかけると、エリーはおろおろと縋るように抱き着いてきた。温かい背中を撫でていると、エリーは震えながら泣く。そのままずっと背中を撫でていると彼女はやがて安心したように身を預けてきた。そしてすやすやと寝息を立て始める。
床で長時間寝かせるのは体に悪い。しかし起こすのも忍びない。十歳の非力な力ではベッドに運べない。外は暗くなり始めている。というかもう暗い。帰る時間だがいなくなったりしないと約束した当日に、眠っている間に帰宅するのは如何なものか。
でも、とりあえず今は、約束を破らないように。
私はエリーを抱きしめ、安心して眠られるよう優しく背中をさすっていた。
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