硝子に手向けの花を
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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エリーの後ろを追うように歩いていく。
突如庭園の案内を提案した子供はエリーと名乗った。どうやら女の子らしい。子供の声はいまいち男女の判断がつかないけどこれで分かった。それ以外は全く語ろうとしないが、「この庭園を」と言うくらいなのだから、ハイム家の子か、それに近いところの子だろうと思う。
「この緑蘭は、お父さんとお母さん、みんなで育ててるの、お母さんが、好きで、プロポーズも、花束といっしょに」
エリーは黒い布を片手で押さえながらこちらに振り返った。うん。これでハイムさんちの子確定だ。ならばこの緑蘭庭園は、家族で大切にしてる庭なのか。広い庭園を埋め尽くすほどの緑蘭は夫婦の愛の結晶なのだろう。入ってしまって申し訳なかった。後で夫人にも謝罪をしなければ。
「そうなんですね、勝手に入ってしまってごめんなさい」
「いいよ。お茶会の時、前はよくここも案内してたから。今は皆いないとき、お世話するんだ」
ぽつりと寂しそうにエリーがつぶやく。あれ、この子は多分ハイム家の子。なのに何故皆が居ないときに手伝うのだろうか? 特殊な事情がある子供なのだろうか。
「じゃあ次はおへやへご案内」
エリーはそう言って私の手を取り、屋敷の方へと歩き出した。「え、案内終わったってこと? 部屋って何?」という、私の問いに一切答えずエリーは裏口らしき場所から屋敷の中に入ってしまった。この調子だと開放される気配はないだろうと茶会に戻ることを諦めて屋敷内の廊下を進む。
「あの、お屋敷に勝手に入っていいんですか??」
「エリーの許可があるから大丈夫だよ」
大丈夫らしい。何が大丈夫か分からないが、まあやっぱり相手はハイム家の子供だし、大丈夫だと思うしかない。
「ほら、見て、絨毯ね、蘭のお花の柄になっているんだよ。こっちは白だけど」
エリーは地面を指さした。確かにそこには白い蘭の花々が刺繍された絨毯が広がっている。
ノクター家の屋敷でもこうして案内をされたし、案内が流行っているのだろうか。ノクター家の屋敷は内観も外観も屋敷というより城に近いというか、ゲームの物語後半に出てくる王城感があったけど、ハイムの屋敷は正統派の屋敷感がある
廊下に並ぶ調度品を眺めたり、エリーの解説を聞きながら廊下を進んでいくと、彼女はふと廊下に面した扉の前に立ち止まった。ドアプレートには金で縁取られた蘭のステンドグラスが飾られている。
「ここがエリーのおへや」
エリーはドアノブに手をかけた。プレートはどう見ても特注品で質が高い。やっぱりこの子はハイム家の娘だ。でもどうして彼女はお茶会に向かわず、黒い布を被り、さらに一人の時に蘭の世話をするのだろう。
「特別に中にいれてあげる」
「え」
部屋に入れてくれる? 疑問を浮かべる声を上げると同時に、部屋に引っ張りこまれた。
周囲を見渡す。家具は紫で統一という訳ではなく、落ち着いた茶色、黒、そして緑色と異なる色合いを組み合わせつつ揃えられていた。素敵な部屋なのだが、何だろうか何となく、違和感を感じる。
ノクターの屋敷では空間が気になっていたが、あれは婦人の肖像画が無いことだった。そういった違和感ではなく、雰囲気的な違和感だ。
子供部屋というには殺風景で、かといって普通の部屋ですといえる訳でもない。絵本を仕舞う本棚や、おもちゃを仕舞うおもちゃ箱はあるのに、絵本やおもちゃなど「それ自体」が無い。机と、椅子、ベッド、空の本棚。空のおもちゃ箱。クローゼットのみで生活感が感じられず、子供が住んでいる部屋というよりかつて住んでいた部屋か、これから子供を迎えようとする部屋に見える。
「エリーはずっとここにいるんだよ」
「へー」
そう返したものの、正直内心は動揺した。さっきまで子供が生きている感じがしないなんて思ってた部屋に、目の前の子供が「ずっとここにいる」なんて言えば動揺するのは当然だろう。悟られないように追及をすべく「ここで何するのが好き?」と問いかけると、エリーは考え込んで分厚いカーテンの間にわずかに隙間があることで窓辺だとわかるような、そんな場所を指でさした。
「あの窓から空を見ているのが好き」
この子供、収容かなんかされているのだろうか。一人で外で水をやって、部屋で空を見ているのが好き、というのは趣味としてはよくあるものだが、この部屋でとなると中々不安になるものがある。綺麗好き、物が少ないのが好き、そもそも本やおもちゃに興味が無いなど、本当に好きでやってるなら別にいい。でもこの生活が強いられているのだったらと考えると普通に問題だ。
「本棚の本とか、おもちゃ箱のおもちゃはどうしたの?」
「大切だからしまってる。なくならないように。壊れないように。……それより、次は広間に行こう、案内するから」
追求を防ぐかのようにエリーは私の腕を引き、部屋から出た。相手が追及を拒む以上、踏み込んではいけない。エリーに腕をひかれていると「エリー!」と呼ぶ、というより半ば叫ぶ声が後ろから発せられた。反射的に振り返ると私のはるか後ろにハイム夫人が立っている。
「お母さん……」
エリーは呆然とした声色で夫人に呟くと、夫人はエリーのもとへ駆け寄った。しかしエリーは脱兎の如く扉を開き部屋に入ると勢いよく扉を閉めた。そして鍵をかける無機質な音が響く。
「待ってちょうだい! 話がしたいの! ずっと部屋にこもりきりで、どうしてなの」
夫人が扉に縋りつきながら叩くが返事は無い。どうしよう、めちゃくちゃ気まずい。なんだこの状況は。私はどうしたらいいのだろうか。呆然と立ち尽くしていると夫人が私の方に顔を向ける。
「あ、ああ、ごめんなさい」
「い、いえ私はこれで、帰り道も知ってるので、それでは」
失礼します、と踵を返した瞬間。がしりと腕が掴まれる。なんだこれ、さっきもあったぞ。恐る恐る振り返ると、やっぱりという感想しか浮かばない。ハイム夫人が私の腕を掴んでいたのだった。
「本当に、もうどうしていいか分からなくて……」
ソファに座り、俯きがちに語るハイム夫人の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。夫人は、懐からハンカチを取り出し、目元を押さえた。その様子をテーブルを挟んだ向かい側のソファに座りながら、じっと見つめる。
私はあの後、ハイム夫人に呼ばれ、ハイム家の客間に案内されていた。そして夫人は「どうか、聞いて欲しいのだけれど」と前置きをしてから、エリーについて語りだしたのだ。
本当によく笑う子であったエリー。庭を駆け回り動物と戯れ、花を愛する優しい子。人を愛し人に愛される彼女は、ある日を境に突然部屋から出てこなくなった。何の前触れも無く、朝、いつも早く起きていた彼女の姿が見えず、部屋に呼びに行けば鍵がかかって、呼びかけても返事が無い。扉の隙間からは放っておいてと一筆書かれた手紙が差し出された。理由を尋ねても答えない。外から窓を覗こうにもカーテンが閉じたきり、中の様子が窺えない。食事は部屋の前に置いておくと気づくと空になった食器が置かれて、食事は取っている様子。耳をすませばかろうじてする部屋の物音はして、時折すすり泣く声も聞こえ、その音で生存を知り安堵する日々を夫人は送ってきたらしい。
「それであの子はお茶会が好きだったから、定期的に同い年の子供を屋敷に招きお茶会を開き続ければ、いつか部屋から出て来てくれるんじゃないかって、でも、駄目で……だから、さっき驚いたわ。あの子があなたを連れて歩いているのを見かけて。久しぶりに、あの子の姿を、動いている姿を見ることができた……」
夫人は声を震わせた。本当に夫人は今、十歳の子供に対して縋りつきたくなるほどの状態なのだろう。
それにハイム夫人の語るエリーと、会ったエリーがかけ離れている。とてもじゃないが腕を掴み案内をすると言い出し、部屋まで引っ張っていくような印象からは正反対だ。
でも、大切だからと本やおもちゃを仕舞い、外から見えないようにする、というのは、籠るうえでの自己防衛的感情と一致している気がする。
「あの子は、この半年間ずっと部屋から出てこなかったの……。誰と話すことも無く。だから、会ったばかりの貴女にこんなこと言うのは忍びないのだけれど……よければあの子に会いに来てくれないかしら? その……また明日にでも」
私は、とある可能性を考え、ゆっくりと頷いた。
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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