アーレン家の執事見習いによる考察
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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「御嬢様には気をつけてください」
俺がアーレン家に従僕として仕える事になって、執事長から言われた言葉だ。
真意を尋ねれば、働いていればすぐに分かると返され答えを聞くことは無かったが、その言葉通りすぐに分かった。御嬢様は変わっている。
というか、おかしい。そのおかしいのは、人間として逸脱している、とか、善悪の感情がめちゃくちゃという嫌な異常性では無いところが、最も厄介で、気を付けなければいけない。だから執事長は言ったのだ、詳細を省いて、「気をつけてください」と。
はじめて見た御嬢様は愛想があまり無く、どちらかと言えば無表情だった。それから注意深く観察したが。いつも本を読んで静かに過ごしている。子供が好むような玩具や宝石、ぬいぐるみなどに一切の興味を示さない。それくらいの子供ならもう少し無邪気にしてそうなものだが、その時は「まぁ大人しいだけか」としか思っていなかった。
しかし、ある時、物を買い与えようとする親を窘めている姿を見た。六歳の子供がだ。
理路整然と、感謝はするが申し訳ない。自分にあれこれ買い与えるのはやめてほしい。こんなことをしなくても愛を感じていると伝え、冷静に、窘めている。
六歳の子供がだ。こんな子供を見たことが無い。子供というのは、親にあれこれ強請り際限なく求める存在だろう。それが、どうしてと俺は混乱した。
しかもそれだけにはとどまらない。
御嬢様は使用人に対して必ず挨拶をする。必ずだ。今まで数多くの屋敷を転々としてきた俺だが、こんな人間は初めてだった。
始めは貴族と使用人の区別がついていないことも疑ったが、しっかりと認識はしている上での態度だ。
ある日散歩していた御嬢様に庭師がぶつかった時には、即座に御嬢様のほうが謝罪をしていた。庭師が驚いて呆気に取られていたくらいだ。その後猛省し謝罪を続ける庭師に謝罪し続け謝罪合戦になっていた。使用人に対する態度もおかしいのだ。
そもそも御嬢様の話し方は貴族が使用人に対する話し方ではない。自分が使用人で、まるでこちらが貴族である方が正しいような話し方をする。
礼儀正し過ぎるのか、親の、当主の教育が厳しいのか?と思っていたがそういう訳でもない、むしろ甘やかしすぎているくらいだ。
本当に子どもか? 中身大人がいるんじゃないか? 背中に縫い目でもついてるんじゃないのかと、俺は本気で疑った。すると、御嬢様の背中を注視するなんて、執事として言語道断だと執事長に注意された。執事長の手には鋏が握られおり、脅迫されているのかと一瞬冷や汗をかいたが、何てことは無い。ただ備品の数を数えている最中なだけだった。
そんな疑いを向けていてしばらく経ったある午後のこと、調理場で料理長が
「御嬢様への溢れる気持ちでタルトを焼いたけど! 頼まれた訳でも無いのに出せない! さりげなく置いてきて!」
と頼んできた。
断ったものの、金ならあると言いはじめ刃物をもち、大いに暴れはじめたので従うことにした。誰だよこんな奴雇ったのは、当主様か。屋敷は大きさに反して、料理人は料理長一人だ。確かにこんな風に暴れるなら同僚も下にもいないわな、と納得する。
料理長のほうに目をやると、料理長は、タルトを切り分け皿に盛るだけだというのに、うんうん唸りながら一向に切り分けたタルトを皿に盛らない。
「まだですか? 早くしないとミスティア様、ピアノレッスン始まってタルト食べる暇無くなりますよ」
「まだだ! 角度が悪い!! 完璧な角度で御嬢様にこのタルトを……!?」
こちらを向いた料理長が停止する。それと同時に俺の脇腹の横からひょっこりと綺麗な黒髪が覗いた。
「御嬢様……」
「美味しそうな匂いがして、それは夕食のケーキですか」
「ひぃ、いいいいいいいいいいや、こおこおこおおおおおこここここれはおおおお嬢様」
どもりすぎだろ、料理長。仕方ないので俺が試作だそうです、と適当に誤魔化した説明をすると、御嬢様の目がきらりと光り輝く。
「し、ししし、し試食とかしても、いいですかね?」
「モチロンデェス!」
料理長挙動不審過ぎだろ、それに御嬢様も、と思うが御嬢様はタルトに夢中だ。たたた、と料理長に駆け寄りタルトを受け取るとありがとうございます!とお礼を言って、普段料理人がまかないを食べる椅子に着席した。別に俺が出なくても、ほっとけばいつもこんな感じだったのだろうか。
「食べてもいいですか?」
「ドォウゾンッ!」
だからさっきから何で料理長はそんな挙動おかしいんだよ。御嬢様はいただきますと挨拶をし、タルトをぱくりと食べた。もぐもぐと咀嚼し、飲み込む。
……小動物かよ。
いやないない。相手は年端もいかない子供だ。料理長じゃないんだし、俺は気持ち悪い変態じゃない。
「美味しいです……、甘いものは人を幸せにする……」
ふふ、と花の様に笑う笑顔に、目が釘付けになる。先ほどの言葉は前言撤回だ。尊い。目の前の御嬢様は、子供じゃない、尊い光の何かだ。御嬢様はこちらの視線に気づき顔を真っ赤にして俯く、そして顔を上げるとまたいつもの不愛想な表情に戻っていた。
料理長は天に拳を掲げ泣いている。いやここは調理場の中で、天では無く天井だ。でもこれは誰だって尊いだろ。
御嬢様が、このまま成長したとして。誰かの前で、こんな風に笑ったとしたら。こんな無防備な笑顔が、自分だけに向けられた笑顔なんじゃないかと、その誰かは、錯覚するんじゃないのか?普段不愛想というのもポイントだ。御嬢様の本当の顔を知っているのは自分だけだという優越感に浸り、他の表情も、いや自分だけに見せてくれる顔が、もっと欲しいと願うだろう。
本能的に分かる、御嬢様を野放しにしていたら、どっかの勘違いした馬鹿に攫われ酷い目に遭うと。
「ミスティア様!」
調理場の入り口を振り返ると、メイドのメロが立っていた。御嬢様と歳が近くいい話相手だということで、手伝いとして引き取られた少女。
年齢の近さ故か、彼女に対してだけは御嬢様はとても親しく友達の様に接している。そんな様子を使用人たちはいつも羨望の眼差しで見つめていた。そんな眼差しを心底気持ち悪いと思っていたが、かくいう俺も今日からその仲間入りになってしまった。
「今ね、タルト食べてたの、後でメロも一緒に食べようね」
「ありがとうございます……ではなく! ピアノのレッスンがあるんですよ!」
「ええ……」
「もう先生はいらしてます!」
「行かなきゃ駄目……ですよね……すみません取っておいてもらっていいですか、あとタルト美味しいです! ありがとうございました!」
また律儀に使用人にお礼を言いながら去る御嬢様は変わっている。
御嬢様は変わっているけれど、愛されているのだ。
その愛が純粋な主従としての感情かどうかは、別として。
俺は調理場を後にして、思い出す。
中に、おじさんがいるんじゃないかと馬鹿な考えで、御嬢様の背中の縫い目を探していた時の事を。
今なら分かる。
あの時の執事長は、何も備品を数えていた訳では無かった。
普通に脅迫してたのだ。
これ以上見たら、殺すぞと。
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