1 婚約破棄
どうぞよろしくお願いします!
「レイチェル・リンドバーグ男爵令嬢!君との婚約は破棄をする!」
そう叫んでいるのはダミアン・セントルイス子爵令息だった。ゴードン侯爵家主催の夜会だった。
会場で遠縁に当たるセントルイス子爵家とリンドバーグ男爵家令嬢レイチェルの婚約を披露するはずになっていた。
そこで破棄を大声で叫ぶなんて正気とは思えない。後でパーティーを台無しにしたと文句を付けられても言い逃れは出来ない。多分相当の賠償金が発生することだろう。
今日はセントルイス子爵夫妻は来ていないのだろうか。遅れて来るのかもしれない。リンドバーグ男爵は商用で来れていない。親が来ていないと知ってのことだと思った。
参加していた貴族たちは一斉にセントルイス子爵令息と断罪相手の令嬢に注目をした。
「婚約破棄ですか?」
レイチェルは予想は付いていたが、感情を押し殺して一応理由を聞くことにした。
「ああ、そうだ。お前の性格の悪さが嫌になった。顔も見たくないほどにな」
それはそっくりお返ししたいと思ったが婚約破棄の為だ、堪えておく。
「性格の悪さとは、どのようなことを根拠に言われるのでしょう?」
ダミアンが会った時から自分のことを嫌っていたのは身に染みていたが今更だ。もっと早く破談にして欲しかった。こんな所で言わなくても父親に直接話を持っていって欲しかった。レイチェルは感情の抜け落ちた顔でダミアンを見つめた。
彼ダミアン・セントルイス子爵令息と私レイチェル・リンドバーグ男爵令嬢は父親同士の都合で婚約が決った。
リンドバーグ家は国内有数の商会を持つ新興貴族だった。つまり成り上がりだ。対してセントルイス子爵家は歴史はあるがさして裕福ではない。
何処かの紳士クラブで息投合した父親同士が、幼かった息子と娘の結婚を勝手に約束し、ご機嫌で帰ってきた結果がこれである。
(ざまぁないわねお父様、ご自分が蒔いた種が娘に、すなわち自分に帰ってきたわ)
ダミアンは幼少の頃に顔合わせした時からレイチェルのことを嫌っていた。見た目が気に入らなかったのだろう。
濃紺の髪を持ちグレーの瞳を持つ彼は幼少から整った顔立ちだった。
対して幼い頃の私は今よりふくよかだった。つまり太っていてぽちゃぽちゃと丸い体形だった。だって甘いものが大好きだったんですもの。おやつを食べ過ぎて母様に叱られていたけど、その場で泣きそうになっても、陰で今は亡くなったお祖母様がこっそりおやつを食べさせてくれた。甘やかされていたんだなって思う。
だから気に入らなかったのも分かるわ。でもね人は成長すると変わるのよ。悔しいからダンスの練習も沢山して運動もしたし食事も考えるようになったの。
いつまでもお子様体形ではないのよ。今やスレンダーな少女になったと思っていたけど、ダミアン様にとってはあの頃のままなのね。
顔合わせの時点で婚約が失敗だと分かっていたのに父親は婚約を継続した。
プライドが邪魔したのだろう。商人のくせに情けない。
それに相手のセントルイス子爵もお金のある家との縁を逃したくなかったようで、契約書を作成して持ってきていた。
紳士クラブで契約って、常識では考えられないでしょう。嵌められたわね、と子供の私でも分かった。どうせならもっと高位貴族と政略的に繋がればいいものを。
一つ格が上がるだけよ、商売には特に旨味があるわけでも無いでしょうにと当時から思っていた。
相手が礼儀を尽くしてくれる人なら別だろうが、あからさまに嫌われているのだ。自分だけが嫌がっていると思わないで欲しいわ。
同じ感情を持つのは当たり前ではないかしら。
「それは・・・ここにいるライラ嬢に虫やカミソリの刃が入った手紙を送った。教科書を破った。二階からバケツで水をかけた。俺より賢いと頭の良さをひけらかす。プレゼントの一つも寄越さない。よってお前は俺に相応しくない」
学院に通っていないからその方にお会いするのは初めてだし、好きでもない人が誰と付き合おうと興味がないのに虫やカミソリの刃が入った手紙を送った?
勉強を頑張ったから知識はあるわ。家庭教師の先生が優秀だったしね。教え方が上手だったの。
プレゼントって最初の頃は無理をして高級なペンとか男の子の好きそうな冒険物の本を贈っていたけど、ありがとうとも言わないから気に入らないのかと贈るのを止めただけ。そちらからは何一つ無かったくせに何を言ってやがるのかしら。
まあ引き取ってくれる人が出来て良かったわ。
「お前のような女ではなくここにいる伯爵令嬢ライラ・エレメント伯爵令嬢と婚約をする」
「そちらの方にお会いするのは初めてですので、手紙の件も教科書も水をかけたというのも身に覚えがございません。それに学院に通ってもいない私がいつそのような事が出来るのでしょう?お聞きしたいですわ。
ですが婚約破棄は承りました。勿論子爵様はご承知なのですね。それならこのお話は帰りましたら父に伝えますわ。ではごきげんよう」
もう顔を見るのも嫌なのでさっとドレスを翻してこの場から立ち去ることにした。
「ああ父上もきっと賛成・・・」
ダミアン様が何か言っていたようだが、早く出たくてみっともなくない速さで急いだ。
周りの貴族が何か言っていたようだけど、聞こえないまま、足早に会場を出た。
エレメント伯爵家って裕福なのね。ドレスもアクセサリーも上等そう。格上に乗り換えたのね、良かった。これで漸く嫌われる立場からさよならだわ。ピンクゴールドの髪に出る所が出た華やかな令嬢だったわ。
肩の荷が下りた気分だけど、真っ直ぐ屋敷に帰る気がしなかった。パーティーは始まったばかりでまだ明るい。庭園に行ったら気持ちが落ち着くかもしれない。来る時に乗ってきた馬車は返してしまったので侍女にお願いしてゴードン家の馬車を借りることにした。
こうして庭園に着いたレイチェルは無謀にもベンチに座り、気持ちを落ち着けることにしたのだった。
瑕疵の付いた娘は婚約破棄をされたら後妻か修道院って嫌になるわ。せっかく金持ちの娘に生まれたのに私の人生、お父様のせいで無茶苦茶だわ。良いことなんて一つもなかった。
兄とは五歳も離れていたせいか一緒に過ごした思い出は数えるほどしかなかった。あまり可愛がって貰った覚えはない。
食べることに不自由は無かったし教育も受けた。綺麗な洋服も着れた。温かなベッドもあり、経済的には恵まれていたとは思うが、嫌われている相手へ嫁がされるのは精神的にきつかった。両親は忙しく、あげくの果てがこの婚約だ。愛情を感じたことは無かった。
思い返している内に涙が零れ落ちていたらしい。ハンカチが使い物にならなくなっていた。
読んでくださりありがとうございます。庭園では一人で泣きたいお嬢様を心配性の専属護衛君が離れた所で見守っています。




