事情
一週間前。
「それは突然のことでした───」
ビルヘイツ王国の第二王子であるマルクス王子の誕生日パーティー。
婚約者であったリーシャは当然そのパーティーに招待された。
マルクス王子との仲はそこまでいいとは言えなかった。出会った当初はたまに会話する事くらいはあったが、ある時から会うことも会話する事も無くなった。そして王子の彼女を見る視線が凍てつくほどに冷たいものへと変わっていた。
そんなマルクス王子は突然、彼女をパーティー会場の真ん中に呼び出した。
『リーシャ・ミリセント! 貴様の悪行の数々は調べがついている。よって、貴様との婚約を破棄させてもらう!』
何を口にするかと思えば、身に覚えのない悪行の数々に婚約破棄宣言。
悪行の証拠は分かりやすくでっち上げられていたにも関わらず、その場にいた人達全員がそれを信じた。
親すらもリーシャの味方をしてくれる人はいなかった。
「マルクス王子が仕組んだことなのか?」
「いえ、違います」
リーシャはきっぱりとそれを否定した。
「どうして分かるんだ?」
アマネは当然の疑問を投げかける。
「私には<真偽の耳>という固有スキルがあります。このスキルによって私は相手の発言が嘘か本当か分かるんです」
アマネをすぐに信用することが出来たのもこのスキルのおかげだ。
「まさか───」
ここまで聞けば誰にだって想像は着く。
「はい。マルクス王子は嘘をついていませんでした」
嘘をついていないという事は、発言者は真実だと確信している事になる。
つまりマルクス王子はリーシャが犯人だと本気で思っているわけだ。
「じゃあ誰が仕組んだんだ?」
もしくはリーシャが嘘をついている可能性もある。
「はっきりとは分かりません。ただマルクス王子に気に入られていたある商人が関わっている可能性はあります。なぜなら私が必死に弁解をしていた時に───」
『じゃあこれはどう説明するのだ?』
そう言ってマルクス王子はリーシャに数枚の紙を見せた。
「そこには私が反国派の貴族数名と密会している様子が写されていました。私はそんなことしていないのに」
「写されていた? 写真を見せられたということか?」
「写真⋯⋯⋯⋯やはり分かるのですね!」
リーシャはどこか納得したような顔をした。
その反応にアマネは首を傾げる。
「そりゃこっちの世界にもあるからな⋯⋯⋯⋯⋯」
「なるほど⋯⋯⋯⋯」
顎に手を当て、そう言うリーシャ。
「実は、ビルヘイツ王国に写真というものが伝わってきたのは最近なんです。その道具はカメラと称され、一部の貴族の間で流行っていました」
「カメラ⋯⋯⋯⋯。なるほど、そういう事か」
写真を撮る道具であるカメラ。これが他国から持ち込まれたものであるとすると、間違いなくこちらの世界からだ。
「最近になって不思議なものを持ち込んでくる方が多くいるんです。その方達の多くは黒髪黒目であったため、向こうでは『黒の商人』と呼ばれていました」
「黒の商人か⋯⋯⋯⋯⋯」
リーシャはアマネの方を見てある問いかけをした。
「あの、もしかして黒の商人はアマネさんの住む世界の方たちなのでしょうか?」
黒の商人の特徴である黒髪黒目。
それはアマネにも当てはまっている。
向こうの世界の住人にその特徴を持つものはいなかったとなれば、こちらの世界の住人しか有り得ないだろう。
「多分そうだ⋯⋯⋯⋯⋯」
リーシャは、持ち込まれたカメラで証拠の写真を撮られたと見て間違いない。だがそこに写っていたリーシャは偽物だと言うのだ。
「まさかその黒の商人ていうのがリーシャを嵌めた犯人なのか?」
となればこの事件は向こうの世界だけの問題ではなくなる。
「分かりません。ただ持ち込んできた物は黒の商人と似た高度なものでした。でもその方は特徴に当てはまらなかったのです」
つまりは黒髪黒目ではなかったということになる。
「その方は赤髪赤目の女性でした。名前は確かマリオネット」
「マリオネットね⋯⋯⋯⋯⋯」
日本語訳で操り人形みたいな感じだよな。
さすがに考えすぎか。
どちらにせよ、こちらの世界の道具が利用されている以上、全く無関係とは言えないな、とアマネは思った。
結局、その証拠が出たことが決め手となり、反対も虚しく彼女は独房に放り込まれた。
彼女にかけられた罪は国家反逆罪。ビルヘイツ王国では死罪とされている。
その恐怖に怯えながら彼女は数日を過ごしていた。誰も信じてくれない、誰も助けてくれない、それが彼女の心を苦しめた。
ある時、警備が疎かになっている事に彼女は気がついた。数日間、泣く事しかしていなかった彼女を放っておいても大丈夫だと判断したのだろう。
彼女は寝床にあった薄い毛布代わりの布をローブ代わりにし、隙を着いて独房から抜け出した。
途中見回りの騎士に見つかってしまい、追いかけられながらも彼女は森の中を全力で走った。
涙で視界が遮られても直ぐに拭き取り、転んでも立ち上がって走り続けた。
「それで逃げてきたのか」
「いえ、流石に無理でした」
「じゃあどうやって」
「助けが来たんです。私がたった一人向こうの世界で信頼できた人。私の使用人をしてくれていたミサ・エリオットという人です」
リーシャは逃げ切れなかった。
さすがに騎士の速さには勝てなかったのだ。
包囲され、彼女も諦めかけていた時、助けは来た。
リーシャの使用人であるミサだ。
ミサは彼女を包囲している騎士に奇襲をしかけ、隙を作って彼女を逃がしたのだ。
「そのミサって人はどうなったんだ?」
「分かりません。もしかすると私のせいで捕まってしまっているかも⋯⋯⋯⋯⋯」
リーシャは沈んだ表情でそう言った。
「結局私は自分の力だけでは何も出来ませんでした。現にアマネさんに助けられていなければ、あのまま騎士に捕まっていましたから」
「リーシャ⋯⋯⋯⋯⋯」
アマネはどう声をかけるべきなのか分からなかった。
ただ彼女を見つめる事しか。
「アマネさんには本当に感謝しています。助けてくれて、暖かいご飯も用意してもらって。でもこれ以上は迷惑をかけられません。だから私を⋯⋯⋯向こうの世界に戻してください」
そう言うリーシャは苦しそうな表情をしていた。
彼女にとって向こうの世界は安全では無い。
どこから追ってが来るか、分からないのだから。
それでも彼女はアマネに頼る事は出来なかった。これ以上誰かに迷惑をかけたくなかったから。自分のせいで誰かを不幸にしてしまうことは避けたかったから。
「私一人でなにが出来るか分かりませんが、せめてミサだけでも助けに行こうと思います」
そう言う彼女の声は震えていた。
アマネはそんな彼女を放ってはおけなかった。
「迷惑なんて思わなくていいぞ」
「えっ⋯⋯⋯⋯」
「言っただろ。この世界には君を知っている人は居ないって」
それにこちらの世界の物が使われているのなら無関係では無い、アマネはそう思っていた。
「でも⋯⋯⋯⋯」
ここに居ること自体が迷惑じゃないのか、とリーシャは思った。
だがアマネは違った。
全く迷惑なんて思っていなかったのだ。
それに彼女の話を聞いて彼は確信していた。
───彼女が無実だということに。
確かに話を聞く限りおかしな点は存在した。
一つは王子に見せられたという紙。
密会の様子が写されていたとリーシャは言った。
それは写真だ。
指名手配書にも同様に写真が貼られていた。
あの世界の文明から考えて写真だけ異様に高度すぎるとアマネは思っていた。
魔法かもしれないとあの時はそれ以上気にしていなかったが、リーシャの発言により、こちらの世界から持ち込まれたカメラによるものだと分かった。
マルクス王子が犯人でない以上、それを持ち込んだとされる商人が怪しい。その商人は黒髪黒目の特徴に当てはまっていないため、道具だけが利用されている可能性はある。だが証拠が偽物であるということは、合成写真のような技術を悪用した可能性もあるのだ。それが出来るのはおそらくこちらの世界の人間だけだろう。
特徴に当てはまっていないからといって、こちらの世界の人間が犯人で無いとするのは早計だ。なぜなら髪を染めたり、カラコンを入れるなどすれば、黒の商人とは違う特徴を見せることが可能だからだ。
となれば、目的は不明だが、こちらの世界の人間が事件の犯人である可能性も考えなければならない。
これらの不可解な点から考えてリーシャが犯人だというのは少し怪しくなってくる。
「俺は君を信じるよ。君が嘘をついてるようにはどうしても思えないんだ。だからしばらくはこの家に居てもいい。俺が嫌になったら向こうに戻ればいいさ」
彼女が言ったことが真実である確証は無い。逆に言えば嘘であるとも言えないのだ。ならばアマネはリーシャを信じてみようと思った。
それに彼女が向こうの世界に帰れるかも彼には分からない。バグによって彼女がこの世界から出られない可能性もあるのだから。
そうなれば、全ての責任は彼にある。
彼女を放って置くなんて許されるわけがない、と彼は思った。
彼の言葉を聞いたリーシャは、瞳から一粒の大きな涙をこぼした。それを境にポロポロと涙が溢れだし、止まらなくなった。
「えっ!? ど、どうした? 俺変なこと言ったか?」
「ち、違います⋯⋯⋯⋯違うんです⋯⋯⋯。本心だったので。⋯⋯⋯⋯私の言う事を信じてくれた事が⋯⋯⋯⋯嬉しくて」
涙を流しながらも小さく笑顔を見せるリーシャ。今までの苦しさを知った気持ちになり、アマネも胸が苦しくなった。
「安心しろ、俺が何とかしてやる」
アマネはリーシャの頭を優しく撫でそう言った。
「本当に、ありがとうございます⋯⋯⋯⋯」
「まあ正直言うとあんまり自信はないけどな。俺、ただの学生だし」
俺かっこ悪いな⋯⋯⋯⋯とアマネは思う。
「それでも嬉しいです。信じてくれただけでも私は救われていますから」
リーシャはしばらくの間、アマネに寄りかかって涙を流していた。
きっと寂しかったのだろう。人肌の温もりに安心したのか、はたまた泣き疲れてしまったのか、彼女は眠りに落ちた。
アマネはリーシャを起こさないようにゆっくりと抱きかかえ、ベットのある一室に運び、寝かせた。
もしかしたら汗臭いかもだがソファーよりは寝心地いいだろう。
アマネは部屋の電気を消し、ゆっくりとドアを閉めた。
リビングに戻ったアマネは風呂に入り、制服を洗いながらこれからの事を考えていた。
(シェリアさん、何か分かることは無いか? 向こうの世界に行けるやつが関わっているとか)
『残念ながら役立ちそうな情報はありません。私自身、向こう側に行ける方たち全員をすぐに把握しきることはできませんので。もし分かったことがあれば、伝えさせて頂きます』
(ありがとう。お願いするよ)
シェリアも当てにならない以上、解決には遠く及ばない。
となればしばらくはリーシャをこの部屋に住まわせる必要がある。
だがそれによって生じる問題が、お金だ。
学生であるアマネは親からの仕送りとバイトの給料で生活をしている。そのお金で二人分の食費とその他生活必需品を補えられる程の余裕は無いだろう。
まず彼女が生活するための物を揃えるだけでも相当お金が無くなる。現に服を買った事で既に金欠の未来は確定している。
仕送りを増やしてもらうにも良い言い訳が見つからないし、バイトを増やすのも不思議に思われるだろう。
それで親が突然、彼の家に来たりしたら終わりだ。
やっぱり異世界しかないか、とアマネは思った。
一番バレにくく、どの道クエストもある。それにもしかしたらリーシャについて何か知れるかもしれない、とアマネは考えた。
異世界に行ける他の誰かさんと同じようにこちらの世界の物を売るのもありだ。
おそらく高値で取引される。だからこそ、黒の商人なんてものが向こうで定着しているのだ。
だがそんな事よりもまず、クエストを進めるのを優勢したい。
リーシャを家におく以上アマネが長い間、不在のままというのは何かと不便だからだ。
(これから急がしくなりそうだ)
明日は休日、リーシャを連れて買い物に行こう、とアマネは考えた。
友達にもこの事は秘密にしないと。
なぜなら異世界の令嬢が家にいるなんてアマネ自身も信じない話だからだ。




