006 屋台の改良②
「いや、そんな……おかしい! ほら、残高はちゃんとあるんだよ! なんで弾かれるの!? ねえ、なんで!? 意味わかんねーんだけど!」
俺はシズルにスマホを見せながら喚いた。
引き落としに使う銀行口座の残高を表示する。
「残高がいくらであろうと、払えないことには変わりない。そうでしょ? シュウジくん?」
シズルの口調が変わった。
俺に対する認識が「お客様」ではなくなったのだ。
「いや、これは何かの間違いなんだ!」
どれだけ考えても理解できなかった。
スマホのタッチ決済はクレジットカード決済と同じ扱いだ。
クレジットカード決済では、締め日に口座から引き落とされる。
そして、俺の口座残高は間違いなく200万円以上だ。
「そちらの事情は関係ないわ」
シズルが冷たい口調で言い切る。
しかし、彼女の発言には「でも……」と続きがあった。
「私の質問に答えてくれたら、解決策を教えてあげてもいいわよ?」
「解決策……? あんた、この摩訶不思議な現象の理由を知っているのか?」
「察しはつくわ」
信じられなかった。
――が、シズルの顔を見る限り、嘘をついているとは思えない。
「知っているなら教えてくれ。質問には答える」
「ふふ、素直でいい子ね。なら、まずはそこのソファに座ってくれる?」
シズルが指したのは、部屋の中央にある二人掛けのソファだ。
正面にはガラスのローテーブルがあり、その向こうにもソファがある。
一般的な応接間といった装いだ。
「ここでいいのか?」
「ええ、そうよ」
俺がソファに腰を下ろすと、シズルは左隣に座った。
エロティックな香りを漂わせ、俺の首に右腕を絡めてくる。
「他のお客さんに聞いたんだけど、最近、ダンジョンで美味しい魔物料理を提供する屋台があるらしいの。それはシュウジくんのこと?」
シズルが耳元で囁く。
左手を俺の太ももに這わせ、右手で耳、頬、首筋を撫でてくる。
「そ、そそ、そうだけど……!」
ドキッとして声が上ずる。
前世で45歳まで生きた俺だが、それでもこれは刺激的だ。
「やっぱりそうだったんだ。私ね、若くて実力のある男の子が好きなの」
シズルの左手が俺の服に潜り込み、胸板を直に撫でてきた。
「だからね、よかったら私のことも調理してみない?」
「え? それって……」
「しようよ、イ・イ・コ・ト」
シズルが俺の耳に息を吹きかける。
「イイコト……!」
俺は酸欠の金魚のように口をパクパクさせた。
頭が真っ白になり、何も考えられなくなる。
「ふふ、可愛い。そんな反応をされると、ますます欲しくなっちゃう」
シズルが舌なめずりをする。
「本気にしても……いいのか?」
「もちろん♪」
シズルが妖艶な笑みを浮かべる。
「じゃあ……!」
俺は「イイコト」を実行しようとした。
その時、外から女の情けない声が聞こえてきた。
「もう! 道がわかりませんわぁ!」
アリスだ。
「壁沿いに建物が並んでいる外周で『道がわからない』ってなんだよ」
思わず吹き出してしまう。
「間の悪い子ね。すっかりムードが台無しよ」
シズルが苦笑し、ソファから立ち上がった。
改めて対面に座ると、背もたれに体を預けて脚を組んだ。
「すまない、うちの部下はそちらと違って教育が行き届いていないもので……」
「本当にね。まあ、運が悪かったと思って別の機会に誘惑させてもらうわ。それより、もう一つだけ質問してもいい?」
「答えられる範囲のことであれば……」
「シュウジくんの魔物料理、私も食べてみたいんだけど大丈夫?」
「大丈夫とは? 何かアレルギーがあるの?」
「そうじゃなくて、ここまで料理を持ってこられるのかどうかってこと。またはここで作れるのかどうか。私、冒険者じゃないからダンジョンには縁がなくてね」
俺は「なるほど」と言い、さらに続けた。
「そういう意味なら答えは『大丈夫』だけど、俺としては出来たてを食べてもらいたい。必要ならセーフティゾーンまでアリスに護衛させるよ。地下1階にあるから、ダンジョンに入って1時間ほど歩けば着く」
「それだったら遠慮しておくわ。私、汗をかくのが嫌いだから。シュウジくんの料理は食べたいけれど、ダンジョンまで行く気にはならないかな」
「そうか。なら、いつかここに料理を持ってくるよ。冷めても美味しく食べられるものだったら、冷蔵庫で品質を保ったまま運べるし」
シズルが「ありがとう」と微笑んだ。
「これで私の質問はおしまいよ」
「じゃあ、決済失敗の解決策を教えてくれ」
「私の予想だけど、おそらくカードの上限額に引っかかっているんだと思う。それか金額が大きすぎてセキュリティに引っかかったか」
「あ……!」
どちらも盲点だった。
前世の俺なら起こり得なかったからだ。
「どちらにしても、カードを発行している会社に電話すれば解決すると思うわ」
シズルの言葉に従い、俺はカードの発行会社に電話した。
その結果――。
『お客様の使用されているカードは、上限額が20万円となっております』
――シズルの予想通り、上限額のせいでエラーが出ていた。
すぐさま上限額を引き上げてもらい、レジカウンターでタッチ決済を試みる。
チャリーン♪
あっさり成功した。
決済端末の音が安堵と快感をもたらしてくれる。
「これで完了だ。ひやひやしたぜ……」
「でも、おかげで楽しめたから結果オーライね」
シズルはレジから出てきた領収書を封筒に入れた。
さらに自身の名刺も入れ、俺に手渡した。
「次回以降は特別に少しサービスするから、これからも利用してね」
「利用するかどうかは今回の結果次第だな」
「そういうところはしっかりしているんだ。若いのに立派ね」
「こう見えて精神年齢は45歳のおっさんだからな」
「ふふ。見た目は青年、中身はおっさん……最高ね」
シズルは俺を見つめながら舌なめずりをした。
このまま長居していると、また妙な方向に話が進みそうだ。
「じゃあ、俺は時間まで適当に過ごすよ。終わったら連絡してくれ」
俺は封筒から名刺を取り出し、シズルにワン切りした。
「これでいつでもシュウジくんのことを誘えるわね」
シズルが自身のスマホを見ながらニヤりと笑う。
「幸いにも今の俺はフリーだ。休業日ならいつでも誘ってくれていいよ」
「あら、男らしいわね。じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもらうわ。休業日はいつなの?」
「休業日は……」
そこで言葉が止まる。
「どうしたの?」と、シズルが首を傾げる。
「思えば今日まで休んだことがなかったな……」
年中無休――。
客にとってはありがたいが、働き手にとってはブラックだ。
しかし、今日まで「ブラック」と感じたことはなかった。
おそらくアリスも同様だろう。
それだけ屋台での日々が楽しいということだ。
シズルとの会話で、改めて今の選択が正解だと感じた。
一方――。
「休みがないなら誘えないでしょ! 私、すっかりその気になっていたのに……。食えない男ね、シュウジくん」
シズルは不満そうに唇を尖らせていた。
評価(下の★★★★★)やブックマーク等で
応援していただけると執筆の励みになります。
よろしくお願いいたします。














