004 レッドボアの角煮丼③
翌日も、ダンジョンで屋台を開くことにした。
場所は昨日と同じ地下1階のセーフティゾーンだ。
アリスとは特区で合流し、二人でダンジョンに入った。
セーフティゾーンに着いてからは別行動だ。
俺は一人で仕込みを進め、アリスは――。
「シュウジさん! 狩ってきましたわ!」
「おお、いいサイズだな。昨日のより脂が乗ってそうだ」
「ええ、ええ! きっと美味しい角煮になりますわ!」
――レッドボアの調達を担当していた。
自身の数倍はある巨大なイノシシを、涼しい顔で引きずっている。
剣の腕に自信があるとのことだったが、腕力も相当のようだ。
「さて、捌いていくか」
俺はレッドボアを解体して、可食部の肉塊を取り出した。
昨日よりも手早く、そして正確に作業を進める。
「……おい、嘘だろ。本気で魔肉を角煮にするつもりか!?」
強面の巨漢が唸った。
全身を分厚いプレートアーマーで固めた、いかにもベテランといった風貌の男だ。
「な? 俺の言ったとおりだったろ? ガストン、お前も食ったほうがいいぜ。シュウジの魔物料理は絶品だから」
別の冒険者が、ガストン――巨漢――に話しかける。
ガストンは何も言わず、鋭い目つきで俺の作業を眺めていた。
「あのナイフ捌き……ただの料理人じゃねえ。あれは暗殺者の技だ」
ガストンが勝手に戦慄している。
「あいにく、俺はただの料理人だよ。まあ、褒め言葉として受け取っておくよ」
ガストンに答えながら、俺は筋繊維に沿って切っていく。
その後の作業も順調に進み、いよいよ圧力鍋で加圧する段階になった。
「シュウジさーん! 追加のレッドボアですわー!」
アリスが新たなレッドボアを狩ってきた。
「おー、気が利くな。ちゃんと臭い消しの野草も採ってきたか?」
「もちろんですわ!」
「血抜きも済ませてあるし、非の打ち所がないな」
「当然ですわ!」
アリスが誇らしげな顔でドンと胸を張る。
だが、お腹がグゥと鳴ったことで台無しだ。
「おう、お腹が空いたのか」
「し、仕方ありませんわ! これだけ働いたのですから!」
苦笑する俺に対し、アリスは恥ずかしそうに顔を赤くする。
「あのお嬢ちゃんも只者じゃねぇな……」
ガストンがつぶやいた。
彼の仲間たちも「すごい怪力だ」などと同意している。
「そろそろ頃合いだな」
圧力鍋の蓋を開ける。
その瞬間、凄まじい香りがセーフティゾーンを支配した。
「な、なんという芳醇な香り……!」
「香りだけじゃないぜ。味もやばいんだ!」
「そんなわけだからシュウジ、俺とこいつに角煮丼を一つずつ頼むわ! ガストン、お前も食っていけよ!」
ガストンの仲間たちが席に座る。
その隣には、当たり前のようにアリスも座っていた。
「シュウジさん、私は二丁お願いしますわ!」
俺は「はいよ!」と元気よく答えて丼にご飯をよそう。
「おっさんはどうする? 一丁980円だ」
昨日と違い、今日は正規の価格で提供することにした。
ダンジョン内であることを考えれば、980円でも激安だ。
「980円!? そんなに安くていいのか!?」
案の定、ガストンは驚愕していた。
「ここは地下1階だし、危険手当は加算しないことにしたんだ。安上がりな用心棒もいるしな」
俺は客たちにレッドボアの角煮丼を提供した。
アリスに二丁と、他の二人にそれぞれ一丁ずつ。
「お、俺にも頼む……!」
ガストンが席に着く。
「ほらよ、これがここでしか味わえないレッドボアの角煮丼だ!」
俺はガストンの前に丼を出した。
「な、なんだこのトロトロ感は……! これが本当にレッドボアの肉なのか!? あの硬い肉が、こんなに柔らかくなるものなのか!?」
ガストンは箸で角煮を摘まんで驚愕している。
「食べたらもっと驚くぜ」
俺が言うと、ガストンは恐る恐る角煮をかじった。
「…………!」
一瞬でガストンの表情が変わる。
厳つい顔がくしゃりと崩れた。
「なんだこれは……! 俺が知ってるボアの肉じゃねえ……! 臭みはどこへ行った!? この深いコクと甘みは……母ちゃんの味だ……!」
ガストンは涙ぐみながら丼をかき込んだ。
「母ちゃんの味かどうかは知らんが、下処理は完璧にしてあるからな」
「シュウジさん、おかわりですわ!」
アリスが空の丼を掲げる。
「なんで二丁食べたお前がおかわりするんだよ。まかないってレベルじゃねぇぞ!」
俺は呆れながらアリスの注文に応えた。
「シュウジ、俺たちにもおかわりを頼む!」
「俺もだ! シュウジ!」
ガストンと彼の仲間たちからも追加の注文が入る。
「おかわりの角煮丼、お待ちどおさま!」
ガストンたちの注文も軽々と捌く。
今は他に客がいないため、余裕をもって作業に臨めた。
そういう事情もあって、今日は会話も楽しんだ。
「へぇ、ガストンはクランリーダーなのか」
「そんなに大きなクランじゃないけどな」
ガストンが照れ笑いを浮かべる。
クランとは、冒険者にとっての会社みたいなものだ。
活動内容や存在意義は、クランによって大きく異なっている。
ガストンのクラン『鉄の胃袋』は、話を聞く限りゆるい組織のようだ。
「おい、見ろよ! シュウジの屋台だ!」
「本当だ! 今は人が少ないわ!」
「昨日は食えなかったし、今日こそ食おうぜ!」
しばらくすると、他の冒険者パーティーがやってきた。
それを皮切りに、次から次へと新たなパーティーが店に立ち寄る。
「うめぇ! レッドボアの角煮丼サイコー!」
「980円でこんな美味しいものが食べられるなんて!」
「ダンジョンで食うメシが美味く感じたのはこれが初めてだぜ!」
多くの冒険者がセーフティゾーンで角煮丼を食べる。
「今日は食材に余裕があるから焦らなくていいぞー!」
俺も声を張り上げながら作業を進める。
「皿洗いなら俺たちに任せろ!」
「「おう!」」
ガストンと二人の仲間たちが丼を洗ってくれる。
水魔法と風魔法を巧みに使い、一瞬でピカピカにしてくれた。
「サンキュー、ガストン!」
「角煮丼のお礼だ! 気にするな! それよりも大繁盛だな!」
ガストンが白い歯をキラリと光らせて笑う。
「ありがたいことにな。だが、問題もある」
「問題?」
「調理が全然追いつかねぇ!」
客の増加ペースに対して、料理の提供速度が間に合っていない。
そのせいで、屋台の前の列は増えるばかりだった。
高級料理店ならともかく、ダンジョンの屋台でこれは致命的だ。
「角煮丼を食べたかったけど、この様子だといつになるかわからないな」
「別の機会にするか」
「そうだな。俺たちの狩場は深層だし、ここで時間を潰すわけにもいかない」
案の定、客の一部が列から離れていった。
「火力がもう少し強ければ、時短できるんだがな……」
俺が独りごちると、アリスが顔を上げた。
テーブルを拭く手を止め、自信に満ちた顔で言う。
「それでしたら、わたくしにお任せください! 火魔法で鍋を包み込めば、一気に加熱できますわ!」
「なかなか面白い案だ」
前世では、料理に魔法を使うことはなかった。
特区を含め、ダンジョン以外での魔法の使用は禁止されているからだ。
そのため、法の及ばないダンジョンでしか魔法は使えない。
「魔法によって俺の角煮丼にどんな革命が起こるのか楽しみだ。試しにやってみてくれるか?」
「はい! いきますわよ! 〈ファイアボール〉!」
アリスが右手を鍋に向けた。
すると、掌から小さな火の玉――ではなく、バスケットボール大の火球が鍋に向かって放たれた。
「ちょっ! おい待て、それはデカすぎ――」
ボォンッ!!
爆音と共に鍋が炎に包まれ、中の煮汁が一瞬で蒸発した。
黒焦げになった肉の塊が悲しく転がる。
「あ…………」
アリスが冷や汗を流して固まる。
「…………」
俺は無言で焦げた鍋を見つめた。
周囲の冒険者たちも愕然としている。
「も、申し訳ありません! わたくし、手加減というものが苦手で……!」
「だったら、なんで自信満々に提案したんだよ……!」
「ううっ……面目もございません……」
鍋と肉の両方がダメになったので、今日の営業は終了した。
待っていた客たちに頭を下げて、アリスと二人で後片付けをする。
(もう少しお金が貯まったら魔導具を増やすか)
俺は焦げた鍋を洗いながら、今後の発展について考えた。
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