003 レッドボアの角煮丼②
少女の手が、もどかしげに箸を掴んだ。
育ちの良さを感じさせる綺麗な箸使いだが、その動きは獣のように速い。
彼女は角煮を一切れ持ち上げると、震える唇でそれを迎え入れた。
ぱくり。
その瞬間、彼女の動きが止まった。
碧眼が大きく見開かれ、ツーッと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「んぅっ!」
少女の口から、言葉にならない声が漏れる。
次の瞬間、彼女の箸が猛烈な勢いで動き出した。
角煮を噛み締め、溢れる脂とタレを白飯と一緒に掻き込む。
咀嚼するたびに頬が幸福そうに緩み、喉がゴクリと鳴る。
「な、なんですかこれは!? お肉が口の中で溶けて……甘い脂が……! 食べるのを止められませんわ!」
少女は一心不乱に食べ続けた。
「嘘だろ!? 魔物の肉を美味そうに食っているぞ!」
「あの角煮、見た目だけじゃなくて味もいいのか!?」
「信じられねぇ! そんなことがあり得るのかよ!」
冒険者たちが愕然とする。
(魔物だろうが食材であることに変わりはない。最後にモノを言うのは料理人の腕だ)
俺も自分で作った角煮を食べてみた。
茶碗に少しだけ米をよそい、そこに角煮を一切れ乗せる。
タレを回しかけ、一口で頬張った。
「うめぇ!」
想像以上に美味かった。
サービス価格で一丁500円にしたが、いくら何でも安すぎた。
この味なら、危険手当を考慮しなくても一丁980円は手堅く取れる。
そんなことを思っていると、少女に異変が起きた。
「ふぇ? なんですか? この光は……!」
彼女の身体が、ふわりと淡い光に包まれたのだ。
泥だらけだった肌から汚れが落ち、カサカサだった髪に艶が蘇る。
死にかけの幽鬼のようだった姿が、瞬く間に美少女へと変貌した。
「誰かが回復魔法を使ったのか!?」
「いや、誰も使っていないぞ!」
「じゃあ、ただ、飯を食ってるだけで……?」
冒険者たちがざわめき始める。
俺自身も驚いていた。
当然ながら、魔法のような効果は想定していなかったのだ。
(まさか魔物料理にこんな特殊効果があるとはな)
レッドボアの肉か野草、またはその両方か。
とにかく、今回作った角煮には素晴らしい回復効果が備わっていた。
「ごちそうさまでしたぁ……!」
少女は最後の一粒まで米を平らげた。
満面の笑みを浮かべて、空になったどんぶりを掲げる。
その顔は、先ほどまでの悲壮感が嘘のように輝いていた。
「実にいい食べっぷりだったな」
俺が笑うと、彼女はハッとした。
それから慌てて口元のタレを拭い、俺に向かって深々と頭を下げる。
「申し訳ありません! わたくしとしたことが取り乱してしまいました」
「気にしなくていいよ。嬉しそうな顔を見られて、俺もいい気分だ」
「ありがとうございます。わたくし、天王寺アリスと申します。命を救っていただき、感謝の言葉もございません」
「大袈裟だな。俺はただメシを提供しただけ……飯屋なら当然のことさ」
「ただメシを提供しただけ……? いいえ、あなたはわたくしをお救いしてくださいました! 見てください、わたくしの体を! 五臓六腑に魔力が染み渡り、疲労が霧散しましたわ! あなたの料理には、ポーション以上の効果があります!」
アリスが力説すると、周囲の冒険者たちの目の色が変わった。
「たしかに、あの子はメシを食っただけで完全復活を遂げた……!」
「ポーション以上の奇跡だ!」
次の瞬間、冒険者たちが押し寄せてきた。
「お、おい! 俺にも食わせてくれ! 金ならある!」
「俺が先だ! 500円だったな!? すぐに払うから!」
「いや、俺を優先してくれ! 700円払う!」
「オークション制か? なら俺は2000円出すぞ!」
「浅層のザコどもは特区に戻れよ! こっちは中層からの帰りでクタクタなんだ!」
「階層を競うのか? だったら俺は深層まで潜っていた帰りだが?」
客――冒険者――たちが我先にと争っている。
「わかった! わかったから並べ! 勝手にオークションを開くな! 一丁500円で強さは関係ない!」
俺は声を張り上げ、次々と角煮丼をよそっていく。
圧力鍋いっぱいに作った角煮は、飛ぶように売れた。
「なんだ?」
「すごい人だかりだ」
「見て! 屋台があるわよ!」
「なんでセーフティゾーンで屋台が!?」
新たにやってきた冒険者パーティーも俺の店に食いつく。
客が客を呼ぶ状態となり――。
「すまん、売り切れだ」
――あっという間に鍋が空になった。
俺が鍋を傾けて見せると、列の後ろから絶望の悲鳴が上がる。
他にメニューがないこともあり、今日の営業は終了することにした。
「魔物料理がここまで美味いとはなー」
「本当に体が回復していくぜ!」
角煮丼にありつけた冒険者たちは上機嫌で去っていく。
一方、食えなかった連中は「もう少し早ければ……」と悔やんでいた。
(一丁500円じゃ大した利益にはならないが、今の俺には十分過ぎる額だ。顔を売れたのも大きい)
俺は額の汗を拭い、一息ついた。
ふと見ると、アリスがまだ屋台の脇に立っていた。
申し訳なさそうに身を縮めている。
「どうかしたのか?」
「あの……お代のことなのですが」
「ああ。別にいらないよ」
「え?」
「アリスのおかげでいい宣伝になった。お代はそれで十分さ」
「いいえ! 受けた恩を返さずにいるなど恥ですわ!」
アリスはドンと胸を叩いた。
鎧が揺れ、その下の豊満な胸も弾む。
「なら、お言葉に甘えて500円をいただこう」
「わかりました!」
アリスが上機嫌で懐に手を忍ばせる。
しかし、すぐにその顔が真っ青に染まっていった。
「あ、あれ……! ない……!」
「財布を落としたのか?」
「はい……」
「だったらお代は不要だ」
「そうはいきません!」
「でも、財布を落として支払えないんだろ?」
「うっ……!」
アリスは少し考えてから言った。
「お代は……この体でお支払いします!」
「……は?」
俺は光の速さで邪な妄想をした。
すぐ近くの茂みなら、他の冒険者に見られることもないだろう。
そこでアリスと……。
「わたくし、これでも剣の腕には自信がありますの。このお店の用心棒として、魔物や荒くれ者からシュウジさんをお守りします!」
アリスが力強い口調で言う。
どうやら俺と彼女では、「体で支払う」の解釈が違っていたようだ。
「ですから、その……これからも、あのご飯を食べさせていただけませんこと……?」
アリスが上目遣いで俺を見た。
頬をほんのりと染め、期待に満ちた瞳で訴えかけてくる。
「まかない付きの用心棒か」
「美味しいお食事さえいただければ、お給料は必要ありませんわ!」
「そうは言っても労働基準法が……そうか、ダンジョン内だから気にしなくていいのか」
アリスが「はい!」と目を輝かせる。
「悪くない案だな」
ダンジョンで商売を続けるなら、護衛の一人や二人はいた方がいい。
それに、アリスの食いっぷりは見ていて気持ちよかった。
「じゃあ……!」
「交渉成立だ。まかない付きの用心棒として雇用しよう」
「ほんとうですの!?」
「ああ。よろしく頼むよ、アリス」
アリスと固い握手を交わす。
こうして、屋台『てづか』に最初の常連客兼スタッフが誕生した。
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