002 レッドボアの角煮丼①
巨大な隔離壁をくぐり、ダンジョン特区に入った。
前世では一度も来たことがなかったため、これが人生初の特区だ。
特区内は「外周」「内周」「中心部」の三つに分かれていた。
外周は、壁の内側に沿うように冒険者用の施設が並んでいる。
冒険者に特化した商業エリアだ。
そこを抜けて内周に行くと、一気に風景が変わる。
建物はほとんどなく、殺風景な荒野が広がっていた。
俺が店を開こうと思っていた場所でもあるが……。
「ここじゃダメだな」
思ったよりも条件が悪かった。
まず、全くと言っていいほど魔物の死体が落ちていない。
これでは食材不足で料理を作ることができない。
仮に食材を調達できたとしても、外周の飲食店と競合する。
わざわざ内周の屋台で魔物料理を食うメリットが何もない。
だが、この展開は想定の範疇だ。
「そうなると……」
俺は中心部に目を向けた。
巨大な黒い楕円形のワープホールが存在している。
ダンジョンへの入口――〈ダンジョンゲート〉だ。
(やっぱり営業するならダンジョン内しかないよな)
もちろん法律面も問題ない。
というより、そもそもダンジョンには法が存在していない。
全てが自己責任だ。
特区内ではなく、さらに危険なダンジョン内で屋台を開く――。
これこそが完全なブルーオーシャンであり、破天荒な商売だ。
◇
特区の中心部からダンジョンに入った。
ダンジョンは無数の階層に分かれており、「地下○階」と呼ばれている。
「ここが地下1階か。話には聞いていたが、ダンジョン内は別世界だな」
ゲートの先に待っていたのは森林エリアだった。
木々の隙間から木漏れ日が差し込み、空気は意外にも澄んでいる。
ただし、その空気には微かな獣臭と、鉄錆のような血の匂いが混じっていた。
「まずは〈セーフティゾーン〉を目指さないとな」
セーフティゾーンとは、魔物が本能的に避ける安全地帯のことだ。
避けるだけなので、「絶対に安全」とは言い切れないが、ダンジョンなので仕方ない。
セーフティゾーンは、冒険者が休憩所として利用している。
つまり、屋台を開くにはうってつけの場所だ。
俺は地図を取り出し、セーフティゾーンの場所を確認した。
「思ったより距離があるな。まあ、どうにかなるか」
俺は屋台を引きながら森の中を進む。
その道中、当然ながら――。
「キュイ!」
「お? 魔物か」
――魔物と遭遇した。
ツノの生えた可愛らしいウサギだ。
「やるか?」
俺は愛用の牛刀を構えた。
刃渡り三十センチ、鋼を鍛え上げた業物だ。
特区へ来る前にしっかり研いである。
「キュイーッ!」
ウサギは目が合うと逃げていった。
「魔物といえども浅層……しかも地下1階なら大人しいものだな」
ダンジョンでは奥の階層ほど敵が強くて凶暴だと言われている。
地下19階までは「浅層」と呼ばれており、大半の魔物が弱いそうだ。
ただ、ここでいう「弱い」は冒険者基準での話である。
俺のような一般人基準でも弱いのかは不明だ。
「ここだな、セーフティゾーン」
一時間ほどかけて森を抜けると、開けた広場に出た。
運がいいことに、数組の冒険者パーティーが座り込んでいた。
携帯食をかじったり、装備の手入れをしたりしている。
「なんだ、あいつ?」
「リアカー……もしかして屋台か!?」
連中が俺を見て驚いている。
(よしよし、いい反応だ。俺に興味を持っている)
俺は広場の隅に屋台を停め、手際よくのれんを掛けた。
赤提灯に火を灯し、折りたたみ式の長椅子を並べる。
「あいつ、マジで屋台を開く気だぞ!」
「正気かよ! こんな場所で店を開くなんて自殺志願者か!?」
ざわめきが聞こえてくるが、俺は気にせず準備を進めた。
鍋に水を張り、コンロに火をつける。
調理器具は全て魔導具なので、ここでつまずくことはない。
しかし、肝心の問題が未解決のままだった。
食材だ。
米と調味料はあるが、それだけでは商売にならない。
メインの食材となる魔物は、現地で調達する必要があった。
そんな時――。
「お?」
――新たな冒険者パーティーがやってきた。
全身が赤い毛で覆われた巨大なイノシシを引きずっている。
「レッドボアに襲われるとはついていなかったな」
「硬すぎて矢が弾かれちまったよ」
「肉も臭くて食えたもんじゃないし、魔石だけ取って捨てるか」
「そうだな、レッドボアは材料にもならねーし」
連中が不満そうに話している。
その会話を聞き逃さず、俺は声をかけた。
「そこのお兄さんたち。そのレッドボア、俺に売ってくれないか? もちろん、魔石は不要だ」
「レッドボアを? 別にかまわないが……」
冒険者たちは怪訝な顔をしたが、あっさり応じてくれた。
それもタダ同然のお気持ち価格で譲ってくれた。
「助かったよ」
俺は礼を言って、巨大なボアを屋台の裏に引きずり込んだ。
「イノシシの解体ならしたことがある。とりあえず同じ要領でいくか」
愛用の牛刀で捌く。
血抜きは済んでいたため、さっそく腹を開いた。
「レッドボアの皮を軽々と切ってるぞ!?」
「あの包丁、どんな切れ味をしているんだ!?」
その場にいる冒険者たちが驚いている。
「たしかに俺の包丁は業物だが、それだけじゃないよ。どんなに硬い素材でも、繊維の目や関節の継ぎ目は必ず存在する。そういった箇所に刃を通せば、大抵の物は切ることができるんだ」
説明しながら作業を進める。
レッドボアの分厚い皮が綺麗に剥がれ落ちた。
美しい肉が姿を現す。
「魔肉は不味いと聞いていたが、見た目は美味そうじゃないか。赤身と脂身のバランスが美しい」
俺は手早く肉をブロック状に切り分けていく。
さらに、それを圧力鍋に放り込み、醤油、酒、砂糖を入れる。
「念のために臭い消しも足しておくか」
道中で摘んだ野草を放り込む。
生姜のような根茎とネギのような葉を持つ草だ。
ダンジョンにしか生えていない未知の植物である。
「ダンジョンの野草を食材にするなんて聞いたことがねぇ!」
「本当に大丈夫なのか!?」
冒険者たちが驚く中、蓋をして加圧する。
約30分後――。
「そろそろいいだろう」
俺は圧力鍋の蓋を開けた。
シューッという蒸気と共に、鍋から強烈な香りが噴き出す。
甘辛い醤油の焦げる匂いと、豚肉を彷彿とさせる濃厚な脂の香りだ。
それは無機質な携帯食しか口にしていない冒険者たちにとって、暴力的なまでの誘惑だった。
セーフティゾーン全体が静まり返り、誰かの腹が盛大に鳴る。
「レッドボアの角煮、完成だ!」
鍋から肉塊を取り出す。
箸で切れるほどのトロトロ加減で、飴色の照りを纏っている。
それを炊きたての白飯の上に豪快に乗せ、煮汁をたっぷりと回しかけた。
「サービス価格で一丁500円だ! 誰か食うか?」
俺は客席を見渡した。
誰もが喉をゴクリと鳴らしているが、警戒して動かない。
臭い消しに使った野草が怖いのだ。
未知の植物なので、毒があるかもしれないと考えている。
魔物料理に対する忌避感もあるだろう。
(まずは俺が食べてアピールするか)
そんなことを考えていると、一人の少女が森から現れた。
金色の長い髪は少し乱れ、身につけた白銀の軽鎧には泥がついている。
育ちの良さを感じさせる端整な顔立ちだが、その目には生気がない。
ふらふらした足取りでこちらに近づいてくる。
「いい匂い、ですわ……」
少女は震える声で呟き、カウンターにしがみついた。
「おいおい、大丈夫か?」
俺は少女の体を支え、席に座らせた。
「わたくし……空腹のあまり死にそうで……お金ならお支払いしますから……何か食べるものを……」
俺は苦笑しつつ、彼女の前に出来たての丼を置いた。
「まずは食べるんだ。代金はあとでかまわないから」
俺の言葉に、少女はピクリと反応した。
彼女は鼻をひくつかせ、どんぶりから立ち昇る湯気を吸い込む。
その瞬間、虚ろだった碧眼に光が宿った。
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