014 久しぶりの休業日②
俺は腹をさすりながら言った。
「宿屋で休憩する前に腹ごしらえをしよう」
「腹ごしらえ?」
シズルが首を傾げる。
「実はお腹がペコペコでな。まずは何か食べたい」
俺のお腹がぐぅぐぅ鳴って飢餓を訴えている。
この状態で宿屋に入っても、何をするにも集中できないだろう。
「いいわよ。しっかり食べて、たくさんスタミナをつけないとね」
シズルが舌なめずりをする。
「じゃあ、あそこでメシを食うか」
俺は大手企業が展開する居酒屋を指した。
どこの街にもある有名なチェーン店だ。
昼から営業しており、個室もあって落ち着ける。
「え、あの店にするの? もっとオシャレなお店にしない? 今日は初めてのデートなんだし、雰囲気を楽しみたいんだけど?」
シズルが不満げに唇を尖らせる。
「気持ちはわかるよ。俺もできるなら洒落たフレンチにでも誘いたい。でも、特区にそういう店はない。あるのはチェーン店ばかりだ」
少し前まで、特区内で飲食店を開くのは大変だった。
『ダンジョン特区特別法』……俗に「特区特別法」や「ダンジョン法」と呼ばれる法によって、厳しい基準が設けられていたからだ。
今は規制が緩和されて誰でも出店できるようになったが、それでも数が増えるまでには時間がかかる。
「メニューの幅が広くて個室がある分、あの居酒屋が一番マシだと思うよ」
「だったら特区から出て……って、それはそれで時間がかかるわね」
「うむ」
「ちぇっ。仕方ないわ。あの居酒屋で我慢する」
「すまんな、大人の美女に相応しくないチョイスで」
シズルが承諾したので、俺たちは暖簾をくぐった。
内装はどこにでもある大手の居酒屋だ。
昼にもかかわらず、客席は閑散としていた。
客になり得る冒険者の多くは、まだダンジョンにいる時間帯だ。
「こちらのお席へどうぞ! ご注文はテーブルのタブレットからお願いします! それではお客様……ごゆっくりどうぞー!」
「「「ごゆっくりどうぞー!」」」
通されたのは個室のテーブル席だ。
シズルは向かい側ではなく、俺の隣に座ってきた。
「ちょっ、なんで隣に?」
「いいじゃない。近いほうが話しやすいでしょ? それに、ドキドキしない?」
シズルは甘い声で囁くと、俺の太ももに手を置いてきた。
テーブルの下で、彼女の指先がゆっくりと這い上がってくる。
さらには豊満な胸で俺の二の腕を挟んで離さない。
上品な香水の匂いも鼻をくすぐり、俺を惑わせる。
「そんなに迫られると本気になるから控えてくれ……」
「あら? 遊びのつもりだったの? 私は最初から本気なのに?」
シズルが「ふふ」と妖艶な笑みを浮かべる。
本心なのか、それともからかっているだけなのかわからない。
前世で45歳まで生きてきた俺だが、女性経験は驚くほど少なかった。
「そ、そうやって、これまでも若い男をたぶらかしてきたわけだな……!」
俺は声を震わせ、目を逸らした。
それを好機と捉えたのか、シズルはますます体を密着させてくる。
「そうかもしれないし、違うかもしれない。一つ言えるのは、今の私はシュウジくん一筋ってこと。ほら、こっちを向いて?」
シズルが俺の頬に手を添えて、自分の方へ向かせる。
互いの吐息が顔にあたる距離で見つめ合う。
一瞬にして何も考えられなくなった。
「シュウジくん、目を閉じて」
シズルの言葉に従って目を閉じる。
そして俺たちは、前菜の代わりに濃厚なキス――をするはずだった。
「おーい! 店員! 案内してくれ! つーか、この時間帯なら客もいねぇだろうし、勝手に座るぞー!」
耳障りな男の声が興を削ぐ。
ドタバタと賑やかな足音が近づいてくる。
そして、俺たちのいる個室の引き戸が開かれた。
「うおっ! あんたは!? シュウジ!」
男が俺を見て驚く。
装備も肉体もボロボロの冒険者だ。
10人以上の仲間を引き連れている。
「まさか、こんなところで会うとはな――」
俺は苦笑して、男の名を言った。
「――クラーク」
ムードをぶち壊したのは、盗賊クラン『盗人魂』の連中だ。
俺の料理で改心してからは、初心者の手助けに精を出している。
他の客とも良好な関係を築いており、今ではうちの常連だ。
「どうしてシュウジがここに!?」
クラークが俺の顔を見て素っ頓狂な声を上げる。
赤いバンダナは煤で汚れ、自慢の金髪もチリチリに焦げている。
彼のクランメンバーたちも同じような有様だった。
「見ればわかるでしょ? デートよ。邪魔しないでもらえるかしら?」
シズルが眉をひそめてクラークを睨む。
「あ、すみません……! そっすよね……!」
クラークは後頭部をかきながらペコペコと頭を下げた。
どうやらシズルのような相手には萎縮するようだ。
俺と同じで女に慣れていないのだろう。
「おい、シュウジ、こんな上玉、どこで引っかけたんだよ? モテるテクがあるなら俺にも教えてくれよ」
クラークが耳打ちしてくる。
俺は「さぁな」と笑って受け流し、問い返した。
「ところで、どうしたんだその格好は? 揃いも揃って魔物に燃やされたのか?」
クラークたちの姿は、見れば見るほど酷い怪我だ。
安物のポーションで少しは回復しているが、それでも火傷の痕が目立つ。
「実はよ……地下18階がとんでもねぇことになってるんだ」
「18階? お前達の縄張りは地下3階から地下7階じゃなかったか?」
「それは悪さをしていた頃の話だ。今は浅層全域で活動している」
「なるほど。で、お前の言う『とんでもねぇこと』ってのは?」
「それなんだが……あ、向かいの席に座ってもいいっすか? さすがに廊下に立って話すと迷惑になっちまうんで」
クラークがシズルに尋ねた。
「……今回だけよ」
シズルはため息をつきながら了承した。
「すんません……!」
クラークは俺たちの向かいに座った。
彼の仲間たちは、少し離れた席に移動する。
「で、地下18階なんだが、季節外れの熱波が発生したんだ」
「「熱波?」」
俺とシズルは首を傾げた。
「火山の活動が活発化していたんだが、ついに噴火しちまってな」
クラーク曰く、地下18階は遠くに大きな火山の見える大平原らしい。
その火山が噴火したことで、階層全体が熱波に見舞われているそうだ。
「俺たちは『ブラゲ』と『ホワゲ』の中間地点にいたからこれで済んだが、火山に近いブラゲ付近の冒険者はもっと酷い状況だ。中層以降に行くのも、逆にそこから帰ってくるのも一苦労だぜ」
「ほう」
「シュウジくん、『ブラゲ』や『ホワゲ』って何?」
シズルが俺の太ももを撫でながら尋ねてきた。
「ダンジョンゲートのことだ。奥に進むゲートは黒いからブラックゲート……通称『ブラゲ』と呼ばれている」
「じゃあ、『ホワゲ』はホワイトゲートの略?」
「そうだ」
「へぇ、白いゲートなんかあるんだ?」
「ダンジョンから戻るゲートは全て白いよ。俺もダンジョン内で商売を始めるまで知らなかった」
「そういえば、ダンジョンの話って詳しく聞いたことなかったわね。あとでいろいろと教えてね? シュウジくん♪」
クラークの視線を気にすることなく、シズルがイチャイチャしてくる。
これには俺も苦笑いだ。
「と、とにかく、ダンジョンで自然災害が起き、それが原因でお前たちは全身に火傷を負ったわけだな?」
俺は話をまとめた。
「そうだ。だからシュウジも、しばらく地下18階には近づかないほうがいいぜ。セーフティゾーンはホワゲ付近にあるが、それでも酷暑レベルの暑さだからな」
「覚えておこう」
話が落ち着くと、シズルが目で合図する。
その合図は、俺ではなくクラークに送られていた。
どういう意味かは俺にもわかる――「さっさと失せろ」だ。
「じゃ、じゃあ、俺はこれで……! 失礼しやしたー……!」
クラークはペコペコと頭を下げながら逃げるように去っていった。
「地下18階には近づかないように、か……」
俺が呟くと、シズルは顔を覗き込んできた。
「シュウジくん、地下18階に行くつもりでしょ?」
俺は「バレたか」と笑った。
シズルの読みどおり、地下18階に行こうと考えていたのだ。
俺の魔物料理には高い回復効果がある。
熱波でボロボロの冒険者に貢献できるかもしれない。
そんなふうに思っていた。
「なら、屋台を耐熱仕様にしておくわね」
シズルがスマホを取り出し、その場でメールを送る。
「助かる。代金はどのくらいかかる?」
「タダでいいわよ。その代わり――」
シズルは俺の首に腕を絡めると、耳元で囁いた。
「――今日は逃がさないわよ?」
「は、はひっ……!」
こうして、俺にとって得しかない交渉が成立した。
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