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魔獣学者エルミナの手記  作者: 氷雨そら


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辺境への旅 1


 エルミナの手記の見所と言えば、各地の名物だ。

 肉、魚、果物、ときには摩訶不思議な郷土料理。

 彼女の手記に描かれた料理は、まるで彼女がよろこんで食べている姿が見えるようだ。


 * * *


「お嬢様〜!!」

「ふふっ、おいしいわね」


 エルミナは、王都から辺境に向かう次の街で、魔獣のクシ刺しを食べていた。

 王都の貴族たちは野蛮だと眉根を寄せるような料理だ。


 彼女を止めようとしていたが、口に一切れ放り込まれ、目を輝かせたのは侍女フィルだ。水色の髪と瞳の彼女は、幼い頃からエルミナを見守ってきた。

 離れたくないと此度の旅にもついてきてくれたのだ。


 現在エルミナは旅の学者らしい服装に身を包み、貴族令嬢には見えないだろう。


 レオンとエルミナの婚約は、彼女たちが辺境に着くまで秘匿されている。


 ――王家には家族の情などなく、熾烈な王位継承争いが繰り広げられているという。

 中立派であるシュラエ侯爵家がレオンの後ろ盾になれば、彼のこの後の功績によっては王位継承の可能性もある。


 なぜなら彼は、王子たちの中で最も強い魔力を有するのだ。

 彼が持たないのは母の生家の後ろ盾だけ。

 それゆえに冷遇され、命も狙われてきたが……。


「今頃、どうされているかしら」

「誰がだ?」


 レオンが旅立ったのは一日前。

 馬車で追いかけるエルミナは辺境に着くまでレオンと会えないと思っていた。


「レオン様!?」

「……」


 エルミナの前には不機嫌さを隠せないレオンがいる。

 彼はその美貌と無表情さから、人形のようだと言われているが……今その表情には幼さが垣間見えている。


「君の魔力が近づいてくるから、まさかと思ったが」

「……魔力?」


 距離が間近ならいざ知らず、他人の魔力など他と紛れてわかろうはずもない。

 エルミナが不思議に思って首を傾げると、レオンの頬が赤く染まる。


「ゴホンッ、とにかくなぜここにいるのか説明してもらっても?」

「王命ですわ」


 エルミナは胸の谷間から首飾りを取り出した。首飾りのプレートには伝達用の魔法陣が刻まれている。


「陛下から……?」

「ええ、どうぞ」


 レオンはエルミナの谷間から視線を逸らし、プレートに魔力を込めた。


 ふつう手間あればかなりの時間をかけて魔力を注がねば起動しないはずの魔法陣が瞬く間に白銀の光を帯びる。


「流石ですね」

「これくらいは……は?」


 レオンが眉根を寄せた。


「今すぐ帰れ。陛下には俺から伝令を送ろう」

「無理ですわ。ここに記されているとおり、第二王子殿下への不敬により辺境に研究という名目で追放でされてしまったのですもの。レオン様と婚約できなければ、私一人で追放されますの」

「どちらにしても……辺境に行くことになると?」

「ええ。ですから私はどちらでも」

「はあ……なるほど。思っていたのとは違うが。ところで口元汚れてるぞ」

「えっ……!?」


 レオンはハンカチを取り出してエルミナの口を拭くと、おもむろに膝をついた。


「レオン様?」

「君に婚約を申し込む」

「……!?」

「どうか末永くそばにいてくれ。辺境から王都に帰る日まで君のことは俺が守る」


 レオンを守りたいという気持ちはエルミナだって同じだ。

 だからこれはきっと、幼い頃姉のように慕っていたエルミナへの情のためなのだ。


 エルミナはレオンの本心に気がつくことなくそう思った。


 レオンの唇が、エルミナの手の甲に触れる。ここに二人は、婚約者とあいなったのだった。


 * * *


 歴史を紐解けばこの頃にエルミナと第三王子レオンが婚約したことは明らかであるにもかかわらず、エルミナの手記にはその事実は記載されていない。


 それゆえに、魔獣研究のためとはいえ、彼女が危険な辺境におもむいた理由として、追放されたからであるとか、政治の駒にされたからであるとか、愛しいレオンを追いかけたからであるとか、後世にはいくつもの説があるが……。


 もしかするとその理由は、エルミナがレオンにときめいてしまい、照れくさくて手記に書けなかったからなのかもしれない。

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