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魔獣学者エルミナの手記  作者: 氷雨そら


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スライムと婚約破棄 2


 騒動を良しとしなかった王家と侯爵家の話し合いにより、エルミナとティガーの婚約は速やかに解消された。

 

 ――そこからのエルミナの行動は早かった。


「ふふふ……これを持っていけば」


 エルミナが用意したのは、今までに書き溜めてきた魔獣に関する研究論文であった。

 もちろん辺境に行かなければ、高位魔獣に出会うことはできないため、先行研究調査に近いものが中心だ。

 しかし、実はエルミナの曾祖父も魔獣に興味を持っていた。

 曾祖父の蔵書は多岐にわたる。人と魔獣の距離がもっと近かった神話時代のものまであるのだ。


 ――そしてその中には、ある理由で入手不可能な物もある。その本が屋敷にあることを知るのは、幼い頃から魔獣の本を読み漁っていたエルミナしかいない。


「一つ目の手土産は特別な本とそれに関する研究論文。そしてもう一つは……」


 それは、人を好む紫色のスライムに関する研究結果――ビン入りの紫色のスライムを添えて。

 紫色のスライムの粘液は、人の怪我の治癒を早める働きがある。

 こちらも、エルミナしか知らないことだ。


 気がついたのは偶然だった。

 スライムを探すため藪をくぐったエルミナの腕にできた擦過傷。

 そこに紫色のスライムが這ったときに、傷が治ったことで発見したのだ。


 その後もエルミナは研究を続け、論文としてまとめ上げたのである。


「魔法薬の素材に使えば、もっと効果が高まるはず」


 スライムは核さえ破壊されなければ、無限に増殖する。

 この研究結果は、おそらく魔獣に対する人々の認識を変えることだろう。


「お父様、少し出かけてまいります」

「どこへ行くんだ? ああ、またスライムの観察か?」

「そうですわ」


 エルミナが手にした研究論文の一つはスライムに関することだから、完全に嘘とは言い切れない。

 彼女はその足で、王立魔術研究所へと向かった。


 王立魔術研究所の所長とエルミナは、スライム研究仲間である。

 彼はエルミナの非凡な才能を認めているのだ。

 そもそも、出会いは道端で幼いエルミナがスライムを棒でつついていたときなのであるが……ここではその出会いに関しては割愛する。


 とにかく二人は意気投合し、エルミナは今や院長となった彼に会いに行くことを許されているのだ。


「シュラエ侯爵令嬢、よくいらっしゃいました」

「ええ、お久しぶりです。院長」

「それで、今日のご用件は?」

「こちらをご覧ください」


 院長の顔色は、赤に青にと目まぐるしく変わった。

 そして、困惑と興奮がごちゃ混ぜになった様子で口を開いた。


「シュラエ侯爵令嬢……どうして今、これを私に?」

「それはですね……」


 エルミナはにっこりと笑い、今後の計画を院長に相談するのだった。


 * * *


 翌日、エルミナは出立するレオンを見送りに来た。

 彼女は微笑みを浮かべていた。


「いってらっしゃいませ」

「エルミナ嬢」


 おそらくレオンはエルミナが、連れていってほしいと言って騒ぐと思っていたのだろう。

 微笑んで見送るエルミナを見つめつつ、訝しげな表情を浮かべた。


 だが、出立の時間は迫っている。レオンはため息をつき口を開いた。


「昨日の話だが……」


 エルミナは、淡い紫色の目を瞬いた。

 ほんの少しだけ、レオンの頬は赤い。


「もし、三年の任期を無事に終え、君にまだ婚約者がいなかったなら……そのときは」

「レオン様……」

「いや、聞かなかったことにしてほしい。では、三年後に」

「ええ、お気をつけて」


 レオンは王族だけが着用を許される真紅のマントを翻して旅立っていった。

 そして、エルミナと父が国王陛下から呼び出しを受けたのは午後のことであった。

 

 

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