日以首脳会談
――――――【地球中東 イスラエル国 北部地域】
大噴火中のトルコ東部アララト山の火山灰が降り積もる荒野を北上するペレス・ワイズマン中佐率いるイスラエル国防軍戦車中隊。
先頭のメルカバMK-3戦車の砲塔から、防塵マスクとゴーグルを装着したワイズマン中佐が身を乗り出して双眼鏡で前方を注視する。
『ゴルゴダ86からダビデ16へ、陸路ゴラン高原を越えてトルコ・カッパドキアへ向かった無人走行キャラバンのビーコンが途絶えた』
ワイズマン中佐のイヤホンに、テルアビブ司令部からの緊急通信が入る。
「こちらダビデ16。火山灰でセンサーが故障したのでは無いのか?」
『違う。キャラバンが途中通過した、クネイトラ管区司令部とも通信が途絶した』
「確かに、クネイトラ司令部は地下に在るからな」
『対峙していた残存シリア軍陣地も呼び掛けに答えない』
「具体的な場所は?」
『消失地点はダビデ16の現在位置から、北東10キロ。直ちに強行偵察せよ』
テルアビブの司令部からワイズマン中佐に指令が下る。
「ダビデ16了解、R7号に沿ってこのままゴラン高原まで北上する。航空支援か砲兵支援は無いのか?」
『航空支援は実施不可能だ。地中海・キプロス火山、トルコ・アララト山から厚く濃い噴煙が絶えず南下中だ、ドローンでさえ5分と持たずに墜落している。砲兵もヨルダン川沿いと地中海西海岸ハイファ地区から押し寄せる"奴ら"の迎撃に全て動員していて動かせん。"奴ら"は水気の有る所から侵入して来ると言われているが……イスラム過激派以上に厄介だ。済まんが、現有戦力で対応されたし』
「クソッたれ!ダビデ16了解した。無事生還したら特別手当を奮発して貰おうか?」
『ゴルゴダ86……善処する』
「中佐殿、本当にこのまま前進するのでありますか?」
砲塔内部で戦車隊の指揮をする副官が訊く。
「司令部からの命令だ、強行偵察するしかあるまい。随伴している工兵の地雷処理車両を使うとしよう……全車停止。これより針路前方を索敵する。地中レーダーを地雷処理車両に搭載するんだ!」
メルカバ戦車から降りたワイズマン中佐が、テキパキと工兵に指示を出して地雷処理車両に地中レーダーが装着されるのを待つ。
不意に影が差したので上を向くと、巨大な日の丸を船底にペイントした、日本国自衛隊がチャーターしたマルス・アカデミー大型シャトルが、ゆっくりとワイズマン中佐率いる機甲部隊の上空を通過して、カッパドキア地下都市へ向け北上して行く。ワイズマンの戦車中隊を覆う程の巨大さにもかかわらず、ジェットエンジンの様な轟音は無く、微かにモーター音がメルカバ戦車のエンジン音に消されそうな位に静かだった。
「……無理に地上ルートを使わずに大人しく日本国自衛隊のシャトルを使えば良いものを。そこまで我が国は独自路線に拘るかねぇ……」
マルス・アカデミーシャトルを眺めながら呟くワイズマン中佐だった。
♰ ♰ ♰
――――――第二次ヘラス大陸攻略作戦の2週間後 2025年(令和7年)6月28日【東京都大田区 羽田国際・宇宙ターミナル 特別ゲート】
日本国政府が大月家に依頼して手配したマルス・アカデミーシャトルに乗って、イスラエル国首相ベンジャミン・ニタニエフが「モサド(諜報特務庁)」長官を伴って来日した。
羽田国際・宇宙ターミナルに於いて、後白河外務大臣と美衣子の出迎えを受けたニタニエフ首相とモサド長官は、初めて直接見る"マルス人"の爬虫類的外見に内心驚きつつも、自らの国に救いの手を差し伸べてくれた日本人とマルス人の手をしっかり握りしめた。
「ようこそ、火星日本国へ」
出迎える後白河外務大臣。
「まるで国際線旅客機と変わらぬ乗り心地でしたよ」
笑顔で応えるニタニエフ首相。
「ビジネスクラスより快適だったかもしれません」
真顔のモサド長官。
「……そう。"おもてなし"はこれからよ?」
真顔で応える美衣子。
背後に控える東山の胃が美衣子の一言で、ひかりと接する時と同様、本能的な危険を察知してじくじくと痛み出すのだった。
羽田からそのまま東京の首相官邸に直行したニタニエフ首相とモサド長官だったが、車窓から見える東京の薄く赤みがかった青空と、磨き上げられた摩天楼を見て思わず呟く。
「火山灰の無い街中を移動するのは久し振りだな……」
ニタニエフ首相の呟きを聞いた美衣子は、
「これから全地球循環ハイパーループシステムの建設が始まるわ。いずれ火山灰の中和、回収が始まる予定よ」
ニタニエフ首相とモサド長官は、いきなり飛び出した壮大な発言に驚いたが、
「細かい所は、首脳会談後の官民合同協議で説明させて頂きますので……」
後白河外務大臣が、淡々と美衣子のセリフを引き継いで言ったので、黙って頷くしかなかった。
首相官邸に到着したニタニエフ首相は、玄関先で待ち構えていた澁澤首相の出迎えを受け、そのまま首相執務室へ招かれて二人だけの首脳会談が始まった。
モサド長官と岩崎官房長官は別室で会談を行った。実務的な地球と火星の情報交換である。
「澁澤首相は質実剛健ですな」
ソファーに座り、首相執務室を見渡したニタニエフ首相が言った。
「タロウと呼んで下さってかまいませんよ。ニタニエフ首相閣下」
澁澤がニヤリと笑った。
「では私の事もベンと呼んで下さい」
ベンジャミン・ニタニエフが微笑んだ。
こうして日本とイスラエル(以色列)の首脳会談が始まった。
ニタニエフは日本国との協力関係強化を望み、大変動後の過酷な地球環境で窮地に陥ったイスラエル国への支援を要請した。
澁澤は、巨大ワーム対策と当面の物資補給、火星開拓支援を約束すると共に、大変動を沈静化させるため2年後、アステロイドベルトから『人工日本列島』を極東に着地させる計画を説明、イスラエル国にその管理運営を要請した。
「これは人類史上、いまだかつてないプロジェクトです。私達はいつ転移するか分からない火星日本列島を離れる事が出来ない。ベンの国ならば、我が国の様な不確実性がない。地球上に於ける新たな安住の地の一つとして、貴国に管理して頂く事は出来ないだろうか?」
澁澤の丁重な申し出にニタニエフは大変驚いたが、
「もともと我らユダヤ民族は、流浪の民でした。安住の地が増えるのならば、歓迎すべきことです。そして、極東はかつて我らユダヤ民族の祖先である"失われた12氏族"の一つが向かった地、とも言われています。喜んで、移住・管理いたしましょう。ただし、移住初期のサポートは手厚くお願いします」
満面の営業スマイルで応える。
「感謝します、ベン。皆さんが人工日本列島に慣れるまで最大限のサポートをしましょう。それと、あえて申し上げますが、我々は人工日本列島の極東着地後についてとやかく申し上げません。
貴国主権の下、地球復興の一助として人工日本列島が役立てばそれで構いません」
頷く澁澤。
「心からタロウと日本国民に感謝を。我が国は戦争する事無く、カッパドキア地下都市、テルアビブ、火星ヘラス大陸、そして人工日本列島と人手が足りないくらいに広大な領土を得ることになりましたな……嬉しい悲鳴を上げればいいのでしょうか?」
自嘲するニタニエフ首相。
「正直に言って、プロジェクトパートナーとして頼める組織的人口規模の国が他に無いのが実情です。ユニオンシティ国、MCO(火星協力機構)は官僚主義な上に"西洋的価値観"を一方的に押し付けてくるのです。そのくせ、異星文明の利用だけは実に厚かましい!故に信用出来ませんな!」
憤りを抑え切れず打ち明ける澁澤。
「スイス連邦は、ユーロピア共和国のジャンヌ首相を通じて非公式に打診してくれましたが、国土であるアルプス地方を離れたくないと強く拒絶されてしまいました……」
ため息をついて、事情を語る澁澤首相。
「それと、此処だけの話にして貰いたいのですが、マルス文明三姉妹についてユニオンシティは"第三のアトランティス"になりかねない、と強く危惧しているのです」
「我々の血塗られた建国に比べれば、ユニオンシティ国の方が、遥かに健全だと思いますが?」
皮肉気に訊くニタニエフ。
「あの国は大国としての意識が強過ぎます。おそらく、復興が進むにつれ大国の地位を自然と求めていく事でしょう。だが貴国は、世界の覇権よりも自国と国民の生命に貪欲だ。そういう貴方達だからこそ、人工日本列島をお任せしたいのです」
「どうか、人工日本列島をよろしく頼みます」
そう言うと、澁澤が頭を深く下げた。
ニタニエフは目を細めながら、典型的日本人の如く深くお辞儀をする日本国首相に訊く。
「我が国をそこまで信頼しても貴国はよろしいのか?我が国は、伝統的に我が民族を無条件で支えてくれたアメリカに、強い信頼を持っている。
それは例えアメリカ合衆国からユニオンシティと名前が変わろうとも、決して変わりはしないのです」
「貴国は今迄、産油国であるアラブ諸国の顔色を窺いながら風見鶏の様な、場当たり的な外交で我が国に対応して来たと私は認識している。我が国が他者にお人好しな貴国の話を、今さら真に受けると、本当にお思いか!?」
ニタニエフの率直な発言に苦笑した澁澤は、
「我が国が取ってきた従来の外交政策について、私は弁明しません。
第二次世界大戦後、サンフランシスコ講和条約を経て国際社会に復帰した我が国は、固有の制限された状況下で国民が生き残るにあたり、苦渋しながらその時点で最良の選択をし続けたと思っています。それは何処の国であろうと同じ事でしょう?」
「そして、この件は貴国にどう思われようと、我が国は貴国にしか頼まないし、貴国以外から頼まれるつもりもない。我が国は既に地球から遠く離れております。……残念ながら、我が国土は地球へ帰りたくても帰れないのです」
「我が国土が転移した事による大変動をこれ以上拡大させない為にも、"我が政府と国民だけの地球帰還"よりも、人工日本列島の極東着地を優先する方針に変わりはありません。ベン、どうか引き受けてもらえないだろうか?」
澁澤の熱弁に頷きもせず、能面を維持してじっと聴いていたニタニエフは、やがて小さく息を吐くと澁澤を見つめ静かに口を開いた。
「……非才なる身を以て全力で、お引き受けしましょう」
腹を括ったニタニエフ首相は、澁澤首相の要請を受け入れるのだった。
澁澤首相との単独首脳会談後、ニタニエフ首相はモサド長官と合流し、岩崎官房長官とミツル商事&マルス・アカデミー三姉妹主催の官民合同協議会に出席、日本国政府とミツル商事が企画する独自地球復興計画の説明を、日本企業各社と共に受けた。
日本国政府は地球復興に国家規模で取り組むに当たり、マルス・アカデミーの段階的承継技術を積極活用する事を閣議決定、ミツル商事(&美衣子達三姉妹)と協議していた。
その結果、第一弾として官民合同の航空宇宙法人『日本マルス交通』を日本国政府とミツル商事の共同出資で設立、マルスアカデミー保有シャトルを活用した日本国と月面ユニオンシティ、中東カッパドキア、欧州アルプスを結ぶ直行便を開設して火星と地球間での人と物の交流を円滑に進めていく事で日本国政府とミツル商事は合意した。
また、『日本マルス交通』内に"貨物輸送部門"を設け、段階的承継技術を活用した"大気圏外投射型電磁カタパルト"を使って種子島を起点とする、衛星フォボス、衛星ダイモス、人類都市ボレアリフ、月面ユニオンシティ、地球中東カッパドキア、地球アルプス、長崎ダウニングタウン、佐世保ユーロピアシティを、コウノトリ型無人宇宙船で結ぶ計画も、官民合同協議会で計画推進が決定された。
この貨物輸送部門には、日本国内の運輸・流通業界から次々と出資、業務提携の申し出が殺到、圧倒された大月社長がひかりのサポートを受けて甘木経産大臣にキラーパスを行った結果、共同出資者である日本国政府の経済産業省が管轄して入札方式で官民事業計画が推進される事になった。
「ウチが1000億出すさかい、電磁カタパルト建設は角紅に任せてくれへんか?」
協議会にもかかわらず、口から唾を飛ばす勢いで事業参入を懸命にアピールする総合商社角紅の仁志野社長。
「『日本マルス交通』国内外惑星拠点をマネージメントする人材が弊行には多数在籍しております」
未開拓事業分野でも、日本的経営感覚を活かせると思い込んだ菱友銀行の瑞星頭取が、ヒトの派遣をさりげなくアピールする。
「この場は、事業遂行が可能か否かを検討する協議会です。個別企業の選別を行う場ではありません」
仁志野や瑞星のスタンドプレーをピシャリと跳ね返す岩崎官房長官。
「……岩崎の言う通りよ。皆、がっつき過ぎ。そう言う事は、NEWイワフネハウスでカボチャプリンを食べながら話すべきね」
「美衣子……それじゃ裏交渉を自宅で誘っている事にならないか?」
美衣子の右隣に座る満が注意する。
「あれ?時代劇で視た"お代官様"と"越後屋"のシーンを再現しようとしているだけなのに……」
首を捻る美衣子。
「それ、主も悪者になるテンプレだから!」
左隣に座るひかりが突っ込みを入れる。
「あだだだ……ひかり、タイム!ちょ――――――っ頬がヒリヒリしているのだけど?」
ひかりにさり気無く頬を抓られた美衣子が涙目で抗議する。
「プリンの食べ過ぎで虫歯になったのかしら?」
素知らぬ顔のひかり。
今晩のデザートは無し、と心に誓っている様である。
とばっちりを受けてデザートのお預けを食らい涙目の満、東山。
「成る程。貴国の政治経済は"進んで"いますな……」
ざっくばらん過ぎたやり取りを目の当たりにして、呆気にとられた顔のニタニエフ首相が、傍らの澁澤に囁く。
ニタニエフ首相の隣に座るモサド長官は、無言で涙目の大月家一同を観察している。
「いやいや、商取引にかけては貴国民に敵う者などいないでしょう」
東山を通じて"大月家の日常"を知っているが故に、苦笑気味の澁澤首相。
「……お恥ずかしい所を」
涙目且つ、頭を抱えて恐縮する東山首相補佐官と満。
ニタニエフ首相とモサド長官は、前代未聞となる惑星間計画にも関わらず、躊躇う事無く粛々と協議を進める日本人&マルス文明三姉妹に強い畏怖の念を持つ事になった。
イスラエル国の国家移転と、巨大生物対抗策、カッパドキアや火星へ向かう国民の支援については、幅広い分野で協議が必要となる為、あらためて両政府の官民代表団が7月以降、カッパドキア地下都市で協議を継続する事となった。
ニタニエフとの会談後、澁澤首相は応接室で、三姉妹の付き添いとして呼んでいたイワフネと休憩がてら雑談をしていた。
「聞きにくい質問で申し訳ありませんが、イワフネさんは昔のイスラエル人に詳しいのですか?」
澁澤がイワフネに問う。
「……私の記憶では、当時の彼らは死海に程近い、ソドムとゴモラと言う2つの都市で栄えた文明だと記憶しています」
澁澤に答えるイワフネ。
「……確かソドムとゴモラの人々は、周辺地域を支配して繁栄を謳歌していましたねぇ……うん」
遠い眼をしたイワフネの語りがしんみりとして来る。
「あ~」
澁澤は、イワフネのトラウマである"文明崩壊の立会人"と言う地雷を踏んでしまった事に気付く。
「彼らは、繁栄を謳歌していましたが"バベル"と言う巨大核融合炉実証実験が失敗して――――――都市ごとグラビティー・ボム(重力核爆発)で滅んでしまいました」
「……嫌なこと聞いてしまい、申し訳ない」
思わず恐縮する澁澤。
「いえ。私の印象では、ユダヤ民族は良くも悪くも大変に”チャレンジャーな人種”だったと思います」
中空を見ながら思い出を語るイワフネ。
「まるでゼイエスさんみたいですね?」
冗談ぽく言う澁澤。
「そう言えば……気が合うかも知れませんね」
真面目な顔で頷くイワフネ。
「……今度は核融合失敗して欲しくないですね……」「ええ……本当に」
澁澤の言葉にイワフネが心から同感すると、暫しの間沈黙するのであった。
日本国とイスラエル国は、イスラエル国の火星南半球入植を日本国が支援する代わりに、地球上に取り残された在留日本人の救出・保護、並びに"封鎖された"アジア・アフリカ地域における非合法武装勢力掃討、ミツル商事警備保障部門への軍事顧問団派遣と訓練をイスラエル国防軍が行う内容の、日以相互安全保障条約を締結する事で合意した。
この宇宙交通事業と火星南半球ヘラス大陸、北半球アルテミュア大陸「西海岸」沿岸開発、警備保障部門(アンドロイド傭兵)でミツル商事は急拡大していく事になるのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございましたm(__)m
*イスラエルの漢字表記は以色列だそうです。
【このお話の主な登場人物】
・大月 満 = ミツル商事社長。
・大月 ひかり= 総合商社角紅役員。
・大月 美衣子=日本列島生物育成環境保護人工知能。
・東山 龍太郎=内閣官房首相補佐官。西野の大学同期。苦労人。
・イワフネ=マルス人。ミツル商事社員見習い。日本のサラリーマンを学ぶため、大月家にホームステイ中。生け簀によく落ちる。
・澁澤 太郎=日本国総理大臣。
・岩崎 正宗=内閣官房長官。
・ベンジャミン・ニタニエフ=イスラエル国首相。
・ペレス・ワイズマン=イスラエル国防軍中佐。
・仁志野 清嗣=総合商社角紅社長。ひかりの祖父。
・瑞星=菱友銀行頭取。仁志野社長の同級生。




