コネクション【後編】
――――――【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス】
二俣川運転免許試験場で行われた交通安全協会からの感謝状贈呈式から戻った大月一行に来客があった。
「よっ!大月君!儲かってるか?」
ひかりの祖父である仁志野社長が、ダイニングのソファーで寛いでいた。
仁志野の隣には、スーツ姿の男性が座っていたが、大月達の姿を見るとスッと立ちあがって自然な動きで近寄ると名刺を出して挨拶する。
「初めまして、大月様。菱友銀行で頭取を務めている瑞星と申します」
「はいっ!?」
突然のVIP来訪に固まる大月。
「……どうも。家には余分なお金は有りませんのでお帰りはこちらです」
西野ひかりが、宗教や新聞勧誘をお断りする時に使うスキルを総動員した冷たい笑顔で玄関口に続くドアを開ける。
「ひかり、ちょっと待ってくれへんか?瑞星さんはワシの友達やねん。さっき本社まで遊びに来てくれたんや。そん時に、大月君が火星文明の機械使うって話をしたら、是非一度会わせてくれと頼み込まれてなぁ……そんな訳で寄ったさかい、邪険にせんとってな?この通り!」
慌ててひかりを制止すると、拝むように手を合わせて懇願する仁志野社長。
「……ふぅ。遅いわね。瑞星」
大月の背後から美衣子が前に出て来る。
「あれ?美衣子はこの方とお知り合い?」
尋ねる大月。
「違うわ。でも、そろそろ来る頃だと思っていたわ」
腰に手を当ててどや顔で頷く美衣子。
「……お見通しでしたか。恐縮です。実はご相談したい事が有りまして」
苦笑する瑞星が美衣子に頭を下げる。
「……いいわ。お父さんとひかり、儲け話よ。……お祖父ちゃんも一緒に聴いてあげて」
大月とひかりに言った後、仲間に入れて欲しそうな仁志野社長の顔を見た美衣子が、ため息をついて誘った。
「おおきにやで。美衣子ちゃん」
「それじゃあ、瑞星。貴方の相談とやらを聴こうかしら?」
そう言うと美衣子は、瑞星頭取が金融機関としての存在意義が揺らいでいる現状について瑞星に語らせた。
「……と言う事で私共は、仁志野社長の所も含め、産業界から莫大な資金需要が見込めると思っていたのです」
瑞星が説明した。
「簡単な事よ」
美衣子が一言。
「このプロジェクトの大部分において、マルス・アカデミー並びに施設・設備を各国企業が活用して行うからよ。
私と結、瑠奈が承認すれば、お金なんて一文もかからずにエネルギーや輸送手段、作業機械が無制限に利用可能になるの。火星東京五輪の時と同じ様にね」
美衣子が瑞星に説明すると、瑞星は口をあんぐりと開けて呆然としていた。
「そんな!このままでは私共銀行、ひいては日本の金融界が滅んでしまいます!」
反論する瑞星。
「……知らんがな、そんなの」
瑞星の背後でソファーに座る仁志野が声を上げる。
「……星やん。火星転移から今日まで銀行はワシらに何をしてくれたんや?
自動車エンジン完全水素化に優遇レートで資金貸してくれたんか?過疎地の農業再開発や北半球アルテミュア大陸開発で担保査定を甘くしてくれたんか?」
詰め寄る仁志野。
仁志野が具体的に上げた事例は、金融機関の支援が受けられずに途方に暮れる町工場や住民を見かねた仁志野が、総合商社角紅の自己資本を取り崩して現金化し低利で取引先を支援していたケースである。
この資本取り崩し行為が物言う株主達を激怒させて仁志野は一時、株主代表訴訟を起こされたりしている。
「……それは。金融庁の指導要綱に則っただけで」
弁解を試みる瑞星だったが、友人を前にしてポーカーフェイスは無理だったらしく、額に汗が滲んでいた。
「ひたすら自分のところだけ嵐の被害を受けへんように、殻に閉じ凝って頭を低くしていただけやんか!それを今更ネタバレお願いします、は筋が通らへんのとちゃうか?」
ぐうの音も出ない瑞星だった。
「……はあ。お祖父ちゃん、この辺でやめにしといて。ここからがうちらの本番やし」
ひかりが仁志野の追及を止める。
「さて、瑞星頭取。うちの美衣子ちゃんは貴方の相談を聴いたのだから、"相応の何か"が有ると期待して良いのですよね?」
凄みある素敵な笑顔で瑞星に微笑むひかり。
隣には当事者でもないのにお腹がゴロゴロ言い始めた大月が、冷や汗を流して固まっている。
「この件に関して、我々から御社にお支払いする資金には限度が有るのです。
株主配当まで取り崩すとなりますと」
躊躇する瑞星。
「会社は株主の為に有るの?株主は会社から配当を貰うだけで会社に何もしてくれないわ」
美衣子が呟く。
「ですが、株が売却されてしまいますと弊行の資金繰りが悪化して企業価値が下落します」
反論する瑞星。
「付き合いや、目先の売買差益で株を持っている連中に忖度してやる義理なんかあらへんで?形振り構わず動かんと、この先ホンマに銀行の存在意義なんてあらへんで?」
仁志野が指摘する。
「……美衣子。冷蔵庫から”ブブ漬け”持ってきて」
ひかりが伝統的な『京都的』お断り作法を美衣子に命じる。
「お待ちを!私が勘違いしておりました!
弊行が保有する資産のうち、固定資産と運転資金以外で、お好きな物をどうぞお使い下さい!」
遂に降参する瑞星。
「その言葉を待っていたわ。……では"情報"を寄越しなさい」
美衣子が要求する。
「情報!?どのような?」
少しだけ困惑した表情の瑞星。
「三文芝居は見飽きたわ。わかっているのでしょう?銀行が持つ取引先企業情報、財界のコネクション諸々よ。個人情報云々は岩崎が五月蠅く言いそうだから"今回は"許してあげる」
美衣子は銀行から現金を要求せず、銀行が知りうる取引先法人情報、各業界、財界人脈の開示を要求した。
「勿論、こちらが利用した情報について守秘義務はきちんと守るわ。私や結、瑠奈の人工知能ネットワークは人類程度のハッキングには全く動揺しないから。
それと、利用した情報で新たな発見、利益が見込まれそうになったら瑞星に伝える事にするわ。情報はある意味、銀行にとって死活的に重要な資産でしょう?」
美衣子の要求と提案を受けた瑞星は、覚悟を決めるしかなかった。
「……分かりました。この取引、瑞星が謹んで結ばせて頂きます」
美衣子との取引を誓約した瑞星は、直ちに緊急役員会を開催すると言ってNEWイワフネハウスから東京本店へ戻って行った。
「……頭取なのに、意外と肩身が狭いお立場ですね」
大月が率直な感想を口にする。
「そうやで。今時の社長はサラリーマン上がりが殆どや。やっとの思いで社長や頭取に成りあがっても、上には会長やら相談役やら昔の上司・先輩が居るし、株主のご機嫌も伺わなあかん。日本の社長も変わり果てたもんや」
大八車で行商を始め、今の総合商社角紅を起こした創業者仁志野が、感慨深く言うのだった。
「星やんも、昔はもう少し、動きが早かってんけどなぁ」
少しだけ残念そうな顔をする仁志野。
「でも、良かったやん。これでお祖父ちゃんも異業種業態間を取り仕切る商社としての本領が発揮されるんとちゃう?」
ひかりが訊く。
「せやな。ま、手数料はお友達価格で勉強しといたるさかい、気張って欲しいところやね」
友人の活躍を願ってやまない仁志野だった。
数週間後、菱友銀行頭取の瑞星は、首相官邸、日銀、財務省・金融庁、経産省へ秘かに根回しを行った上で、総合商社角紅と情報共有を目的とした業務提携を締結したと公表した。
総合商社角紅は、美衣子の代理人として、マルス・アカデミーが擁する使用可能な技術や施設・設備に関する情報を菱友銀行へ提供、菱友銀行は法人取引先の企業情報と銀行自身の取引情報を角紅に全面開示した。
ライバル金融機関の多くは当初、このニュースが持つ意味を過小評価していた。
菱友銀行と取引するゼネコンや流通・製造業者は、総合商社角紅を通じて提供された地球技術体系と全く異なるマルス・アカデミーシャトル、マルス・アンドロイド運転の自然エネルギートラック、太陽光発電&レーザー送電システムを利用する事により、飛躍的な生産効率で事業を活性化させて高収益を上げる様になった。
そしてそれらの企業は、株主配当を行っても尚、あり余る収益を自社への再投資ではなく、菱友銀行へ投資、菱友銀行は超高金利定期預金、超低金利個人ローンを開発する事が可能となり、新しい顧客層を獲得する事に成功した。
この期に及んで自らの先見の明の無さを自覚したライバル金融機関は、慌てて角紅に業務提携を申し出るものの、何故か仁志野の社長室でふんぞり返る美衣子を前に、苦笑する仁志野社長からすげなくダメ出しを喰らう稀有な体験を強いられるのだった。




