コネクション【前編】
――――――地球復興会議終了から3日後【神奈川県横浜市神奈川区 NEWイワフネハウス】
その日の夕食は、ひかりの祖父である仁志野 清嗣が飛び入りで参加してワーキングディナー状態となっていた。
総合商社角紅は決してブラック企業ではない。
とある状況に頭を悩ませた大月が西野ひかりを通じて社長の仁志野に"人生相談"したところ、あっさりと「ほな、そっち行くわ」的なノリで此処まで来ている。
大月と仁志野は、ひかり手作りのイワシパイをモグモグと頬張りながら美衣子から手渡されたタブレットに目を通していた。
「……これはえらい数やなぁ。美衣子ちゃん、火星日本列島だけじゃなくて地球も征服できるんとちゃうか?」
目を細めながら微笑む仁志野だが、意外と心の中で「火星人ヤバいがな!」と肝を冷やしていたりする。
「……そうね。支配するまでは簡単だけど維持は煩雑で面倒くさいわ」
ちろちろとカボチャポタージュを舌で味わいながら、素っ気無く応える美衣子。隣で同じくポタージュを味わう結と瑠奈も同意して頷く。
「支配とか物騒な話ではないとしても、これだけの設備を”はいどうぞ”と言われてもなぁ」
仁志野と同じ内容が表示されているタブレットを視て天井を仰いで考え込む大月。
「惑星間連絡シャトル50機、地上連絡艇150機、陸海空多用途戦闘艦200隻、作業用アンドロイド5000体。……美衣子ちゃん。やっぱり人類支配しないのかしらぁ?」
大月の隣に座るひかりが現実逃避の余り発作的に邪な道を検討し始める。
「いやいやひかりさん。……僕はひかりさんが怖い女王になるのはちょっと」
ドン引きする大月。
「ファッ!?」
我に返って失言に気づくひかり。
「はいはい。夫婦漫才はお腹一杯やで?それで、美衣子ちゃん達はこの設備を大月君達に任せてええんか?」
確認する仁志野。
「いいわ。お父さんがひかりと日本列島で幸せに暮らせる為ならば安いものよ」
男前に剛毅な美衣子。
「子沢山を望むわ」
付け加える結。
「ハーレム王を目指して欲しいっス!」
大月を焚きつける瑠奈。
「ハーレム――――――ですって!?」
瑠奈の言葉を聞いた瞬間、光を失った瞳で美衣子達三姉妹を見るひかり。
「……ヒッ!ジョークっス!お父さんはひかり一択っス!」
ガタガタと震えながら発言の訂正を試みる瑠奈。
「……瑠奈。今すぐ多用途戦闘艦の整備状況を”その目で直接”確かめてきて」
ひかりの雰囲気で空気を読んだ美衣子が瑠奈に適当にその場を離脱させる指示を出す。
「行ってくるっス!」
好物のイワシパイを食べ残したまま『どこへもドア』でアルテミュア大陸中央部の地下研究施設『ヘル・シティ』へ駆け出していく瑠奈。
「ええっ!?ちょっ瑠奈!どうやって戻ってくるの?」
どこへもドアの向こう側へ駆けだす瑠奈に慌てて呼び掛ける大月。
「それで、大月君。君はこのトンデモ設備で何をしたいんや?」
美衣子達三姉妹とひかりの小芝居がひと段落した所で、大月の顔を楽しそうに覗き込む仁志野。
「……実は、前々から思っていたのですが」
大月は仁志野に、マルス・アカデミー設備を活用した産業活性化で火星開拓・地球復興を支援する考えを説明するのだった。
ひかりは微笑ましく、美衣子と結は興味津々といった感じで大月の隣や背中に密着して話に耳を傾けるのだった。
――――――2時間後
「ふはは。これは面白くなりそうやな!今まで慣習に凝り固まった業界のみならず、日本産業界に革命が起きるかも知れへんで?」
こみ上げる笑いを隠しきれない仁志野。
「そんな、社長。私はただ使える物を使って人の役に立ちたいだけですから、革命なんてとんでもないです!」
慌てる大月。
「こないなトンデモ企画しておいて、謙遜するのは嫌味が過ぎるで?」
窘める仁志野。
「お祖父ちゃん。細かい調整や折衝は私と美衣子ちゃん達でやるから貴方は安心して任せてっ!」
ひかりが手を挙げる。
「せやな、それがええやろ。ほな、大月君。ワシは早速取引先へこの話持ちかけてみるで?楽しみにしといてな?」
タブレット片手にせかせかとダイニングを後にする仁志野だった。
「私はちょっと首相官邸の東山に根回ししておきますねぇ。美衣子、ついていらっしゃいな」
美衣子の手を引いて2階の個室へ向かう新妻気分のひかり。
「お父さんは此処でデンと構えていればいいのよ」
大月の背中によじ登った結がテンパり気味な大月を尻尾でぺシペシと叩いて慰めるのだった。
「……とりあえず、出来る事を一つずつやるか」
深呼吸をした後、ダイニングの椅子に座った大月は、マルス文明設備の活用にかかる経費面での見積もりを始めるのだった。
♰ ♰ ♰
――――――2024年(令和6年)12月上旬【東京都千代田区丸の内1丁目 菱友銀行 本店ビル】
メガバンクと呼ばれている菱友銀行本店ビル30階の役員会議室は、重苦しい雰囲気に包まれていた。
「先週、政府から発表された地球復興計画によって鉄鋼・建設業界は、火星東京オリンピック後の弱含みな受注状況から一気に手が回らない程の受注量を獲得しました」
経営企画部を統括する役員が報告した。
「素晴らしい事じゃないか!これで高度経済成長期に匹敵する大型中長期資金需要が起きるぞ!早速こちらの部門から人員を応援に回すべきでしょう」
リテール(個人営業)部門を兼務する執行役員がさらりと余剰人員を他部門へ押し付けようと画策する。
「……本来であればそうでしょう。ですが現在のところ、新規融資の申し込みは1社もありません。法人営業部担当者が、政府発表直後に取引先へ駆けつけましたが、自前資金で事足りると此方の提案を断ったそうです」
他部門の口出しに反発するよりも気懸りな事で頭が一杯な法人部長が応えた。
「法人部長がおっしゃられた通りです。信託銀行、証券部門でもニーズを探りに行きましたが、極めて低調で冷淡な反応だったと報告が入っています」
グループ・シナジー推進担当役員が法人部長の発言を補足する。
「馬鹿な!アステロイドベルト建設船団に火星開拓、地球酸性化中和対策、どれも超大型事業だ!ジョイントベンチャーや企業連合を組んだとしても、彼らの手持ち資金では事業の継続は不可能な筈だ!」
証券代行部長が発言する。
「……彼らには金融機関以外の資金調達が有ると言う事ですか」
重厚で長い会議室テーブルの中央に座る人物が発言し、役員達の視線が中央の人物に集まる。
「皆さんの中でアステロイドベルト建設船団や火星開拓事業、地球酸性化中和事業の『現場』をご覧になった方はおられますか?」
「「「……」」」
菱友銀行頭取の瑞星が役員達に訊いが、誰も答えられる者は居なかった。
「……そうですか。では、これ以上此処で話し合っても埒があきません。現場を視た上で考えるべきでしょう」
瑞星はそう言うと席を立ち、すたすたと一人会議室を出て行った。
瑞星の静かな怒りを目の当たりにした役員達はしばらくの間、その場で固まっているのだった。
秘書課長を伴って頭取専用車で本店ビルを出た瑞星は、運転手に総合商社角紅へ向かうように告げる。
「……まずは清ちゃんに聞いてみるか」
高校時代の旧友の名前を口にしながら瑞星はしばしの間、車窓から丸の内の街並みを眺めるのだった。
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――――――その日の昼下がり【神奈川県 横浜市金沢区金沢八景 海岸付近の路上】
「はい。お嬢ちゃん達運転免許証出して」
渋面をした神奈川県警交通機動隊の隊員が、アダムスキー型連絡艇に乗り込もうとした美衣子と結を呼び止めて免許証の提示を求める。
「「……これだけど?」」
美衣子と結が、火星協力機構発行の惑星間運転免許証(大型シャトル含む)をおずおずと差し出す。
「確かに惑星間運転免許特別1種ですね……実は近隣住民の方から、そちらの円盤が邪魔で車が通行できないと苦情が来ましてね」
二人の免許証を見て特異な内容に驚愕したがプロらしく表情を変えず冷静に対応する神奈川県警交通機動隊員。
「此処は昔ながらの街並で道路が狭いから駐車禁止なんですよ。
お嬢ちゃん達は、火星転移特別措置法に基づく臨時道路交通法第32条特殊車両駐車禁止規定違反により、運転免許試験所で特別更生交通講習の受講と交通反則金支払いが完了するまでの間、運転免許証は効力を失います」
「「……あああ」」
交通機動隊隊員の説明を聞いてあんぐりと口を開けたまま固まってしまう美衣子と結。
やがて警察が手配したレッカー車に繋がれて金沢署に回収されていくアダムスキー型連絡艇を呆然と見送る美衣子と結。その光景をスマホで撮影する近所の住民。
その日美衣子は結と、秋葉原の自衛隊特殊訓練施設で模擬戦闘に勤しんでいた(オンラインバトルを楽しんでいたともいう)。
だが、訓練中に人類都市ボレアリフへ出張しているイワフネから、生け簀のブラックマルスシュリンプ(黒火星海老)の餌やりを頼まれていた事を思い出し、慌てて横浜市沖の生け簀へアダムスキー型連絡艇で向かった。
二人は急いでいたあまり、海岸近くの路上に連絡艇を放置して生け簀へ向かい、近隣住民から警察に苦情が寄せられていたのだ。
横浜市沖の生け簀から帰った美衣子と結は、正直に大月とひかりに事情を話し、罰金支払いの上、特別更生交通講習を一般ドライバーと共に受ける事になった。
講習を終えるまで美衣子と結は、アダムスキー型連絡艇や大型シャトル、マリオカートまでもが運転出来なくなってしまったのである。
――――――講習当日【神奈川県横浜市旭区 二俣川運転免許試験場】
年配の教官が、講習室に集まった受講生の顔を見渡す。
「この講習を受ける皆さんは、残念な事に交通違反をしてしまった人です。
これから1時間、初心に立ち帰って交通ルールについて学び直しましょう」
教官がプロジェクターを使って交通法規の説明を始め、東映製作のレトロな啓蒙ビデオが流れていく。
――――――2時間後
「……恐ろしい作品だったわ」「……井戸から少女が這い出てくる映画より超怖かったです姉様」
出迎えに来た大月とひかりに、美衣子と結が顔を蒼ざめさせながら講習の感想を伝えるのだった。
「実際に事故ってしまうと、もっと大変な事になるんだよ?」
二人に諭す大月。
「あのビデオの運転手さんみたいに、人間の人生を一瞬で悲惨なものに変えてしまうのよ?」
ひかりも諭す。
珍しく素直にコクコクと首を縦に振る美衣子と結だった。
美衣子と結が常識を学びつつあると感じた大月とひかりは、少しホッとするのだった。
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――――――翌週の日曜日【神奈川県横浜市旭区二俣川 運転免許試験場】
「……ということで」「こんなの作ってみました!」
白衣を着た美衣子と結が大月とひかりに”新装開業”した運転試験場をババーンと披露する。
「「うーん?」」
キョトンと首を傾げる大月とひかり。
2階建てだった運転免許試験場の建物が3階分ほど”増築”されていた。
美衣子と結は常識を学んだのでは無かったのだろうか?
なんで勝手に改装出来たのとか、改装資金はどうしたのとかいろいろ突っ込みどころ満載だが、とにかく常識や反省の方向性が違う気と直感的に悟る大月とひかり。
「まずは適性検査よ」
いろいろと悟ってしまった二人に気付かない美衣子と結が試験場の案内を始める。
2階から”更に”エスカレーターを昇ると、プリクラボックスの様にカラフルな塗装の施された検査室が3階一面に広がっていた。
「左のボックスから並んで入って下さいね」
プリクラには似合わないだろうなと思われる執事的なスーツを纏った初老係員が、にこやかに大月とひかりを誘導する。
二人がボックスに入ると視力検査用機械があり、額を機器につけて中を覗き込むような形になっている。
「穴の開いている方角を言うのよ」
結が説明した。
大月が機器に額をつけて中を覗くと、おなじみの一部分が欠けた楕円が映し出された。
「えっと……右かな?」
大月が答えた瞬間、ビーッ!!と室内に通報ブザーが鳴り響き、反射的に「ごめんなさい!」と謝ってしまう。
「違う。正解は、西よ」
クールに答える美衣子。
「は?」
「方角と言ったら東西南北に決まっているでしょう?」
首を傾げる大月に講釈する美衣子。
「「……あいたたたた」」
「まじめにやろうね?」
静かに美衣子へアイアンクローを決める大月。ひかりも大月にならって無言で結にアイアンクロ―を決める。
「軽いジョークよ?—――—――あいたっ!」「ちょっ、……ごめん……なさい」
「……運転試験場でふざけてはいけません」
再びアイアンクローを決める大月。ひかりも大月にならって静かにアイアンクロ―を結に決める。
「……ふぅ。わかったわ。これでどうかしら?」「どうかしら?」
気を取り直した美衣子と結が機器を操作して斜め上が欠けた楕円を表示する。ただし左右に。
「あだだだ!痛いっ!本当に痛いからっ!」「ごべんなさい~」
大月とひかりに無言の肉体言語で答えられ涙目でジタバタする美衣子と結。
「どっちの方角を言えば良いのかな?」
にこやかに訊く大月。
「左右斜め上よ」
薄い胸を張って得意げに答える結。
「紛らわしいわっ!」
「「あだだだだだ」」
大月は左右の手を使って美衣子と結にアイアンクローを決めた。ひかりは腕が疲れたのか肩を回して次のアップに入る。
「「……うう。痛い」」
頭を押さえて蹲る美衣子と結。
大月とひかりの教育的肉体言語的指導により、視力検査の楕円は「一つ」表示とされ、「欠けた穴」も一つだけに戻された。
ちなみに楕円の色が、ピンクや赤で目がチカチカしたので黒色に戻された。
また、楕円背景に走行中の道路映像が再現されていたので、それも削除された。
「次は4階で写真撮影よ」「ドライバー心に次の免許更新まで残る様な写真よ」
頭痛から解放された美衣子と結が気を取り直して二人を上階へ案内する。
4階フロアーに”またしても”カラフルな撮影ボックスが並んでいた。
美衣子と結はプリクラに強いインスピレーションを受けたのだろうか?
室内に入ると、画面がハートやラメ仕立てのフレームが出てきた。何やら書き込みが出来る様だ。
ご丁寧に”写真例”が表示されており、大月とひかりがツーショットで”私達けっこんします!”と手書きされた写真が表示されていた。
たどたどしい平仮名の筆跡から日本語勉強中の瑠奈の”犯行”と推測された。
「……これってプリクラですよねぇ?」
口許をひくつかせたひかりが美衣子に訊く。
「「ええっ!?」」
キョトンと顔を見合わせる美衣子と結。
「「あだだだだだ!」」
やっぱりひかりからアイアンクローを受ける二人。
「ちなみに写真は二枚ね!」
「「喜んで!」」
だがちゃっかりと注文を忘れないひかりと、居酒屋風に答える美衣子と結。
そして証明写真は普通の方式に戻された。
印紙売り場は自動券売機方式でICカードが利用出来た。
「此処はいい感じだわ」
ひかりが感心する。
「ちなみに現金は日本円の他に、月面ドルや極東ポンド、長崎ユーロ、寛永通宝や慶長小判に縄文貝殻も使えるわ」
結が得意げに胸を張る。
「そこまで凝らなくて良いから……っていうか、寛永通宝とか貝殻のレートにむしろ興味が涌いちゃうから。普通に日本円だけにして」
げんなりした顔で懇願する大月だった。
2週間後、二俣川運転免許試験場は大月とひかりのダメ出しを徹底的に受け、涙目になった美衣子と結、共犯の瑠奈が懸命に魔改造を重ねて新装オープンした。
結がプロデュースしたNHK大河ドラマ出演者の登場する"大河"交通啓蒙ビデオ(毎年出演者が変わる予定)、遊び心溢れる照明写真や視力検査、ちょっとしたレトログッズが提供される印紙売り場等が利用者の好評を得て口コミで広まり、二俣川運転免許試験場で免許更新手続きや講習を受ける神奈川県民が激増した。
そして、二俣川試験場でマルス・アカデミー仕込みの講習を受けたドライバーの事故率は極端に低くなっていた。
後日、美衣子達三姉妹は神奈川県交通安全協会から感謝状を贈られる事になるのだった。




